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 外行き用の着物は色あせ、ほつれを縫い直してごまかしてるけど、そうしないと袖を通せない。今着てる女中着も酷使してきて、濡れても木に干すしかなくて情けない。


 体裁を気にする割には、新しいのをくれないのよね……。

 わがままなのかな……せめて一着でもいいからと望むのは。


 ……無駄なことを考えるのは止めよう。考えるときりがないし、どんどん虚しくなっていく。

 びしょ濡れの女中着から外行き用に着替え、空を見上げる。


「あら、カヤじゃないの」


 どこか甘さのある声に思わず背筋が伸びてしまう。

 顔を向ければ私のみすぼらしい着物とは比べるのも恥ずかしいほど、繊細な柄が描かれた着物を着ている若菜お姉様が一定の距離を置いて声をかけてきた。


 椿油で艷やかさを増した黒髪は変わらず美しい。まっさらな白い肌も、長いまつ毛に縁取られた大きな瞳も。顔や手の甲に醜さを抱える私とは、どこまでも大違いなほどに。


 若菜お姉様は2つ年上のいとこ。初星家の、たったひとりの巫女。

 穢れた私の代わりに巫女となった人。


 私の右頬にやけど跡を残した張本人。


 本当なら当主の子でなければならないが、あいにく私は一人娘。苦肉の策として血筋が遠くない父の弟……叔父の娘を巫女として選んだのだ。この決定を下したときの父は、それはもう思い出しくないくらい荒れに荒れていて。


 ――『おまえのせいだ! おまえが傷さえつかなければ、おまえが、おまえは……!』


 脳裏に呼び起こされる怒り、苛立ち、嘆きが入り混じった声。容赦なく振り下ろされる拳、蹴り上げる脚。ああ、今思い出しても体が痛くなる。


「私の反物を取りにいくんでしょう? ちょうどよかったわ。稽古で疲れたから甘いものがほしいの。ついでに買ってきてよ」

「でも、外のものを口にするのは……」


 ぎょろり、と冷たさを奥に宿した瞳が捉える。まるで獲物を見つけた蛇のように。

 口答えをしてしまった。謝罪を口にするよりさきに、おおきく距離を詰めてくる。気づいたときには、舞のときに使う扇子で顔を叩かれていた。しなやかにしなる乾いた音が痛いほど響く。


「こっちはねぇ、毎日毎日きっつい稽古してるのよ!? ちょっとの融通もきけないわけ!? あんたは黙って私の言うことに従えばいいのよ!」


 肩を押されて突き飛ばされ、受け身をとる暇もなく地面に転がる。


「やだ、土ぼこりが立つじゃない。おまけに触っちゃったし……ああ、もう汚らしい。それじゃあ、バレないように買ってきてね」


 一方的な要求を押しつけたら、もう用はないとばかりに去っていく。


 若菜お姉様のわがままは今に始まったことじゃないから、これも慣れたけど……。


 叩かれた頬が熱くうずいて、またあの日のやけどを思い出す。こんな目に遭っても冷たい目に慣れてしまった自分が悲しい。


「はぁ……早く買いに行こう」



 *****



 初星家が街から離れた山里にあるせいか、人の多さやざわめきには慣れない。もちろん、それは通りすぎる人がちらりと視線を向けるのも理由のひとつだけど。


 街を歩く人たちはみんな、きれいな着物や珍しい洋装に身を包んでいる。楽しげに笑って話していたり、お店に並ぶガラス向こうの商品を眺めていたり。


 ここの人たちは自由だ。

 自分の人生を、自分の足でちゃんと歩いている。

 明日はなにを食べようか、なにを着ようかと、物ひとつでも好きに選べる権利があって。

 表情だって明るくて、生き生きと輝いている。私みたいに顔にやけどやアザがある痩せこけた人なんて見かけない。


 羨ましいなぁ……私もこの人混みに溶けこめたら変わるのかしら。


 ……無意味なことを考えてもしょうがない。

 こんなみすぼらしくて醜い人間が、こんな場所で暮らせるわけないのだから。どこだろうと私は悪い意味で人の目を引いてしまう。


 呉服屋で反物を受けとって、若菜お姉様が好きな和菓子屋へ向かう。空を見たら遠くのほうが重苦しい灰色に染まっている。これは本格的に一雨くるかも……。


「どうしよう、傘持ってきてないのに……っ」


 反物を濡らしたら、顔を叩かれるどころじゃ済まされない。前は雑誌の角が折れただけで手を踏みつけられたし。

 慌てて和菓子屋にかけ寄って買ったときには、もう遅かった。ざぁざぁと降りそそぐ強めの雨音が聞こえる。


 ああ、これは濡れちゃうなぁ……。


 お店の屋根のすみっこで雨宿りをして、少しでも弱まるのを持つ。


「ちょっと、お店の前に立たないでくださいな。お客様が遠のくでしょう」

「す、すみません……っ」


 店主から注意されて反射的に謝ってしまう。

 当たり前だ、お店の前に顔にアザがあって、頬も腫らしているような人が立っていたら迷惑に決まっている。こんな言い草をされるのは今に始まったことじゃない。

 こうなったら若菜お姉様に手を上げられる覚悟で帰ろう。

 濡れるのを覚悟して目を閉じた瞬間、着物の袖を引き止められるようにツンと引っ張られる。



「今出たら、濡れ鼠になるよ」



 耳障りのいい声が、そっと鼓膜をなでる。

 視界の端に茜色が揺らいだ。


 そこには一度見たら忘れられそうにない髪色――深く沈んだ赤色が毛先にかけて色素が薄れ、灰みの淡い空色へ変わっていく。まるで夕暮れを体現したような、時間の流れを感じさせる美しい髪。

 一重まぶたのすっきりとした目元は切れ長なのもあって、より涼しげな印象を与える。薄っすらと紫が混ざった灰色の瞳も相まって人間というより、ひとつの美術品にすら思えてくる。


「あ、亜麻鷺(あまさぎ)様っ」


 店主のぎょっと驚く声。亜麻鷺って、あの亜麻鷺……!?

 まさか、こんなところで、いやその前にお会いするなんて……っ。

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