6-8 プチ・バーベキュー会が始まってしまった
すらりとした体つきの男だった。細面だがなかなかの男前。
「ほう。あの石造りの建屋に住むお人であるか。拙僧に何の御用であろう」
「言わずともお分かりでしょう」
「ひょっとして、先ほどの打ち合いの最中、わしが飛ぼうとする度に石つぶてを飛ばしておったのはそなたかな。膝下ばかりを狙われて都度に踏み込みを誤り、結局飛べたのは此の身が燃えた後じゃった」
「どうしても火が着いて欲しかったのです。そしてあのまま燃え落ちて頂けたのなら最高だったのですが。結局最後はボクも外してしまいました」
「この乞食坊主はコレこの通り。文字通り焼け落ちて身も衣もボロボロじゃ。これ以上どうするとおっしゃる」
「灰の奥の種火を見落として、大火事にする訳にはいきませんので」
細面の男前はニコリと笑みを浮かべたまま、するりと歩を進めた。何の気兼ねも感じない、ごく自然な歩みだった。
「願わくばこの呪の出口を教えてはもらえぬかのう。さすればこの朽ちかけた老人は早々に退散しよう。あの建屋には二度と近付かぬ。御仏の御前で誓おうではないか」
「その守るつもりもない口約束、幾度繰り返しましたか」
老僧の姿が消えたのは一瞬後。
だが次の瞬間には足首を掴まれ、地面に叩き付けられる臓物の無い老人があった。
「ぎゃっ」と鳴いた悲鳴は一声。
だが怯んだのは刹那。老僧は錫杖に振う。
自らの足に。
打ち当たると同時に骨が砕ける音が響く。皮と骨に見える腕から放たれたとは思えぬ程の剛撃。
骨片と乾燥した皮膚の破片が夕闇の虚空に舞う。
そのまま力任せに叩き折り、己の膝下を切り離すのだ。
「な!」
驚愕と焦燥を刻んだ声が響く。
何という判断。
何という遁走への執念。
切断と同時に咄嗟に転がって男と距離を取った。
そのまま尋常成らざる脚力にバネを溜め、片足になった骸骨の如き僧侶が再び地を蹴る。
「逃がさんっ」
男は叫ぶ。
握り締めていた老僧の足を渾身の力を込めてその持ち主に叩き付ければ、狙い違わず直撃。
空中でバランスを崩し跳躍は挫かれ大地へと転落、どう、と伏す。
直ぐさま駆け寄り、男の伸びた掌は老僧の首を力任せにねじ伏せるのだ。
「がっ」
息を詰らせた声が聞こえた。
小柄な身体が激しく身悶えた。
「は、放せっ!」
「放すモノですか。今のは焦りました、まさか自分の足をトカゲの尻尾よろしく切り落すなどと」
首を掴まれて宙づりになった老僧は必死に藻掻く。だが掴んだ掌は微塵も緩まない。それどころか針金をねじ切るペンチの如き容赦のなさ。
見る見るその圧力を高めていくのである。
「や、やめろぉ」
「今度は流石に首を落として逃げるという訳にはいかないでしょう。窒息死もまた在り得ませんよね。何せもうあなたは死骸なのですし」
「やめろ、やめぬか。わしは、わしはやらねば為らぬコトがある」
「藻掻くのをお止めなさい。苦しみが長引くだけです」
「この膂力、反射。ヒトではなかろう。よもや貴人の一族か」
「止めて下さい。ボクはもう、あの他者を見下して愚弄するだけの下品な方々とは縁を切ったのです。今はちょっと変わったタダの人外ですよ」
「尽きぬ命を持ちながら、な、何故……」
「尽きないものほど苦しいモノはない。あなたは身に染みているでしょうに」
「や、やらねばならぬ……わ、わしは、食って、食って、更に食って……は、腹が満ちるまで……」
もっと、もっと食い物を、集めて……
持ってゆけ。気にするな、コレはわしの畑で取れたもの。おぬしとおぬしの母者に食わせてやろうと思うてな。
父が病で逝き、更に母が病に倒れて居る。ならば助けずに居らりょうか。これは御仏より託された功徳というものよ。
お役人様。これ以上の取り立てはご容赦願いたい。村はもう干上がってございます。これ以上は無理にございます。
お殿様、いくら租税をとおっしゃられても無いモノは無いのです。空が暗くなるほどのイナゴの群れ。ご存じでしょう。お城よりも見えたと存じます。どうか何卒、お慈悲のほどを。
飢えて掘り起こす草木の根も絶え、飲む水すら事欠く有様。これで如何様に冬を越えよとおっしゃるのです。
大丈夫、誰も見て居らぬ。見て居らぬ故に大丈夫。墓を掘り起こすなど確かに天の禁忌、御仏のお怒りに触れよう。じゃがおぬしは何も心配は要らぬ。すべての罪はわしが背負う。おぬしは何も心配する事はないのじゃ。
食い物、食い物はどこじゃ。童、童はどこにいった。飢えていよう。苦しんでいよう。待って居れ、すぐにわしが持ってゆくでなぁ。
わしを誹るか。わしを責めるか。おぬしら、自分の手を見よ。過ぎ去りし日々の所業を省みよ。いまこの場に立っていると言うことは、何某か食うて居るからこそであろう。喰うモノ無くしてヒトは生きられぬ。
この干上がった村で生きて居るという事こそ、罪を犯して居るとの証左ではないか。
