秋桜の追想4
「ただいまー」
家に入ると、居間のソファに寝転がっていた姉が顔をあげた。
私を見るなり不満げに口を尖らせる。
「ゆう、遅いよー!待ちくたびれておなかすいちゃった…もうお姉ちゃんお腹空いて死にそう…早くごはん…って、あーちゃん!」
「菫ちゃん、ひさしぶりー」
私の後ろから顔を出したしのを見つけると、さっきまでの不満顔はどこへやら、すごい速さで跳ね起きた。
「わー、あーちゃんひさしぶりー!いらっしゃい!相変わらず可愛いねー」
そんなことを言いながら、しのに駆け寄って抱きついたり、髪を撫でたり。はたまた良い匂いがするとか言って、鼻をくんくんさせたり。
私はちょっとイラっとして、姉をしのから引き離した。
我が姉ながら、とんだセクハラ親父だ。
「…もう、しのが困るからやめてよ」
姉はにやにや笑いながら、するりと私の手を抜ける。
「ふふ、そんなことないって。ね、あーちゃん!」
「うん!私も菫ちゃんに久しぶりに会えて嬉しいから」
しのも無邪気に笑って、腕を組んだりしている。
…なんだかおもしろくない。
「…ゆう、なんだかおもしろくない、って顔ね」
姉は愉快そうにそう言う。
…からかわれているのはわかっていて、それもまた、おもしろくないんだけど。
「ふふ、可愛い彼女を取られちゃって、そりゃ、ヤキモチもやくよね?」
「…か、かのじょ?!」
今度はしのが顔を真っ赤にして、小さく叫んだ。
「あーちゃん、可愛いなあ。照れちゃって。うちのゆうとお付き合いしてるんでしょ?私のこと、お姉さんって呼んでもいいんだよ?」
「…な、な、な」
しのは赤面したまま、金魚みたいに口をぱくぱくとさせる。
私はその顔を見て、あ、と思う。
しのは、心なしか少し潤んだ瞳で、私を睨みつけた。
「す、菫ちゃん…なんで知ってるの…」
私はそっと両手を合わせる。
ごめんね、しの。
そう言えば、ばれちゃったこと、言ってなかったんだった。
***
「まあ、私は2人の味方だからさあ。なんでも話してくれていいし、私にできることはしてあげるからねっ」
「…はあ」
散々、馴れ初めやらなんやらを聞いて満足したらしき姉は、上機嫌で、魔法の杖のようにスプーンを振った。
私は半ばあきれながらカレーを口に運ぶ。
朝に下ごしらえを全て済ませておいたから、圧力鍋でにこむだけで、すぐに完成したカレー。
我ながら、結構美味しくできたと思うけど、しのはというと、なんだか疲れたような顔でサラダのトマトをつついていた。
それを横目に見て、私は少し申し訳なくもなる。
「…そういえば、今日、すごい美人にあったよ」
話題を変えようと、私がそう切り出すと、なになに美人?って、姉はすぐに興味を示した。
「うん、すっごい美人。お姉ちゃんに教えてもらった旧校舎で」
「旧校舎に人がいるなんて珍しいね。すごい美人ってどんな美人なのさ?」
「なんかもう…白くって、細くって、髪がさらさらで、黒がよく似合う…儚げで、こう不思議な感じの…もう、すごい美人」
頭の中で、あの人がふんわりと微笑む。
かなしいかな、私の少ない語彙力じゃ、あの人をうまく形容することなどできない。とっても綺麗な人。
姉はわかったような顔で、うん、と頷いた。
「…うん。うん、全然わかんないけど、とにかく美人なんだろうということがわかった。会ってみたいなー。高校生なの?」
姉は私に聞くのは諦めた、というように、しのに向かって聞く。
なんだか悔しい。
「ううん、事務のバイトの人だって。みやは知らなかったみたいだけど、2学期からすごい綺麗な人がいるって、話題になってるんだよ!そういえば、卒業生だって言ってたんだっけ?」
首を傾げて言うしのに、私は頷いた。
「うん、そうだ。もしかして、お姉ちゃん知ってるんじゃない?本当に綺麗な人だったから、高校生の時も目立ってたかも」
「すっごい美人ねえ…確かに、いるにはいたけど」
姉は考えるように宙を見た。
「名前はわかる?」
「うん。山川さん、って言ってた」
「山川、山川…」
記憶をたどるように額に指を立てる姉を、私としのは期待を込めて見た。
だって、もし姉が知っている人だとしたら、不思議な、謎だらけのあの人が、少しだけ身近になる気がして…ちょっとわくわくする。
「…うん、知らないな」
そう言い切った姉に、私たちは同時にため息をついた。
「そんながっかりしないでよ。思い当たるような美人な子なら、いるんだけど…山川なんて名前じゃないからなあ。第一、山川って、あんまり美人じゃなさそうな名字だよね?」
