椿( ゑ )
バリバリ、という音で、目が覚めた。駐車場の車が、雪の中を走り始める音だ。
雪かきの音も、あちこちから聞こえてくる。
私はぼーっと横になって、その音を聞く。
だけど急にハッとして飛び起きて、パジャマを脱いでパーカーに着替える。コートを着て、マフラーと手袋をして、部屋を出る。
雪は止んでいて、空は晴れていた。
「あらミルちゃん、おはよう」
ユキさんが、階段のところを雪かきしていた。今日はあったかそうなコートを着て、いつものストールは首にぐるぐる巻きにしている。
「おはようございます。あの、私も……」
私がそう言うと、ユキさんは優しく言う。
「いいのよ。ミルちゃんはおみまいでつかれてるんだから」
「でも……」
「本当に大丈夫。もうちょっとで終わるところなの。でも、ありがとうね」
「ええと……」
「明日もおみまいなんでしょう? 今日くらいは、ゆっくり休んで」
「はい……」
そう言われて、私は部屋にもどる。そしてまた、布団に入る。
◇
「ごめんねえ、あんまりしょっちゅう来れなくて」
おばさんは、明るい声で言う。私は首を振る。
「どう? みっちゃんは、元気? カゼとかひいてなぁい?」
「はい」
私は答える。おばさんは、にこにこして言う。
「そう。よかった。本当にごめんねえ。哲男もまだ小さいから、うちに一人にしておけなくって。ああ今日は大丈夫よ、日曜だから、ダンナが見ててくれてるわ」
「……そうですか」
「本当は、もーちょっとダンナが頼りになればいいんだけどね。いっつも、忙しい、忙しいばっかり言って……あらごめんねえ。話が長くなって。じゃあ行きましょうか。カバン持つわね」
私は大丈夫ですと言って、カバンを持ち上げる。そして、エアコンと部屋の電気を消して、きちんと消えているのを確認して、おばさんといっしょに、アパートの部屋を出る。
◇
「この辺はまだ、ずいぶん雪が残ってるのね」
車を運転しながら、おばさんが言う。
「うちの方もおとといは降ったけど、もうほとんどとけちゃったから。うちからそう遠くないはずなのに、ずいぶん違うのね」
「そうなんですね」
私は答える。
「ああ心配しないでね。タイヤはちゃあんと、スタッドレスをはかせてるから。こっちはそこまで積もることもないんだけど、備えておけば、いざというとき安心だものね」
「そうなんですね」
私は答える。
「……みっちゃん、ごはんはどうしてるの? やっぱり、コンビニとかで済ますことが多いの?」
「ええと、コンビニではあんまり、買わないです」
「そう。じゃあ、自分で作ってるの?」
「……まあ、そんな感じです」
「えらーい。しっかりしてるのね。千里とは大違い。あの子ったら、みっちゃんに苦労ばっかりかけて。中2の冬なんて、大事な時期なのに。みっちゃん、もう進路は決めてるの?」
「……まだ、考えてなくて…………」
「まあ、そうよね。いろいろ大変だものね。ほんとに、千里にはさっさと元気になってもらわないと、困っちゃうわね」
「…………」
「だぁーいじょうぶよ。あの子、昔からがんじょうなんだから。みっちゃんも、あんまり深刻に考えないで、一人暮らしをおうかしてると思って、気楽にやりなさいね。お料理だってそんなにがんばらなくても、一人なら何食べたって自由なんだから」
「はい……」
道が、暗くなる。いつもの、バス停ひとつぶんだけ歩いている坂だ。
いつも私がのろのろ上っている坂を、車はすいすい進む。車の中はうんとあったかくて、頭がぼうっとしてくる。
「ここなんか特に、雪が多いわね」
雪かきの雪を見て、おばさんは言った。
「この調子じゃ、まだまだ春は遠いわね。東京の方じゃもう、春一番が吹いたっていうのに」
「春一番……」
「そ。春一番が吹くと、一気に春が来たって感じがするじゃない?」
そうなんですね。私は答えた。
◇
「まあ、いちだんとやせちゃってー」
お母さんを見ると、おばさんは最初にそう言った。
「手首もまあ、注射のあとばっか! かわいそうにー」
おばさんが言うと、お母さんは、パジャマのそでを手首まで伸ばした。それからおばさんにパイプいすをすすめると、私に言った。
「みっちゃん、談話室から、みっちゃんのぶんのいす、持ってきなさい。それから……」
そう言って、お母さんはポケットに手を入れると、私の方に手を伸ばす。
「これで、千代おばちゃんに飲み物買ってきてあげて」
お母さんの手には、500円玉がにぎってあった。私はそれを受け取って、病室を出る。
◇
自販機の前で、しばらく考えてから、500円玉を入れる。すると、カランと音がして、500円玉は返却口に落ちる。
それを拾って、また自販機に入れる。すると、さっきと同じで、500円玉は落ちてくる。
