7-2 「追ってこないで下さい」
真っ赤な血の海に少女は在った。
彼女が立つのは森より少し離れた荒れ地で、生々しい臭いが満ち満ち、鎧を身に着け槍や剣を携えた遺骸がそこかしこに転がって居た。
戦の直後であるのは間違いない。
返り血なのかそれとも何処か怪我をしているのか。少女は血まみれで、破れてボロボロになった衣服を身に纏っていた。
呆然とした表情で辺りを見回し、唇を戦慄かせていた。瞳は不安に彩られていたが泣いている様子は無い。しかし幼い足は当て所なく骸をかき分けて、ただ歩むばかりだった。
「父上、父上は何処」
呼ぶ声が掠れていた。不安と願いとが在った。求めて乞う悲壮さがあった。
だが返って来るのは死臭を染みつかせた風のうねりばかり。
だがその内に呼び声があって、少女ははっとして振り返る。向いたその先には背の高い人影があった。
今しがた自分の名を呼んだ者に違いない。
思わず歓喜に相好を崩しかけたのは一瞬。
だが直ぐに違うと判じ、その顔はやにわに曇り怒気が露わとなった。
「わたしの名を気安く呼ぶな、下衆!」
吐き捨てるように叫べば、せせら笑う声と見下す言葉が在った。その如何にも持って回った嘲りと、我が身の有り様を揶揄する傲慢な物言い。
不快だった。耳にするのも穢らわしい。
きさまなどに用は無い、退ね。そう叩き付けたのだが「そうもいかぬ」などと笑む。
「高貴なる者には天命を。愚かなる者には苦悶を。血の理を穢す者には断罪が必要だ。覚悟は充分か?頭を垂れ、我が刃の元に白いうなじを捧げる栄誉を授けよう。己が魂を供物とする悦びに打ち震えるがよい」
見上げるほどに高い人影が剣を抜く。
少女は咄嗟に踵を返す。
脱兎の如く逃げ出すのと、刃が振われるのはほぼ同時であった。
揺り起こされて目を覚ませば、若い男性が顔を覗き込んでいた。
ハッとして反射的に身構える。
「ミマちゃん、大丈夫?何だかうなされていたけれど」
「・・・・深山さん」
相手が何者か分かった途端、緊張が解けた。
小さな安堵の吐息のあと、少女は周囲を見回した。そこは見慣れた公園だった。視界の端には数人の幼児が居て、ブランコを漕ぐ早さに歓声を上げていた。
「こんな所でうたた寝したら風邪引いちゃうよ」
「すいません。陽気に誘われて散歩してて。その、ちょっと一休みのつもりだったんです」
取り繕う言い訳が気恥ずかしかった。彼の言う通り些か不用心だ。
少し前の自分ならこんな見通しの良い場所で午睡を貪るなど、先ず有り得なかったと言うのに。
「ご心配お掛けしました」
ベンチから立ち上がると、ペコリと頭を垂れた。
そしてそのまま彼と連れ立って、マンションに戻る事になった。
「日曜だというのにお仕事だったのですか」
「仕事が立て込んでいてね。まぁサラリーマンの宿命だよ」
そう言って苦笑で返してきた。いつも通りの気さくな物腰といつも通りのスーツ姿だった。
こんな在り来たりな青年だが、ひとたび剣を抜けばその印象は一変する。先の先、後の先、その双方を制し相手をねじ伏せるその剣技。
いま現在に至るまで、マンションに迷い込んでくる様々な怪異を退け続けて此処に在る。
その事実に驚くのだ。
特に刮目したのは、あの悪食なミイラ僧侶と相対した時だ。
あそこまで腕が立つとは思って居なかった。
父から自分に匹敵するかそれ以上と聞かされたときも、彼に対する敬意と些か持ち上げた評価だろうと考えていたからだ。
正直、魅入ってしまった。決して口にするコトは無いけれど。
出来るわけがない、そんな・・・・恥ずかしい。
少し前、父に訊ねた事がある。
彼は剣術どころか基本的な体さばきの心得もないと聞いた、本当だろうか。だとしたら何故彼は無事なのか。今まで様々な殺意や暴力と相対して生き残り、このマンションの因果に絡め取られないまま、居続ける事が出来るのか。
何故、何気ない日常を送ることが出来るのか。
「すべてあの魔剣の加護という事なのでしょうか」
「間違っては居ないけれど正しくもないね。彼はあの剣と相性が良いんだよ」
「相性・・・・」
「件の剣に込められた呪が持つのは、極めて高度な察知と洞察力だ。そしてそれを元にして剣の持ち主を勝利へと誘う。それがあの魔剣の存在意義だよ。
そして深山さんはそれを疑うこと無く受け容れる事が出来る。気持ちだけではなくて、経験則や自身の肉体、それこそ当人の持って居る資質全てでだ」
