7-5 この世に残した最後の印
昨今では珍しい古い型式のセダンには、細面の男前とその娘が乗っていた。
「彼にはとんだ巻き添えを食わせてしまったなぁ。まったくボクも手抜かりだったよ。予兆はすでに気付いて居たというのに、準備でもたついて後手に回ってしまった」
「放って置けません」
「そうだね。しかしコレで完全にカエテに気付かれてしまった。玄関のドアを開けるのが怖いよ」
「母上にはわたしも弁明します」
「気持ちは嬉しいけれどボク一人に任せてもらえないかな、マイ・ハート。娘と夫の双方に頭を下げられては、感情の持って行き場がないだろうから」
「間違いなく怒られます」
「それも家長の務めだよ。まぁそれはソレとして、ミマ。やって来たのはヤツ一人なんだね?」
「はい。複数居たら直ぐに気付きます」
「だとしたら、ちょっと面白い状況かもな。上手く立ち回れば今回のちょっかいダケで、以後連中は見て見ぬ振りをするようになるかも知れない」
「どういうコトです」
「連中も一枚岩じゃないというコトだよ」
「わたしたち一家を『削除』したがって居たのではないのですか」
「削除組と放置組、元から異なるスタンスの者は居たけど、以前は前者の意見が圧倒的だった。だからボクたちは追われた。今はその力関係に変化が出ているみたいだ。
絶対抹消、と考えるなら彼一人で来るなんて在り得ないよ」
「見くびっているダケかも知れません。或いは下調べかも」
「複数で潜む同等レベルのモノを狩ろうというんだ。質と数、両方を揃えて一気にツブした方が確実だよ。それに様子見なんてとうに終えているさ。だからこそ剣を携え結界まで張った」
「・・・・」
「プライドと経験則だけで圧倒出来ると考えた。そんな浅はかな御仁の独りよがりな勇み足。そう考えた方が筋は通るよ」
そう言ってハンドルを握りながら肩を竦めた。
「ボクの準備もなんとか完了した。コレでようやく連中と伝手をつなぐコトが出来る」
「彼奴らと取引するつもりですか」
「そんな剣呑な顔しないで欲しいな。どんな者でも生涯逃げ続け、隠れ続けるなんて不可能だ。何処かで必ず相対せねばならない。でも朽ちるまで闘うというのは殺伐に過ぎるね。少なくともボクの趣味じゃあ無い」
そこで細面の男前は小さな吐息をつくのだ。
「永遠の安息は誰にでも訪れるけど、願わくば現世での平穏を手に入れたい。そうは思わないかい?」
「ヤツラとの約束なんて信用なりません」
「偽りの取引であろうと一休みすることは出来るよ。ボクだって未来永劫平和が訪れる、なんて脳天気に構えて居る訳じゃないんだ。
一族の連中は老衰が訪れないものだから、意見の異なるモノと駆け引きで暇潰しをしているに過ぎないからね。要は退屈が嫌なんだよ」
「暇潰しで殺されたらたまったものではありません」
「あるいはソレがボクたちの『寿命』なのかも知れない。退屈が人生最大の敵、というヤツだ。
興味や好奇心が失せれば情熱も失せる。情熱が無くなれば前に進もうとする意図や意味すら消滅だ。そんな人生は味気なさ過ぎるだろう」
ちらりと目線を上げルームミラーで後席の愛娘と交す視線は、悪戯をたくらむ子供のようだった。
「生き物が争うのは自分の糧を得るためだ。縄張りだって餌の確保と繁殖が目的。ソレさえ叶えば生きるコトが出来るのに、何故ヒトはそれ以上に欲をかくんだろうね」
「父上は欲こそが生きる意味だとおっしゃりたい?」
「質問に質問で返して欲しくはなかったね」
「ご自身のお答えは当に出ていらっしゃるでしょうに」
「そういう持って回った言い回しはカエテにそっくりだよ」
「父上と母上の娘ですので」
「ボクは素直一直線だろう」
