第1話 『2度目の邂逅』
──私はただ、大切な人を死なせたくないだけなんだ。
ウルムの忘備録『彼女の独り言』より
■◇■
気が付くと薔薇の香りが漂う海の底に立っていた。
何故か海水の中であるはずなのに息ができる。この不思議な空間に来るのは今回で二回目だ。
「死を回避すると息まいて過去に戻ること早1年。随分と速いお帰り、誠にご愁傷様です」
この白い男に会うのも二回目。何処までも広がっているような暗い海の中で白髪白眼の男は前回と同じ白い服をまとい、前と変わらぬ微笑を浮かべ、私の目の前に立っている。
「それで、今度の死因は?」
その質問で私はここに来る前の出来事を思い出す。
「突然現れたショルトゴスという化け物に下半身を食い千切られました」
「それは、血がたくさん出そうですね」
「出てましたね」
血どころか内蔵と骨まで出てきていた。体からまびろび出た腸の鮮やかさを、私は一生忘れないだろう。
吹っ飛んできたガラスの破片にお腹を貫かれて死んだ一回目といい、私はお腹に致命傷を受ける運命なのかもしれない。
「そういえば、前回の死因になった学園の爆発は回避できたんですか」
「できませんでした」
「できなかったんですか」
「でも原因はわかりましたよ。ショルトゴスです」
「今回あなたの死因になった怪物ですか」
「そうです。ショルトゴスは別名『魔王の成りかけ』と呼ばれる天災級の危険な魔物で、見た目は口のついた手が7本刺さった肉の塊。周囲の魔力を取り込み巨大化し続け、ある一定の大きさになると自爆する。過去の文献によると、その爆破威力は1つの国を更地に程度だそうです」
死ぬ間際に聞いたシモン先生の解説を思い出しながら話す。誰もかれもが逃げ惑う中であの教師の説明を聞いていたのは私ぐらいだろう。
「つまりショルトゴスを倒せば、死を回避できるということですね。解決策がわかったのは不幸中の幸いじゃないですか」
「そうなんですけど。あれ、ほんとに倒せるタイプの化け物ですか?」
「といいますと?」
「シャレにならんぐらい強い」
強力無慈悲と言われる勇者の精霊魔法も、聖女の滅炎魔法もすべからく吸収され、効いている感じがしなかった。前触れなく現れ、学園の校舎を押しつぶしながら大きくなり続ける体、腕を1本ふるうだけで数人を軽く吹っ飛ばす怪物。
古書の研究をしている先生しか名前を知らないような認知度の低い魔物。一番最初の状況と合わせて考えると、恐らく勇者達はショルトゴスを倒しきれず、自爆を許してしまったのだろう。
「仮にも勇者と聖女が揃っていて歯が立たないなんて、いくら1年前に戻った所でショルトゴスが出現するなら、もうどうにもならないじゃ……」
「勇者も聖女もまだ学生ですから。力不足だったのでしょう」
「その言い訳を死んだ私にするのは配慮がないですよ。未熟だから死んだんだ、しょうがないと」
『それは失礼しました』と全く失礼に思っていなさそうなほほえみで謝った男は『それでも』と話を続けた。
「それでも倒すのでしょう。必然であった、仕方がなかったとあきらめないのでしょう。だからあなたは、その鍵を使って再びここに訪れたのです」
そう言って私の左手を指さす。私はずっと持っていたせいで生温かくなった銀の鍵を見つめた。
この鍵はアーティファクトと呼ばれる古の人々が作った個人用魔法道具だ。使い方は簡単。死に至る量の血を流し、呪文を唱えながら夕日に向かって鍵を9度回す。そうすると次の瞬間には薔薇の香りが漂う海の中にいて、目の前には白い男が立っている。
白い男は時の扉を守る門番だ。
あらゆる時代の扉を開けることができ、その扉の守護者であるこの男に代償をを払い、最大で1年、記憶を持ったまま過去に戻してもらうことが出来る。
つまり、この凝った花とツタの装飾がされた手のひらより少し大きい鍵は、一度定まった運命を捻じ曲げるための道具だ。
「時を戻し、やり直せることを知ってるから、本来あり得ないはずの最良の未来を望んでしまうし、文字通り死んでもその希望を諦めることが出来ない。ほんと、持っててもいいことない鍵」
「あなたは本気でそう思いながらも、いざとなったら欲望のままに鍵を使うでしょう。今のように」
「そりゃ、私だって死にたくないですし。それに、まだ20にもならない少年少女がわけもわからぬまま化け物に殺されるのは間違ってますよ」
「どうでしょう。それもまた運命ですよ」
異様にキノコの植生に詳しい少女が脳裏に浮かぶ。
