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プラチナ・スランバー

作者: 天理妙我

 セミが鳴いていた。


 ずいぶんと近く、救急車のサイレンが聞こえた。熱中症だろうか。この辺りには高齢者も多い。ぼんやりとした頭でそんなことを考えていると、玄関のチャイムが鳴った。午前六時ちょっと前。


 二回、三回。短い間隔でチャイムが鳴らされる。続いて大声で私の名前を呼ぶ声が聞こえる。聞き覚えのない男性の声。はっきりと良く通る声で、丁寧にさん付けで私の苗字を、続いて氏名を呼んでいる。「さ」と「ん」の間には強調的な長音が入る。遠くにいる人に呼びかけるように。扉を叩く音。またチャイム。三回、四回。


 何事だろうか。普段なら来客の大半を無視する私も、さすがに寝間から這い上がり、寝ぼけ眼で玄関のドアを開けた。


「K・Sさんですね?」


「そうですけど……」


 相手が私の氏名を確認してきたのでとりあえず答えたが、驚いた。そこにいたのはテレビでよく見かけるようになった白い防護服に身を包んだ四、五人の集団だった。


「陽性が確認されました」


「え?」


「血液検査の結果、新型ゴモラウィルス感染症の陽性判定が出ました。これにより、感染症予防法に基づく二週間の隔離措置へと移行します」


「はぁ」


 私は白い集団に促されるままに救急車に乗り込んだものの、何が何やら解らないでいた。確かに血液検査の結果待ちではあった。一週間前、右足の甲の痛みで目を覚ました。思い当たる節はなかったけれど、痛みの具合からどうも骨をやったのではないかと思い整形外科でレントゲンを撮るも異常はなく、痛風の疑いがあるという医師の話に半信半疑で採血をした。しかし翌日には痛みも引いたので気にもかけずに過ごしていた。


 ところが結果はどうか。新型ゴモラウィルス。今、世界中で猛威を振るっているウィルス性肺炎の原因となっているウィルスだ。我が国では重症患者用の病床の使用率が他国ほど逼迫していないという理由でパニックにこそ陥っていないまでも、誰もが恐れるウィルスだ。感染が確認されれば指定宿泊施設での二週間の隔離措置となる。


 インターネット上では、指定宿泊施設からの帰還者の話が極端に少ないことや、発症から死に至るまでが早く重症者が少ないだけで、実は致死率が非常に高いことなどが噂になっている。真偽のほどは解らない。そういえば、新規感染者数とともに発表されていた死者数が、病床の使用率に代わって報道されるようになったのはいつからだったっけ。




 指定宿泊施設は思っていたところとは違っていた。明るく静かな一人部屋を勝手に想像していたが、実際には暗く、唸るような、脈打つような、不思議な音が低く響く部屋にベッドが四つ並んでいた。


 防護服の人物によって頭にいくつかの電極のようなものを貼り付けられる。脳波でも図るのだろうか。いつからこんな実験のようなことが行われていたのか。そして、いつから痛風の検査でゴモラウィルスが判るようになったのだろう。あるいは初めからだったかもしれない。


 私は防護服の指示のままにベッドへと横になった。なんと心地の良いベッドだろうか。もっと簡素なものと思っていたのに。これは嬉しい誤算だ。昨夜就寝したのが午前二時過ぎで、今朝は六時前に起こされている。どうせすることもないのだから、眠っていよう。


 ところで、部屋に入ったときから仄かに香っているのは何の匂いだろう。そうだ。ラベンダーだ。唸るような脈打つような低音も、どこかで聞いたことがあると思ったら、電車の走行音に似ている。軽く体を揺さぶられているような錯覚とともに、クラシック音楽が聴こえてくる。ドビュッシーの『月の光』だ。意識が薄れゆく。


「Cの三番、落ちました。四番も導入中」


 若い女性の声が聞こえる。もう、どうでもいいか。


「よし、脳死だな。使えそうな臓器を在庫に追加しておきなさい。一応、確認な。四番の肝臓は駄目かもしれん。意思表示カードの用意は後でいいから」


「先生、四番がまだ導入中です」


「心配いらんさ。ここから復帰した例はない」


 何やら不穏な会話が繰り広げられている気がする。眠い。起きるべきか。本能が、寝てはいけないと言っている。


 電車の走行音とドビュッシーの合間から、今度は人の話し声が聞こえてくる。抑揚のない、直感的につまらないと判る言葉の羅列。間違いない。校長先生のお話だ。暴力的な睡魔が襲う。抗うことのできないまどろみ。何て心地良い。駄目だ。何か考えないと。


 そうだ、セミが鳴いていた――

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― 新着の感想 ―
[良い点] 筆力が高く、読み応えがある点 [一言] おもしろかったです。
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