偽りの英雄は本物と為る
意識が覚醒すると同時に、悲鳴が聞こえた。
いや、悲鳴のせいで意識が覚醒したのかもしれない。
開けた視界に映されたのは、よくある一幕。
砂漠で少女が男に襲われそうになっている。
少女は、美少女と表現しなければ失礼な程に優れた容姿をしていて、目の前の状況を忘れて思わず見惚れてしまった。
俺の意識が切り替わったのは少女の方がへたり込んだ時だ。
彼女を助けなければ。
そう思うと同時に踏み出していた。
体はひどく軽い。
ほとんど重量を感じないせいで浮いているんじゃないかと錯覚しそうになる。
暴漢が間抜け面に驚愕を示しながら反撃の姿勢を見せる。
宙に奇妙な文字が浮かび上がる。
それは何と読めば良いのか、少なくとも俺の知る日本語ではない。
しかしそれが何らかの効力を発揮する事はなかった。
拳が頬を打ち、面白いように吹き飛ぶ。
「吹き飛んだ……?」
ありえない。
物理法則が乱れているとしか思えなかった。
そんな困惑を隠しきれない俺の耳に届く声があった。
「すごい魔力……」
魔力、とは何だろうか。
じっくりと考える猶予は俺に与えられなかった。
男が立ち上がる。
その目は憤怒に染まっていて、今更争いを回避するという選択肢がない事を示していた。
それに、こちらにもそんなつもりはない。
右手を突き出してくるのに合わせて、どう回避するかと相手の動きを観察する。
だが、それは攻撃にしては余りに距離が開きすぎていた。
先と恐らくは同様の文字が宙に浮かび上がり、男は笑った。
マズイ。
あれが何なのかは分からないが、とにかく攻撃の手段である事だけは確かだ。
下手をすればこの少女も攻撃に巻き込まれてしまう。
だから、前に出た。
球体を描くように文字が連なり、それは炎へと変わる。
「はっ?」
間抜けな声が出たのも仕方がない、と落ち着いていられる状況じゃないな。
避けるか、いや後ろの少女が……。
炎が近付くに連れて、体に妙な現象が起こり始めていることに俺は気付いていた。
あの文字を見てから何かが身体の中から湧き出るような感覚が消えない。
それがこの場を解決する都合の良い物である事を願って、不思議な何かを意識的に、より強く放出する。
「きゃっ」
可愛らしい悲鳴と共に、炎が消え去る。
そして、男が強風に耐えるような中途半端な姿勢になる。
その隙を見逃さずに、踏み込み、思い切り1発ブチ込む。
「ふぅ、今度こそ終わり……だよな」
鳩尾に一度拳を入れ、完全に動けない事を確認して振り返る。
二本のリボンで束ねた金色の髪に、胸元にリボンのついたメイド服のような風通しのいい紫のワンピース。
それと黒のヒラヒラがついた下着が映……。
「大丈夫か?」
何も見ていない。
下着が見えないように、ではなく歩み寄り純粋な少女への好意で手を差し伸べる。
決して、邪な思いを抱いていないし、表情も変わっていない、多分。
少女は何故か、答えるまでにほんの少しの時間を要した。
戸惑うような、追い詰められた様な瞳を一瞬だけした気がした。
何もかも止まって、その中で彼女の表情だけが動いたような感覚だった。
気の所為だと思い直した頃には、彼女は笑顔を見せてくれていた。
「ありがとう。 助けてくれて」
こういう場合、どう返せば良いのか。
とりあえず名前でも聞いてみようか。
こんな何もないところで何をしていたのかも気になるな。
悩んでいた俺の顔を不思議そうに覗き込んできて、彼女は言った。
「名前、聞いても良い?」
「え、あぁ」
名前?
