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本編

「きみにあずけた地図を」で出てきた人たちも登場します。


 始まりは些細な違和感だった。

 ある朝、店の前を掃こうとして外へ出てみると、ドアの外には鳥の羽が散らばっていたのだ。


「わ、どうしたんだろう、これ」


 少し驚いたものの、ほんの数本だったから、まあこんなこともあるのだろうとそれ以上気にとめなかった。

 ささっと箒で掃いて、他のごみと一緒にまとめて捨ててしまったと思う。

 それよりも店の開店準備の方に気を取られていたからだ。


 こぢんまりとしたカフェを一人で切り盛りするようになって、まだ日も浅い。

 少しは慣れてはきたけれど、まだ無駄のない段取りを試行錯誤している段階だった。

 多分無駄な動きも多いのだとは思う。

 この店を自分に譲ってくれた前の持ち主は、まあ気楽にやるといい、どうしても困る事があったら連絡しておいでと言ってはくれているけれど、初めから泣きつくわけにはいかないじゃないか。

 前の店主から色々な事は教わった。

 あとはそれをどう自分なりに工夫して、自分のものにしていくかなのだが……言うは易し、行うは難し、である。

 前の店主の頃からの常連客は、自分が店主になっても、幸いにして贔屓にしてくれている。

 彼らにとってみれば、自分のしている事などは、孫の独り立ちを見ているような気分なのだろう。

 それを思うといささか複雑な気分もあるけど、その人たちの好意が続いているうちに、もっと腕をあげておかなきゃなと日々決意を新たにしていたのだった。

 

 前の店主は、“自分の事は気にしなくていいから、好きなようにやってみればいい”と言ってくれていたので、自分が店主になってからは、切り盛りしやすいようにいくらかメニューも減らした。

 その代わり作り置き出来る軽食のメニューを増やしてみた。

 前の店主の頃は、古き良き喫茶店という雰囲気であったのが、今は軽食や菓子がメインのカフェといった感じなのだろう。

 色々と試行錯誤中である。

 失敗した日は落ち込んでへこみもするけど、朝が来るたび今日も頑張ろうと張り切っていた。


 そんな毎日に、ふと影を射したのが、小さな異変。


 初めは気にも止めなかった。

 けれど、異変はまた起こった。

 今度は手のひらいっぱいほどの羽が地面に散らばっていた。


「うわ、なにこれ……」

 思わずぎょっとして地面に散らばる羽を見つめる。

 なにしろ客商売である。店先にこんなものが散らばっていれば、客の心象は非常によろしくないだろう。衛生上もよろしくない。

 慌てて箒と塵取りを持ってきて掃き集めていく。その途中でおかしな事に気がついた。

 羽の種類である。よく見るとそれらは一種類の羽ではなく、色んな鳥の羽であるようだった。色も違えば模様も違う。長さも短いものもあれば長いものもあった。

 こんな多種類の羽が、ひとりでに……自然に集まったとは、どうしても考えにくい。

 まるで、誰かが意図的に集めて、ここへばらまいたとしか思えなかった。

「気味が悪いけど……一体誰が……」

 呟きかけて、はっと手のひらで口を押さえる。

 ふと思い当るものがあったけど、ふるふると首を振ってその考えをふるい落とす。まさか今頃になってと思いはするけれど……。

 もし、その“心当たり”であれば、最終的にはこんな“生易しい”ものじゃ、済まなくなる。

 これが自分の思うところの仕業であれば、これはほんの手始め、警告に過ぎない。

「きっと違うよ。まだ大丈夫、うん……」

 半ばは“そう”であると思いながらも信じたくはなくて。

 少しだけ気付かないふり、見ないふりをして。

 そう、自分に言い聞かせるように呟いて、慌ただしく開店準備を始めたのだった。

 逃げにしか過ぎないとわかっていながら。


 けれど。

 それからも異変はやまなかった。

 地面に撒かれていたモノ。それは今度は羽ではなく、鳥の脚、だった。

 それは奇妙に節くれ立ちねじ曲がっていて。

 異様なほど長く爪が伸びていた。


「……あ~……嫌な予感が当たったか……」

 しばし目の前の光景に茫然とした。朝の光の中で見るそれらは、奇妙に現実感がなかった。

 禍々しいものを、その気配だけ綺麗に消して、日常の光景にべたりと貼り付けたみたいだった。

 入り口付近の目立つ所に、それらは点々と転がっていた。

 いくら現実感がないといっても、こんなものが転がっていれば、まずお客さんは怖がって来ない。立派な営業妨害だよと腹の底からため息をついて、頭を抱えてしまいたい気分だった。

