その2 SERIKA
その2 SERIKA
鉛色・・・
薄汚れたガラス窓の向こう。立ち込める雲の色は、どんよりと鈍かった。そこから僅かに覗く空さえも、同じような色合いだ。
そっと外をさえぎる薄汚れたガラスに白い手を翳す。
分かっていたことだけれど。
僅かに開いた唇から、ため息が漏れる。
黙々と歩く護衛官達の黒い服。
すれ違う人達の顔も、どこか疲れているように見える。
これが地球・・・
人類発祥の地。
でももう、この星は、何を生み出す力も無く、ただ暗然として廃墟のように放置されているように見える。墓場みたいに。
キュルル
そのため息を聞き取ったかのように、肩に乗っているモノが鳴いた。
「ラウ・・大丈夫。大したことじゃないの」
そっと手を伸ばして、それを撫でる。手のひらに乗るほどの、真っ白な長い毛に覆われた動物。ふさふさの尻尾が、自身の身長より長く揺れている。
そうやって、言い聞かせているのは自分自身に。
分かっていたことなのに。
初めて見た地球は・・・星の生命が感じられない。
唇をかんで、眼を上げる。周りを取り囲んでいるのは黒服の集団。無表情な人々の波にあっても一際目立つ。不穏な空気を感じるためか、人々の波はここを綺麗に避けていた。それもそうだろう。彼らはプロの集団なのだから。“護衛”という名の。
檻みたい。
黒い檻。
そう考えて、自嘲がもれる。
変わらない。結局私は、どこにいても。
“護衛官”の一人が、ふと真っ黒なグラス越しにラウを一瞥する。
その視線からかばうように体の角度をずらし、睨みつける。コロニーからの護衛には、未だに慣れることが出来ない。どこに居ても同じ。結局は檻の中。
“先日の地球連邦政府会議により、地球の第一,二,四,六地域は、第三次汚染地区の指定を受けました。それと同時に、コロニーへの移住を推奨する連邦政府が、宇宙軍旗艦アルスコピオを筆頭に3隻の大型軍船を地球の第三スペースポートに向けて発進するとの意向を明らかにし、当面の生活物資と輸送手段を提供する方針です”
黒ずくめの護衛官の頭越しに、薄汚れた旧式のスクリーンがある。ニュースキャスターの事務的な表情が映し出されている。声もまた機械的だった。
画面が切り替わり、軍艦が映る。
星くずの宙を巨大な黒い影が移動している。
“また、これと同時に地球連邦政府は本格的に本拠地をコロニーに移すことを検討し、本年度中に建設計画が本格化する予定です”
その先を聞きたくなくて、セリカは先を進みだす。
地球は、もうこれで終わるのか。
微妙に保たれていたコロニーと地球の関係が、これで崩れた。コロニーが、いよいよ地球に支配にまた一歩踏み込んできたことになる。とっくの昔に、資金でも勢力でもどちらが優勢かなんて分かりすぎていた勝負だけど。
コロニーは、元々金持ちが作り出した支配圏だ。年々コロニーに移動する人々は増え、発言権は高まっている。
けれど、ついに・・・
じわり、と広がった苦い思いに、セリカは何とかため息を押し殺した。
第三次汚染地区に指定された所は、ゆっくりと人の住めない所になるだろう。無人の機械だけが動いている、巨大な工場が出来ていくさまが思い浮かぶ。汚染地区に指定されれば、環境のためにされていた規制がなくなる。今までも散々汚染してきた地球の現状を、更に加速させることになる。それが進んで、もしも第一次汚染地区が指定されれば、生物の死滅を意味する地域になる。
その昔、地球の汚染はそのまま人類の滅亡と直結していった為に、世界的な流れが地球環境を悪化させないように法を整えていっていた。高い税率や法的な規制でだ。
ところが、宇宙に浮かぶ都市、コロニーが出来て流れが変わる。
人々は廃れて力を失った地球を捨て、財力のあるものからコロニーへ、月へと移住をしていった。そして、捨てられていった地球は、温暖化のために海水が上昇し、埋め立ての人工島が相次いで建設され、鉛に覆われた機械だらけのフルマシン・タウンと生物の育たない砂漠と僅かな土地だけが残った。
今や地球ではその僅かな土地にコロニーを作った技術を持ち出してドームを作り、辛うじて地を這うように生活している。地球で工場を持つ大富豪は、大抵コロニーや月に移住をしているから、もはや地球がどうなろうと知ったことではない。
コロニー政府は、それまでの法を根幹から覆す汚染地区という法を作りだし、地球連邦政府にこれを認めるよう要請していた。それに対して地球の政府側が条件を一部認めたことになる。
1度認めれば、後はなし崩しになることくらい目に見えている。
もうこの流れに逆らうことなんて出来ないだろう。
・・・もっとも、私には関係無いけれど。
「トエラ博士?」
護衛官と同じ黒いスーツ、サングラスの男がそう促した。
ちらりと目を上げて、口元を引き締める。
相手の薄い唇が、僅かに笑んでいる気がする。薄く、冷たく。
「ええ」
分かっているわ。
今更怖気づいてなんていない。
息を吸って、再び歩き出そうとした。
キュゥ
ラウが急に弾むようにするりと手から抜ける。
「ラウっ?」
白い、毛玉のように丸いモノは、護衛官達の足元を潜り抜け、飛び跳ねながら人ごみの中を走る。
「ラウ・・待ってっ」
右へ左へ人波を縫って、ラウは走る。
「きゃぁっ」
「うわっ」
人ごみを逆走する形になって、駆け抜けた左右前後から大小の悲鳴や声が上がっている。でも、こんな所で逸れたら。見つけられないかもしれない。
「ラウっ どこに行くの?ラウっ」
手を伸ばしても、後少しのところで逃げられる。延々に続いた追いかけっこに、息が切れてきたとき、ようやく前を行く白い毬は動きを止めた。
キュウ
きょろきょろと周りを見て、困ったように、こちらを振り返る。
何かを探していたのに、分からなくなったといった様子だ。
弾んだ息をなだめて、手を伸べようとしたとき、別の手が伸びてラウをひょいっと掬い上げた。
「あ・・」
「君のククット?」
頭1つ以上高いところから、首を傾げるように青年が立って、ラウを差し出していた。ばたばたとラウが短い手足を動かして、もがいている。
両手でそっと受け取ると、ラウは嬉々として肩や頭を走り回り、最終的に元いた肩に留まって、軽く喉を鳴らした。ほっと息を漏らして、撫でると、キュウと小さく鳴いた。謝るように。
「よく慣れているようだね」
「ありがとうございました」
慌てて頭を下げる。
いや、大したことしてないから。
そう言う青年の声を、頭の上で聞く。
「時に、君、セリカさんじゃないかな?セリカ・トエラさん」
視界の端に移った相手の黒い靴が、うっすらと埃を被っていることに気をとられていたセリカは、え?と顔を上げる。スタンドカラーの黒いスーツジャケットに身を包んだ青年は、にこやかに笑う。
「セリカ・トエラさんでしょ。いやぁ映像で見るより可愛いねぇ。どうもよろしく。僕、<キングダム>から迎えに来た者です」
こちらが頷く間もない。青年は笑顔のまま手をとった。
見上げた青年は、肩を越すくらいの長髪を後ろで一まとめにし、通った鼻筋にシャープな顎を持っていた。目は、淡い空色に、丸メガネ。
彼は、トリヨ・スフェルツと名乗った。