人間種は見かけたら全て殺すべき。
いかに女神様から貰ったチートパワーがあるとはいえ、残念ながら人間という生き物である僕は空腹には勝てないのである。
水分に関しては森を流れる川のものを摂取したが、浄化していない水を飲んで果たして大丈夫だったのかと言われると少し怪しい。
なにはともあれ無事にエルフと思われる存在からの攻撃から逃げることができた僕だったが、今は森の中で空腹に呻いていた。
鳥や、ウサギのような小動物は見かけるし、それらを狩るのは無理ではないだろう。
だが血を抜いたり捌いたりといった技能がない僕にはそれらを狩ることは現実的ではなく、仕方なくリンゴやサクランボのような木の実がないかと探しているのだが、残念ながら青々とした葉っぱの隙間にはそれらしい物は見当たらない。
ぐうぐうと唸る腹を押さえて木陰にうずくまっている時、目の前に妙なものが現れた。
動く大きな水信玄餅、というのがおそらくその外見を最も適切に言い表しているだろう。
透明なクッション大の何か。
記憶にある最もそれらしいファンタジー物体はスライムになるが、スライムイコール水色か黄緑というイメージが強くて目の前の謎物体と関連付けるのが難しい。
というか、もはや水信玄餅以外の何物にも見えない代物をどうやってモンスターだと思えばいいのかも分からない僕は、恐る恐るその何かを掬いあげた。
とぅるっとした透明な水風船?
掬いあげられた手の上でフルフルと揺れる綺麗な仮称スライムに対し、自分でも何を思ったのか分からないが僕は口を付けた。
触感はゼリーのそれ。
口いっぱいに広がる草の香りとほのかな甘みが絶妙にミスマッチして今にも吐き出してしまいたいという気持ちになるが、わずかながらカロリーになりそうな甘さがもったいなくて、僕は咀嚼したスライムかっこかりを嚥下した。
かぷり、もちゃもちゃ、ごくん。
一連の流れを何度か繰り返してスライムが元の半分ほどの大きさになった時、手の上に載っていたスライムはさらさらと光の粒子に変わりはじめ、僕が口に含むのも間に合わず、手のひらに小さな青い八面体を残して消えた。
残された八面体は厚みのある菱形というべき形をしており、菱形の対角線を用いた三角面8つで作られた綺麗な形をしていた。
舐めてみても味はなく、歯を立ててみても傷一つ付かないほどに硬い。
石になるくらいなら最後まで草ゼリーであってくれた方がうれしかったのだが、文句は言っていられないので、僕は朝まで目を閉じることにした。
浅い睡眠と覚醒を繰り返し朝まで持久した僕は、目が利く程度に明るくなったのを確認するとスライムを探して歩き始めた。
絶望的に不味いとはいえ、食べるのに問題があるようには見えないスライムを見つけては食べ見つけては食べ……
何匹目かのスライムを齧りながら歩いていると、後方からやってくる馬車に追い付かれた。
「よお人間、よく合うな。何食ってんだ?」
昨日に引き続き3回目、馬車に乗っていた狼男が抜き身の剣を握りながら近寄ってきた。
睡眠不足でぼうっとした頭で何と返事をしようか考えるものの、特にこれと言っていい返事が浮かばない為、手に持ったスライムを見せつける。
「なんだこれ?もしかしてぷよ食ってんのか?マジかよ!クソウケる!」
ぎゃははと癪に障る笑い方をする狼男を無視して歩き続けると、少し進んだところで再び狼男が寄ってきた。
「人間、お前そいつに毒があるって知ってて食ってんのか?」
知らん。知らんし仮に毒があってももう手遅れだ。
そろそろこの草の味にも慣れてきたところなので途中まで食べたものを捨てるわけにはいかないと口を付けると、それで耐久限界に到達したスライムが青い結晶を残して消えてしまった。
「なんですか?何か僕に用でも?」
原始的欲求の満たされていない僕はイライラとした気持ちを隠すこともなく言葉を紡ぐが、狼男は特に気にした様子もなく懐のポーチから何かを取り出した。
「お前、ぷよから採れる青い結晶持ってんだろ。あれを俺にくれないか?」
昨日の攻撃的な態度はどこへやら、まるで友人にものを頼むかのような言葉の紡ぎ方は弱者にたかるチンピラに似ている。
剣を握っていない左手には10センチほどの茶色いものが摘まみ上げられ、ともすれば木の皮にも見えるそれを見た僕の視線を狼男は見逃さなかった。
「ああ、何もタダでよこせって話じゃない。この干し肉と交換してくれって話だ。俺はそれが欲しい、お前は食いもんが欲しい。良い話だろ?」
持ちかけた側が良い話だなんて言う話が良い話なわけがない。
少なくとも、この青い結晶にはジャーキー以上の価値があるに決まっているのだが、僕が空腹なのもまた事実。
「この青い石の価値は知りませんけど、もし僕が断ったらどうするんですか?」
疑問など無視してさっさと渡しておくべきだったのかもしれないが、口から出てしまったものは引っ込まない。勿論、口から出てくるものなんて唾液か災いくらいしかないのだが。
「殺してでも奪い取るだけだね。」
一瞬姿を消したかのように見えるほどの速度でしゃがみこんだ狼男の全身のばねを使ったボディブローが腹に入る。
漫画なら体を貫通して背中側から腕が生えるのではないかという衝撃をもろに喰らった僕の体は容易に宙に浮かび、一拍遅れて後方へ飛ばされた。
宙を浮いている間も地面を転がる間も、腹に受けた激痛で身動きの取れない僕の所までゆったりと走ってきた狼男が僕のお腹に足を置くと、ニヤニヤと笑いながら体重を込めた。
「早く持ってるか持ってないか言った方がいいぞ。お前面白いから命だけは助けてやるつもりなんだ。」
減りに減って無くなりそうな腹が立つ。
ここに来るまで訳も分からず攻撃されてばかりだというのに、何の説明もしてくれない。
せめて何が原因なのかくらい教えてくれても良かろうと思うのにそれすらない。
腹に乗せられた太い足を両手で握る。
理由があれば怒らないのが取り柄の僕は理不尽な事にはすぐ怒るのが欠点と言えば欠点だ。
狼男からはひ弱に見えても神様に自称最強の祝福を授かった僕の体がそこまで弱いはずもなく、事実として攻撃を受けた腹は痛覚信号こそ送ってくるが、傷跡はないので尾を引くことは無い。
骨の軋む音がした。
「離せ!クソ!」
強烈に振り下ろされた大刃の剣を掴む。
我ながら人間離れした力を発揮している自覚はあるが、全部人の話を聞かないこいつが悪いのであって、僕がしているのは正当防衛だ。
しばらく戻ってこない狼男を案じてか、馬車の方から赤鬼と牛男が来るのが見える。
ひとつ溜息をついて狼男を睨んだ。
「話を聞いてください。」