 ここで、やっと楽に息が出来るようになったのに。まだ見つかるわけにはいかないのだ。

 

 縁を切るのがお互いのため、なんだけど、ねえ。いつになったらわかってくれるのやら。

 あの人の……あの人たちの欲しいものなんて、自分は一度も欲しいと思ったことは、ないのにな。

 

 転がっている何本もの鳥の脚を見る。すっぱりと切断された、それ。

 切断面は鋭利な刃物で切り取られたかのように、奇妙なほど滑らかだった。

 血の一滴も流れていない。切断面からは白い骨が覗いていた。

「……コレを片づける身にもなれって、ほんと……」

 鳥さんには合掌しておく。手を合わせながらぼやいた。

“この世界”の鳥なのか“異界”の鳥か……ここまで歪んでしまったら判別は難しいかった。

 それでも、落とさなくてもいい命をここで断たれたのだろうから。

 これは、お前もこうなりたくなければ大人しく従えっていう、脅しなのかな。

 ああ、あそこは相変わらずだなあと吐き気がしてきそうだった。

 切断された鳥の脚に目を落とす。食べられるモノならそうしたい気はあるけれど。これは無理そうだ。

 食べてあげられなくてごめんねと呟いて、ため息を呑みこんで、黒いごみ袋にそれらを放り込んでいった。

 単なる“モノ”になったソレらからは、もう何も感じられない。

 放置出来ない以上、片付けるしかないのだが。

 生ごみでいいのかなあと、零れおちるため息を止められなかった。ため息は幸せが逃げるというけれど。

 あ~……もうほんと、こっちのことなんか放っておいて欲しいのになあ。

「こんなの、他の人が見たら驚くよね……」

 取りあえず黒のごみ袋、念のために二重にしとこう。

 何か騒ぎになっても困るし。

 開店前だというのに慌ただしく片付けをしたので、店を開けた時は草臥れてしまった。

 こう、精神的に疲労させられる。

 

