秋桜の追想2
放課後は旧校舎で、しのを待つ。
それはもう、私の日課になっていた。
夏は生い茂る木の葉で視界が遮られていた教室の窓も、今では葉を落とし始めた木のおかげで、暖かな日差しを取り込んでいる。
1番後ろの窓際の席に座れば、枝の間から校庭が見える。
いつもの部活動の風景に混ざって、体育祭の練習をしている子の姿もちらほらとあった。
しのも、頑張ってるかなあ…
なんて、ついつい校庭の何処かで今日もがんばっているであろうしのの姿を探してしまう。
窓から見える範囲なんて限られているから、見つけることなんてできないのだけど。
暖かな日差しに、瞼が重くなっていく。
しのの練習が終わるまで、まだ時間があるから…
ちょっと、寝てしまおうかな。
重みに任せて、瞼を閉じたとき。
カタン。
小さな物音にはっとして、私は沈みかけていた身体を起こした。
「あら、起こしてしまったかしら?ごめんなさい」
落ち着いた響きの、綺麗な声。
顔をあげた先、黒板の前に、綺麗な女の人が立っていた。
本当に綺麗な、女の人。
窓から注ぐ光に照らされて、真っ白な肌が浮かび上がるようで、私は天使か、女神様か、この世のものではないものを見ているんじゃないかと、一瞬、錯覚した。
真っ黒な髪の毛は腰に届くほど長いサラサラのストレート。
華奢な体つきで、ふわりと儚げなのに、黒目がちな瞳には吸い込まれるような力強さがある。どことなくアンバランスな、不思議な感じの…すごい美人。
「…どうしたの?」
その人は不思議そうに首を傾げて、私に近づく。
ぽかんと固まったままだった私は、慌てて立ち上がった。
思わず凝視してしまって、変な子だと思われてしまいそうで。
「…もしかして、あなたも私のこと、幽霊だと思ったの?」
その人はふふっと笑って言った。
こんなに上品な笑い方を私は見たことがなくて、思わず赤くなってしまう。
「ま、まさか、幽霊なんて…天使か何かかと」
「あら、天使なんて、光栄ね」
眉をぴくっと動かして、いたずらっぽく言う。
「でも残念。普通の人間でした」
落ち着いて見ると、Vネックの黒のセーターに、ジーンズというシンプルな服装で、手には箒を持っている…確かに、こんな庶民的な格好をした天使はいないだろう。
身長も思ったより小さくて、しのより少し大きいくらい。
でも、そんなの気にならなくなってしまうくらいの、不思議な存在感を放っている人だった。
「あ、あの…何でここに?」
何か言わないと、と思って私の口から出た言葉は、情けないほどに間抜けな感じだった。
それでもその人は、ふわりと笑って答える。
「お掃除に来たの」
「お掃除?」
「そう、お掃除」
その人は、手に持った箒を動かして、ささっと床をはいてみせる。
「え、掃除の人なんですか…?」
私はきっと、すごく、微妙な顔をしてしまったと思う。
だって、掃除の人って、中年のおばさんとか、おじいさんとか、そんなイメージしかないし…
この人のイメージは、そう、お姫様みたいで、掃除とは無縁の人のように見えるけれど。
「違う違う」
その人は小さく手をぱたぱたとした。
「掃除の人になれたら素敵だったけどね」
「素敵?」
「うん、とっても素敵」
にっこりと笑うと、箒を壁に立てかけて、その人は私が座っていた席の前の席を指差した。
「ねえ、この席に座ってもいい?」
「…はあ、どうぞ」
「じゃあ、あなたもどうぞ」
「え、はい…」
促されるままに席について、後ろ向きに座った彼女と向かい合う形になった。
大きな瞳に私が映っている。
本当に綺麗な人。だけど、不思議な人。
なんでこの人はこんなとこにいるんだろう?
