高校時代
高校時代は、死を看取り過ぎて妙な臭いと気配から、一部の女子以外からは異様に嫌われた。会話は当然拒絶される。とは言っても大半からは好かれていた。
一番大きく変わったのは食事だ、アルバイトが解禁され、食事は只管美味かった。食べれなかった時代とは違った。しかし状況は変わり、コロナによりバイトも授業も無くなり、医療の診断を受ける度に自分の身体の異常性が判明し、余命宣告やそれ以外にも薬害、欠落、生殖器の異常、病気やメンタル面での爆弾もあった。
畳やフローリングは清潔にしないと炎症を起こす、ピルの影響で子宮が発達し圧迫している、同時に精神的に弱くなっている、心臓に対しての負荷にもなり、コロナ以上に自分の身体は壊れていた。ここでは再び教師に嫌われ、この容態で保健室に行くとコロナだから熱が無いなら教室に戻れと取り合わず、出血も腹痛も知らんと、教師は言葉によるコミュニケーションが苦手な私に対し手振りが不愉快だと捲し立て、他の教師には態度が悪いから点数を下げろと指示していた。
大学は東京都立を受けたかったが、金が無いからやめた。私立は中京大学しか受けれなかったし、ウクライナ侵攻で物価高を予想し止めた。そもそも三教科なら交通費も試験費用も節約出来る。
私は性格と身体的に反応が鈍く、ギャルと言われる存在と相性が良かった。一方で普通の女子からは嫌悪されていた。先の死の臭いがするというのは聞けば聞くほど家畜の牧草の臭いなのだが、それ以上に何かがあったというのは察せる程顔色は悪く、冷静沈着そうに見えて賢く見える・・・なんて事もあったらしい。
自分はこの頃から他人に対する影響力があった。昔は元から凄い人間が多かった影響で分かりにくかったが、それでもヤマハグレードに関して共感してくれた女子が全国トップクラスの木琴演奏者だったり、中学受験が愛知県には乏しいので模試の結果等は無かったが、小学生時代の隣の友人が全国でも数少ない飛び級で通ったり、愛知県の難関東海高校で自分の世界史知識から全教科順位一桁だったり・・・。
高校でこれが酷く数値的に出た。コロナの最中だったが、世界史の成績が学校内13位なのに対し県内順位が27位、自称進学校だった割には占領状態だったし、自分はおすすめの世界史解説や知識に文書の予想をした結果、模試の校内ハードルが上がり過ぎてしまった。
・・・しかし、問題の自分は成績が伸びない、というのも、日々劣化している身体は疲れ果て、コロナの影響も受け、コンビニのバイトが天引きで時給換算800円で一番高かった。後にその店主は脱税で見ていないが、この頃からアレルギーが悪化し、ほぼ全てのものに軽度重度問わずアレルギーが発生した。原因は免疫の向上とそれによる過剰反応である。
喫茶店バイトはこれ以降飲料の管理を増やして続けさせてくれたのが高校時代一番の思い出だ。
そして、コロナの影響で更に死人が出た。正直、数えていない。数えるのは億劫だし、怖い。
自分は周囲とは違って幾ら努力しても足りない人間だ。何度続けても追い付かれるから一日二十時間も費やした。
・・・そして、ここで祖父祖母の介護が追加された。祖父自体は介護しなくて良いどころか林業で普通に稼ぐものの、祖母はもう助からないどころか指定難病を複数抱えている上に細身ではなく無駄に肥え太り、70kgの脂肪の塊、食事が増えて太った自分と同じ位だ。しかも怪我している為介護も難しい。病院では這って深夜に脱走し入院を渋られている。
自分はどんどん追い抜かれていた。
高校は朝から夜まで、補習は夏休み中ほぼ全部、その結果金がどんどん無くなる。食費は厳しかった。
一日一教科三時間の勉強を推奨していて、それ以上に頑張った結果自分は壊れてしまった。
その結果、中学時代以来の不登校解消である。コロナの時は電気代も食費も節約出来た。私が親に捨てられた身だと知ると、何かしら余分にくれるが・・・まぁ、不登校だった人が言っただけだ。自分は嫌われた経験から語った事がないし、この形でしか手放せない。
正直、バレた時は嫌だった。
この時に、始めて親という存在を知った。
だが、人間不信になってどう縋るべきか等分からない。
ただ、自分の過去など殺人鬼の過去も同然な位に汚れたものである。だから、話せない。
今でも大学の友人に言った事もない、十年以上の友人しか知らない事だ。話しても不快だろうし、苦痛だろう。
だから結局話せなかった。
結局信じれなかった。
自分は、この時はこれ以上不幸になる事は無いと高を括って、瀬奈の事を忘れないだろうと思っていた。
結果的に、瀬奈が死んでないと幻覚を見続けた。毎日、朝と夜の一時間は瀬奈の墓の前で勉強していた。近所の人間が怖いからと墓を壊した事もあった。もう墓は無い。だが、骨は多分残った。