第十話 筆記試験と口頭試問
午後一番のチャイムが鳴った瞬間、教室の空気が変わった。
午前の和やかさはもうない。研修生たちの背筋が自然と伸び、ペンを握る手に力がこもる。
配られた白紙の答案用紙には、控えめな文字。
――「第一種・業務遂行基準マニュアル 暗記確認テスト」
(……は? テスト? そんなの聞いてないんだけど)
神崎イサナは隣を見る。
押人がうつろな目でシャープペンの芯の先をぽきりと折った。同志だった。
開始の合図と同時に、秒針が無慈悲に回りだす。
紙面に並んだのは聞き慣れない専門用語ばかり。
(霊的障害物……魂体再定着……? マニュアルを流し見した時にあった気はするけど、どこに載ってたっけ……)
記憶の残滓をつかみ取るように、言葉を絞り出す。
空欄だけは避けたい――その意地だけで答案を埋めていった。
(こういうの、ほんと苦手なんだよな……)
◇
続いては、口頭試問。
「神崎イサナさん」
名を呼ばれた瞬間、喉がひくりと鳴る。
小部屋の扉の前で一度深呼吸し、ノック。
中に入ると、三人の審問官が待っていた。その中には、黒野アイリの姿も。
(……マジか。よりによってここで)
感情の読めない視線が、無言で射抜いてくる。
「第七章“初動対応の心得”より、三条目の行動優先順位を」
「えっと……現場到着後、被害状況の確認と……」
そこから先が、出てこない。頭が真っ白になる。
必死に言葉を探すが、糸がぷつりと切れた。
「……以上で?」
「……はい」
審問はそれでも続いた。
どの質問も確かにマニュアルに載っていた――はずだった。
答えはどれも中途半端で、声にするたびに自分の未熟さを突きつけられる。
終了を告げられて部屋を出ると、廊下の空気が妙に冷たかった。
背中に手を当て、神崎はゆっくりと息を吐く。
(……ボロボロだ)
情けない。でも分かった。
“知らない”“覚えてない”じゃ済まされない。ここではそれが死活問題になる。
◇
研修室に戻ると、押人が小声で。
「お疲れ。……どうだった?」
「……聞かないで」
互いに顔をしかめる。奇妙な戦友感。
近くで美弥が苦笑してささやいた。
「私も、後半は完全に“無”でした」
仲間はいた。それだけが救いだった。
三人は「無理ゲーだよな」と愚痴り合い、苦笑した。
けれど、それもすぐに終わる。
全員の試験が終わり、教室に初江課長が戻ってきたからだ。
「——今日の研修はここまでです」
安堵の気配が広がる中、課長は眼鏡を押し上げて一言付け加える。
「ただし。明日は“本試験”があります。最低限の規定と基礎対応だけは頭に入れておいてください。でないと……ちょっと厳しいことになるかもしれませんよ?」
冗談めいた口調に笑いかけた者もいたが、彼の後ろに立つ黒野の硬い表情を見て、すぐに笑みは消えた。
「では解散。寮へ戻る者は集団で移動を」
研修生たちが立ち上がる。
ざわつきの中、神崎も荷物をまとめたが、その手はどこか重かった。
(……初日で寝坊、違反三つ。筆記は半分白紙、口頭もろくに答えられなかった)
思い返すたび、胃がひやりと冷たくなる。
特に、口頭諮問で黒野に見られた視線――あれが脳裏にこびりついて離れない。
冷たいのではなく、無関心。まるで“評価の対象から外された”ような目。
(……完全に、失望されたな)
胸に残るのは、敗北感と焦燥だけだった。押人や美弥の共感も、上辺だけで心には届かない。彼らはたとえ成績が振るわなかったとしても、すでに居場所は保証されている。
(けれど俺は、このままじゃ……、ここにいられない)
重い足取りで神崎は研修室を出た。