表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冥府庁調査課 file.0「冥府へ続く井戸」(京都・六道ノ辻編)  作者: 秋初夏生


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/23

第四話 突然の呼び出し

 面談を終えたアイリは、無機質な室内を出るとすぐに通信室へと向かった。

 室内に入ると、端末を操作して通信画面を開く。


 画面に映ったのは、茶を啜りながら何やら書類をめくっている調査課課長・初江大志だった。


『やあ、黒野君。お疲れさま。……こっちは相変わらず山積みでね。胃が痛いよ』


「異常案件です。生者の侵入、それも結界を突破して庁内の中枢部にまで到達。戸籍情報も霊的記録も一切該当なし。……それと、課長が本来対応すべき尋問を私が代行していた理由については、追って正式に報告いたします」


『……あー、それはまあ……その……うん。ちょっと胃の調子がね?』


「“体調不良で判断力の低下を伴う中、異常案件の対応を部下に一任した”と記録してよろしいですか」


『いやいやいや、やめて。そういうの。君は本当に冗談が通じないなあ』


 初江が苦笑しながら顔をしかめる。

 アイリは無言で一度だけまばたきをし、報告書のデータを送信した。


「現時点での聞き取り内容と関連資料を添付しました。どうぞご確認ください」


『あいよ。……んー、どれどれ』


 通信越しに、茶を置いた音が聞こえる。初江は手元の端末に視線を落とし、神崎の経緯と川原の処理記録をじっくり読み始めた。

 

『……ふむ。戸籍不在、魂番号不明、痕跡ゼロ。なるほどねえ。これは確かに……』


 一度、眼鏡の端を持ち上げながら眉をひそめた初江が、画面越しに呟く。


『おや……これは大変だ』


「どの部分ですか」


『いや、全体的にさ。これは……構造の隙間というより、そもそも“冥府が認識していない存在”の可能性があるな。存在が未登録ということは、死者でも迷いでもなく、“この世界において名を与えられていない”ということだから』


