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第十四話 忍び寄る影

 ──前日のこと。


 神崎の反省文を確認したあと、黒野アイリは調査課の課長室を訪れていた。

 デスク越しに差し出されたのは、分厚い封筒。表紙には「本試験演習内容」と印字されている。


「明日の班分け、これだよ。君が担当する神崎君と間宮君の分も含まれてるから、内容に目を通しておいてね」


 初江課長は端末をいじりながら、気の抜けた声で言った。

 その調子とは裏腹に、紙の中身は重かった。


 アイリは資料をめくり、そこに記された名を見て、眉間にしわを寄せる。


「……指導役、佐倉ですか」


「うん。現場慣れしてるからねえ。まあ、君と一番タイプが近いのはあの子だから、配役としては妥当でしょ?」


 気楽そうに笑う課長に、アイリの瞳が冷たく細められる。

「ですが彼は─ ─他人への関心が薄く、後輩をよく切り捨てるような言動が目立ちます。そんな者に指導役が務まるとは思えません」


 初江は肩をすくめ、書類をとんとんと揃えながら首を傾げた。

「うーん。でも佐倉はね、口は悪いけど人を見る目は確かなんだよ。現場で“使えるかどうか”で態度を変えるタイプ。厳しいけど、それ自体は間違ってない」


 アイリはなおも視線を落とし、演習内容に目を走らせる。

 ──霊圧干渉下でのチーム行動。

 生者である神崎にとって、最も不利で危険な課題だった。


「……適性を測るなら、霊圧耐久のチェックだけで十分です。ここまで危険を伴う試験にする必要があるのですか」


 抑えた声の奥に、珍しく反対の色が滲んでいた。

 初江はそんな彼女を見て、にやりと笑う。


「僕もそう思ったんだけどね。上からの指示なんだよ、これが」

 端末をくるくる回しながら、軽く苦笑する。

「まあでも、どうせ現場で君と組ませるつもりだから、やっておいて損はないでしょう」


 アイリは沈黙する。

 その横顔に影が差した。


「……わざと試験で落として、厄介払いするつもりではないでしょうね」


 低く放たれた疑念に、課長は目を丸くし、それから楽しげに笑った。

「酷いなあ。僕がそんなことするやつだと思われてるんだ?」

 軽く手を広げ、わざとらしく首を振る。

「まあ立場上、上に本音を言えないことはあるけど。そうでもしなきゃ、冥府庁でこのポジションになんて座ってられないからね」


 本音掴ませない笑顔。

 どこまで冗談で、どこからが本当なのか。

 結局それ以上、彼の腹の内を読むことはできなかった。


「……いずれにせよ、実際に現場で面倒を見るのは君だ。僕は結果を静かに見届けるだけさ」


 軽い調子でそう言い残し、課長は別の書類に視線を落とす。

 会話は終わりの合図だった。


 アイリは封筒を胸に抱え、静かに踵を返した。


 その横顔には、普段以上に険しい影が宿っていた。


 ◇


 演習フィールドでは、神崎達のチームが最初のエリアの関門を通過したところだった。


 霧の奥へ進むほど、空気はさらに重くなっていった。

 肩にまとわりつく冷気は鋭さを増し、時おりバチッと静電気のような痛みが走る。頭の奥にじわりと鈍痛が広がり、吐き気に似た感覚が喉元をせり上げた。


(……これが、レベル2……? さっきより明らかに強い……!)


 息が浅くなる。足を出すたびに、肺がぎしぎしときしむようだった。

 佐倉も間宮も平然と歩いているように見えるのが、余計に焦りを煽った。


「神崎さん……顔、真っ青ですよ。大丈夫ですか?」

 横を歩く間宮が、心配そうに覗き込む。


「あ、いや……少し、重いだけで」

 言葉を絞り出すと、間宮は驚いたように目を見開いた。


「やっぱり……! センサー上はレベル2だけど、あなたの方が正確に“感じてる”。生者にしても、ここまで敏感なのは珍しいです。……霊感とか、あるんですか?」


「いや……ううん。そういうのは特にない、と思うけど……」


 答えるだけで息苦しい。足を止めそうになるのを、必死で堪えた。


「──感度が高すぎるだけだ」

 背を向けたまま、佐倉が低く言い放った。

「現場じゃ厄介な特性だ。感じすぎれば、怯えて動けなくなる。限界なら早めに諦めろ」


 神崎は唇を噛んだ。

 欠陥だと突き刺された言葉が、また胸の奥を抉る。

 それでも──足は止めない。止めたら、本当に「欠陥」にされてしまう。


 その時、間宮が小さく呻いた。

「……う、うそ……データに乱れが……? これじゃあ正しい検知ができない」

 端末の画面には、通常なら滑らかなはずの波形がぶれ、異常なノイズが混じっていた。

 動揺した彼の声は、明らかに震えている。視線が泳ぎ、霧の濃さに呑まれるように足取りが乱れる。


「間宮さん、落ち着いて」

 神崎はそっと声をかける。手を上げ、進む方向を示した。

「緊急時を想定した演習課題だと思いましょう。センサーの不具合とか、端末の誤作動とか、エラー原因は分かりそうですか?」


 その声音は自身でも驚くほど穏やかだった。

 呼吸を合わせるように、神崎は自分の歩調をゆっくり落とす。

 それにつられて、間宮の胸の上下が少しずつ静まっていった。


「は、はい。えーと……確かマニュアルにエラーチェック手順がありました」


 重い霊圧が押し寄せる中、わずかに空気の流れが整う。ほんの一瞬、現場の不安を抑える力がそこにあった。


「……そろそろ行くぞ」

 黙って成り行きを見ていた佐倉が短く言う。歩き出す前に、横目で神崎をちらりと見て、ぽつりと付け加えた。


「実際の現場には、一般人が大勢いることもある。その時に動揺するものがいると場が乱れやすい」


 その言葉が先ほどの言動への肯定なのか否定なのか、神崎には分からなかった。

 ただ、何かを探るように一瞬向けられたその目には、先ほどまでの無関心さとはわずかに違う色が宿っていた。


 霧はさらに濃くなる。耳の奥で、微かなざわめきが始まっていた。

 黒い囁きが、遠くから少しずつ近づいてくるような──不穏な予感。


(……これが……次の段階……?)


 神崎は奥歯を噛み、重たい空気を切り裂くように、再び歩を進めた。

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