護国の盾...柳玲子エピソード
彼女は貴族の生まれだ。
多くの貴族が衰退している中、彼女の家は安泰だ。未だに権力を持ち、日の国の外れに領地を持っている。
彼女は長女だ。魔法の才能があって、子供の頃から皆に期待されていて、そして、その期待に応えて来た。
しかし、彼女は跡継ぎではない。女であることも理由の一つが、彼女は家督争いを避ける為に、自ら家を継ぐことを諦めた。
それでも、才能のある彼女には大きな発言権を持っている。彼女を取り入れようと、富と権力を手に入れようと、実に多くの貴族が蠢いていた。
だから、彼女は領地を離れて、無名の農場主に仕え、ただ羊を管理するだけの羊飼いになった。
今日は家を継いだ彼女の弟と親友の結婚式の日、もちろん彼女も出席している。才能もないし努力もしないお調子者で無能な弟だが、今は彼女のたった一人の家族。二人は偶に喧嘩をするが、姉は弟を可愛がり、弟は姉を慕っていて、とても仲の好い姉弟である。
しかし、有能な姉に無能な弟、例え女と言えども、彼女に家を継がせる方が家の為に成る。そんなことは誰にでも分かることで、それ故に、主君の家の為に敢えて「主君殺し」になる人が出てもおかしくはなかった。幸い、そこまで忠誠心のある家臣はいなかった。
家臣のみんなは皆「貴族」である。そして、「貴族」は自分達さえ良ければ、「平民」のことは気にも掛けない。一度はその悪習を変えようと彼女が頑張ったが、結局家督を放棄した彼女に、それを成し遂げる事ができなかった。
それが最終的に今日にも影響が出た。今日の式の参加を許された人達はみんな「貴族」であり、その後の宴会にも「平民」の参加を許されなかった。
ーー私には、もうどうすることもできませんわねーー
彼女はそう思った。
「平民」より、彼女は「家族」を選んだ。
宴会場で、できるだけ地味に着飾っている彼女は、人を極力避ける為、隅に立っていたが、ここに必ず彼女を見つける人がいる。
「レイコ?何故こんな場所にいるの?」
言葉を発したのは彼女の親友、今日の宴会のもう一人の主役。
ーー子供の頃からよく三人で遊んでいましたが、彼女はいつも自分の弟と口喧嘩をしていましたね。それが、今では結婚するほど仲良くなりましたわねーー
つい、昔を懐かしくなり、彼女は親友に微笑みを見せた。
「ここは『柳家』の恩恵に与る下級貴族が集う場、あなたのような上の人間が居ていい場所じゃない」
親友と言えども、必ず自分に同調する訳じゃない。そもそも親友に成れたのも、彼女の家柄が「柳家」に一番近いから、一緒に遊ぶ機会が多い故のもの、特別なエピソードはなかった。
「ご結婚おめでとうございます。お久しぶりですね、サチ。」
「本当『久しぶり』だよ!五年か。何で連絡してくれなかった?」
「ごめんなさい。お世話になっているお家は少し辺鄙なところにおります。魔力が希薄なので、なかなか念話が繋がらなくて」
「魔力が希薄」は嘘ではないが、彼女なら例え魔力が希薄な場所でも、難なく念話できる。
もちろん、そのばれ易い嘘を見抜けないほど、彼女の親友のサチは愚かではない。ただ、それは自分達を気遣って、敢えて避けていることも、付き合いの長いサチはそれを知っている。
最も、付き合いが長くなくとも、サチに嘘を吐けない。
「まあいいでしょう。ちょっと皆の荷物を整理しているから、着いて来なさい」
「あら、私が『お荷物』ですから、整理されるのですか。」
「ぷっ、そんなわけないでしょう、もう~」
懐かしい軽口をたたいて、二人は笑い合った。祝いに来る人達の荷物を整理する為、彼女達は外に出た。
主賓と来賓に荷物の整理など、おかしな話だが、それには深い理由がある。
「いい人を見つけたか。」
「...その質問、狡いと思います」
質問されれば、人は誰もが一瞬その質問についての答えを考えるもの。それはいくら優秀な彼女でも、止めることはできない。
けれど、所詮人の頭の中のモノ、表情にさえ出さなければ、ばれることはない筈だ。
サチ以外なら、確かにそうだが...