 さあ、これからどうしようかなと考えては、いたのだけど。


 転機は、自分が思うよりも早くに、訪れてしまった。

 何かが起こるかもしれないと警戒はしていたのだけど。


 その日は色々と忙しくて、ついうっかり次の日使う材料を切らしてしまった。

 いつも食材は、決まった業者にまとめて注文をして、配達をしてもらっているのだ。

 気付いた時に慌てて注文をしたものの、どうあっても明日に持って来るのは無理と言われてしまった。

 それはわかっていたので……取り急ぎ買い出しにでも行って、しばらくは凌がなくてはならないだろう、と店を閉めたあとで買い出しに出かけたのだ。

 遅くならないうちに帰ろう、そう思っていたのだけど、出かけた先でついあれこれ買い込んでしまい。

 戻る頃には日はとうに落ち、遅い時間になっていた。


「うわ、まずいよね、嫌な感じがするよ……」

 人気のない夜道を早足で急ぎながら、何だか背筋に冷たいものが這いのぼる、そんな嫌な気配を感じていた。

 気のせい……では、ないのだろう。ひたひたとなにかが押し寄せてくる。怖くて後ろを振り向けない。

 早足だったのが、いつの間にか駆け足にかわっても。何かの気配は遠ざかるどころかますます強くなっている。

 冷たい手が後ろから手を伸ばして、首の後ろを掴んでいるような気がした。

「ほんと、まずい。どうしようかな……」

 荷物を抱えて走りながら、胸の中で呟く。

 頭の中では必死に考えを巡らせているが、いい考えはちっとも浮かんでこなかった。

 日々の忙しさに紛れて、後で後でと、嫌な予感を感じていたにも関わらず、後回しにしてきたつけが一気に回って来た感じだ。

 焦るばかりでいい考えなど浮かんでこない。


「アレを退けたとしたら。多分居場所が一発でバレるよね。来ないようにするのは簡単だけど」

 でもいざとなったらそれしかないのかな。ここで捕まるわけにはいかないけど、そしたらもうここには居られないし。どうする、どうするのが一番いいと考えていた時だった。

 考える事に気を取られ、背後から迫って来た“手”が、思わぬほど近くにあった事に、気付くのが遅れた。

 ひやり、とした気配に思わず振り向くと、今にも自分に掴みかかろうとしている“手”がすぐそこにある。

 “手”の形をした、半透明の力の塊だ。

 あれに捕まればお終いだ。動けないよう拘束された挙句居場所も知られて……否応なく連れ戻される。

 逃げ出してきたあの場所に。

 二度と戻らない、戻りたくないと、そう思って後にした場所に。

 ここまでかな、となかば覚悟を決めた。

 これまで逃げ続けて……ようやく落ち着いた生活を手に入れて、もうそろそろ大丈夫かもと思い始めていたけれど。

 あのまま逃がしてくれるほど甘い相手ではなかったという事だろう。

 

 ごめんなさい、と自分を信用して店を譲ってくれた店主の顔を思い浮かべる。

 またいつか謝りに行くからと胸の中で呟いた時だった。


 目の前に迫っていた“手”が、上から重いものに押し潰されるように落下した。

 いや、地面に向かって叩き落とされた。


 え、と目を丸くしてしまう。

 自分は何もしていないのに、一体何が起こったのだろう。

 その疑問に答えるかのように、わだかまる暗闇の中、凛とした声が響いた。


「なにこれ、気持ち悪う。あ~思わず殴っちゃった」

 よかったのかな、とその声は誰かに尋ねているようだった。

 街灯の光が届かない暗がりにいるようで、こちらからその姿は見えない。違う声がのんびりと答えた。

「いいんじゃないかなあ。どうやらあの世界に居たものと似た気配がするよ。いっそ祓っちゃう?」

「ていうか、頼まれてもないのにそこまではな……あれ、誰か居る」

「うん、居るね。今気付いたの、なっちゃん」

「なっちゃん言うな。ええと、そこの人、大丈夫か?怪我とかしてない?」

「はい、大丈夫、です。あの、ありがとうございました」

 暗がりから声だけが聞こえる。

 一体誰が居るのだろう。

 あの“手”だって普通の人にはまず見えないのに。

 彼らにはそれが見えていたようだった。

 不思議に思いながら、助かったのは事実。声のした方向に顔を向けて礼を言うと、なっちゃん、と呼ばれた声の主は何とも奇妙な事を言った。

「ああいや……目の前に急に出てきたからさ、つい手が出ちゃっただけで、礼言われるような事じゃないよ。ところでひとつ、訊いていい?」

「なんでしょう?」

「あのさ、ここって、……ってトコ?」

 彼の声に、一部だけかき消されたように聞き取れない部分があった。

 他は明瞭に聞こえるのに。

 思わず聞き返していた。

「え、今何処っていいました?」

「だから、……ってトコか?」

 やはり、一部分だけが聞き取れない。

「ええと、よく聞き取れないんですけど」

 そう答えると、別の声がやっぱりねえと答えた。

「うん、やっぱりここ、なっちゃんの居たとこじゃないみたいだねえ。何かこう肌触りが違うって思ったんだよね」

「そうか……うん、ちょっと違うなとは思ったけど、似てたからさ……そっか、仕方ないな」

 また移動かとため息交じりに呟く声に首を傾げた。

助けてもらっておいて何だが、奇妙なひとたちだと思う。

「じゃあさっさと移動するか」

 “なっちゃん”はあっさりとそんな事を言ったけれど。

 もう一つの声は実はちょっと困ったことになっててねえと、少しも困ったふうはなく、のんびりと言った。

「なっちゃん、さっきのでアレに恨み買ったみたいだよ~?実はさ、移動しようとしたんだけど、アレが通り道塞いじゃってて~」

 すぐに移動は無理みたい。強引に行けなくはないけど、そうしたら僕たちはともかく、こちらの皆さんにどういう影響出るかわかんないしね。どうしようかとのんきに言う声に、“なっちゃん”は「うわなにそれ……」とげんなりした声をあげた。

