情報
ネットに溢れる知識、情報
サーチをかけるほど、より自分の求めるものが表示される
正確な情報かどうかは置いといて
結局のところ、自分の欲しい答えを探しているだけのような
自分の見たい結果
つまり、自分の考えを肯定する情報を集める
正当化、とまでは言わないが
自分の思いの裏付け捜査である
同じ穴のムジナ
別に悪いことを企んでいるのではないが、同じ思想、信念を持つ者どうし
類は友を呼ぶ
似たような波動が引き寄せられる
昨今では、自己啓発、願望実現
成功メソッド、覚醒ワーク…
思考で人生を変える的な、幸せに生きるメンタルケアみたいな教えがわんさか
(私自身がその類いに興味があるからなのかもしれないが)
いつの時代も人は、より幸せになりたいと願うのは変わらない
猫も杓子も楽して人生イージーモード
妄想するだけで思い通りのウハウハ?
苦労や努力は古い時代の伝説
誰も彼もがこれをするだけでサクセスストーリーの主人公?
うーん、そう、なのか?
それが幸せなのか?
やはりまだ画一的な幸福論では…?
私の父の信条は、人生は忍耐、だ
本当に不屈の努力の人で、呆れるくらい
今となっては、趣味が忍耐だと私は認識している
忍耐好き、わざわざ忍耐を選ぶ
昭和一ケタ生まれの苦労人なので
そういう人生を強いられたのだろうけど
現代において、父はまっとうな成功者の部類に入る老後を送っている
にもかかわらず、思想は忍耐マニア
父にとっては、忍耐する生き方が幸せなのである
どう見ても自分から好んでそうしたいとしか思えない
長年の習慣が染みついてしまっただけなのかわからないが、忍耐が大好物
食べ物だって、なんでそんな不味いものを選んで食べるのか?という人も存在する
世の中にはいくらでも美味いものがあるのに
偏食が幸せな人がいる
我々の正体は、永遠不滅の高貴な魂
霊性を高めることが生きる目的
そのためには、現実的には幸せとはいえない経験を積むキャリアが自分にとって功を奏することもある
そうなると、一概に楽々人生が幸せとはいえない
悪銭身につかず、とか、そんな渋い教えを支持しているのではない
濡れ手で粟、大賛成だ
私が言いたいのは
現実世界においての幸せと
エネルギー界(霊的な視点)の幸せは、ちと違うということ
俗に言う、徳を積むってやつね
皆が皆、ただただ幸せに生きるのが目的ではないと私は思う
地球的観点ではヘンテコ魂もけっこういる気がする
私もちょっとヘンテコ寄りだから
何が幸せなのか?
どう転ぶのか?
人間万事塞翁が馬
推理小説好きの私としては、ミステリーな人生が好みなのかも




