カエル
川のせせらぎとカエルの鳴き声が聞こえる。空は朱色に染まり、化粧されたいつもの街の風景に荒れていた心が温かくなっていた。座っていた体を起こすと、痛みはなくなり起き上がることができた。いじめられた。彼は力で相手を抑え込み、無理矢理自分の遊びに人を付き合わせる。気に障ることがあると、暴力に訴える。俺は彼の的にされていた。今回のことで、我慢も限界になり俺は復讐を誓った。
前に的にされてた人、元々彼のことを嫌いな人に声をかけたら、迷わず協力してくれた。彼がここまで恨まれていることに驚いたが、それが彼に対する周りの評価なのだと納得した。復讐を決行した。無視に始まり、上履きに生ゴミを入れる、私物をゴミ箱に捨てる、机に落書きをしてみんなで笑う。集団で殴る、川に落とす、みんながいる前でズボンを脱がす。思いつく限りのことをした。担任の先生は自分たちを止めることはしなかった。あるとき、共犯者の1人が複数人で1人を叩くのは卑怯、やりすぎといったが、彼は強敵で1人で立ち向かえる相手ではない。俺にためらいはなかった。ある日、彼は学校にこなくなった。復讐は達成した。もう、いじめられることはない。
しばらくして、彼の不登校が問題になり俺たちは糾弾された。自分たちはいじめられていてやり返しただけだと説明したが、教師はいじめ返したら同罪、集団で1人をいじめたから彼よりひどいという。彼が俺たちをいじめたときも、俺たちが彼をいじめたときも何もしてこなかった。はっきりと問題として起こるまで教師は対応しないんだと言ってやりたかったが、大人に言い返す勇気はなかった。俺は教師が彼よりも嫌いになった。家での風当たりも強くなった。教師が言っていたことと同じような内容でせめられる。彼の家に親と謝りにいった。親は頭を下げ、向こうの親はふんぞり返っている。心底不快だった。いじめられた時は相談しても誰も助けてくれなかったから、やり返すしかなかった。でも世間はそれさえも許してくれなかった。俺はどうすれば良かったんだ。
親と喧嘩したとき、なにかトラブルがあったときいつも自分をかばってくれたのは祖父だった。そんな祖父も3年前に他界してしまった。俺の居場所はもうどこにもない。
川のせせらぎとカエルの鳴き声が聞こえる。空は朱色に染まり、いつもの街に化粧をする。学校にも家にも居場所を失った俺にとってこの場所は心の拠り所だ。しばらくボケっとしていると声をかけられた。
「元気がないね、坊や。何かあったのかい?」
最初、どこから声が聞こえてくるのかわからなかった。視線を下にすると面を食らった。カエルだ。カエルが喋っていた。
「カエル。人間の言葉がわかるのか?」
「あぁ、ワシはしゃべれるよ。実は、君たちのことはずっと前から見ててね。ほら、よくこの土手で遊んでただろう?そんな君が今日は元気なさそうにしてたから、気になって声をかけたんだ。老婆心ながら、相談に乗ってやろうと思ってな。ほっほっほっ!ところで、あのやんちゃな坊主はどうしたんだ?」
「元気がないっていうのは、彼のことで、えっと、そのやんちゃな坊主のことでなんだよ」
カエルが喋るわけがない。俺の頭はおかしくなってしまったようだ。しかし幻聴でも、話を聞いてほしかった。カエルに相談するほど、俺は追い詰められていた。事情を説明した。
「あの坊主は、なんでお前たちにそんなことしてたと思う?」
「なんでって、俺たちが彼より弱かったからだろ。」
「違う。たしかにあの坊主は言葉は荒いし、暴力も振るう乱暴ものだ。だけどな、あいつが1人でいるときはいつも寂しそうな目をしてるんだ。子供にふさわしくない暗い顔してな。知らなかっただろう?そんな暗い表情が消えるときはお前たちと遊んでる時だ。あいつはあんないい表情できるんだなって思ったよ。」
「楽しいのにあの振る舞いか。俺には理解できないな。」