そこで父は何処か羨むような顔を見せたのだ。
言い方を変えれば、他者の言葉を真っ向から信じるというコトかな。
ああ、やはり意外そうな顔をするね。簡単に思えるけれどコレがなかなか難しい。誰しも自分では気づかない猜疑心だの不安だのが邪魔をして、自分自身すら信じることが出来ないのだから。
ましてや、怪しげな刀剣からの諫言だ。拒絶する方が普通だろう。
「本人は気付いて居ないようだけどね」
「必要とされてソレに応えた、という事でしょうか」
「うん、そうだね。だからこそ彼はあの剣に呼ばれたし、このマンションに気付くことも出来た。もっとも、ご当人が望んで居た結果では無かったようだけれども」
そう言って肩を竦めて見せた。
「よく身体がついてゆくものです」
「最低限の膂力は必要だけれども、筋力は絶対じゃない。剣は肚で斬る。切っ先にどう体重を乗せられるか、だよ。あとはタイミングかな。
それに緑青剣は案外強かだ。自分の持ち主を順次段階を踏まえて鍛えているはず。いま彼は、初めて剣を取った時よりも遙かに上達して居ると思うよ」
「父上はあの剣をご存じなのですか」
「緑青剣を鍛え上げたのはボクの友人だよ。刀鍛冶グフリノス、彼が心血注いだ逸品だ。もう幾つも残って居ない。或いはアレが最後の一振りかも。まさか此処で再会できるとは思わなかったけどね。
ひょっとすると、ボク自身もこのマンションとあの剣、その双方に呼ばれたのかも知れないな」
「・・・・」
苦笑する父は何処か嬉しそうだった。
ミマちゃんと簡単な会話しながら住宅地の路地をゆく。
相変わらず物静かな子だ。
あまり表情豊かな方じゃないけれど、俺の何気ない雑談やしょうもない世間話に大人びた微笑を浮かべたりしている。
お母さんに似てキレイな顔立ちだし、口数は少ないけれど落ち着いた雰囲気から小学校でも人気があるんじゃなかろうか。
今どきゴシックロリータの服は見なくなってしまったが、黒と濃い焦げ茶基調のそれは彼女の面立ちに良く似合っていた。革のローファーも含めてお母さんのコーディネートかも知れない。
最初の頃は警戒感も露わでガチガチだった。けれども今はもう同じマンションに住む隣人として、顔見知り程度には気を許してくれている・・・・みたいだ。
時折腫れ物でも触るかのように距離を取ったりもするから、一〇〇パー信頼という訳にはいかないのだけれども。
そしてちょっと思った。端からいまの俺と彼女はどう見えるんだろうかと。
歳の離れた兄妹だろうか、それとも若すぎる父と娘だろうか。
前者は兎も角、後者は勘弁して欲しい。嫁さんどころか彼女すら居ないというのに。
まぁ、小学生を拐かす不埒者などと、勘ぐられるよりは余程にマシではあるのだけれども。
まさか職質とかされないだろうな。まぁそんな時にはきっと彼女も真っ先に否定してくれるに違いない。そう期待出来るくらいの信頼関係はあると信じて居る。
その筈だ・・・・たぶん、恐らく。
やがてほどなく、マンションが見えてきた。
後は三叉路角のコンビニの前を通り、信号のある交差点を渡って四、五〇メートルも歩けばエントランス入り口に到着する。
勿論、中に入る前にバックパックから緑青剣の入ったロッドケースを取り出さなければならないけれど。
でも信号が青になったというのに、ミマちゃんが固まったまま動こうとはしないのだ。
「どうしたの。早く渡らないと赤になるよ」
「・・・・深山さん。今はマンションに帰らないで下さい。二、三時間ほど後にして」
「どうしたの、急に。あ、もしかして何か感じた、とか」
「はい・・・・でも直ぐにそう察して下さるのですね」
「そりゃあ、あんな所に住んでいれば、ね」
この子が普通じゃ無いのは薄々分かっている。でもこの距離でマンションの不穏に気付く様には驚いた。緑青剣ですら未だ沈黙していると言うのに。
そして「出来る限り離れて居て下さい」と言い残して、点滅し始めた青信号の横断歩道を駆け出して行くのだ。
「あ、ちょっと待ったミマちゃん!なんでソッチに行くんだよ」
帰るなと言ったのはキミじゃないか。何故マンションに向けて走り出す?
バックパックからロッドケースを取り出しながら彼女の後を追った。信号は完全に赤になっていたが構ってられるか。
道に飛び出し、進もうとしたクルマから怒りのクラクションが鳴った。
「追ってこないで下さい」と肩越しに叫ぶ少女の声に、幾人かの通行人が振り返っていた。




