金は命より重かったかもしれない
「なー、タマちゃん」
「なんですかー? マリー先輩」
気持ちの良い秋晴れの続く日々。わたしはマリー先輩の部屋にお邪魔していた。三年生のマリー先輩は受験勉強をしているから、イヤホンをしているとは言えベッドの上で寝転んでスマホゲームをしているわたしは本当の意味で邪魔をしているかもしれない。
そんなわたしを気にする様子も無く、ただ勉強の合間の休憩とばかりにマリー先輩は話出す。
「ウチなー、最近ようやくしっくり来たねん」
「なにがですかー?」
「物語の中、特に少し昔の話とかやと、自分のお金儲けとか、何かの利益のために人を虐げたりコキ使ったり、時には殺したりするやんか」
「そうですねー」
わたしはマリー先輩がまた訳の分からない話をし出したので、話半分にデイリーミッションをこなしながら話半分に気の無い返事をする。
「でも、そういうのって現実だとあんまり聞かんやないか」
「んー、どうでしょう。利益のために本当に純粋に人を殺しちゃうのは、戦争紛争では聞きますし、人をコキ使うのだってブラック企業の話とかで聞きますよ」
マリー先輩とわたしのしている寮の食堂のバイトは朝早いけど、働いた分だけ給料が支払われるし、無理難題を押し付けられたりパワハラセクハラの類は無いし、きっとホワイトなんだろう。
あ、でも社員さんの柚木さんからは時々、よくこの人まだご存命だな、と思わせるような昔話を聞くな。ブラック企業ってあんな感じなんだろうきっと。
「それはそうやけど、極端な話、急いでるトラックの運転手さんが横断歩道を渡っている歩行者を轢いてまで荷物を届ける話とかは聞かんやん。それ、何でなん?」
「そりゃあ、当たり前じゃないですか。それが悪いことだからですよ」
「悪いこと、ていうのは、法律に反する言うこと?」
「まあ、そうですね」
「じゃあ、もしタマちゃんが急いでるトラックの運転手で、なおかつ人を轢いても御咎めなしの世界やったら、どうする?」
ん……。何だこの質問。そんなの。
「轢く訳ないじゃないですか」
当たり前だ。しかし、マリー先輩は色素の薄い瞳をわたしにまっすぐ向けて真顔で問う。マリー先輩と目が合い、わたしはいつの間にかスマホを脇に置いて身を起こしていたことに気付いた。
「どうして?」
「だって、それが悪いことだから」
「罰する法律は無いけど、何が悪いん?」
「それは……」
言われてみると、確かに……。もし罰が無いなら、轢いちゃってもわたしにはノーダメージ。だったらやっちゃっても……。
いやいや! 騙されるなわたし!
「やる訳ないじゃないですか! 逆にわたしが歩行者だったら絶対嫌ですもん! 自分がされて嫌なことはしません。それに法的な罰を受けなかったとしてもとんでもない罪悪感に襲われそうですし」
「せやったら、もし時間通りに届けると五十億円手に入る運び屋だったとしたら? もしくは、時間通りに届けないと家族が殺される状況だったら?」
「それは……」
わたしは言葉に詰まる。五十億円手に入れた嬉しさは人を轢いた罪悪感よりも上かもしれないけど、これは正直わからない。でも、見知らぬ人と家族の天秤だったら、もし法に基づき罰せられるとしても……。
わたしが暗い気持ちで黙り込んでいると、マリー先輩は「ま、答えんでもええけどな」と微笑みかける。
「そんな顔してると、かわいい顔が台無しやで」
「だったらそんな嫌な質問しないでくださいよ!」
「あはは、ごめんごめん。けど、ウチが言いたかったことはそういうことなんや」
「どういうことだって言うんですか!?」
「人が人を傷つけないのは、倫理観からじゃなくて損得勘定から、てこと」
「っ……、そ、そんなわけ……」
いや、どうだろう。さっきまでの運び屋のわたしは、何をどう考えてた? 倫理観じゃなくて、利益と罪悪感だったり、見知らぬ人と家族だったりを、損得勘定で考えてなかった?
「トラックの運転手さんやって、人を轢いたときの罪悪感だったり法的な罰の方が、遅れてお客さんに文句を言われることよりも不利益が大きいから歩行者を轢かんだけや。ブラック企業かて、法に触れてまで人をこき使って貪れる利益の方が、ブラック企業と認知されて被る不利益よりも大きいと見込まれたから存在する訳や。戦争かて、攻める側は攻める側の利益が不利益を上回ると算盤を弾いたから起こすんや」
そう言うとマリー先輩は「うーーーん」と気持ちよさそうに伸びをする。
「それが最近ようやくしっくり来たことですか?」
「ちゃうで。これはその手前の話」
マリー先輩はカップから紅茶を一啜り。ぷっくりとした色っぽい唇にどうしても目が行き、心なしか心臓がドクンと言った気がする。
「しっくり来たんなわ、どうして利益のために人を傷つける話を聞かなくなったのか。生身の人だと何人も何日もかけて運ばなくちゃいけなかった荷物でも、トラックを使えば一人であっという間に運べるようになるん。これって、人一人の価値が上がったっちゅうことなんやで」
「まあ、そうとも言えそうですね」
「せやったら、このまま労働生産性が上がって、人一人の価値が上がり続ければ、おいそれと傷つけられない世界になるんやないか? 今はまだ過渡期やけど、昔に比べればそれに近づいてるから、益のために人を傷つける話を聞かなくなったんやないかな、て」
マリー先輩はそういうと、わたしをからかってスッキリしたという顔で机に向かいなおした。
……マリー先輩が言いたかったことは分かったけど、なんだかシャクだな。
わたしは再びマリー先輩のベッドに身を預け、スマホでゲームの続きをしようとしたが手に付かない。
だったら、わたしがこの部屋に居るのも何かの損得勘定からなのかな。マリー先輩が用もない後輩を部屋に上げるのも、ここまでしてくれるのも……。