「なん~だ、おっさんばかりじゃないか。もっといい職場を見つけなさい。レイコなら簡単でしょう?」
サチにはどんな隠し事もできない。何しろ彼女は「サトリの呪い」を持っているから。
その呪いは、自分に親しい人ほど、その心を覗けるというもの。
否応なく...
だから、彼女は親しい人を増やさない為に、使用人すら雇わない。家事とかを一人でできるようになった。
「今の時代、そう簡単に仕事を見つけられないわ。確かに人とあまり逢えないけれど、それなりのお給料で、とても楽しい仕事場ですわ」
本音を隠しようが、サチには通じない。それを知ってても、彼女は本音を口にできない。
「ありがとう、レイコ。とても嬉しいけど、ごめんなさい」
「よろしくってよ、サチ。それより、サチの『サトリの呪い』、まだ消せませんの?」
連絡を取っていないけど、レイコはずっと親友のサチの呪いを解く方法を探している。そして、彼女の研究の末に、「サトリの呪い」を解除できる魔道具を発明して、サチに送り、使って貰ったけど...
「安心して、もう随分よくなっている。昨日からタイスケの声も聞こえなくなっていて...。寧ろ、今日まだレイコの声が聞こえる方が驚きだよ」
タイスケはレイコの弟、今日からサチの旦那にもなる人。サチにとっての一番親しい人ども言える。
サチがそんな人の心の声すら聞こえないということは、「サトリの呪い」が解けたと考えられるが...
まだ自分の心が見えることに、よくないと知りずつ、彼女は喜んでしまった。
宴会場の外の荷物一時置き場に着くと、とても目にしたくない光景が眼に入ってしまった。
私物とプレゼントが混在していて、まるでゴミ捨て場。恐らく参加する貴族の誰もが荷物を直接転移して来て、後のことなんて何も考えていないでしょう。
「醜いね」
「醜いですわ」
やれやれと言いながら、荷物を片付けようとするサチ。それをレイコが手で止めだ。
「何も持ってきてない私に、罪滅ぼしをさせてくださいな」
そう言って、彼女は手をかざし、呪文を口にした。
「『整理』」
ただ一言で、散乱している荷物たちが、まるで生きているように、私物とプレゼントの両列に分けられて、更に持ち主毎に幾つに小分けにされた。
例え呪文を短縮化できた現代でも、このような複雑な作業には幾つの呪文を重ねて、ようやくできることだ。
それがたった一単語で全作業を一気に終わらせられる人は、優れた魔法才能を持ち、更に天才的魔力コントロールのできる彼女しかいないでしょう。
「流石ね。とても私達じゃできないことだね」
ーー「私達」ーー
サチが不意に使ったその単語は、タイスケとサチ自身を指すもの。それに気付いたレイコは、嬉しくも寂しさを感じた。
ーー昔のサチはいつも故意にタイスケと自分達を分けるような言い方を致しますのにーー
もはや「仲裁役」である自分は、タイスケとサチにとって不要なもの。
そう思うと、チクッと、レイコの心に小さな痛みが走った。