3回目で気がついて、新500円硬貨は使えませんの文字を見る。
500円玉をポケットにしまって、私はサイフを出す。
またしばらく考えてから、私は小銭を入れた。
お茶とパイプいすを持って病室に入ろうとすると、おばさんの声がした。
「――それで、霜冴さんは、まるっきり連絡なし?」
私は体を引っこめて、話が終わるのを待った。
◇
部屋に帰るころには、もう暗くなっていた。あったかい車をおりて部屋に入ると、部屋はいつもより寒く感じた。私は、エアコンを18度にして入れる。
「荷物、ここ置くわね」
おばさんはそう言って、洗たく物の入った袋を、玄関に置く。そして、くつを脱ぐと言う。
「そうそう。みっちゃんに、渡すものがあったんだった」
私は顔を上げる。おばさんと思い切り目が合って、少しだけ、目をそらす。おばさんは、小さな紙袋を持っていた。
「はい、どーぞ。1日過ぎちゃったけど。友チョコならぬ、おばさんチョコね」
そう言って、おばさんは小さな紙袋を差し出す。見たことない、高そうな紙袋。
「ああいいのよ。お返しなんて、気を遣わなくて。みっちゃん今、いろいろ忙しいんだから。どうせダンナと息子のついでに買ったんだもの。あらついでなんて言っちゃダメね。でも本当に、気を遣わないでね」
「……すみません。ありがとうございます」
私は紙袋を受け取る。
「どーいたしまして。それにしても、つかれたでしょう。おばさん、ご飯作ってってあげる」
「え……いえっ、大丈夫です」
「いーのよ遠慮しないで。おばさん、冷蔵庫の残り物でご飯作るの得意なの。ほら、毎日料理してると、野菜の切れはしだったり、食べきれなくて残したのだったり、なにかと持て余すでしょう。おばさんいつも、そういうのうまいことまとめて、もう一品作ってるの。やっぱりそういうの、捨てるにはもったいないじゃない? だから遠慮しないで、今日はおばさんに任せて……」
おばさんは話しながら手を洗って、冷蔵庫に手を伸ばす。そして、止める間もなく、とびらを開ける。
「…………」
おばさんは、めんつゆとマーガリンだけの冷蔵庫を見て、しばらく固まる。それからパタンと、とびらを閉める。
「ねえ、みっちゃん……」
「あ、あのっ」
おばさんは言いかけて、私は口を開く。
「その…………私も、私も残り物でご飯作るの得意なんです」
私は明るい声を出す。
「昨日、ちょうど使い切っちゃって、それで……それで、今日買い物に行こうと思ってたところだったんです」
おばさんは、真顔で少し黙る。それから口を開く。
「なぁんだー! もう、だったら言ってくれたらよかったのにー。せっかく車だったんだから、お店ならいくらでも寄ったのにー!」
おばさんがいつもの調子にもどったので、私はホッとして言う。
「すみません。すっかり忘れてました」
「そ。じゃ、今からでも行く?」
おばさんは言って、私は首を振る。
「ええと、大丈夫です。その……まだ買う物を決めてなくって。レシピ考えてから、買う物を決めたいので」
「そーお。しっかりしてるのね。さすが中学生ね。でもそれだけしっかりしてたら、おばさん出る幕ないわね。そしたらおばさん、今日はもう帰ろうかしら。大丈夫? 他に何か、おばさんにできることなぁい?」
「大丈夫です」
「そう。それじゃあおばさん、もう失礼するわね」
おばさんは、そう言ってカバンを肩にかける。それから言う。
「……本当に大丈夫? 他に何か、困ってることはない?」
「……大丈夫です」
「そう。身近にだれか、頼れる大人の人はいる?」
おばさんは言って、私は顔を上げる。
「ほら、学校の先生とか、近所の人とか」
おばさんはつけ足す。それで、私は答える。
「お隣のお姉さんが、気にしてくれていて……」
「そーお! それはよかったわあ。いい人がお隣さんで、助かったわねえ」
「はい……」
「それじゃあ、また連絡するわね。千里によろしくね」
おばさんはそう言って、帰っていった。ドアが閉まって、コンコンコンと階段をかけ下りる音が止むと、私はカギを閉める。それから、エアコンの温度を元にもどす。それだけすると、へなへなとしゃがみこむ。
私は、チョコの紙袋を見る。そして、中身を取り出す。高そうな包み紙の、小さなチョコの箱。
しばらくそれをぼんやりと見てから、スマホを出す。箱に書いてある商品名を、スマホに打つ。
出てきた値段を見て、箱を、おもくそ投げそうになる。
けど、結局投げれなくて、手を下ろした。
◇
気がつくと、うんと時間が経っていた。おなかもうんと空いていた。でも、体はすごく、重かった。
私は、チョコレートの箱を見て、それを冷蔵庫にしまって、もう一度冷蔵庫を見て、冷凍庫を見る。冷凍庫も、もう空だ。
私は、スマホの時計を見る。エアコンと電気を消して、部屋を出る。
