人間種と仲良くなれると思うな。
お世話になっている村にやってきた人間は、私が知っている人間とも、みんなが知っている人間とも少し違う変な男だった。
私の知っている人間は、嘘を吐く時に悲しそうな顔をする。
でもその男はちょっと変な感じに笑う。
みんなの知っている人間は、女と見るや獲物を見つけた獣のように注視するという。
けどその男は私たちの活動する日中は寝ている時間以外も俯いている。
他にも、食べ物をあげてないのに平気な顔をしていたり、身体ほぐしを拒んだり……
「持ってきたよ。」
今日は彼が要求したクツという履き物を村の掃き溜めから回収してきた。
これで彼は村に連れて来られた時に持っていた道具を全部身につけたことになる。
たぶん明日には彼自身が本当に欲しいものを知ることができる。
それが私の知っている人間の姿かみんなの知っている人間の姿か、とても気になっている。
「ありがとうミライ。助かります。」
この男が来てから今日で5日目。
村の長も巫女さまも初日にこの男を見に来てからは彼をいないみたいに扱っているけれど、そろそろこの人をどうするか決めるはず。
それまでに人間は一体どんな生き物なのか知れるだろうか?
「うん、それで、その……」
「おーけー、それじゃあ、今日はまず学校について話しますね。」
私は、初日の夜にこの男と接触した次の日から、この男が自ら喋る人間のことを教えてもらっていた。
遥か遠くにあって行くことが出来ない、彼が追放された二ホンというとっても大きな村のこと。
カガクという難しい魔法のこと。
火と水を混ぜて作るフロというもののことや、カミとかホンとかいうもののこと、歌のこと。
「学校っていうのは、何も知らない子供からいろんなことを知ってる大人までたくさんの人が行く場所で……」
ガッコウ。
人間たちが狩りの仕方や家の作り方を教えあって、子供たちが一人前になれるようにしたり、新しい狩りの方法を考えたりする場所。
私が住んでいた人間の洞窟は住処とガッコウを兼ねていたのかもしれない。
本当にあるとはとても信じられない作り話のような村のことを、まるで見てきたかのように喋る彼はその時だけはとても楽しそうで、私はそんな彼のことがどうしても嫌いになれなかった。
勿論、みんなが言うように人間が私を騙すために演技をしているのかもしれないと考えてみても、いつのまにかそんなことを忘れてしまうほど、彼との時間は不思議な楽しさに溢れていた。
「じゃあ、ね。」
月が上ってしまったから今日のお話はおしまい。
家に帰って寝床に入った私は、明日はどんな話が聞けるかと予想しながら夢に落ちる。
今日の夢は久々に昔の夢だった。
村の長が私たちの住む洞窟にやってきた日のこと。
起きてもきゅうと苦しくなる胸がざわついたまま、いつものように家を出ると広場の中心にみんなが集まっているのが見えた。
まさかと思って駆け寄ると、村の長があの人間に何かを言っている所だった。
村のみんなをかきわけて最前列に飛び出す。
「人間、仲間の場所を言いなさい。」
「だから知らないってさっきから言ってますよね?」
「そんな嘘に騙される訳ないでしょ。早く吐きなさい。さもなくばこれを使うことになるわ。」
座っている男を見下ろしながら村の長がそう言ってかざしたのは、森でよく採れる木の実の殻。
木の実自体は殻ごと太陽の下に干しておくと中身が程よい硬さになって絶妙な噛み応えの食料になるものの、やたらと硬いその殻はせいぜい水汲み用の器くらいしか用途がない。
何が入っているのだろうと皆が思っているだろう状況に対し、村長は不敵な笑みを浮かべて説明を始めた。
「これは森の虫たちから集めた毒に月の光の魔力を加えた物よ。即死魔術じゃないから死ぬまで長く苦しむだろうけど、人間にはお似合いよね?」
この村に伝わるいざというときのための武器が用意されていた。
「ま、待って村長、それは手に負えない動物が暴れている時に使うもののはず。どうして人間相手につかうの!?」
思わず集団から一歩飛び出してしまった。
周りのみんなからの視線が一気に私に集まっているのがわかる。
一人で立っているのが不安で思わず彼の所に寄ってしまったが、村長の近くに行く勇気は出なかった。
「なるほど。ミライ、貴女がこの人間にいろいろ世話を焼いていたのね。」
「はい……」
村の長の声はいつも通りのはずなのに、その雰囲気にあの日の記憶が重なった。
村長の横に立っている巫女の髪色はあの時見た狼と似た銀色で、村長の姿はあの時から変わっていない。
それを意識した途端に足が震え始める。また、私は大切なものをなくしてしまうのか……いや、言わなければいけない。
「村長、本当にこの人間は悪い人なのでしょうか?」
「何を言っているの?人間はこの世に存在してはいけないの。紛うことなき悪なのは教えたはずよ。」
村長の顔も、巫女の顔も、周りのみんなの顔も険しくなった。
私が間違っているのだろうか。
私が人間に育てられたから、皆に見えている大事なものが見えていないのだろうか?