 いまいち話は見えないものの、どうやら自分を助けたせいで、彼らは困ったことになったらしい、とはわかった。

「あの、何か困ったことになったんですよね?何か出来る事があればお手伝いしますけど」

 そう申し出てみると、しばらくの間があって、うん、それじゃあさと“なっちゃん”の声がして。

 すうっと暗がりから出てきたのは、二人の人間だった。

 背の高い、きらきらした髪の毛の……明らかにこの国の人とは違う顔だちの人と、背丈は自分と変わらない、顔だちもこの国のひとと同じような、ひと。

 街灯の下で見る彼らは、自分と変わらない“人間”に見えたけれど、どこか微かな違和感が付きまとう。

 もしかして、と胸の内で思った。

「それじゃあさ、今日一晩泊めてくれないか」

 “なっちゃん”がそう言えば。もう一人の方も……やけにきらきらした容貌の人間だなあと思った……「出来たら何か食べさせてもらえると嬉しいなあ」と言う。

「それくらいならお安いご用ですが」

 あまりたいしたおもてなしは出来ませんよ。

 そう答えると“なっちゃん”は顔をしかめてこんな事を言った。

「いいのか、得体のしれない奴ら家に入れても」

 不用心だなあと言わんばかりだが、それにもう一人が笑いながらたしなめた。

「なっちゃん、それ僕らが言ったら身も蓋もないでしょ~?まあ実際怪しいかもだけどねえ」

 どうする?ときらきらした髪の毛を揺らし、もう一人は尋ねた。



 あ、駄目ちょっと寝るわ。

 あの“手”はいつの間にか姿を消していた。

“なっちゃん”いわく、あの“手”は一時的に姿をくらましただけだという。

 祓ったわけじゃないから、多分また来るんじゃないかと有難くない予想を告げてくれた。

 ああまた来るのかとうんざりしてしまうが、ひとまずそれは置いといて。

 あの後は変な事も起こらず、無事に店まで戻って来た。

 店の二階が住居部分になっているので、そこへ彼らを案内し、食事を出した。簡単なものでいいよと言うので、取りあえずのあり合わせになったが、美味しいと言って嬉しそうに食べてくれる。

 たとえ得体の知れないひとたちでも、自分が作ったものを美味しそうに食べてくれれば嬉しい。

 食べるのはもっぱら“なっちゃん”の方で、もう一人はお茶を飲み、軽く摘まんだだけで、にこにこ笑いながら“なっちゃん”が食べる様子を見ていた。

 減らない食事を見て、口に合わなかったのかと聞けば違うよと答えが返って来る。

「いや、美味しいよ?ただ僕はもともとあんまり食べないんだよ」

 そうにっこり笑って答えられるので、ああそうですかと答えるにとどめた。まあ色んなひとが居るし気にしないでおこうと思ったのだ。

 自分たちが話をしている間、“なっちゃん”はこちらを気にもせずにぱくぱくと食べ続けていた。

 沢山作った料理が、見る見るうちに減ってゆく。いっそ気持ちがいいほどだった。

 細い体の、一体どこに入るのか不思議だなとしみじみ思った。

 自分も食事をして……得体のしれない人たちと差し向かいでご飯。

 奇妙な事になったなあと思いながらも、一人じゃない食事は少し楽しかった。

 そうして食事も終わった頃。

 “なっちゃん”はしきりに目を擦りはじめた。

「あれ、どうしたのさ」

 う~、と“なっちゃん”は小さく唸り声をあげて、こっちの方にふらふらと視線を寄越した。

「ちょっと駄目だわ。少し……寝かせて」

「へ、ちょっと、どうしたんです」

 問いかける間に、“なっちゃん”はテーブルに突っ伏して眠ってしまった。

「あらら、気がゆるんじゃったんだろうねえ」

 お腹一杯になったし、何よりここは“安全”だから。そう笑顔で言う彼に、何の事かなと空っとぼけて尋ねた。

 “なっちゃん”以上にこの男は得体が知れない。

 人懐っこい笑顔を向けてくる彼だが、初めて顔を合わせてから笑顔しか見ていないのだ。

 一面しか見せないという事は、隠している他の一面があるという事。

 だけど。

「ねえ、寝かせてきたいんだけど、どの部屋使ったらいいのかな?」

 自分に見せるのと、違った種類の笑顔を“なっちゃん”に向ける彼。さてそれに彼自身が気付いているのかどうか。

 確信犯だったら怖いなあとちらりと思って。まあいいかとも思うのだ。

 一応客間なんぞもあるから、そこに彼らを案内し……寝こけている“なっちゃん”は所謂お姫様だっこだ。起きていればさぞかし暴れたのではと予想される……タオルはここ、風呂場と洗面所はここと示して好きに使ってと言い置いた。