「ああ、いたいた。主役が会場から離れたらダメじゃないか。」
そう言って、一人の男性が笑顔のまま、レイコ達に向かって歩いてきた。
そして、その男性がレイコの顔を見た瞬間、彼の笑顔もほのかな笑みから、弾けた笑顔に変わった。
「レイコ。いらしたのなら、一言教えてもよかったのに...」
「お久しぶりですわ、タイスケ」
幼い頃...タイスケがやんちゃしていた時期のことだが、姉への呼称は「姉さん」から「レイコ」に変えた。それをレイコが全く気にせず、指摘しなかった結果、タイスケは今でも姉を呼び捨てにしている。
...その頃、サチがレイコの代わりに怒っていたが、まだサチとタイスケがレイコを奪い合う時期だった事もあって、逆に悪化させて、「レイコ」という呼称に定着させてしまった。
タイスケが近づいたと同時に、自然にサチの腰に手を回し、自分の懐に抱き締めた。サチもされるがままに、タイスケの暖かさを感じながら、恥ずかしそうに微笑んでいた。
二人共、レイコが愛していた大切な人。だが、その片方が血の繋がった弟、もう片方が同じ女性の親友。どれだけ愛しても、彼女が二人を幸せにできない。
二人を幸せにするなら、二人を恋人同士にして、自分は二人を祝福するだけ。それ以外、三人が幸せになる方法はない。その思いもあって、レイコは二人から離れたが、幸せになった二人を見れたのに、レイコは素直に祝福できない。
「ご結婚、おめでとうございます」
そう言って、サチには絶対ばれると分かっているのに、レイコは必死に喜ぼうとした。
だが、奇跡的にサチはレイコの本心が分からなかったらしく、タイスケと一緒に嬉しそうな笑顔で返した。
「ありがとう、レイコ。少し昔話がしたいけど、生憎今ちょっと立て込んでて...。確か、昔から人混みが苦手じゃなかったっけ、レイコ?いっそ別室に行こうか。料理を運んでやるから...」
昔のレイコにとって、自分に話しかけてきた人達、みんな「柳家」を利用しようとした輩ばかりだったから、人を避けて来た。
それは家督放棄した今でも変わらない。彼女には「当主の姉」という立場を持っている。
悲しいことに、家督でもない彼女なのに、それでも現当主にとって不利な存在。それ故に彼女は生まれた土地から離れ、それ故にタイスケに「別室に行かないか」と勧められる。
「折角ですが、私はもう帰りますわ。式には参加しましたし、お二人にもお会いできました。もはや私にここに残る理由はございません。是にて、失礼致しますわ」
タイスケとサチにとって、自分はどうしても邪魔な存在に成る。ならば、早めに立ち去る方が、どちらにとっても好いことでしょう。
そう思って、レイコは寂しい笑顔を浮かべて、転移魔法を使うべく手を高く上げた。
しかし、その手はサチとタイスケの二人に同時に掴まれた。
「待て、姉さん。もしここに長く居たくないなら、俺は姉さんを止めない。けれど、もう少し俺達に時間をくれないか。」
姉さん...
それはタイスケがレイコに甘える時に使う魔法の言葉...