◇
お米売り場の前で、立ち止まる。そして、値札を見る。
さっきの、チョコの値段を思い出す。頭が、クラクラしてくる。
逃げるみたいに、売り場を離れる。それからゆっくりと、お総菜売り場に向かう。
お惣菜売り場は、人が多い。私は商品を見ながら、売り場をゆっくり歩く。今日は、唐揚げがたくさんある。
私はスマホの時計を見る。そして、周りを見回す。なんとなく、周りもそんな人が多い。理由はきっと、同じだ。待っている人がいる。
でも、中々、みんなの待っている人は来ない。
すると、見覚えのある赤色が目についた。でも、待っていた人じゃない。
ユキさんだった。ストールを首に巻いて、昨日と同じコートを着ている。
私はあわてて、売り場をはなれようとする。だけどそのとき、ちょうど店員さんが、値引きシールを持ってやってきた。待っていた人だ。
私は挙動不審みたいに、来たところをもどろうと、振り返る。
すると、いつの間にか、目の前にユキさんがいた。
「あれっ、ミルちゃん」
「あ……」
「お買い物? こんな遅くに」
「あ、こんばんは……じゃなくてえと、今日は、おみまいだったので……」
「ああそっか、おばさんと行くって言ってたもんね。おみまい、どうだった?」
「えっと、まあ、変わらずです……」
私はチラりと、売り場を見る。店員さんは、まずお弁当の方にシールをはりはじめた。
「ああ、ごめんね。お買い物中なのに。ミルちゃんも、お惣菜見にきたところ?」
「は、はい。今日はもう、つかれたのでお惣菜にしようと思って……」
「そっか、私もいっしょ。私も今日一日用事で動いてたから、つかれちゃって」
「そう、なんですね……」
私はユキさんの方を見た。すると、ユキさんも、こっちを見た。
少しだけ、考える。でも多分、ユキさんは、割引のお惣菜なんか買わない。
「ああごめんね、じゃましちゃって。私、先にパンとか見てこようかな。今日はここで――」
「ああいいですもう、これだけ買って帰ろうと思ったので」
私はそう言って、手を伸ばす。値札をチラッと見て、いちばん安そうなイカフライを、手に取ろうとする。
するとユキさんは、待ってと言って、私の手を止める。
「ミルちゃん、この時間の買い物、はじめて?」
「え、ええと……」
「見て、あの店員さん。この時間ね、売れ残ったお弁当やお惣菜に、店員さんが値引きシールをはって回ってるの」
「へ、へえ……そうなんですね」
私は、初めて聞いたみたいに答える。
「今はまだお弁当売り場にいるけど、もうすぐこっちに来るはずよ。ミルちゃん、ちょっとだけ待てる?」
「は、はい……」
「揚げ物なんか絶対、今日中に売り切っちゃわなきゃいけないから、きっとはりにくるわ。ほら」
ユキさんは店員さんの方を見る。店員さんは、少しだけこっちに近づいて、サラダとかの売り場でシールをはり出した。
待っていた人たちは、お弁当の方を見出したり、店員さんについていくように、サラダや他のものを取っていく。
そして、だんだん、店員さんはこっちに来て、私達は体をどけて、でも他の人に取られちゃわないように店員さんにぴったりついて、店員さんが揚げ物にシールをはるのを見守った。
店員さんがイカフライのパックにシールをはると、ユキさんが小声で言った。
「ほら、3割引だって。よかったね」
そして、取っていいんだよ、という感じでパックの方を手で指す。
だけど、私はそっちよりも、唐揚げを見ていた。唐揚げは、半額シールだった。
「わ、唐揚げなんか半額だ。私、今日は唐揚げにしようかな」
ユキさんはそう言って、唐揚げのパックを手に取った。それを見て、私は言う。
「わ、私、も、やっぱり唐揚げにしようかな」
胸がいっぱいになりそうになるのを、こらえるのでいっぱいだった。
「いいね。唐揚げおいしいもんね。ほら、早く取らないと、取られちゃうよ」
ユキさんはそう言って、私はあわてて手を伸ばす。
やわらかいパックをそうっと持ち上げると、おいしそうなにおいがした。
「引き止めちゃって、ごめんね。ミルちゃんはまだ、他に買うものある?」
「えっと、冷凍のを、少しだけ……」
「じゃあさ、お会計したら、出口で待ち合わせて、いっしょに帰ろう。もうずいぶん、遅くなっちゃったから」
「は、はい……」
「私もパンとか見ていくから、ゆっくりでいいよ」
私はうなずいて、冷凍コーナーに向かう。
そして、冷凍うどんを取って、レジの方へ歩いて行く。すると、さっきお惣菜売り場で待っていた人たちも、みんなレジに向かうところだった。
みんな、割引のお惣菜を持っている。なんとなくみんな、嬉しそうな顔だ。
私も、みんなに混じって、レジに並ぶ。
多分私も、同じ顔をしていた。
次回は、3月13日(金)18時頃の更新予定です。