 それじゃおやすみと自分の部屋に行こうとした時、彼が笑みの滲む声で引きとめる。

「きみはまあ、図太いのか何なのか、わからないねえ。よく得体の知れない人間の世話がやけるものだと思うよ」

 僕たちがきみ悪さをするとか思わないのかな。さっきの“手”みたいに、と言う言葉に、肩を竦めてみせる。

「得体が知れないけど、嫌な感じはしないからいいんですよ。それに、実のところ、こっちに何かするほど興味なんてないでしょう?」

「まあねえ。もしなっちゃんに何かするなら、全力で叩き潰してあげるけどねえ」

「はははそうですか。こっちも何かするほど貴方たちに興味ないんで、お互いによかったですね」

 すると彼は、ああでも、今は少し違うかなと首を傾げた。

「煩わされず安全に眠れる場所を提供してくれたからねえ。それには感謝してるよ。ほんと、見事に悪意ある者は入って来られない、完璧な結界だねえ」

 ぼくでもこれほどのを作るのは難しいよ。

 敢えて言葉を返さなかったけれど。彼は気にした様子もなく薄く笑う。

「おかげで久々にゆっくり眠れそうだよ。お礼がてら、あの“手”は僕たちが何とかするからね」

 夜明け前に起きておいでねと彼は言った。



 色々あったから、眠れるものかと思っていたが、どうやら自分は余程図太いらしい。

 布団に入った途端、一瞬で眠りに落ち、気付けは夜明け前だった。夜が明ける前の、ひと際暗い時間帯。

 まずいつもは起きない時間だった。

 何かに呼ばれた気がして、寝巻の上にカーディガンを羽織って部屋を出た。

 一応彼らに貸した部屋を覗いたけど、そこにはもういなかった。

 外に居るのだろうと何故だか確信する。

 そのまま外に出て行きかけて、昨日寝る前に作っておいた包みを手に持ってから外に出た。

 灯りの消えた街並みが広がっている。

 空にまだ光は射さず、とろりとした暗い闇が静かに在った。

 彼らはそれらを背景に佇んでいた。

「ああ、目が覚めた?ちょうどよかった、これから始まるよ?」

 ほら、とのんびり彼が指した先。ぞわぞわと嫌な感覚が背筋を這いのぼる。咄嗟に自分の周りを防護しかけて思いとどまった。

 うっかりアレを弾いたらバレるじゃないかと。

 嫌な感覚を我慢していると、まもなく透明な“手”がどこからともなく現れた。何かを探すようにふらふらしたかと思えば、手のひらを一杯に広げ、まるで掴みかかるように迫って来た。

 “なっちゃん”の方に。

「こんなのでも一度やられたら恨みとか持つもんなんだな~。ま、でも二度目はないけどな」

 “なっちゃん”は楽しそうに唇をゆがめると、すうっと腕を頭上高く振りあげる。

 そして一気に上から下へと振りおろした。

 “手”は見えない力に切り刻まれたかのように、見る見るうちにずたずたに切り裂かれてゆく。

 きいんと甲高い……耳障りな悲鳴のような音が辺りに鳴り響いた。

「あれ、しぶといな~コレ」

 “なっちゃん”は目を丸くして呟く。ま、でもこれで終わりだけどと言った次の言葉のとおり。

 再び手が振りおろされた時、“手”は欠片すら残さず、消えていたのだ……。


「はい、これで終わり~。なっちゃんお疲れ様~」

「こんなので疲れるかよ。これで移動出来るんだろ?」

「うん、もう大丈夫。じゃあ早速移動する?」

「そうして。ここ、どうにも合わないんだろうなあ~。よくなったと思ったのに、外出た途端体はダルイし頭痛いし~ああ、そうそう」

 “なっちゃん”はこちらを振り向いて、人懐っこい笑顔を見せた。

「アレは取りあえず消したからさ、しばらくは大丈夫じゃないか?昨日のご飯美味しかったし、アンタの家はキレイで気持ち良かったから、これが礼がわりになればいいんだけど」