その言葉を聞いたレイコはタイスケに逆らえない。
「でも、『立て込んでて』って...」
「そんなの知らない!俺達にとって一番重要なのは『レイコ』だ」
タイスケとサチはお互い見つめ合って、笑って頷いた。
とても昔の二人じゃ考えられない行動だが、それを見たレイコは暖かい気持ちになった。
ーー私、まだ二人の中にいましたわーー
その後、タイスケとサチの二人はレイコを連れて、豪華な別室に入った。
別室、酔い潰れて自宅に帰れない人達の為に用意した部屋、もちろん只ではない。
けれど、ここを経営する「貴族」は「柳家」に便宜を図ってもらった為、一番いい部屋を今回だけ、只で使わせた。
机の上に並ばれた料理も、宴会場から持って来たものではなく、新しく作ったもののみ。
これだけでも、領主である「柳家」にどれだけの権力を持っているのかが、容易に分かる。
それはそれとして、レイコ達三人は少しだけお喋りをするつもりであったが、いつの間にか一時間も過ぎていた。流石に他の来賓をこれ以上ないがしろにするのもよくないと思い、そろそろお別れをしないといけない。
「レイコ。実は一つ頼みたいことがある」
お別れの前に、タイスケが真剣な顔でレイコを見つめた。
レイコにとってこれはとても珍しいことである。「姉反抗期」から、タイスケは余程のことでない限り、殆どレイコに頼み事をしない。
それ故に、今回の頼み事はきっとタイスケにとってとても重要なものだと推測できる。
「なんでしょう?」
「来週から、またあのイベントの日が来るのは覚えてる?」
レイコは少し考えて、そして答えた。
「『平民英雄』を祝うお祭りのこと?もちろん覚えておりますわ」
「なら、話は早い。実はその日のパレードで『平民英雄』を演じる『親父さん』が今王都にいて、今年のパレードに参加できないんだ」
「王都に?どうしてまた...」
「少し前に、国の第四王女様が我が領地に来訪したことを知っているよね」
「勿論ですわ。まだ六歳の少女でありながら、初級な魔法書を全部読破した才女らしいですね」
「実際、こっちに来てから、王女様はずっと本を読んでいた。こっちにあまり見れる物はないとはいえ、こうまで本にしか興味のない人は初めてだ」
その王女は恐らく天才の類の人間でしょう。第四王女であるのは実に残念なことだ。
「で、その王女様は『平民英雄』の話を甚く気に入ってて、王都にでも祝いたいと駄々を捏ねたらしく、『親父さん』を王都に呼んだのだ。それで、今年のパレードにいきなり『主役』が欠けることになった」
それは大変なことだ。
「平民英雄」のお祭りはこの地にとってなくではならないもの。「主役がいないからお祭り中止」というわけにはいかない。
「代役を見つかりませんでしたの?私がここを離れる前、毎年の選抜で役にふさわしい人は何人もいましたわ。今年はいませんでしたの?」
「えぇ。『親父さん』以外に『平民英雄』を演じれるほどの腕を持つ『貴族』はいなかった」
「親父さん」の「平民英雄」は凄い。
様々な罠を仕込み、敵軍を攪乱し、最後は援軍が来るまで英勇に戦った「平民英雄」...
そんな大役を任せられるのは「親父さん」だけ。貴族でありながら、身分の違いを気にせず、全領民から話を聞き、最も「平民英雄」についての理解が深い。
悲しいことに、親父さんはご子息をなくした。それところが、親父さんはその時に種族内の最後の一人になった。亡くなった妻に一筋の彼は再婚せず、自分の名を捨てた。以来、彼を知っている人達は、彼を「オヤジさん」と呼ぶようになった。
「本題に入ろう...レイコ、今年の『平民英雄』は貴女に頼みたい」
「私に?」
オヤジさんがいなくなって、「平民英雄」を演じれる人はいない。だから急ぎに代役を探すのは当然なこと。
しかし、その役にレイコが選ばれるのは些かおかしなことである。
「タイスケ、私は女性ですよ?歴史上の『平民英雄』は男性ではありませんでしたか。」
「確かに。でも、それはレイコが男装すればいいだけなこと。スレンダーなレイコなら男装が似合うし、髪を纏めて帽子を被せば、女だとばれない」
「レイコのその乳は『幻惑魔法』で作られたものだということは、とっくに私達にばれているよ」
