幼少期
先ず、私の生まれは詳細が分からない。
恐らく托卵なので父は誰か分からない。
少なくとも言えるのは、自分に聴覚障害と知的障害を与えたというのは事実である。
私は、先天性の聴覚障害はあるが、知的障害や色盲は後付けで、脳の損傷に由来する。
具体的に言うと最も乖離していた幼稚園時代は平均の半分、漢字を覚える数も少なく、識字障害という概念も無かった。今でも自分は海外の本はかなり読みにくく、漢字を記号化出来る日本語でなければ読めないし、平仮名の部分を読むと目が処理を拒む。ぼやけてくすむ。乱視の視界にアルコールを加えた感じだ。
今は経験則でそれを慣らした。
赤ん坊の時代は産後うつで父親は逃げた、暴力は当然、金銭を最低以下しか渡さずしかもその状態から金を盗み取っていたらしい。医者は寝返りが打てない年齢でベッドからの落下を起こすのは怪しいと言っていたが、どうせ児相も警察も死ななければ保護しないからと触れなかった。
家庭環境は最悪で、日頃から暴力は当然だったが、女子である必要性や拘りを強制され、音楽も聴覚障害の中強制され、指が今でも短いが当時は無理に伸ばされ、曲げられ折られ成長する事が無かった。今でも正しく動かない事が多い。
母親が一番多く言うのは「逃げるな!」とか「避けるな!」だった。殴られる場合当たりに行かなければ皿や棚、道具を壊し暴力を受ける。
眼球は傷だらけだ、何度も拭いた、ハンカチは持っていない、血で汚れたら汚いから捨てろと蹴られて捨てるのは自分だった。
児相は確認せずに、保護も無く返した。信用出来ない。なんだったのかも分からない。ここで心は折れて逆らう気力も無くした。そして生きる希望を持つことなく無くした。
正直、脳の破損と心理的負担により記憶は曖昧だった。運動も苦手で、勉強もそうだが絵というか線も書けなかった。人が嫌いだった、人が怖かった。暴力を振るう人間と無視する人間しかいないのだ。
夜逃げ出したら、母親は自分を捕まえて泣きながら足を石で叩き折った。休み期間中は、ずっと立てなかった。這うしか出来ないのに熱湯を掛けられた。
熱心に傷を隠し、傷付ける為だけに治す。
歪んだ母親と暮らす日々であった。
薬を飲まされた、何の薬かは後で気付いた。
ピルだ、吐き気が常にするのもこれが理由だった。ホルモン剤としても使える、女でないから、女にしてやろうと。
身体は限界に来ていた、幼少期なのに生理が起きた。芸能人が同じ事をして耐えかねて自殺をした程の薬を飲まされ続けた。
アレルギーを信じない母だったが、ご飯とは言わず、餌を多少しか出さず、幸運な事にアレルギーの食品を多少食べるだけで良かった。しかし気道が腫れ上がり鼾が出てしまうので、寝る事は出来ず、眠い時は外で寝て、時計も無いから体で覚え、忘れて寝てしまった時は一日中外で放置された。
近所は、母に何らかの感情移入をして無視していた。だから信じる事は出来なかった。
しかし家の庭にあるベンチだけは、自分の心の拠り所。
そして、そのベンチは近所の子供が侵入して破壊し、寝る時は壁にもたれ座る様に寝たのであった。
幼稚園時代は酷くはなかったが物はよく奪われ、補聴器は頻繁に盗まれた。耳が聞こえなければバランス感覚も厳しく、真っ直ぐに走るのは難しい、盗んで、騙され、ガラスを割ったという冤罪も、給食を多く食べたという冤罪も、道具を盗んだという冤罪も。
居場所は無かった。
苦しくはなかった。
それが当然だった。だから今は殺意で生きている。不幸だった、周囲が精一杯苦しめようとした、その苦しめ方が阻害しあってやっと生きる事が出来た。
自分の幸運は、数個を除けばそれ以外は不幸の軽減でしかないらしい。
以上が5歳までの出来事である。覚えていない事も多い、良い記憶もないせいで覚えるという事を体が拒否していた。
分からない、覚えれない。
記憶と正気の二つから、自分は正気を選んだ。
不幸しかなかった当時に、自分は幸運を見出す事なく心を追い詰めた。
仲の良い友人もいたが、思い出せない。
彼は才能に満ちた人物だ、母親が私を捨てて彼を手にしようと毎日邪魔していた。嫉妬は無かった。寧ろ早く自分を捨てて欲しかった。
工場ばかりの自分の家には小さな草と石しかない。自然は無いし、コンクリートの川辺が一番整っている。
自分は他の親にとっては従順で可愛らしい子供だった。口数は増やせる程語彙が無く、助けを請う言葉も知らなかった。
親の評価だけが上がり続け、成績が平均の半分というレッテルだけが残った。親は頑張ったが先生は頑張らなかったとされ、その結果は当然だが、暴力として返ってきた。
全員、コンプレックスがあった。
全員、納得出来る理由があった。
だが、それはそれとして自分は殺意と憎悪を向け続ける。
自分にはコンプレックスというものは理解出来ても、コンプレックスになるものも与えられていない。
いつか殺すと胸に抱えて、どうせすぐに燃え尽きる命と知って、弾丸の様に止まる理由も無かった。