俺は……誰だ。
ギャグとかじゃなく、本当に分からない。
眼を覚ます前の事を思い出そうとしても何も浮かばない。
これは俗に言う……記憶喪失って奴か。
分からないなら、とりあえずの仮名でいい。
少女の目が不審の色を持つ前に答えたいが、何と名乗ろうか。
偶然か必然か幾つかのワードが不意に浮かんだ。
ファルス。 エルシュ。 アライ。 ソンジュ。
最後に、ノーツ。
ノーツが一番格好いいかな、なんて適当に決めてしまった。
「ノーツと呼んでくれ」
呼べと言っただけで名乗ってはいないし問題ない、という屁理屈で微かな違和感を無理やり誤魔化した。
これから、名前を思い出すまでの名前はノーツだ。
忘れるな、ノーツ。
「そうですか。ノーツ」
差し出した好意は未だに無視され続けていて、少し寂しい。
落ち込んでいる様子を見せないよう努力して返事をした。
「なんだ?」
「私は今、喉が渇いています」
「そうか」
少し自慢げに、そんな事を言われてもどこで水分補給すればいいのか俺はまだ何も分からない。
むしろ教えてほしかった。
「ノーツは今、私に飲み物を買い与える事が出来ます」
「は?」
お金もないのにどうしろと、と言いたい。
そもそもここ周辺にはそれらしい建物がない。
遥か遠くに人里らしきなにかが見えるぐらいだ。
だが下手に反感を買って土地勘もない状況で一人旅は望ましくはない。
「だ、か、ら」
可愛らしくウィンク、からの図々しい台詞。
意外と鬱陶しい。
しかしそれが少し後輩的可愛らしさを際立たせている。
「貴方は今、私の為に飲み物を入手して、私の喉の渇きを潤す使命があるのです!」
「初対面だけど言っていいか? いや言わせろ。 お前バカだろ」
「喉が渇いているのです、何しろ手ぶらでこんなところまで来てしまいましたから」
「うわぁ……」
「ちょっと! 何ですかその如何にも私がやばい奴だみたいな表情は!」
容姿から優しげな雰囲気を感じさせる彼女は子供っぽく睨み付けてきた。
黒のリボン、と言えば少しシックな大人な雰囲気を演出する物だと思っていたが、目の前にいるのはただの我儘なお嬢様、と言った感じだ。
おバカなお嬢様は気を取り直して言った。
「本当はもう少し、遠くまで行くつもりでしたけど、今日は諦めます」
「そうか……で、ここ何処?」
「は?」
先程似たような展開があったなぁ、なんて思いつつ当然か、とも思う。
こんな何もない砂漠に何も持たずに、地名さえ把握せずに1人でいるのだ。
頭がおかしいと思われても仕方がない。
ただ同レベルと言っていい彼女にそう思われるのは少し心外だ。
「えぇと、クロセ砂漠、まあクロセと呼ばれる事が多いですね」
「へぇ、聞いた事ないな。 頭おかしいと思われるのは承知で、何だけどさ。 俺の家何処か知らない?」
「……あっ、熱で頭をやられてしまったのですね。 元々そうだった可能性もありますが、私の屋敷であればそう言った方面の治癒を得意とする者も居ますから、もし良ければ」
聞き捨てならない言葉も聞こえたが、後半は素直に有難い事なのでこの際良いだろう。
「頼んでも良いか?」
「えぇ、ノーツ……でしたよね。 行きましょうか」
可愛らしい笑顔に、また違う形で見惚れた。
思わずドキッとさせられたのは、異性としての彼女の魅力のせいだ。
「そういえば、名前聞いてもいいか」
「セリナ、です。 宜しくお願いしますね」
振り向いて笑ってくれたセリナは今の俺にとっては、二重の意味で光だった。
ところで……喉が乾いたなぁ。
「ここって飲める物ないのか?」
「砂でも飲んでみたらどうです? 私は絶対嫌ですけど」
さっきの可愛さが全部台無しだ。
でも悪くないかもと思わせる意地悪な笑みに、記憶が戻るまでは、彼女と一緒にいられたらなぁ、なんて思った。
異世界の最強主人公物も書いてみようかと思ってる最中にふと閃いたストーリーです
20話ぐらい完成したら投稿始めます