【短編】嘘つきと泥棒は赤い服を着ていた
【ジャンル】ホラー?
溜め息が一つ出た。撒き上がる埃。薄く差し込む月明かりに照らされると、なぜか妙に美しく見える。普段なら汚いと手で振り払うのだろうが、体育座りをしながら小さな窓を見上げている彼は、空に浮かぶ月を恨めしそうに眺めながら埃を吸い込み、また息を吐いた。
「ねぇ、見つけくれる」
横には女の子がいる。それはそれは可愛らしく、白いドレスを着た女の子だ。よく表現される言葉でぴったりな言い回しをするなら、透き通る様な肌をしている。いや、正確に言い直そう、彼女の肌は透き通っている。
本来なら見えないはずの、彼女の後ろにある暖炉の絵。多分この彼女、透き通る肌を持った彼女を描いた、真っ赤なドレスを着た肖像画がはっきりと見えている。
「ああああ、僕は聞こえない、何も聞こえない。さぁ張りきって、いつものように金目の物を盗んで帰りましょう、そうしよう」
濁った灰色の目にどうにか力を込めて、小さな窓を見つめたまま元気良く拳を高々掲げてみせた。
「……そう、じゃあ、また次に人が来た時に頼むからいいよ」
体育座りをしているこの泥棒の彼。腕は二流で人生三流、生き方自体は四流で、騙され易さは超一流、と古典的なほど犯罪者には向いていない。間違った人生を歩んできたにも拘らず、何故か今まで捕まらずに生きてこられている。第一の理由を挙げるとすれば地味に生きているというのがあるが、泥棒の彼にはある秘密があった。それは――
「あの、聞いていいですか」
「あれ、何も聞こえなかったんじゃなかったっけ?」
「冗談です、本気にしないでください」
「ふ~ん、じゃあいいよ、言ってみて」
「僕が今日来るまで、この屋敷は、どれくらい人が来てないんですか?」
「えっと、確か、私たち一家が全員生き埋めにされてからだから、十三年ぶりかな」
とても強い霊感を持っていること。
普通の泥棒なら避けて通る、凄惨な事件が起こったばかりの現場に忍び込み、金目の物を少しだけ盗むというやり方をしていた。
それこそ、豪邸に住んでいた一家が強盗に襲われ、全員が生きたまま地中に埋められたような悲惨な最期を遂げて、幽霊が出ると噂されるような家には絶対に忍び込む。ただいつもと違ったのは、そういった事件が起こった数ヵ月後に盗みに入っていたのに、今回の場合は十三年も経っていたということ。
「え、っと、十三年も、人が来なかったんですか」
「どうかな、暫くは警察や何やら人が来てたから、もしかしたら十二年かも」
また恨めしそうに、泥棒の彼が月を見つめた。実際問題、彼はそうするしかないのだ。今、顔を動かせない状態にあるために、月を見るくらいしか出来ないでいる。
さっきも言ったように泥棒の彼の、泥棒としての腕は二流だ。だがそれは堅実で、実践的なことしかしないため。決して盗むという目的だけでは二流ではないのだが、注意力がいらない現場なので警戒心が薄いというのが評価を下げていた。
泥棒に入るのに何故注意力が必要ないのか。それこそが、泥棒の彼が凄惨な現場ばかりを選ぶ大きな理由だった。
「ふぅ、じゃあ、このままだったら、僕は、どうなると思いますか」
「う~ん、そうだな。やっぱり餓えるんじゃない」
大抵の場合ではあるが、無念な形で命を落とした場合、その人たちは現場に張り付いて動けなくなる。世に言う地縛霊という奴だ。それらは都合がいいことに、現場に入って来た人間に対して鋭い敵意を向けてくる。泥棒の彼はそこに目を付けた。確かに、現場に入った時点では泥棒の彼だけに敵意が向けられるのだが、そこに新たに人が入ってくると、地縛霊が反応して新たに入ってきた人の方に流れていく性質がある。つまりは、彼が金目の物を物色している周りにいる地縛霊が突然反応を変えた時、それは現場に誰かが入ってきたこと知らせていることになる。
「あの、お願いしていいですか」
「何?」
「暗証番号、教えてもらえませんか」
この警戒心のなさが、今の悲劇を生んでいた。
「じゃあ、私の願いも聞いてくれる」
何気なく家の中を物色していた泥棒の彼。いつものように地縛霊が来ないことに少しだけ不安を憶えていたが、大丈夫だろうと安易に考えていると、足を滑らせて転んでしまった。泥棒らしからぬ動きのとろさに、自分を情けなく思っていた彼だったが、横から何かが動く気配を感じて咄嗟に体を起き上がらせて、挟んでしまったのだ。
「それは、霊の願いを聞くのは、ちょっと――」
「じゃあ好きにすればいいよ」
一体何を。
「そ、それじゃあ、ハサミか何かを――」