1人でうんうんと頷く姉に、私はおいおいとつっこんだ。
「…お姉ちゃん、今、全国の山川さんを敵に回したよ」
「あら、そう?」
カラッと笑う姉はまったく悪びれた様子もない。
「でも、菫ちゃん、体育祭見にくるなら山川さんに会えるかもね。たぶん、事務の人も運営の手伝いするから」
「そっか!じゃあ、美人見物といくかな。もちろん、あーちゃんとゆうの応援もたくさんするよー。でも、3年に1回しか体育祭がないなんて、残念だよね。ゆうが唯一活躍できる行事が」
「うるさいな」
勝手に哀れみの目を向けてきた姉を私は軽く睨みつける。
うちの学校は3年に1回しか体育祭も文化祭も、球技大会もない。
1年に1度ずつ行事があって、卒業までの3年間に1回ずつ経験する、というシステムなのだ。
「私は運動だめだから、それがちょうどいいけどね」
しのはそう言って、ふふっと笑った。
「ああ、また、そういえばなんだけどさ」
私は、ふと思いついて口を開いた。
「お姉ちゃんに彼女がいた話、聞きたい」
「えっ、菫ちゃん、彼女がいたの?」
しのがすぐに食いついた。
姉はちょっと嫌そうに眉を顰める。
「…せっかくの食事中に、人の古傷を抉るような話をよく聞けるね。うちの妹は鬼なのかしら」
「もう時効でしょ。私たちの話だって聞いたんだから、今度はお姉ちゃんの番だよ」
しのも、遠慮がちながら、聞きたい、というように身を乗り出していた。
ちょっと強引かもしれないけど、実はずっと、気になっていたのだ。
いつもは聞きづらかったけど、しのもいるし、今なら聞ける気がした。
私たちの視線に耐えかねてか、姉は、はあとため息をついた。
「…時効か。確かにそうかもね。今、私、彼氏いるし」
「うん」
「ちょっとはあんたたちの参考になるかもしれないし、話しておいた方がいいかもね」
諦めたように、そう前置いて、姉は口を開いた。
懐かしい話だけどねえ、なんて、呟いくように言って。
「高校2年の時。はじめて彼女ができたの。自慢じゃないけど、優しくて、すごい美人だった」
「え、お姉ちゃんなのに?」
「当たり前でしょ?私、あの頃、もてたんだから」
ふふん、と笑うのが、ちょっと癪に障る。
確かに、高校時代の姉は、髪も短くて美少年風だったと思うけど。
「…私と彼女は、よくあの旧校舎で会ってたんだけど、2年の終わりに、私たちの関係がばれちゃったんだよね」
「えっ」
「それで、彼女の親が心配して、彼女を転校させちゃったの。それでおしまい」
「「ええ?!」」
私としのは声を揃えてしまった。
それで、おしまい、って。
思った以上に短い、唐突な話に対する、非難の気持ちも込められていたと思う。
そんな私たちの言いたいことはわかっているというように、姉は落ち着いた表情で頷いた。
「うん、おしまい。彼女のご両親、厳しい人で、彼女は逆らうなんてことできなかった。私もあの時はちょっと荒れたけど、お母さんに心配かけられなかったし、ただの高校生だったから、どうしようもなかった」
「そう…なんだ」
私はそう言うことしかできなかった。
確かに、高校2年の時、家がごちゃごちゃしていたことがあった。
単なる姉の反抗期かと思っていたけど、そんな理由があったなんて。
「…そんな別れ方で…もう、菫ちゃんは、そのことはいいの?」
しのがおずおずというと、姉はニコッと笑った。
「いいの、って、未練はないのかってこと?…全然、ないよ。あの時は辛かったけど、今は1番の選択だったって思ってる」
言い訳じゃなく、自分に言い聞かせている風でもなく、ちょっとさみし気ではあるけれど、本心からの言葉なのだと思う。
姉はそして、こうも言った。
あんたたちのことは応援するけど、自分たちの関係は世間には簡単に認められるものじゃないって、知っておいてね。
当人同士がよくたって、周りに祝福されないことってあるの。
今の関係を続けたいのであれば、人に知られないように、気をつけること。
…わたしと同じ想いは、できればして欲しくないからなあ。
いつもノリが軽くて、ふざけてばかりの姉が真剣に話してくれた。
その言葉はなんだか重たい鉛のように胸に沈み込んで、私たちは、うんと、頷くしかなかった。
そんなこんなで、その話題はもうおしまい、という風になって。
私たちは他愛もない話をして、夕食の時間を過ごしたのだった。




