7-3 無手無策という訳でもない
マンションの付近に近付くと急に町の雑多な気配が掠れ、薄れていった。
聞こえて居たはずの遠くから響くクルマの気配、電線を揺らしていた風鳴り、或いは街路樹のざわめき。その他の一切合切がボリュームを絞られて、そして唐突にブツリと失せて消えたのである。
それは見ていたテレビが、いきなりコンセントを抜かれたような唐突さだった。
「余分なゴミまで付いてきたか」
響いてきたのは呆れたような声音。声のした方を見れば背の高い男が居た。
左手には鞘に収められたままの長剣があった。普通の者では無いというのは一目で分かった。
まるで、地面に打ち込まれた杭のように真っ直ぐな背筋。構えてすら居ないのに放たれる異様な存在感。近寄ることすら躊躇われた。
この人物はただ立って居るだけだというのに。
ここはマンションの敷地の外だというのに。
血の気が引き、背筋が急速に冷えて行く。
ひょっとして、あの僧侶と似たタイプの来訪者だろうか。ロッドケース取り出し口のマジックテープを引き剥がした。
「どちら様です?」
訊ねたのだが俺の問いは無視された。いや、端から気にも留めて居らず、「小娘」と身構えているミマちゃんに声を掛けるのだ。
「斯様な場に紛れ込んで居るとは思わなんだ」
「しつこい。まるで蛇みたいな執念深さ」
吐き捨てるような物言いだった。
「特に来たかった訳では無い。だが後始末はせねばならぬ。わたしはきれい好きなのでな、汚物は気に為るのだよ」
「良かったわね、鏡には自分の性根は映らないもの。天の差配を感謝なさい」
「その減らず口も聞き飽きた」
「去れ。母上に手出しはさせない」
「わたしの相手が務まるとでも?その傲慢さも父親譲りよな」
「ミマちゃん、下がって!」
俺が踏み出すのと男が剣を抜いたのはほぼ同時。少女を庇って緑青剣で男の剣を凌いだ。
いや、凌いだつもりだったのだ。
「がっ」
「深山さん!」
気が付けば俺は吹き飛んで道路に叩き付けられて居た。
「邪魔だ。剣が穢れる」
一〇メートルは離れた場所から男の声が聞こえた。俺は確かに踏み込んで、彼との間合いを詰めた筈なのに。
最初は何が起きたのか分からなかった。そして次に、剣の切っ先が振れる前に蹴り飛ばされたのだと知ったのは、脇腹の激痛に悶絶する最中だった。
あの即身仏と初めてやり合った時もそうだった。必中の一撃を躱され、反撃にたたらを踏んで突き放された。剣技に優れた多椀の来訪者に苦戦してどうしようもなく、隙を見て遁走を決め込んだコトも在った。
だがいま目の前に在るこの男はまるで違う。自分が反応する暇すら無く、それどころか何をされたのかすら咄嗟に理解出来なかった。
レベルが違う。間違いなく数段は格上。到底いまの自分が手に負える相手では無い。
そして緑青剣は囁く。囁き続けるのだ。速やかにこの場を去れ、と。
それは剣を抜く直前から繰り返されていた忠告だった。いまこの現状は、それを無視して踏み出した挙げ句の果てなのである。
あの即身仏の時にも、俺はコイツの言葉を無視したんだっけ。
だが、少女を置き去りにして逃げ出せる筈が無いだろう。
剣呑な気配を纏い、長剣を抜いて無防備な子供に踏み寄って来る。
そんな相手を見過ごせるのか。そんなヤツが居るとでも言うのか。
「そこのゴミ。オマエに用は無い。居ね。下賤な血で剣を汚すのは好まん」
男の言葉が更に俺の神経を逆なでする。「ふざけるな」と咳き込みながら身を起こす。血痰を吐き出したが知ったことか。
「ミマちゃんから離れろ!」
怒声を叩き付けながら立ち上がって剣を構え直した。だがもう男は一顧だにしない。言うべきコトは言ったと、もう俺なんて埒外だとそういうつもりらしい。その態度に腹が煮える。
