表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/23

第十五話 霧中の声

 霧はさらに濃さを増していた。

 白が黒に侵食され、視界は数歩先すらおぼつかない。


 神崎は肺を押し潰されるような圧迫感に、息を荒げた。

 胸の奥がぎしぎしと軋む。耳の奥では甲高い耳鳴りが鳴りやまず、鼓動ばかりが異様に大きく響く。


(……重い……これが、レベル3……?)


 足を出そうとしても、膝が鉛のように重い。

 吐き気が喉元までせり上げ、視界の端はじわじわ暗く染まり始めていた。


 ──その隙間に、声が忍び込む。


「三日ももたないだろう」

「初日から失敗続きとか、いい見せ物だな」


 昨日、背後で聞いた陰口。

 けれど次の瞬間、その声は別のものに変質していった。


「頑張っても虚しいだけ」

「どうせ現世に戻れるまでの繋ぎだろ」


 柔らかく、甘やかな響き。

 耳に染み込むほど心地よく、疲れ切った身体を解きほぐすように囁く。


「力を抜け。諦めたら楽になる」


 その声は──間違いなく自分自身だった。


(これ、俺の心の声……?)


 ぞっとした。

 胸の奥に隠してきた弱さ。言い訳。甘え。

 それらが霧に引き出され、増幅し、自分へ返ってきている。


 境界が溶けていく。

 自分が考えているのか、霧に囁かれているのか、判別がつかない。


「ここに自分の居場所なんてない」

「いっそ消えてしまえば、楽だ」


 耳元で囁かれた瞬間、膝ががくりと折れた。

 肩から背へ、黒い冷気が絡みつく。


 甘美な闇に包まれ、このまま抗わずに沈んでしまえたら──痛みも不安も、すべてが消える。


(……何も、悩まず……楽に……なれる……)


 意識が揺らぐ。

 重さも痛みも消え、ただ静かに沈んでいけるような、誘惑の響き。


「神崎さん!」


 遠くから、必死な声が届いた。

 間宮の声。かすかに揺れる光のように、闇の中へ射し込んでくる。


 だが霧はさらに囁く。

「抗うな。休め」

「その声に応じる必要はない」


(……俺は……)


 全身の力が抜けかけた、その刹那。

 爪が掌に食い込む痛みが、わずかに現実へと引き戻した。


(まだ……終われない!)


 がむしゃらに足を踏み出す。

 膝は震え、視界は揺れる。それでも一歩。

 その瞬間、肺に現実の空気がわずかに戻った。


 続けざまに二歩、三歩──ようやく呼吸が通る。

 霧が裂けるように、耳鳴りがほんの少し和らいだ。


「……だ、大丈夫です。なんとか……」

 掠れた声で告げると、間宮が安堵の息を吐いた。


 その後方。ずっと黙っていた佐倉が、低く言った。

「……甘さがあるうちは、すぐ呑まれる」


 淡々とした声。けれど、その瞳には一瞬だけ、値踏みするような鋭さが宿っていた。

 まるで“何を見たか”を探っているかのように。


 神崎は荒い息を整えながら、奥歯を噛み締める。

 ここでは、現世と同じ重さで命を懸けなければならない。試されてるのは、冥府で生きる覚悟なのかもしれない。


 荒い息の合間に、神崎はわずかに笑みを浮かべた。

 ──何とか持ち堪えた。

 だが、震える足が告げている。これはまだ“終わり”ではない、と。


 霧の奥には、まだ名も知らぬ“何か”が息を潜めている。

 囁きは低く深まり、次の一歩ごとに近づいてくる。


 ここで立ち止まれば呑まれる。

 そう理解しながら、神崎は奥歯を噛み締め、重たい空気を切り裂くように再び足を踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

応援やブクマを頂けると励みになります(*'▽'*)
よかったら他の作品も見てください♪

X(旧Twitter)  /  他の作品
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