「不器用なだけだと思うよ。人と上手にコミュニケーションがとれないんだ。」
俺は彼のことをそこまで観察したことがない。だから、俺以上に彼を観察しているこのカエルの言ってることに何も言い返せなかった。
「悔しいけど、何も言い返せない。老婆心って言ってたな。人でいうと老人って言われるくらいの年齢か?伊達に長生きしてないな、なんでもわかるってわけだ」
「ああ、まあ、年の功ってやつだ。ほっほっほっ!いじめられたときお父さんとお母さんには相談しなかったのか?」
した。だがあの人たちはろくに話しを聞いてくれなかった。教師と同じだ。困ってるときには相談にのってくれない。ことが起こってから行動するのだ。
「両親は去年くらいに仕事を増やしてから、いつもイライラしていて、相談事を持ち込むと露骨に迷惑そうな顔をする。はなから相談できる雰囲気じゃないのさ、一応したけどね」
「そうか。周りに相談できる相手もいないだろう。ワシが相談に乗ってやる。話聞いて欲しかったらこの土手にきなさい」
「あぁ、助かるよ。しかし、カエルにカウンセリングされるとは俺はもう末期だな」
二人して笑った。ここまで心が温かくなったのは、3年前に祖父を失って以来だ。
「お前、明日休みだろ?あの坊主の家に行って来いよ」
「なに言ってんだクソガエル」
カエルは仲良くしろといった。家にいけば大喧嘩になるだろうし、向こうの親が入れてくれるとも限らない。そもそも、彼と和解するつもりはない。しかし、翌日、俺は彼の家に向かっていた。あの後、カエルと言い合いになったが、「学校と家では環境が違う。案外簡単に仲直りできるかもしれないぞ」と言われ断ったらこれ以上話を聞いてくれなくなりそうだったので、しぶしぶ行くことにした。家のチャイムを鳴らす。彼が出てきた。
「あぁ、えっと、お前1人?親は?」
「どっちも出かけてんよ。」
「あぁ、えっと、そうか。」
会話がぎこちない。しばらく沈黙が続いた後、俺は彼の部屋に案内された。そこでも沈黙がずっと続き、その空気を壊すかのように彼の両親が帰ってきた。俺はそのあとの光景を見てビックリした。彼には妹がいたが、両親が妹に接する態度と彼に接する態度が明らかに違う。妹を露骨に可愛がり、彼に対しては冷たい。母親はヒステリックな性格で彼に罵声を浴びせていた。父親は母親に頭が上がらない様子で、大人しくしていた。彼は母親に対して敬語を使っていた。学校にいる彼からは想像がつかないほど、振る舞いは良い子ちゃんだった。いつも寂しそうな目、乱暴な性格。家庭で良い子でいること、自分を出せないことの反動が外に出ていると子供ながらにぼんやり理解できた。彼が俺の元へ戻ってきた。俺は話しかけた。
「お前、色々大変だったんだな。家の中とかさ。まあだからといってお前のやってきたことは許さないけどな」
「調子に乗るな。1人じゃ何もできなかったくせに。」
その一言で俺は吹っ切れた。
「なら、明日土手に来い。タイマンを張るぞ」
「お前が俺とタイマン?おもしれーじゃねぇか。やられた恨みもある。覚悟しろよ」
彼の発言に腹を立て、ついタイマンを提案した。だが、いくら腹を立てていたからといって、あんなにも怖い存在だった彼とタイマンの約束を堂々とできたのは、今日彼の弱い一面、人間らしい一面を見れたからだ。俺はすぐ土手に向かい、カエルに彼の家でも出来事を説明した。
「お前も男らしいところがあるのぅ。ワシは見直したぞ。だがな、無茶はするなよ。大怪我したら大変だからな。」
「わかってる、ありがとうカエル。なあ、ちょっと気になってたんだけど、カエルはいつからこの土手にいるんだ?」
「8月上旬くらいからじゃ。本当は3日くらい滞在したら帰ろうと思ったがの、お前たちを見てたら心配で帰るに帰れなくなったのじゃ。」