石をもて投ぐるか。棒をもて打つか。それは自身の罪過を誤魔化すダケの悪あがきに過ぎぬ。無いぞ、無いぞ、何も無いぞ。おぬし等には何も無い。大義も無くばその資格も無い。
ただ飢えのはけ口を求めて居るダケじゃ。わしを打ったとて何にもならぬぞ。
寒さが身に染み歯の根が合わぬ。火をおこしたくとも火種はなく、薪を集めたとて闇夜で火を焚けば居場所が知れる。水や草葉ばかりでは腹を下すばかり。
村に誰も居らぬ。家すら見えぬ。ああまたしても、イナゴやバッタに食われてしもうたか。転がるのは鉄鍋と骸骨ばかりよな。
飢える、飢える、飢える、ああ、ただただ飢える。眠る事すら叶わぬ。
童、童はどこじゃ。どこにいった。ほれ、食い物じゃ。食い物を持って来たぞ。喜べ、いくらでも食うて良いのじゃぞ。
おや、どういう事じゃ。何故に童の着物がある。何故に童の髪の毛がある。何故に、何故にこの鍋の中に、童の小指が入っておる……
ブツリ、と大きな音がして世界の全てが暗転。ドサリと自分が落ちるのが分かった。
然る後に炎の音が聞こえてきて、薪が爆ぜる音と共にボロボロと崩れ落ちる感触があった。
やがてそれも徐々に希薄になって。
もう無い。何も無い。満腹も無いが飢える事も無い。全てが失せ流れて消え去るのみ。
ああ、あの童はいま何処に居るのかのう。
何処かでわしを待って居るのかのう。
舞台の幔幕がゆっくりと降りる。もう邪魔をするものは何もない。
こうして老僧は、ようやく安らかな眠りに着けたのである。
マンションの建つ小さな丘の裾野には水田を挟んで並ぶ民家が在って、宅地はおろか農地にも駐車場にも為らない(っていうか出来ない)小さな空き地が点在していた。
もう陽が落ちてすっかり暗くなった夕闇の中、そんな場所で燃える焚き火は想像以上に目立つのだ。
「あれ、あなたは天草さん」
焚き火の傍らには見知った人物が立って居た。
「おや、お疲れ様です深山さん。大活躍でしたね」
「見てたんですか」
「当然です。わたしは投網組でしたから」
「な、なるほど。それは兎も角、あの坊さんを見ませんでしたか。恥ずかしながら見失ってしまって。いま探している最中なんです」
「それならもうご心配なく。いま焼いている最中ですから」
「は?」
「この焚き火の具がそのお坊さん、という事です」
「え、えええ!」
コレが錫杖、コレが脚絆、コレが草鞋。そう言って次々に足元に並べられたそれは、確かにどれも見覚えのあるものばかりであった。
「死者から衣類を剥ぐというのは礼を失しますが、やはり証拠品が必要かなと思いまして。お坊さんの頭蓋骨もこの辺に入ってますよ。ほらほら、コレです」
薪かと思っていたのは手足の骨で、その合間に隠れるようにして確かにヒトの頭蓋骨がソコに在った。
「ど、どうしたんです、コレ」
「勿論、わたしが始末しました。深山さんや灘さんが丸焼きにしてくれたお陰で、どうにかこうにか。聖遺物や護符付きでは、わたしは触ることが出来ませんので」
え、なんで?
小さく無い疑問が脳裏を掠めたが、まぁ、今はどうでもいい。
「でもスゴイですね。俺なんて手も足も出なかったのに」
「何をおっしゃっているんですか。防毒マスクを着けて更に片手剣という良くない条件の中で、互角以上に渡り合っていたではありませんか。胸を張って良いです」
「あ、何か、今日は妙に調子が良くて。俺の剣もやたら張り切っていて」
「使い手の実力に応じて剣もまた地力を上げていきます。それが良い相乗効果と成ったのでしょう」
「緑青剣をご存じ」
「一般論ですよ、ただの」
一般論……魔剣の一般論とか言われても、なぁ。
それに何より、人外とはいえ遺骸をこんな空き地で焚き火の具にしていいのかな。良くないよな。イカンよね。どう考えてもダメだろ、これ。
「あ、あのう、流石にヒトの死体をこんな場所で焼くってのは、どうかなと思うンですけど」
「え、でも、特にイヤな臭いもしないですよ」
そんなコトを宣う。
煙も少ないですし、ご近所迷惑には為らないでしょう。
元々ミイラだったってコトもあって、水分がとんで脂肪もカリカリになってるんでしょうね。この場所もほら、このお家の管理地なのだそうで。キチンと許可も頂きましたし問題はありませんよ。
火事だけは気を付けて下さいねと言われて、ほらバケツと水も用意したんです。
「え、えと、そーゆーコトじゃなくてですね」
「あ、そうそう。決着が着いたってコトを皆さんにお知らせしておかねばなりませんね」
言い澱んでいる内に天草さんはスマホを取り出して、マンション主要なメンバーに連絡を入れ始めた。
そして何がどういう具合に伝わったのか判らないが、「火が在るし丁度良い」などと下関さんが食材片手に現われて、どーゆー訳だか焚き火によるプチ・バーベキュー会が始まってしまったのである。