「気付いて居ながら気付いて居ないふりは、その御言葉に反します」
「敵わないなぁ」
苦笑する男と素知らぬふりを続ける少女。二人を乗せてクルマは走る。
交差点の向こう側ではちょうど、信号が青から黄色に変わるところだった。
「深手を負ったと聞いたが」
「少々血を失ったダケだ。補ったので大過ない」
今回、深い影の中で交される声音は二つのみであった。
「剣一本とは些か侮りすぎではないか。特にあの男は、血族の追っ手をことごく返り討ちにした手練れだ」
「畜生の血をすする穢れモノ。恐るるに足りぬ」
「強がりも程ほどにしておけ。きゃつの娘にしてやられたのだろう」
「幼子の容姿を盾に小手先の技で我が目を謀った。それだけだ。次は油断せぬ」
「次などない。そなたは下がれ。長老会から指示が来て居る。新たな『るつぼ』を焚くは中止となった」
「な、何故」
「今や現世でアレをわざわざ象るのは無意味、以前より論議されていたであろう。それが正式に決まったと、ソレだけの話だ」
「現存のるつぼはもう枯れかかっている。新たに用意せねば、我らの呪は痩せて消え失せるのみ」
「それこそが不要と、そういう話だ。錬金術や数多の呪術が幅を利かせる時代ではない。過去の遺物に固執しては時代を踏み誤る、そういう判断だ。
いずれ科学技術という理が全てを代替してゆく。気付いておらぬ筈はあるまい」
「笑止、及ばぬ技が数多あろうが。ヒトが造り上げた小手先の術、取るに足らぬ」
「るつぼを造り呪を維持する技も、元はヒトが造り上げた技ではないか。我らはその術を継承し、醸成させただけに過ぎぬ。
それにここで論議しても何も変わらぬぞ。此度の断は決定事項だ。意見具申が在るのなら、長老会に直接上奏するのだな」
「・・・・なぜ急に」
「急では無い。前回、前々回の会合時にも、新たにつるぼを焚く事へ異を唱えるモノは少なく無かったではないか。今回それが是とされた。それだけの事よ」
「あの若造の差配か。長老会に良からぬ事を吹き込んだのか」
「きゃつは既に齢二百を数える。若いと言うには無理があろう。そなたの孫娘ともさして変わらぬ。
それにあの男は呪とるつぼの現状を精査して報告書とし、それを上奏しただけだ。真っ当至極にこなした仕事を何故に貶めるのか」
「・・・・」
「何処にいくつもりだ」
「所用を思い出した。次の会合には顔を出す」
「今更あの建屋で事を為しても何も変わらぬぞ」
去って行く背中に声は掛けたが結局返事は無く、姿も足音も消えてしまうと残された男は小さく溜息をついた。
「全く以てどいつもコイツも」
疲れたような独白は闇の中に吸われて、ただ消え失せるばかりであった。
長剣の男は再度マンションを訪れた。
以前と同じく結界を張り巡らし、自身の影から醸成した漆黒の犬を四匹引き連れて居た。獲物を狩る猟師と猟犬といった風情だろうか。
以前の失態に学び、耳元まであるチェイン・メイルを身に纏い、複数の短剣を携えた完全装備の構えであった。
時限は夕暮れ逢魔が刻、マンションの敷地に踏み込むと同時に「出でよ」と叫んだ。この建屋の者どもを殺められたくなくば、我と相対し剣の錆となれと吠えた。
当人はいにしえの作法に則り、真っ向相対するつもりだったらしい。
だがそれは身勝手な独りよがりというものだ。一方的な都合で家族を害しようなどという者を、どうして相手の思惑のままに相手をしなければならないのか。
ましてや事前に娘に手を出し、親しい隣人を傷付け、もろとも殺めようとした相手なのである。正々堂々などとどの口が言うのか。そして来ると事前に分かっていれば、備える事も出来るのである。
上階からボウガンで射竦められ、注意を逸らされた後にエントランスから火炎瓶を投げられた。
