おまんまごっこ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ででーん! 「いきなりつぶよりアンケート」のお時間でーす!
本日のお題は……ずばり、「子供のころ、ごっこ遊びをした経験があるか?」ですよ。
古典的な情操教育。これをしっかりやっているかが、家事の適性を左右するともささやかれています。
さーて、ここには大人の方々から現役の生徒まで、幅広い年齢層がお集まりくださっていますからね〜。どんな結果になるでしょうか?
まずお手元の紙のイエスかノーかに〇! イエスの方はどんなことをしたのかも、明記してくださいね〜。
だーいじょうぶ、匿名の記入ですよ。それではせきららに、どうぞ!
はーい、集計は完了しました!
ノーと答えたのは、参加者の6割ほど。その中の半分以上が若い世代ですね。
イエスと答えた人の中でのごっこ遊びの内訳は、お医者さんごっこ、おままごと、戦争ごっこ、野原の石ごっこ、チャンバラごっ……ううん? 野原の石ごっこ?
――ああ、わかりましたわかりました。あれでしょう。死体ごっこの延長ですね、これ。じっとしているものの真似っこをするっていう。
楽しいかどうかは別にして、最近は流行っているらしいですよ。SNSが発達したおかげで、この死体ごっこっぽい写真を撮ってあげる人もいるとか。
いやはや、子供のインスピレーションは大人へも影響がでかいってことですかねえ。
うーむ、やはりごっこ遊びは、世代が新しくなるにつれて、少なくなっている印象ですねえ。ここのところは、疑似体験もゲームで済ませられる世の中です。
手に着く泥の汚れとか、身体の重さとか、叩かれる痛さとかを知らないまま、快楽ばかり求めていく……打たれ弱く育っても、文句はいえませんって。
――はあ? 私のごっこ遊びのケースですか?
あるにはありますが、ちょいとレアケースに遭遇したことがありましてね……。
ふうむ、皆さんにご協力いただいたことですし、その謝礼代わりにお話をいたしましょうか。
私がよくやったごっこ遊びといえば、おままごとでしたねえ。友達のために、泥でできた団子やスープをご用意しましてね。食卓を囲む風景を再現したりしたんですよ。
あ、ご存じかと思いますけれど、「おままごと」の「まま」の部分は「おまんま」が語源らしいですよ。なので、食事の真似ごとをするのが、元来のおままごとの意味なのでしょうね。
私のままごと遊びにつき合ってくれる人は、男女を問わずにいました。その中でも特に、毎回参加してくるある女の子が少し特殊でして。お人形を同伴で参加させるんです。小さな子供が両腕で抱えられる、ちょっと大きめのものでした。
私が用意したテーブルをはさんで、お人形を胸に抱きつつ座りましてね。用意した団子やスープの中身を顔に押しつけていくんですよ。「はい、あーん」といいながらね。
最初は私も微笑ましく思っていました。将来、子供を膝に乗せながら食事するときの練習になるかもしれない、と感じましたし。
でもですね、回数を重ねるたびにちょっとおかしいことに気づきました。彼女は泥で汚れていくその人形を、洗う素振りを見せなかったんです。
彼女は他のみんながやるような、団子やスープの寸止めを、お人形にしてあげません。団子が広がるように潰れても、盛ったスープがざぶんと波打って顔全体を濡らそうと、彼女は次々にお代わりを求めてきました。
そのせいで顔には泥の化粧がされるばかりか、髪の毛は泥水のあおりを受けてべっとり、乾いたらぼさぼさに。身に着けている白いセーターも、いまや胸元以外にも泥のはねが飛んで、汚れだらけ。赤ちゃんの食べこぼしだって、ここまで広くなるかどうか。
彼女との参加を、嫌がる子も出てきました。何度か注意をしましたけれど、彼女は一向に改める様子を見せません。