「いや、こっちこそ助かりました。でも、家が綺麗って……」

 どういうことだろうと首を傾げていると、彼がのんびりと口を挟んだ。

「きみ、あの家全体に結界っていうのかな、悪いものが入って来れないようにしてるでしょ?だからあの“手”もうろうろと周りをうろつくしかなかったんだろうけど。ここは色んなモノが雑多に在り過ぎて、僕たちにしてみれば少し煩わしいんだよ。でも、きみの家には綺麗さっぱり何も居なくて、安心して眠れたからね」

 ありがとう、とほんのすこし、いつもの笑顔じゃない、ちゃんとした笑顔で言われて何とも言えず口ごもる。

 役立たずだの出来そこないだの言われ続けてきたから、助かったなどと言われると逆にいたたまれない。


「もうすぐ夜明けだ」

 “なっちゃん”が空を仰いで呟いた。見る間に東の空から明るくなりはじめている。

「じゃあ行こうか。それじゃあね~」

 まるで次の日にも会えるような軽い調子で彼は手を振った。

 障害物が無くなったのだ、彼らにはここへ留まる理由がない。

 自分の知らない場所へ移動しようとする彼ら。

 夕べ、彼から聞かされた話が思い出される。


 彼らは界を移動し続けているのだという。

 そうして元居た場所を探しているのだと。ここへ来たのも、帰り道の途中のことで。自分にここは何処かと問うたのも、そのため。

 かなり、探していた界に似ていたらしい。

 それでも、自分がその界の名を聞き取れなかったことで、違うのだとわかったらしかった。もうかなり長い間、戻る場所を探していると彼は言った。

 何故直接元の場所へ戻れないのかと尋ねると、場所がわからないんだよと彼は少し困ったふうに肩を竦めた。

 だから微かな糸を手繰るように、あちこちを移動しながら近づいて行くしか方法がないのだと。

 困ったと言いながら、何故か楽しそうにしている彼に、大変ですねとしか言う言葉はなかったけれど。


「あ、これよかったらどうぞ」

 あわてて手にしていた包みを“なっちゃん”に差し出した。

 昨日たくさん食べていたから、軽食がわりにと焼き菓子やらマフィンやらを詰めてみたのだ。

 案の定、“なっちゃん”は嬉しそうに包みを受け取ってくれた。

 よかったねえと彼は言って、それじゃあ、ありがとうねえと笑顔で手を振ると。

 すうっと彼らの姿は、夜明けの空気に溶け込むように滲んで消えた。


「……あれ?」

 彼らの消えた空間を眺めていると、ふわりと空から舞い降りてきたものがあった。

「真白い……羽根?一体どこから」

 鳥の羽根には嫌なイメージがついてしまったけれど、これにはまったく嫌な感じがしない。

 何にも染まっていない、真白い羽を手のひらで受け止め、思わず呟くとそれは手のひらに吸い込まれる様に消えてしまった。

 まるで雪が融けるように。


“なっちゃんもきみのお陰でだいぶ元気になったみたいだしね、これは僕からのささやかなお礼だよ~。何にも無い方がいいんだけど、なにかあったときのお守りだと思っててね。これでも一応、元・神様の使いだもん、多少は霊験あらたかでしょ~?”


 のんびりとした声が、頭の中で泡のように弾けた。



「あ~……ひと眠りしてそれから店の準備するかな……」

 取りあえず危機は去った。ひとまずは日常を取り戻せた事に安堵しつつも。

 ほんのひと時、関わり合いになった彼らの事を考える。

 自分がしたことなんて、ささやかなことだ。

 得体の知れない彼らと、ほんのひと時すれ違って、別れた……それだけの、はなし。

 去るその背に掛けられる言葉なんてなくて。


 でも、いつか。

 彼らが、望む場所に辿りつけばいいのにと明けゆく空に願った。




                                                                END




     

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