配下の黒犬を放ったが、予め伏された呪符に惑わされ足止めされた。
そして以前、即身仏相手に使われた投網に絡め取られ、真っ当に剣を振う間も無くねじ伏せられたのである。
「お父様は何も変わりませんね」
身動き出来なくなった男の前にボウガンを携えて立つのは、彼の娘カエテであった。傍らには彼女の夫も短剣片手に立っている。冷めた目が四つ、男を見下ろしていた。
「わたし達一家は一族とは何の関わりもなく静かに暮らしたいだけです。それを何故に剣を以て追い、害しようと為さいますか。
娘や夫に手を出すというのなら、お父様であろうと躊躇することは無い。そう申し上げた筈です」
「穢れた思想に染まり、屠殺した家畜の穢れた血をすする。我がクロイツシュタイン家の名を穢す愚かな娘。名を捨て誇りを捨て下等な種族に交わり生くる恥知らずな娘。
父の手にて直々に冥界へと送ろうというのだ。むしろ感謝と懺悔をもって白首を垂れるのが筋であろう」
己の罪過を雪ぐ絶好の機会をうち捨てる蛮行、無間の後悔の果てに魂を切り刻まれることとなる、盲いた痴れ者と成り果てたか愚鈍な娘よ、そう罵るのだ。
「何をおっしゃっているのです。わたしは既に罪過を招く呪を植え付けられ、永代からの系譜からも削除されているのでしょう。一族からも無き者として扱われる筈ですよ。
居ない者の首をどうやって取るのです」
「この網を解け。一対一の決闘を申し込む、レターレン・ヒンメルグラース。受ければ生死に関わらずキサマの家名と名誉を回復できるのだ。またとない好機であろう!」
血走った眼差しが細面の男前に注がれる。
だが、呆れたような吐息が返るだけであった。
「残念ながら何の興味も持てませんね。それに貴方を自由にするというのはボクの家族への災厄を解き放つのと同義です。在り得ませんよ」
「ま、待て!キサマとて剣士であろう。己の剣に誓った誇りと矜持とをうち捨てるつもり」
「見苦しいですよ、お父様」
ボウガンを放り出し身動きの出来ない男に歩み寄り、手刀を構えると肋骨のスキマにねじ込み始めるのだ。
切れ味鋭い彼女の鉄爪で、ブツリとチェイン・メイルが押し切られ、尖った爪が皮膚にめり込み始めた。
「や、やめろぉ!」
「以前、戦場でミマを背後より切りつけ、あの子の心臓を取り出そうとしたことがありましたね」
「手を引け、カエテ。父を殺めるつもりかっ。親族を手に掛ける罪過を背負うぞ」
「系譜から抹消された者に親など居りません。それに罪過などとうに背負っております」
「思い止まるのだ、カエテ!」
身動き出来ぬ者を嬲るつもりか、恥を知れ、と叫ぶ声があった。
「彼の地では無辜の民を切り捨てて、その生き血をすすっていらしたではないですか」
夫の一族を切り刻み、踏みにじっていらしたではないですか、と囁いた。
温度など何もない平板な声だった。
「わたしたち一家を受け容れてくれた村に追っ手を差し向け、剣を振い、殺戮を繰り返した。そしてこの地ですら同じ事を繰り返す。もはや看過できません」
めきめきミシミシと音を立て指先はめり込み続ける。
止めろ、と激しい身悶えがあった。卑怯者、という誹りがあった。
皮膚を裂き胸筋を引き裂く。堪えがたい呻きと絞り出される苦悶。肋骨をねじ折り、心臓を鷲掴みにすると、そのまま引きずり出してゆく。
絶叫があった。
ブチブチと血管が千切れる音が聞こえた。だが何の惑いもなければ躊躇いもない。
断末魔が響く。
鮮血が迸り、マンションエントランス前の路上を赤く染めた。
彼の婦人は未だ脈打つ心臓を振り上げ、アスファルトに叩き付ける。
心臓は一瞬で木っ端微塵。路面に張り付く残骸へと成り果てた。
それが男の、この世に残した最後の印となった。