サチが無慈悲にレイコの秘密をばらした。
「それでも、イベントに参加する皆方々は知人、顔は知られております」
「お面を被っているから、顔は人に見られないでしょう?無駄な足掻きを止めなさい」
「でもサチ、私はもう五年もこのお祭りに参加しておりませんでしたわ。急にそんな大役に任せられても...」
「お祭り自体五年前と何も変わっていない。レイコがオヤジさんの一番弟子だと、私達は知ってるよ」
「でも、演じれる『貴族』がいないからって、私に...」
この時に、レイコはようやくタイスケの言葉から違和感を覚えた。
ーー「『貴族』がいなかった」?ーー
「タイスケ?『平民英雄』を演じれる『貴族』がいなくても、『平民』はいますわね?」
「えぇ。二位から十位まで全部『平民』だ」
「その演技はダメでしたの?」
「いいえ、それなりに上手」
「なら、あの人たちから代役を頼めばいいのではなくて?」
「ふふ、レイコ。その冗談は面白くないよ。相手は『平民』だぜ」
ーー「相手は『平民』」?どういう意味なのかしら?ーー
レイコは一抹の不安を覚えた。
「タイスケ、『平民英雄』を演じる人は同じ『平民』が一番宜しい。今まではオヤジさんの見事な『平民英雄』ぶりが『貴族』のあの方が選ばれたけど、この役は元々貴族が演じていい役ではありません」
「何を言うんだ?例え『平民』の役でも、主役を『平民』にやらせる訳がないだろう?」
「レイコ、ここは私達三人だけだよ。人の目を気にせず、本音を言いなさい」
「本音?私は嘘を吐いておりませんわ」
「はぁ、レイコは相変わらず素直じゃないな。俺はもう家督を継いだぞ。レイコも、もう『平民』に優しいふりをしなくていい」
ーー優しい、「フリ」?ーー
「レイコ。私も今日からあなたを『姉さん』と呼べるようになった。私達は幸せを手に入れた。姉さんがこれ以上頑張らなくてもいいんだよ。だから、もう素直になりなさい。『貴族』の姉さんが『平民』の味方になるはずがない」
ーー「頑張らなくていい」、「はずがない」ーー
ーーどうして貴方達は私をそんな風に誤解しておりますの?ーー
「サチ、私は別に、嘘で『平民』の味方をしておりません。『貴族』の皆さんも好きですけど、『平民』の皆さんも大好きですわ」
「もう、素直じゃないんだから...だったら、どうしてタイスケに家督を譲ったの?」
「それは、タイスケの為に...」
「でしょう?本当に『平民』の味方をしているのなら、タイスケから家督を奪う筈。それをせず、しかも『平民』と仲良くするのは、自分の家での地位を下げ、相対的にタイスケの地位を高める寸法でしょう?」
「レイコ、お陰で俺は当主になった。もうレイコが頑張ることはない。下々の人間に気を使わなくていい」
「もう自分に素直に成れ」
「もう自分に素直に成れ」
まるで催眠されたかのように、二人は同時に同じ言葉を言った。
いや、レイコにはそう見えた、そう聞こえただけだった。
目の前の二人はもう彼女の知っている二人ではない、二人の皮を被った何かに見えた。
ーー素直に成れーー
ーーでは、その言葉に甘えて、本当の気持ちを伝えましょうーー
「タイスケ、サチ。私は『平民英雄』を演じませんわ」
「どうして?」
「私は貴女達が思ったような人間じゃありません。私は『平民』と『貴族』を平等に扱いたい。だから、『貴族』の私が『平民英雄』を演じられません。『平民英雄』は『平民』が演じるべきですわ」
まっすぐに、レイコは二人を見つめた。
例え目で伝えられなくでも、サチなら自分の心を読める筈。
そう期待してしまうほど、レイコは二人に自分を理解してほしい。
「はぁ...どうしようサチ、姉さんが意固地になった」
「こうなったレイコはなかなか折れません。最終手段を使いましょう」
だけど、事はいつも思う通りに行かない。
よりによって、サチの呪いはこの時、完全に解けた。
いつも邪魔だと思うのに、いざ役に立ってほしいと思う時、それが完全に消えた。
やはり、呪いは「呪い」でしかない...
「姉さん、私達には姉さんを素直にさせる方法がある」
サチが言った。
「俺はやはり反対だけど、姉さんの為だ。辛いけど我慢するよ」
タイスケが言った。
二人は何を始めようとしているの?
