その1 始まりの雨と密談
その1 始まりの雨と密談
「ほう、そっちは雨、ですかな?」
薄闇の向こうでほの暗い灯りに水滴がはじける。
一面ガラス張りになっている部屋の向こう側は、どんよりと闇色の雲が空を覆っている。ドームの内側とはいえ、雨の色もくすんだグレイの色。
その光景を振り返りもせずに、ああ、と彼は頷いた。
「ええ、まあ。1週間に一度、夜に雨を降らすのですよ。空気浄化の目的も含めて」
「なるほど」
画面の向こうの人影は納得したように頷いた。
もともと、そんなことには何の関心も払っていないのだろうが。男はさらに画面の向こうから声をかけた。
「ところで、例の件は?」
まだ若い、張りのある声。
多分、自分よりもずっと若いのかもしれない、青年。
気楽な空気も手伝ってか、軽く肩をすくめる。
「了解しましたよ」
気が抜けたように笑った。全ての電気は落ちており、今目の前に見えるのは画面の中の男の姿のみが浮かび上がっている。男の、シルエットのみが。この男の顔を、一度も見たことがなかった。顔を明らかにしない男。
しかし、不審を抱き探るには危険過ぎる男だ。
おどけて手を広げて見せる。
「実に信じられないことに、頷きましたよ。彼は。どんな交換条件を提示したんです?今まで我々があらゆる手を使っても頷かなかった彼が。・・・いや、詮索するつもりは無いのですがね。あなた方の協力者として、我々も彼に対しては手を焼かされておりますから」
「ツヴァイク・ライドーン殿。もちろん、あなたの政治的手腕を疑ったことなどありませんよ。我々としても、これほど安易に事が運ぶとはいささか意外だったことは確かですからね。ですが、残念ながらこれは二度と使える手ではありません。だからこそ、効果が出たのかもしれません」
「なるほど」
皮肉げに彼は唇を引き上げる。
「では、それから先の交渉はこれまで通り困難なことには変わらないと」
「だからこそ、あなた方の手が必要になるのでしょう。・・・これまでと同じく」
多少浮かれていた気持ちに冷水がさされた。冷やりとした気持ちで、画面を見る。
だからこそ、用無しと片付けられることなくまだ手を組む局面にある、とそうこの男は思っているわけだ。
油断をしていると、足元をさらわれる。
だが、ここでこいつらに恩を売ることができれば、コロニーだろうが月だろうが、思いのままの暮らしができるというわけだ。
踏み込み過ぎは禁物。
彼は感情を押し隠し、鷹揚に頷いた。
「次の会議で決定となるでしょう。必ず」
影の男は、光の中で頷いたようだった。
「人類は我々の手で、救われなければなりません」
画面の向こう。影は空々しく呟いた。
「ふうん・・・来たんだ」
小さな呟きに、相手は顔を上げた。
身長はわずかに目線が下。ひょろひょろした体つきの癖に、背ばっかり伸びてきた。もうすぐ追い越されるだろう。何しろ相手は成長期。
「出迎え、俺に頼んだんじゃなかった?」
濃いサングラスの下で、目が真っ直ぐにこちらを射抜く。
「その格好・・抜け出してきたんじゃないだろうな」
一般人とは言いがたい雰囲気をかもし出しているのは、ひとえにヤツの服装が悪い。着替える暇もなかったらしい。否、珍しく失念していたのか。
そんなことすらも。
「いや・・・」
案の定、改めて気がついたようにヤツは自分の格好を見下ろす。
失敗した、とばかり吐息をついて、鬱陶しそうにサングラスを外した。現れた鮮やかな目が、鋭く射抜いてくる。
「彼女は?」
「まだ・・・シップは着いているよ。しばらくすればゲートから出てくる」
わずかに頷いて、ヤツは歩を進める。
「あのさ、会うわけ?」
その格好で?
言外に込められた意味を正確に読み取って・・・それ以外もろもろも。
「問題でも?」
「大有りだね。最初っから話し合ったろうが」
斬り付けるように鋭い視線。俺に睨まれてもなぁ、と嘆息したくなる。このまま会って・・それはそれで面白いかもしれないけど。
「まだ早い」
すうっとやつの目が俯いた。
「・・・・・分かっている・・会わない。ただ、一目だけ」
「ここまできて何を弱気な。俺が連れて行くって言っているでしょ~?」
「分かっている」
再び歩き出したヤツの背中を追いながら、結局分かってないよなぁと彼は苦笑した。