私自身も、お人形を手放すか、あるいは洗ったり代えたりしない限り、おままごとに参加させない、という最後通牒をつけつけましたよ。
そのときの彼女の顔は、いまでもはっきり覚えています。泣くというより、信じられないって表情でした。
目を大きく見開きましてね。私たちの顔をひとりずつ見やっていくんです。「まさか本気で言ってないよね? 冗談だよね?」と、助け舟を求める視線でしたよ。
でも、みんなの顔が笑っておらず、大多数が私に賛同していることが知れると、彼女はすっと立ち上がって、私たちにこんな言葉を叩きつけてきました。
「あなたたちには、もうあげない!」と。
肩をいからせて去っていく彼女ですが、私たちがこれまでもらってきたものは、不潔と不快感ばかり。もらうものがなくなって、かえって清々(せいせい)した心持ちでしたよ。
首尾よく彼女をハブにできた私たちでしたが、不満は人形の扱いに関する一点のみ。それを改善しさえすれば、再びの仲間入りを認めてあげなくもありませんでした。
しかし彼女は私たちに近寄ることなく、自前のおままごとグッズとバケツを用意すると、水飲み場で汲んだ水を使い、手づから泥水を作り始めます。
誰かとの分け前を気にすることない、自分だけの水たまり。そこで彼女は何度も地面をかき回し、持ってきた小皿に泥水をとって、団子をこねていきます。三個、四個と形を手に入れていく「ごちそう」たちは、次々に人形の口元へ。
お口もお顔も、面倒を見てもらえない人形はもう、真っ茶色に染まっている。それでも彼女の食事の手は、時間が許す限り止まりませんでした。
私たちの仲間から外されて一ヵ月ほど経ったでしょうか。
すでに彼女が目に映らない別の公園へうつり、遊ぶようにしていた私たちですが、たまたまその移動中に、彼女を見かけてしまいました。
地べたに遠慮なく女の子座りをし、相変わらず泥団子を手にしたものへくっつけていきます。おそらく人形であったものは、かろうじて四肢の形が分かる程度にボロボロになっていて、長い髪の毛がついていなければ、どちらが泥だか分からない有様でした。
気味の悪さに、一緒にいた友達はひとり、またひとりと逃げるように先へ行ってしまいます。私もそれに続こうと背中を向けかけたところで、不意に彼女が声をあげました。
「やった! 出た、出た」
ここ最近、あまり聞いてなかった彼女の声が弾んでいます。ずざっと、砂を払うような音も一緒に聞こえました。
そちらを見た時、彼女はもう立ち上がっていましたね。私たちを見やることなく、公園の反対側の出口へ駆けていきました。握りしめた右手からは、ピンポン玉くらいの丸い玉を握っているのがちらりと見えたんです。
残されたのは、泥の塊たち。その中には、あの長い髪の毛をさらしているものも混じっていました。
彼女は人形を捨てたんです。
おままごとで片時も離さず、お世話を続けていた子供を、ですよ。にわかには信じがたくって、つい私はその人形に近寄っちゃいました。
最初は髪を引っ張れば、人形の身体が出てくると思いましたよ。
でも、髪はくっついた泥から動いてくれません。あらん限りの力を込めると、ブチブチと音を立てつつ、根元からちぎれてしまいました。
それ見たら、直接泥に触るのが怖くなっちゃいまして。私は手近な石で、慎重に泥へ触ります。そうする分にはさほど抵抗なく、楽々と左右へかいていけてしまうので、なおさらドキドキしました。
結論からいって、中からお人形は出てきませんでした。
厳密には、柔らかく伸ばされた人の皮らしきものが見つかりまして。
夏に日焼けすると、皮がむけることありますよね? あれにもうちょびっとお肉がくっついて、長く伸びている……というか。泥をかくたび、それらがどんどん出てくるんです。
唯一、形が残っていたのは頭の上半分ほどなんですが……その両目にあたる部分が、ぽっかり穴が開いていたんですよ。
それきり、彼女が私たちの前に姿を現わすことはありませんでした。