もはや知っている二人じゃないことを知ったレイコは、二人の次の行動を予想できない。びくびくして待つしかない。
最初に動いたのはサチ。彼女はポケットから何かの液体が入った小瓶を取り出して、その中身を一気に飲み干した。
「姉さん。サチが何を飲んだのかを、知ってる?」
タイスケの言葉にレイコは首を振った。
「あれは『火炎の涙』、この国では有名な毒薬だ」
火炎の涙。
飲んだ人がまるで体が燃えるかのように苦しみ、その痛みは少しずつ強くなり、最後は人の精神を壊し、殺してしまう猛毒だ。
毒薬の名前を聞いたレイコは両目を見開いて、タイスケに攻め寄った。
「タイスケ!貴方達が何をしたのかを分かっておりますの?」
「姉さんが何時にも増して真剣な顔をしてる、お前の言う通りだな」
「姉さんが私達のことになると、本気を出せるんだよ」
タイスケとサチは笑った。レイコが今苦しんでいることを知ってて笑った。
「サチ!貴女は今、毒薬を飲んだのですわよ!どうして笑っておりますの?どうして『火炎の涙』を飲みましたの?」
「姉さんに素直にさせる為だよ」
「俺達は姉さんの本心を知っているから」
レイコは混乱した。
大好きな二人が自分のことを知っていると言っておきながら、自分を苦しませることをした。
「なんてこんなことを致しましたの?私に何をさせようとしておりますの?」
「さっき言ったよ、『素直にさせる』って」
「私は姉さんの為なら、自分の命も欲しくないよ」
「姉さん、主役を演じてください」
「姉さん、主役を演じてください」
二人が同時に言った。
「貴族の姉さんが本気で『平民』共を大事にする訳がない。その辛いお芝居はもうしなくていい」
「『平民』を嫌う心を隠しきれない私達の代わりに、『平民が好き』のフリをしている姉さんが痛々しくて、もう見たくないわ」
「俺は『平民』風情にすら見下された」
「私は『平民』の汚れた心に苦しめられた」
「俺達が『平民』に嫌われないように」
「私達が『平民』に苛められないように」
「姉さんはずっと『平民が好き』のフリをしている」
「姉さんはずっと『平民が好き』のフリをしている」
「そんな姉さんが、実は一番辛い思いをしていることは、大人になってようやくわかった」
「『天才』と謳われている姉さんと比べて、私達は本当に愚鈍だった」
「俺は姉さんを幸せになってほしい、自分を偽ってほしくない」
「私は姉さんを救いたい、自分を騙すのを、もう止めなさい」
「『平民英雄』を演じて、『平民』共に、『例え「平民英雄」でも、「英雄」を演じれるのは「貴族」だけ、「平民」に出る幕はない』と、教えてあげましょう」
「『平民』共にトドメを刺すのは、私達ではなく、姉さんの権利だ」
レイコは何も言えなかった。
今のこの二人に、何を言っても無駄だとわかった。
自分の心を勝手に決めつけて、自分の言葉に耳を貸さない...この二人は本当の意味で自分が好きではないと、それをわかった。
解ってしまった...
「少し...効いて来たね」
「サチ、大丈夫か。」
「まだ平気...この毒薬、厄介なところは、最初はただ体が熱くなるだけ、服を脱ぎたくなるだけ、というどころだね。微量なら、気付きにくい媚薬にも使われるという、とても厄介な代物...」
ーー私のことを、全く理解してくれない貴方達に、私も気を使う理由がありませんわーー
「姉さん、俺は解毒剤をちゃんと持っている。でも、姉さんが同意してくれないと、サチも解毒剤を飲んでくれない。姉さんの一言で、サチを苦しみから解放できる」
「貴方達はそんなことの為に、こんなバカなことを致したのか。」
「全ては姉さんに心を決めさせる為だ」
「私を脅迫しているのかしら?」
「そんなことない!姉さんに素直になってもらいたいだけだよ」
何をふざけたことを言っている?貴方達はただ私に、自分達の望み通りな姉さんを演じてほしいだけでしょう?