 数秒の沈黙の後、アイリが言葉を継ぐ。


「私もその可能性は高いと考えます。“未登録”なら、理屈は通る。……ですが、もう一つの仮説も捨てきれません」


『というと?』


「“記録されていなかった”のではなく、“記録を消された”可能性です」


 初江の目の奥が、わずかに鋭さを帯びた。


「魂番号、来庁記録、構造経路……複数の系統にまたがる情報を、完全に消去するのは並の権限では不可能。しかも庁内の探知に一切引っかかっていない」


「意図的に改竄されていたとすれば?」


「そう仮定した場合、関与できるのは上層部、あるいは――」


『わーわー! はい、ストーップ! それ以上はやめよう、黒野君。僕の寿命が縮む。胃も痛くなる』


 初江が、画面の向こうで本気で手を振った。


『……いやほんと、滅多なこと言うなよ。この通信だって傍受されてるとも限らないし、冗談でも危ないんだから』


「冗談を言ったつもりはありません。仮説を提示したまでです」


『そういう仮説が一番怖いって言ってるの。まったく……』


 初江が渋く茶を啜る。その表情には、困ったような、だがどこか興味を隠しきれない光が宿っていた。


『……まあでも、どちらにせよ“調査課預かり”になるだろうねえ。誰かに回されるよりは君のとこが一番無難だし』


「異論はありません。既に担当していますし、対応は粛々と進めます」


『ほんと、冷静だよなあ、君は……。僕なんかちょっとワクワクしちゃってるんだけど』


「感情で処理は変えません。起きたことは起きたこと。私たちは、それに対して適切に対応するだけです」


『はいはい、君は実に優秀で有能な部下だよ、黒野君』


 皮肉とも賞賛ともつかない口調で初江が笑った、まさにその時だった。

 初江の端末に、新しい通知音が届いた。


『……っと。さっきの報告書が上に行ったようだ。少し待って』


 手元を確認していた彼の表情が、ゆっくりと変わる。

 驚きではない。何かを“確信”した者の顔だった。


『……君の報告、焔摩様がご覧になった。……で、“会ってみたい”と』


「……会う? 焔摩長官が、直々に?」


『“今すぐに”とおっしゃってる。……生者と直接話をするなど、俺の知る限り一度もない。前例なんて、もちろん無い。まいったねえ……』


 初江は頭を掻きながら、ぽつりと呟く。


『……これはもう、ただの“偶然迷い込んだ生者”なんかじゃない。“案件”そのものだよ。黒野君、しばらく厄介なことになるぞ』


「了解。長官の要請であれば、応じます。対応は、今すぐに」


『ああ。調査課経由で正式に命が下りるだろう。……本当、胃が痛い話だよ』


「その点については同情します」


『皮肉は言ってないよね?』


「言ってません」


 アイリは静かに通話を切った後、数秒ほど画面を見つめたまま動かなかった。

 しかし、その目はすでに、神崎を連れて焔摩の執務室へと向かう覚悟を映していた。


 それから、ごく静かに立ち上がる。

 指先が、ほんのわずかに強張っていた。



 一方。アイリが報告のために部屋を出た直後。

 扉が閉まったとたん、神崎は椅子にぐったりと沈み込んだ。


「……もうダメかも。わけがわからない……」


 顔を伏せたまま、机の上で指をくるくると回す。

 思考がまとまらず、現実感すらあやふやだった。


「だ、大丈夫ですって……! きっと、どうにかなりますから!」


 隣で声をかけた美弥の声には、精一杯の励ましと、どこか自分にも言い聞かせる響きがあった。


「……黒野さんも、ああ見えて意外と優しいですし。……たぶん」


「そうなの?」


 神崎が顔を上げる。

 美弥は少し戸惑ったように笑い、それからぽつりと話し出した。


「私……ここに来たばっかりのとき、庁舎の構造が複雑すぎて、迷って泣きそうになっちゃって……。他の人たちは素通りだったんですけど、黒野さんだけが足を止めて、ちゃんと話を聞いてくれて、案内もしてくれたんです」


「え、マジで? あの人が?」


「はい……! すごく冷たそうに見えるけど、そういうとき、ちゃんと“必要なこと”はしてくれる人で。……それ以来、ちょっと憧れてるんです」


 最後の言葉は、小さく、照れたように漏らされた。

 沈黙が一瞬だけ漂う。


「……だから、黒野さんが動いてくれてるなら、きっと大丈夫、だと思います」


 神崎はしばらく彼女を見つめていたが、やがて少しだけ笑った。


「……そっか。なんか、ありがと」


 ほっとしたような空気が流れた、そのときだった。

 控室の扉がノックもなく、静かに開いた。


 姿を見せたのは黒野アイリ。

 いつも通りの無駄のない足取りで入ってきたが、どこかその空気にわずかな緊張が混じっていた。


「神崎。立て」


「え、今度は何……」


「焔摩長官が、君に会いたいそうだ」


「え、長官って……え、あの、えんま様?」


 美弥が先に声を上げた。驚きに言葉を詰まらせ、思わず神崎と顔を見合わせる。


「正確には“焔摩平等”。冥府庁の最高責任者。……生者と直接会う例は、私の知る限り存在しない。異例中の異例だ」


「……えっ、え、なにそれ。俺、何かした!? そんなヤバい罪とか、ないって思うけど……!」


「罪の有無は、これから話を聞いた上で判断される」


「や、やめてよ……! もう、マジで胃が……」


 神崎が頭を抱える中、アイリは時計のない空間に無言で時を計るように立っていた。


「時間がない。動け。長官を待たせるなど言語道断だ」


 そう言いながら、アイリは神崎の肩を押し、立ち上がらせる。


「あっ……あの、私は?」


 慌てて口を開いた美弥に、アイリは振り返らずに答えた。


「川原はここで待機。調査記録に補足を。追って指示する」


「っ、はいっ……!」


 安堵の息が漏れ、同時に不安が胸を突いた。

 美弥はそのまま神崎の背中を見送ろうとしたが、ふと立ち上がり、小さな声で呟いた。


「……無事、戻ってきてくださいね」


 神崎が振り返ると、美弥は恥ずかしそうに目を逸らしつつ、両手で“がんばれ”のポーズを作ってみせた。

 それは書類や記録には残らないが、ささやかで確かな応援だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

応援やブクマを頂けると励みになります(*'▽'*)
よかったら他の作品も見てください♪

X(旧Twitter)  /  他の作品
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