生徒にしては、大人っぽく見えるし、第一、制服じゃないし。
一般の人がそう簡単に入れる場所じゃないはずだし…
「…先生、なんですか?」
たぶん違うな、と思いながらもそう聞くと、
「私が?」
って、愉快そうに笑った。
「先生な訳ないじゃない。どうしよう?そろそろ、答え合わせ、する?」
両手で頬杖をついて、私を見る。
私はその目に思わずどきりとしてしまう。
「…でも、つまらない答えすぎて、がっかりすると思うなあ。掃除の人とか、天使、ってことにしておいた方が、夢があって素敵」
「…はあ」
「なんてね。変な人じゃないから安心して」
怪訝そうな顔をした私の心を見透かしてか、その人は慌てたようにそう言った。
「私、2学期からこの学校で事務のバイトしてるの。ただそれだけ」
「…なるほど」
確かに、事務員さんは若い人が多くて、たまに入れ替わる。
バイトで成り立っていたのか。
「でも、なんでここの掃除を?そんなことも事務員さんの仕事なんですか?」
「ううん…これは、趣味、かなあ」
「趣味?」
「そう。私、ここの卒業生でね。この場所が好きだったの。だから、お掃除って名目で、ちゃっかり侵入しちゃった」
秘密ね、と言うように、はにかんだ。
綺麗な人、だけど、ちょっと子どもみたいな人。
「ね、あなたもよくこの教室にいるでしょ?よく見かけてたの。この教室に来る人なんて珍しいものだから、気になっちゃって。ちょっとお話しようよ」
私が思わず頷くと、その人は嬉しそうな顔をした。
共犯者を見つけた、とでも言うように。
「あなたは1年生?」
「そうです」
「いいなあ、若くて」
羨ましい、と言う。
高校生くらいだと、大人っぽい方が羨ましいけれど。
「こんなとこにひとりでいて、何してたの?」
「ああ、友だちを待ってて。最近はずっと、体育祭の練習をしてるんです」
「そっか、もうすぐ体育祭だものね。あなたは練習はしなくていいの?」
「私は休み時間とか、朝とかだけで…。リレーだから、放課後は部活やってる子が多いんです」
「すごい!リレーの選手なんだ。あなたは部活はしてないの?」
「ええ、まあ」
「陸上は?」
「え、中学までやってましたけど…今はもう」
「そうなんだあ」
ふーん、と、ちょっと残念そうな顔をされた。
「…なんで、陸上って思ったんですか?」
「なんか、それっぽいから」
「…はあ」
やっぱり、少し変わった人なのかもしれない。
どことなく掴み所のない人。
でも不思議と、何処かで会ったことのあるような、そんな気がした。
こんな美人、一度会っていたら忘れそうもないけど。
「あなたはどうしてここに来ることにしたの?」
「え?どこに?」
「この旧校舎。あんまり来る人いないでしょ?」
小さく首を傾げる。
私にしてみれば、卒業して、バイトをしにきてるだけなのに、わざわざ仕事以外の掃除にくるこの人の方が不思議だ。
「私はここの卒業生の姉に聞いたんです。すごく良い場所だって。来てみたら確かにそうで…よく友だちと来てるんです」
「今日、体育祭の練習をしてるっていう友だち?」
「あ、そうです」
「ふーん…」
含みを持った笑顔で、その人は言う。
「その子のこと、すごく好きなのね」
「え?!」
いきなりの言葉に私は思わず声をあげてしまう。
「だって、その子のことを話すとき、ちょっと柔らかくなるもの」
その人は、優しく微笑む。
私はちょっと照れくさくなって視線をそらした。
そんな私に、その人はまたクスッと笑う。
「私はね、茶道部員だったの」
「茶道部って、隣の部室の?」
「そう、もう廃部しちゃったけどね」
少しさみしそうな顔をする。
「私、最後の1人の部員で。いつも放課後は1人で部活してたの。でも1人ってちょっと…やっぱり、飽きてくるのよね。だから、よく抜けて、この教室でサボってた」
ひとりの部活を、ひとりでサボりって言うのも、不思議な気がするけど。
私は曖昧にうなずく。
「この教室にいるとね、1人が全然気にならなくなるの。なんだか、世の中と全然違う空間にいるような、そんな気にならない?だから、私はここが好きなの」
その人は、窓の外を眺めながらそう言った。
その姿は、本当に、窓の外の違う世界の人たちを、ぼんやりと眺めているようで。
不思議で、でも、とても綺麗だった。
「…ああ、もうこんな時間ね」
その人は腕時計を見て、おもむろに立ち上がった。
「そろそろ私、行かなくちゃ。あなたも、そろそろ待ち合わせの時間なんじゃない?」
「あ、本当だ」
たしかに、もう日が傾きかけている。
しのももうすぐあがる頃だ。
「あなたと話せて楽しかった。本当はすぐ帰るつもりだったのに、長居しちゃったな。ねえ、あなた、なんて名前なの?」
「あ、本宮、裕、です」
「ゆうちゃんね…私は、山川です。またお話しようね。じゃあね」
言うが早いか、山川さんはさっと箒を持って、教室を出て行ってしまった。
ひとり残された教室で、私は思わずため息をついた。知らず知らずのうちに緊張していたのだと思う。
落ち着いてみると、山川さん…本当に彼女はいたのかな?なんて考えてしまう。
浮世離れしたような人だった。
彼女がいなくなって、教室内の空気が、急に冷え込んだような、そんな気がした。
夢でも見ていたかのような気分だったけど、ほんのり残る優しい香りが、彼女が本当にそこにいたことを物語っているみたいだ。
帰ろうかな。
私は荷物を持って、立ち上がった。
早く、しのを迎えに行こう。
なんだか、すごくしのに会いたくなった。