と、レイコは思った。
その思いに全く気付かなかったサチは、到頭苦しみ出した。
「暑い、熱い!」
服を脱ぎ捨てて、裸体をさらけ出すサチ。
「厚い!あつい!」
それでも足りない。服を千切り捨てるサチ。
「アツイ!アツイアツイアツイ!」
一糸纏わぬ姿になっても、まだ「あつい」と叫ぶサチは、有ろう事か、窓を開けて、飛び出そうとした。
「サチ!」
タイスケが慌ててサチを掴んで、何とかサチに飛び出せずに済んだ。
「姉さん!まだ心を決められないのか。」
「何を決めるというのですか。」
「『平民英雄』を演じることだよ!姉さんなら簡単でしょ?」
「簡単でも、やりたくない事は有りますわ」
「姉さん!」
大好きな二人の変貌...いいえ、まったく変わっていないかもしれない...
でも、今のレイコにとって、あんなにも可愛かった二人がとても醜く見えた。
好きな気持ちが強いほど、憎しみも強い。
二人が自分を苦しめるのなら、自分も二人のことを気にしない。
勝手に毒薬を飲んだのはサチ、解毒剤をサチに飲ませないのはタイスケ、自分は何の責任もないし、助ける義務もない。
そう、レイコは思った...
けど...
「レイコ...たすけて...」
サチの言葉が針より太い杭のように、レイコの心に刺した。
サチが己を苦しめることで、レイコを苦しませることができるのを分かっている。分かって、それを行った。自業自得だとレイコは考える。
...それでも、レイコはサチを切り捨てられない。
「分かりましたわ...『平民英雄』の役を、やりますわ」
レイコは...レイコが負った。
レイコの言葉を聞いたタイスケは、すぐに「来い」と言って、その手のひらに小さな小瓶が現れた。タイスケはその小瓶の中身を口に含んで、サチに口移しで飲ませた。
そして、サチが落ち着いたのを見て、窓を閉めて、ベッドの上の布団をサチに被せた。
「ありがとう、姉さん。やっぱり姉さんは私達が一番大事なのね」
自分の思い通りに事が進んだから、サチは嬉しそうに笑った。
レイコを苦しませていることを少しも気付かずに...
「では姉さん、今から軽い打ち合わせをしよう」
タイスケは上機嫌に話を進めた。
それからのレイコは聞こえたようで、聞こえていなかったようで、二人の話を頷いていただけだった。
ようやく考えられるようになった時は、すでに話が終わって、レイコが一人で夜道を歩いていた。
もう二人の顔も思い出せない。あの頃の二人はもうどこにもいない。
その理由は、ただ「貴族」だからだと、その程度のことでしかないのに...
そう思ったレイコはどうしようもなく「貴族」を恨んだ。
貴族である自分をも恨んで、何度も地面に拳をぶつけた。
しかし、「アイギス」という種族が一番得意な魔法は「守り」、レイコ自身に「護身壁」の魔法が「常住」している。
彼女の拳に掠り傷一つもつけられず、地面に穴が開いただけだった。
貴族が憎い、貴族である自分も憎い、自分を罰したい。
憎む相手が分からず、レイコは「自分を憎む」というおかしな決断をした。
何とか自分を罰する方法を、茫然と考えながら歩いていたら、ふっと一つの求人情報を思い出した。
守澄家、高給メイド職募集
種族限定無し、歳限定無し、月に五日休み
住み込み必須、必要となれば深夜出勤あり、魔法使用不可
月給100万銭、昇給有り
履歴書を送った後、一次面接のみ
掲載期間無し、だが五人限定、合格者揃い次第求人取り止め
守澄家メイド長、早苗