第三話 調査課の取り調べ
面談室と呼ばれた部屋は、あまりに無機質だった。
灰色の壁。擦り減った床。金属製の長机と、背もたれのない椅子が三脚。
冷房も時計も音もない。
ただ空気だけが静かに沈んでいた。
黒野アイリは、机の奥にすっと腰を下ろす。
その姿勢は微動だにせず、まるでこの空間そのものが彼女の意志によって保たれているかのようだった。
神崎と川原美弥も向かいに座る。そわそわと落ち着かないのは神崎だけで、美弥は緊張しながらも必死に職務の顔を保とうとしていた。
「川原美弥。発見時の状況を、時系列で報告して。簡潔に」
「はっ、はいっ! えっと、まず戸籍課の窓口で、この神崎さんが“まだ死んでない”って言ってて、で、それで、最初は“迷い認定”かと思って、でも、えっと、死亡者名簿に——」
「要点のみでいい」
ぴしゃりと遮られ、美弥が小さく肩をすくめた。
「……はい。まず窓口で“死者ではない”と自己申告がありました。迷い認定かと思い、再死者・異転者・連続転生リストに照合、全て該当なし」
「死亡記録の横断検索は?」
「実施済みです。今日以前の登録履歴を全件照合しましたが、該当なし。生前の記録データも、魂番号も、個体タグも出ませんでした」
「来庁記録、時空通過証明、魂圧変異検出は?」
「すべてゼロです。“来た痕跡”が一切残っていませんでした」
アイリは黙ってタブレット端末を操作しながら、美弥の報告を記録していく。
時折、指先が止まり、何かを思案するように画面を見つめた。
……存在記録ゼロ。霊圧反応なし。構造的な干渉も確認されず。
思考の奥で、冷たい違和感が形を成していく。
冥府庁には厳格な境界結界がある。生者である限り、物理的に門を開けられてもバリアのような障壁によって“弾かれる”仕組みがあるはずだった。
それを、どうやって——。
しばらくの沈黙ののち、アイリは記録を止め、美弥にタブレットを差し出す。
「続きは川原が記録。私は尋問に入る」
「りょ、了解です……!」
やや緊張の面持ちでタブレットを受け取る美弥を一瞥し、アイリは神崎へと視線を移す。
「神崎イサナ。冥府に至るまでの経緯を、正確かつ簡潔に答えて」
神崎は思わず息を呑み、言葉を選びながら話しはじめた。
「……えっと、六道珍皇寺に行って、友達と井戸を見てて……その日は“釜蓋朔日”って言って、地獄の釜の蓋が開くって話を聞いて……それで、なんとなく奥の方に惹かれて——」
「“なんとなく”ではなく、具体的に」
「……えーと、視界がこう、ゆらいでる感じで。熱でぼやけるみたいな。それで、六道の辻に行こうってなったとき、気づいたら墓地にいて」
「墓地の詳細は」
「広くて、石がいっぱいで、白い布を被った……人じゃないものがいた。顔が、骸骨で……」
「“骸骨の顔”というのは比喩か? 実体か?」
「実体……だったと思う。見間違いじゃなければ」
そのまま、神崎の証言は続いていった。
牛頭のような鬼に追われ、三途の川に似た場所へ迷い込み、気づいたときには門の前にいたこと。
「……以上、です」
神崎が言い終えると、アイリはしばらく黙ったまま彼を見つめた。
そして、ぽつりと零す。
「……門番がいたはずだ」
ぼそっと呟かれた言葉に、神崎と美弥が顔を上げる。
「しかし、仮に門番の目を盗んで物理的に門の開放をしたとしても、生者である限り境界は越えられないはず。結界の構造上、ここに存在すべきでない者の通過は“拒絶される”」
そう独りごちるように言った後、彼女はふと、神崎をじっと見据えた。
「……本当に、“生者”なのか?」
「……え?」
アイリは身を乗り出し、神崎の顎をくいと持ち上げ、つぶさにその顔を観察し始めた。
距離は、紙一重。
左右の瞳孔、肌の血色、呼吸のリズム、霊的な揺らぎ——それらを静かに、しかし確かに見極める。
「うわ……ちょ、ちょっと近……」
神崎がたじろいで椅子ごと後ろにずるっと滑る。
美弥が、記録を取る手を止め、どこか羨ましそうにぽつりと呟いた。
「……いいなあ。あんな間近で黒野さんに見つめられて……」
神崎が「え?」と聞き返す間もなく、アイリは冷静な口調で立ち上がる。
「結論はまだ出ない。だが、構造的な異常の可能性は排除できない。記録にも痕跡がなく、経路不明、反応ゼロ。前例に照らして判断できる要素がなさすぎる」
「……え、あの、つまり俺って……」
「判断は保留だと言っている。今のところは“未定義”の存在。だが、生死以前の問題だということは分かった」
アイリは椅子を引いて立ち上がると、美弥が慌てて差し出したタブレット端末を回収する。
「私はこれより、通信室へ行き、上への報告を行う。お前たちはここで待機しておくように」
「えっ……」
「——監視などをするつもりはないが、不用意には動くな。今はそれが最善の防御だ」
神崎が「防御……?」と呟くのを無視して、アイリはすでに扉の前にいた。
冷たい金属の取っ手に手をかけ、淡々とした動きで面談室を後にする。
空気が、背中ごと切り分けられていくようだった。