今は9月上旬。このカエルはわざわざ見知らぬ俺たちを気にかけて1ヶ月近くずっといてくれたようだ。とても嬉しいことだ、相手がカエルであっても。
「なんでカエルがそこまで俺たちの心配するんだよ。年寄りは世話好きだなぁ。だいたい帰るって言ってたけどどこに帰るんだ?」
「それは内緒じゃ。」
「気になるなぁ」
「ゲコゲコゲコゲコ」
秘密の多い奴だった。
俺たちは決闘していた。俺の右ストレートをくらい彼は飛んでいった。そこに馬乗りになり連発で顔を殴った。隙をつかれて、殴り返された後、今度は俺が馬乗りにされ彼の拳をくらう。上手く逃げられたと思いきや今度は彼の体当たりで体ごと吹っ飛ばされた。俺は背中にエルボーをくらわせてやった。互角だった。激しい攻防が続いた。後のことは覚えていない。殴りつかれたあと、俺たちは芝生に寝転がっていた。
「お前、結構強いな」
「お前こそな」
「こんなに気合のあるやつだと思わなかった。見直したぜ。お前みたいな正々堂々として素直なやつは好きだ。今まで悪かったな。俺自身わかってたんだ、俺のやり方じゃ周りから人がいなくなる。だがよ、俺は俺なりにお前たちのこと大切に思ってたんだぜ。」
今なら少しわかる。こいつは本当は仲間思いなんだ。家庭以外の居場所がほしくて、でも周りと上手くいかなくて寂しかったんだなと。それで焦ってしまったんだと。
「俺も悪かった。集団でせめるような卑怯な真似しちまって。なあ、明日から学校来いよ。俺もお前も白い目で見られるだろうけど、はみだし者同士仲良くやろうぜ」
「そうだな!」
学校のみんなに白い目で見られた。特に彼のいじめに協力してくれた人たちは驚きを隠せないでいる。
俺と彼が仲良くつるんでいるのだから。今では気軽に遊びに行く仲になっている。教師も親も仲直りできたのだと思ったのか、干渉してこなかった。俺は土手に向かった。カエルにお礼が言いたかった。
「カエル。あんたのおかげで、やつとも仲直りできた。」
「あぁ、よかったのぅ。しかし、若いっていいのぅ。わしももう1回、殴り合いなんてものをしてみたいもんじゃ」
「暴力はあんまり好きじゃなかったけど、一番気持ちを伝えられてスッキリした。たまにはいいかもな」
「これこれ、あまりやんちゃなことをするでない」
「わかってるよ」
しばらくカエルと話をした。なんだか妙な関係性だけどもう慣れていた。
「ワシはそろそろ行くよ」
「行くって帰るのか?」
「そうじゃ。もう心配はいらなそうだからのぅ」
妙なカエルだったけど、別れるとなるとさみしさがこみ上げてくる。一緒に話すと安心する。会話をしていて楽しかった。色々アドバイスをくれる優しい存在。自分でも気付かないほど、俺はこのカエルを気に入っていたようだ。
「最後に教えてくれ。あんた何者なんだ?本当は人間なんじゃないのか?」
「見ての通り、ワシはただのお節介なカエルだよ。ただ、由美子と雄二君とお前の様子を見てたらなんとかしないとと思ってのぅ。あの二人はワシが言ったところで直りはせん。だがお前は子供じゃ。色々いやなことがあってもひねくれないで真っ直ぐ育って欲しい。それだけじゃよ。そろそろ時間じゃ。お前はいい子だ。ワシがいなくとも自分を見失わないでしっかりと生きるんじゃぞ。」
由美子と雄二。俺の母親と父親の名前だ。二人の名前を知ってて、優しく諭すように話す口調。8月上旬といえばお盆。先祖が返ってくる。俺はカエルの正体がわかった。
「カエル!!」
「ゲコゲコゲコゲコ」
カエルの目にもう光はなかった。普通のカエルにもどったのだ。俺はカエルをそっと川に返してやった。
「ありがとう、おじいちゃん。俺、頑張るから」
川のせせらぎとカエルの鳴き声が聞こえる。空は朱色に染まり、いつもの街に化粧をする。いつも見てる風景だが、今日は一番綺麗だった。
動物が、話しかけてアドバイスくれるって面白いですよね