秋桜の追想 9
美雪さんの去った音楽室で、私としのは隣あって座っていた。
「…いつから?」
美雪さんが去ってからずっと、縮こまるように体育座りをしているしのに、私は小さく問いかける。
「…旧校舎を出たあたりから」
同じく小さく答えるしのに、私は苦笑する。
「それって、ずっとじゃん」
「だって…」
しのは幼い子どものように、口を尖らせる。
「だって…やっぱり何もしないでいられなかったんだもん。みやが山川さんとデートしてるっていうのに」
「でも、まさかついてきてるとは思わなかった」
「…私だって、まさか自分がそこまでするって思わなかった…」
俯いたしのの横顔は、髪の毛に隠れてよく見えない。
「…みや、怒った?」
私は思わず、きょとんとする。
だって…
しのを見つけた時、驚きこそしたものの、怒りなど覚えることもなく、感じたのはむしろ、ホッとした感覚だったのだ。
美雪さんと過ごした非日常の時間から…引き戻してもらえたような。
「ごめんね、みや。あとをつけるなんて、悪趣味だし、山川さんにも悪いと思ったけど、だけど、だけど…」
早口でそう言うしのの髪に手を触れた。どんな表情をしているかが、気になって。
びくっとして顔をあげたしのは、泣きそうな顔をしていて、私は胸の奥がキュッとなる。
ああ、好きだな、って、そう思った。
「怒ってないよ」
しのの髪を耳にかけて、できるだけ優しい声音になるように、注意して声をかける。
「私こそ、心配かけてごめんね」
…私が、こんなにも大切にしたいと思うのは、愛おしいと思うのは、やっぱり、しのだけだ。
「…ね、しの、キスしていい?」
思わずそう言うと、しのは顔を赤らめる。
「…っ」
何か言おうとするしのの唇を、私はそっと唇でふさいだ。
柔らかくて、安心する。
すごく大切なんだと言う気持ちを伝えたくて、私はできるだけ丁寧に、優しく、キスをした。
唇を離すと、真っ赤になったしのは俯いて、小さく文句を言う。
「…私、いいよって言ってないのに」
「え、だめだったの?」
「…そんなことはないですが」
しのが可愛くて、つい意地悪したくなる。
私はきっと、今すごく、締まりのない顔をしてると思う。
ああ、情けないな。
「みや」
しのが私の頬を摘まむ。
「…なに?」
「あのね、私、思ったんだけど…山川さんは、菫ちゃんに会った方がいいと思う」
真面目な顔で言う。
私も、そうは思った。
でも…
「…でも私は、美雪さんが、今更会えないって言うのもわかるな」
自分から一方的に関係を切った、美雪さん。
大切な人を手離すのは、傷つけるのは、本当に悩んで悩んでの決断だったと思う。
本当に辛かったと思う。
…それなのに、もしまた会ってしまったとしたら?
その時の決断は、今までの時間は、どうなってしまうのだろう。
美雪さんは、姉のことを傷つけた。
それを、今更会うことで、また掘り返して、どうしようと言うのだろう。
「でも、このままじゃ、山川さんは前に進めないままだよ」
「…そうだけど」
「本当は、高校生の時、別れた時に、ちゃんと終わらせなきゃいけなかったんだよ。山川さんは、一人で勝手に決めるんじゃなくて。また会って、どうなるかはわからないけど…それで寄りを戻すにしても、戻さないにしても、ちゃんと二人で決めなきゃいけないことだと思う」
それは、その通りだと思うんだけど…
「お姉ちゃんは、美雪さんに会いたがるかな?」
長い時間をかけて、やっと蓋をした気持ち。
もう一度、開けたいと、思うのだろうか。
美雪さんと再会させて、本当にいいのだろうか。
「本人同士が望んでいないのに、周りがお節介するのって、どうなのかな…」
私は、自信がない。
どうしてあげるのが、一番いいのか。
眉を下げた私の髪を、しのが優しく撫でてくれる。
「…私は、本当は二人は、また会いたいと思ってると思う。でも、自分たちじゃ、わからないし、動けないんだよ」
しのは、そう、きっぱりと言う。
「…そうなのかな」
困った私は、壁のベートーベンに目をやる。
こんな乙女の悩み事など、ベートーベンは知る由もない。
「きっと、そう」
その自信はどこからくるのか。
しのの瞳は確信を秘めている。
「…みや、決めた。私、二人を再会させる!体育祭で」
「え」
嫌な予感。
「絶対、あった方がいいと思うもん。このままじゃ、辛すぎるよ」
「で、でも、二人が望んでなければ…」
「そんなことないよ、絶対!」
小さく握りこぶしをつくったしのに、私はため息をつく。
こうなったしのは、なかなか言うことをきかないのだ。
「…でも、無茶なこと、しないでね」
「無茶ってなに?」
「…や、これ以上二人が傷つくような」
「このままの状態でいる以上に、傷つくことってないと思うの」
「…うーん」
本当に、ひどいことにならなければいいのだけど。
人生経験の少ない女子高生に、ちょっと荷が重い気がする。
「みやも、もちろん、協力するよね?」
身を乗り出してそう言うしのに…私は仕方なく頷いた。
私が、ちゃんとしなければ…と、そう思う。
不安を抱えながらも、私たちの様子を眺めていたベートーベンに、小さく頷いてみせた。




