人間種が性欲に勝てるわけないだろ。
真夜中。月の明かりに照らされながら、僕は自分の手を縛っている繊維を柱にこすり付けて切ろうと奮闘していた。
日中は直射日光で十分な温かさのあるこの広場も夜になるとTシャツにパンツという格好はさすがに寒く、長時間どころじゃなく座り続けている尻は痛みを通り越して感覚がない。
拷問じみた環境でいかに大量にあるといわれたHPであっても痔にはなるかもしれないし、継続ダメージ属性とかがついていれば高耐久とか関係なしにいずれ痔になるはずだ。
ぎこぎこぎこぎこ……
自然木のような凹凸はないが、かといって民家の支柱のように滑らかな訳でもない背後の柱は、少しづつであれ手枷の繊維を削ってくれている感触がある。
このままいけば朝までにはなんとかなるかもしれないという淡い希望は、正面の木から降りてきた誰かの接近によって打ち砕かれた。
近づいてくる人物は月明かりに浮かぶシルエットしか見えないが、照らし出された姿から察するに身長は低く、胸は大きい。
昼間に集まってきたエルフにこんな子がいたとは記憶していないが、じっくりと周りを見渡す状況でもなかったため目に入らなかっただけという可能性は十分にある。
周りを確認しながらやや小走りで近づいてきたエルフの少女?は僕の前に腰を下ろすと、じっ、とこちらを眺めてきた。
「あなたは、良い人?悪い人?」
インコのように首を傾げながら質問を受ける。 脱走しようともがいていたのは奇跡的にばれていないようだ。
ヒト、という呼ばれ方をすると、何となく味方っぽい気がしてくるのは僕のメンタルの問題だろうか。
もちろんその長い耳は彼女がエルフであることを明確に示しているし、よく見るとその手には小刀のようなナイフを持っている。
良い人か悪い人かなんて曖昧な質問でまさかその小刀をグサグサやる感じだろうか?
背が低いとはいえ、胸を見る限り昼間の金髪銀髪コンビよりは年上?……いや、今日の昼間の統率力からするとこの世界のエルフは歳を経るほど外見が幼くなる性質も考えられる……
待て待て今はそんな事を考えている場合じゃない。
一体何故そんな事を聞いた?考えろ。
例えば相手がゴブリンとして、世紀末のモヒカン野郎ならどう考える?
(悪いゴブリンは殺せ!良いゴブリンは嘘吐きだ死ぬまで殺せ!)
うん、間違いない、詰みだ。
この世界の住人であればそれこそ牛男、ブルドッグみたいな名前のアイツ同様に人間に対して強い憎悪を抱いている場合も珍しくなさそうだし。
ここはあれだ、賢者はかく語りき。雄弁は銀、沈黙は金。
実際僕自身が良い人か悪い人かと言われると、悪い人でもないしそこまで良い人でもない。といった感じだ。
困ってるお婆さんを見かけてもあえて無視してしまうことはあるが、道端で拾った財布から中身を抜き取るようなことはしないような。
何処にでもいる普通の人。と言えるのかどうかは、この世界の人間に会ってみないと分からない。
勿論、貞操観念についてはたぶんこの世界の人間で一番優良物件なのではないだろうかとは思うが……
なんだかんだと考えながら質問に答えるのを先送りにしていると、返事を待っていた目の前のエルフが手に持っていたナイフを腰の鞘に納め、僕のふくらはぎを両手で挟むように掴み力を込めた。
「痛だだだだだだだ!」
まるで万力かプレス機のよう。は流石に言いすぎだが、少女の手から生み出されてはいけない痛みが走り声が出る。
突然の叫びに慌てて僕の口を塞いだエルフは暫く密着したまま周囲を確認すると、その柔らかな体を離した。
「疲れてるね。どこから来たの?」
「森から半日くらい歩いた草原から……」
嘘は言っていないが、あまりにも無理がある。
集落の位置を知られたくない人間が咄嗟に吐いた嘘っぽい雰囲気がバリバリ漂っている。
「私、人間の敵じゃないよ。信じてもらえないかもしれないけど……」
危惧した通り、嘘だと思われているみたいだ。
しかし本当のことを喋ろうにも、僕は異世界からやってきた者ですなどと言ってしまっては狂人もいい所だ。変態ばかりの人間の、更に狂った個体だなんて思われては堪らない。
「えっと、何か欲しいものとかある?」
こちらの不安を知ってか知らずか、少女はさして興味があったわけではなさそうに話題を変えると立ち上がった。
「あの、何か下に敷くものを貰えませんか?」
もぞもぞと動いて見せると、少女は納得した様子で離れていった。
彼女が初めに出てきた木の根本から枝まで一跳びで入っていったのは流石ファンタジーのエルフといったところだろう。胸の大きさなど問題にもならないらしい。
暫くして大きな動物の毛皮と一緒に出てきたエルフの少女は、ありがたいことに毛皮を丸めて僕の浮かせた尻の下に押し込むと「じゃあね」と言い残して帰っていった。
その日の明け方まで僕を苦しめた肌に染みる寒さはきっと、そんな優しいエルフの外見に反応してしまった愚息を制御できなかった僕への戒めだったのだろう。