「聞いてくれる?」
切ることができる物。
「……では、一桁目だけでも――」
「何だろう、私の願いを聞いてくれるなら思い出せそうなんだけどなぁ」
暗証番号がいる物に。
「はぁ、せめて開け方ぐらいは知っておくべきだった……」
「あのさぁ、お兄さんって泥棒でしょ。何で金庫くらい開けれないの?」
泥棒の彼は今、金庫に髪の毛をごっそり根元から挟んでしまっていた。ダイヤルには手が届くのだが、泥棒として生きてきた今までで、何かを開ける、例えば扉の鍵や金庫の鍵には触れてこなかったのが災いしていた。まったく開ける術を知らなかった。
「分かりました、願い、聞きます。なので教えてくれますか」
「やった。ねぇ泥棒のお兄さん、あの絵、見える」
顔が動かせないが、向かい合うような形だった幽霊の彼女の体を透けて、はっきりと見える。
「あなたの絵ですか?」
「そう、私を描いてもらった物なの。でね、あのドレスを見つけてほしいの」
月明かりの中でもはっきりと確認できるほど、真っ赤なドレスだ。
「ドレスですか? 着れるんですか?」
「お兄さんが持っているところを、私が着るの」
「はぁ、分かりました」
「ある場所は知ってるの。地下のクローゼットの中」
「知っているのなら、自分で行けばいいんじゃないですか」
「分かってないな。さっきも言ったでしょ、私は着たいの。見たいわけでも、掛かっているドレスに入り込むのでもなくて、着たいの。そうだ、私がドレスを着たら、一緒に踊りましょ。私が踊り方を教えてあげる」
よく喋る幽霊だなと思いつつも、分かりましたと返事をして、泥棒の彼は暗証番号を聞いて金庫を開けた。
少しだけ期待はしてみたのだが、金庫の中は空だった。
二階から一階に降りると、幽霊の彼女が早く早くと手招く。透けてさえいなければとてもではないが幽霊には見えなかった。
屋敷も十何年もほったらかしにされていたとは思えないほど、綺麗だった。絨毯も埃が積もっているはずなのに、靴の上からでも柔らかく、新雪の上を歩いているようにフワフワとしている。
何を貰って帰ろうかな。泥棒の彼が色々と物色しながら歩いていると、幽霊の彼女が不満そうに足を止めた。
「そんなにお金が欲しいの」
「え、いや、別に僕は、お金は欲しくないです。この家の何かを貰って、普通に生きていければ」
「結局お金じゃない」
「いや、どちらかといえば、この家の場合は物です」
「もういいよ。はい着いた」
幽霊の彼女の横に、地下に伸びる階段があった。当たり前の話だが、真っ暗だ。泥棒の彼は、暗い場所で目が利くが、流石に全く光がなければ難しい。
「あのすいません。僕、明かり持ってないんです」
「……お兄さん、本当に泥棒?」
「はい! 完全に泥棒です」
「変なところで自信満々なんだ。光の関係は大丈夫だよ。ほら」
ぼやっと、光った。幽霊の彼女が青白く、よく見る幽霊の出てくる時のように淡く。
「便利ですね」
「さ、行こ」
幽霊の彼女が先に階段を降り、泥棒の彼が後に続いた。
「けど、何で泥棒なんてしてるの。全然似合ってないよ」
「得も言われぬ事情があるんです。人生なんてそんな物です」
「そうなんだ」
一歩一歩、階段を下る。
「そうだ、どんな踊りがいい?」
「あー、いや、僕、踊ったこととかないんで」
「そんなの見た感じで大体分かるから、教えてあげるって言ってるんだよ」
幽霊に軽く失礼なことを言われてしまったと感じながら次の一歩を踏み出した。
「じゃあ、簡単な奴で」
「分かった、簡単なやつね。所でお兄さん、気を付けてね」
ドキリとした。幽霊の口から気を付けてと出たのだ。そうだ、何をここまで信用していたんだろう。踏み出していた足を慎重に階段に置いた。
「お兄さんが足を置いたと思ってる場所から、階段なくなってるから」
全身が痛かった。
体がバラバラになったような気がした。
「お兄さん、起きて」
幽霊の彼女の声だ。
耳元で囁いている。
息が掛からないのが残念なほど、甘い声をしている。
「早く、早く」
何をそんなに急かしてるんだろう。
痛くて堪らないけど、目を開いていく。
淡い光が見えた。
「どう、見える?」
声が随分と弾んでいる。
嬉しいことがあったのだと、それだけで分かった。
瞬きをする度に、視界が正常に戻っていく。
「似合ってる?」
そこには、真っ赤なドレスを着ている幽霊の彼女がいた。
なんで、どうして。
ゆっくりと近づいてくる彼女は笑っていた。
そして、僕の目の前で屈んだ。
「約束通り、一緒に踊ろ。私とお揃いの真っ赤な服も似合ってるよ」