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第8話

 危機感による咄嗟の決断だった。声量調節を間違えた大声は、旧棟が生む静寂の膜を突き破る。

 けれどすぐに膜は修復されまたたく間に静寂が支配した。その静けさが投げやりになった俺に冷静を与える。


 ……言ってしまった。実現する可能性が限りなくゼロなこいつの要求を受けてしまった。


 いつの間にか手を止めていた花ケ崎。彼女は微笑を浮かべ見つめてくる。



「そう……よかった」



 ゆっくりと呟いた彼女は安堵したよう、そしてスマホの画面を俺に向ける。



「――謀りやがったなッ」



 向けられたスマホの画面は真っ黒だった。



「あなたが勝手に勘違いしただけでしょ。それに今となってはどうでもいいこと、あれだけ声を大にして表明したんだもの、もう取り返しはつかないわ」



 満足そうな花ケ崎は窓から背を離し上機嫌な足取りで俺の元へとやってきた。



「示談成立ね。よろしく」



 結局俺は最初から最後まで花ケ崎の手のひらで踊らされていた。全ては彼女の思い通り。


 それがどうにも腹立たしく、だから俺は彼女の伸ばされた手を握り返そうとはしなかった。小さな小さな反抗の意だ。



「つれないのね」



 つまらなそうに言って花ケ崎は手を下ろした。

 しかし俺如きの反抗などこれっぽっちも意に介していないのか、突然口元を手で覆いで上品に笑いだす。



「でも安心したわ。黒金君がお金で解決する方を選ばなくて」

「選ばなかったんじゃなく選べなくなったんだよ。誰かさんが当初の額より五倍吊り上げてきたからな」

「あら。でも仮に百万だったとしてもあなたは絶対に成し遂げられずに終わっていたと思うの。理由はあなたの怠けきっている学校生活、あんな状態からいきなり働き詰めの生活なんてきっと身も心も拒絶を示すに決まってるわ。そのまま返済の目処が立たずに追い込まれたあなたは真っ黒いお金を借りざるを得なくなるほど落ちぶれ、そして最後は黒金君の行方不明で幕を閉じるの……真っ黒いお金、黒金、名とは恐ろしいものね」

「勝手に俺を葬るな。それと人の苗字を悪に結び付けるのはやめろ」

「あら、ブラックジョークのつもりだったのだけれど、ごめんなさい、まっくろくろがねくん」

「……お前が謝る気がないのはよくわかった」



 もはや突っ込む気力も失せ、俺は諦めの捨て言葉を漏らし肩を落とす。

 示談が成立し張りつめていた空気がすっかり弛緩したこの空間は、忘れていた疲れを思い出させる。


 そんな俺を察してか否か、花ケ崎は使用されていないこの教室で未だ秒針を刻み続ける時計に目を移した。



「いい時間ね……そろそろ帰りましょう。最初だから特別サービスとしてあなたと一緒に帰ってあげるわ」



 そう言いながら花ケ崎は俺の横を通り抜け引き戸の隅に置かれた鞄を肩にかける。そしてその場で身を翻した彼女は顔を赤らめる事は疎か、嬉々として笑みを浮かべる事もなく、緊張して身を捩る事もなく、ただただ作業の一環と言わんばかりの作られた笑顔で、



「恋の味、楽しみにしてるわ黒金君……いえ『恋愛債務者』君」



 そう言った。 

 どうやら俺は『恋愛債務者』という不名誉な肩書を得てしまったらしい。



「早くしなさい」

「お、おう」



 一緒に帰ろうと言っておきながらそそくさと歩を進める花ケ崎。その後を俺は早足で追いかけた。 


 こうして人生で一番長く女の子と話した一日が、人生で一番不公平な一日が終わり、『恋愛債務者』としての生活が始まった。

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