熱を冷ませ、緑青剣が忠告する。
やかましい、幼気な子供が窮地なんだ。危険が迫っているんだ。
黙ってられるか。
大人として、男として断じて見過ごす訳にはいかない。
「離れろと言って居る!」
俺は叫んで駆け出す。その僅かな間に男は少女に剣を振り上げる。
間に合わない。
俺は咄嗟に緑青剣を投擲。
投げる、と俺の意を解したグフリノスが助力する。
速度、タイミング、狙い撃つ箇所。腕の角度に込める力加減、全てを瞬時にはじき出し、そしてそれらを全て理解して俺の全身がそれに応える。
渾身の一投だった。
瞬く暇すら無い刹那の一撃だった。
男の剣先はもう少女の身体に触れる寸前。
凶刃を阻む、その為だけに投げた。
後のコトなんて何も考えて居なかった。
暗転から目覚めると、自分が何処に居るのか分からなかった。
あれ、何で空が見えて居るんだろ。
空が見えるというコトは俺は寝転がっているのか。そして此処は屋外というコトになる。俺は外でうたた寝でもして居たのだろうか。
ちょうど、公園で微睡んでいたミマちゃんのように。
ボンヤリとした記憶の糸をたどってソコまで思い出して、ようやく自分が何をしていたのか思い出した。
そうだ。
俺は長剣を持った男に怒鳴りつけて、剣を投げつけたんだっけ。それで、それでどうなった?ミマちゃんはどうした、無事なのか。あの男は何をしている。
俺は、俺はこんな場所で寝ている場合じゃ・・・・
全身が鉛のように重くて動かなかった。起き上がろうとしても指一本動かなかった。寝転がっているアスファルトがやたら固くて、そして冷たくて。まるで氷の上に寝ているような寒気があった。
何処か遠くで俺の名を呼ぶ声が聞こえる。
誰だ?
必死の響きがあった。
悲痛な色合いがあった。
ミマちゃんか?待ってろ、いまそっちに行く。
動かない首を必死になって持ち上げて激痛に呻き、そしてそこで初めて妙なものを見た。俺の胸から杭のようなものが生えている。何だ、と思って目を凝らして見れば、それは俺の剣だった。
グフリノスが俺の胸に突き刺さっていた。
ああ、そうだ。そうだった。
俺はあの男に剣を投げつけて、それをはじき返され、躱す間も無く・・・・
男の剣技は常の域を超えていた。
彼女に振り下ろされていた剣先は途中でいきなり軌道を変えた。投擲した剣を難なく弾き、空中で角度と方位を見定め、そのまま己の剣先で緑青剣の柄尻を強打したのだ。
まるで一流のテニスプレイヤーが、相手のスマッシュを空中で返し打つかのような。
いやそれを遙かに凌ぐ絶技。
唖然とする間もなく、見えたと思った次の瞬間には自分の剣で貫かれていた。
「がっ・・・・」
麻痺していた痛みが目を覚ます。文字通り身を貫く激痛に悶絶した。呻いて歯ぎしりした。
俺が敵う相手じゃない。だが、それでも、こんな所で寝ている場合では。
せめて、せめてミマちゃんを逃がしてやらないと。
唐突に吐き気が込み上げて、俺は何かを吐き出した。
真っ赤な飛沫が虚空に飛び散るのが見えた。
妙に熱く、生臭い鉄の味がした。
「深山さんっ」
「間抜けめ。所詮はゴミだな」
「口を慎め、ケダモノ」
「オマエの愛玩物だったのか?汚物には似合いの男娼だ」
「下衆がっ!」
少女が吠える。だが激するのはオモテだけ。煮える肚底を強引にねじ伏せる。
いま直ぐにでも駆け寄って彼の手当をしたかった。
だがソレが出来ない。背を向ければ次に串刺しになるのは自分だ。
しかし全くの無手無策という訳でもない。
彼の投擲で注意を逸らすことができた一瞬。その刹那に間合いを広げ、衣服に忍ばせていた切り札を取り出すことが出来たからだ。