『キノコについて知っているか知らないか。その差はつまり、おいしい食事にありつけるか、あるいは死ぬかの違いだよ』と渾身の決め顔で語った土の似合う少女。
彼女は聖女という望まぬ重荷を勝手に背負わされ、連れてこられた学園で血塗れになって化け物と戦い、そして敗北する。
「流石にそれは認められないんですよ。あの場には死んでほしくない人がたくさんいて、私は彼、彼女らを守れるかもしれない力を持っている。使わずに諦めて死んでたら、天国であわせる顔がない」
「それは大変ですね」
「ええ。ほんとになんでこの鍵の所有者になってしまったんだろう。しなくてもいい苦労と絶望を背負う羽目になった」
「それもまた運命です」
「残酷ですね」
運命さんとやらは私の苦難をご所望らしい。際限のない欲望に向かって四苦八苦する私はさぞかしいい見世物だろう。全くいい趣味をしている。
しかしこの力を与えたのもまた運命といえる。であればせいぜい最大限利用してやろう。私が生きたいと望む幸せな未来のために。
「よしっ、そろそろ行きます」
「心が決まったようですね。今度は何処まで遡りますか?」
「1年前まで。前回と同じ日に」
今からやり直しに使える期間の最大値。私はこの1年間でショルトゴスを倒す方法もしくは出現させない方法を見つけ出し、できる限り万全の準備をして今のところ2回連続で死んでいる運命の日を乗り越えるのだ。
「3度目の正直ですね」
「どうですかね、2度あることは3度あるっていう言うし」
「またここに来る心積もりですか?」
「死ぬのは嫌ですけど、また戻ってくるのも悪くないと思っています。あなたに会えるから」
「……もしかして口説いてます?」
『悪い気はしませんが、照れますね』と言いながら、男は全く照れているようには見えない顔を手で扇いだ。
「ええ。口説いてます。だからそのままいい気分になって代償を軽くしてください」
「そういう魂胆ですか。いいでしょう、乗せられてあげます」
「やった。大好き」
「ありがとうございます。前回は『幸せな夢』をもらいました。今回の代償は……そうですね。『月の魔力』をもらいましょう。月が昇る日は魔力を一切持たぬ人間になるのが今回の死に戻りするにあたっての対価です」
仮にも王国一の魔法学園に通ってい、魔術師を志す身である。それはあまりにも重すぎる代償。全然軽くなってませんが。ほとんど毎日魔法を使えない魔術師見習いとは?
……そんな不満が顔に出ていたのだろう。男はそれに答えるように言った。
「新月の夜にだけ魔法が使えるという点でかなり譲歩しています。本来ならば全魔力をいただきますから。それに魔力が全く無いということは魔力攻撃を全て無効化できるということです。いい面を見ていきましょう」
「私、一応魔法学園の危機をどうにかするために過去に戻るんですけど」
「そのようですね」
「魔法が全く使えないとなると、普通に退学です」
「全くではありません。新月の日には使えます」
「実践魔法の単位取得テストが都合よく新月の日に行われているとでも!?」
「頑張ってください」
努力してどうにかできる問題じゃないんだよなぁ。その場に居ずしてどう学園の危機を解決するんだ。
「手段を選ばなければどうとでもなりますよ。考え続ければ道は開けます」
頭を抱える私を見かねたのか、どこかで聞いたことのあるような励まし文句ともに頭を撫でられた。
同時に何かを抜き取られる感覚がする。おそらく代償を取っているのだろう。前回もこんな風にいやに冷たい手で撫でられた。
「頭撫でるの下手くそですね。髪の毛ぐちゃぐちゃになってるんですけど」
「心を開き、信頼を向けている人への撫で方のはずですが、お気に召しませんでしたか?」
「……人たらしの才能がおありのようで」
「口説いてくださったお礼です」
ひとしきり私の頭をかき混ぜ、代償を取り終えるとウルムは立ち上がり、指を鳴らした。その音に答えるように重厚な両開きの扉が現れる。銀のカギ同じ植物の装飾がされている大きな扉だ。
「あなたの望み通りの場所に繋げましたよ」
「ありがとうございます。それでは行ってきます」
「帰ってこなくていいですよ」
その言葉は答えず『お元気で』とだけ返しつ私は勢いよく扉を開けて足を進める。この先が過去に続いていることはすでに知っている。今度こそ死を乗り越えよう。
この扉をくぐるのは今回が最後。
ということはもうこの病的に白い男に会うこともない。そう思うとなんだか名残りおしくなり、ひと目見ようと振り返ったが、すでに扉は閉じられていた。
「そういえばあの男の名前、聞きそびれちゃったな」