何か、何か私が普通だと思っていることで、みんなと違うものがあったはずだ。
「人間は全ての種族の敵。放置すればいずれ私たちでなくとも誰かが襲われ、孕まされ、死ぬまで飼われることになるの。貴女もそうだったでしょう?」
そうだ、私とみんなは、人間の子作りを勘違いしているのだ。
「人間はどんな種族のメス相手でも伴侶として生活しようとするだけで、悪意を持っていたりは……」
「するわ。」
村長の静かな声が私の言葉を遮り、その雰囲気の恐ろしさに、私の心は小さく萎んでしまった。
「人間は、悪意を持って私たちを犯す。私も、この子も、貴女以外の村の皆、人間に飼われていたのよ?」
そうだ、私は人間と一緒に暮らしていた。決して同じ生活をしていた訳ではないが、対等だと思っていた。
でも村のみんなは私の暮らしと同じような生活をしていたはずなのに決定的に何かが違っていた。
何が理由か分からないそれが、私とみんなの違い。
私は、エルフの見た目をもって生まれた、人間だったのかもしれない。
そんな風に考えたとき、突然口を覆われた。
覆ったのは隣で柱に縛り付けられていたはずの人間。
長い拘束で例え脱出したとしてもまともに動けないはずの男は、驚くべき敏捷さで私の後ろに回ると、私の腰に据えている解体用ナイフを抜き捨て、首をにぎるように手を添えている。
「おっと、動くなよミライ。お前らも動いたらこいつがどうなるか分かってんだろうな?」
そんな、何故?どうして?昨日の夜までの彼は演技だったの?
みんなが言っていた人間の本性というのは、もしかしてこのことなのだろうか。
しかし、威嚇としては首に添えられた手に力が入っていないのに小さく震えている。
「ミライ、足を閉じて手首を胸の前で合わせるんだ。」
口封じが弱くなった背後の彼が演技なのか本気なのか判断ができないまま、言葉に従ってゆっくりと体を動かす。
そうして彼に言われたとおりのポーズになった私の手と足が、何もない所から突然現れた拘束具によって固定された。
「なっ!?」
私の身体ぴったりの位置に一瞬で現れた拘束具に全員が驚きの声をあげた直後、私の体は人間に抱きかかえられて宙に浮いていた。
「えっ?」
何か不思議な魔法を使って私を拘束した後、隣に立っていた柱を使って長跳躍、という常識外れに予想外を足した一連の動作によって村のみんなの包囲を脱したのだと気付いた時には、私たちと村のみんなとの間に突然せりあがった地面によってみんなの姿は見えなくなっていた。
見上げた彼はこちらをちらりとも見ずに森を駆けている。
そのまましばらく、私から何かを言うこともできず、彼から何かを言われることもなく、ただしっかりと私を抱える彼に身を任せた。