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断罪予定の私ですが、予定は未定だったようです。  作者: 夏嶋咲衣
2.オセロ

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32.

 



 深呼吸をしたホノカは意を決したように足を踏み出すと、ゆっくりとした歩みで騎士たちによって拘束されるシンヤの元へと向かった。




 ホノカがぴたりとシンヤの目の前で足を止めると、シンヤは緩慢な動きで顔を持ち上げた。

 その暗く淀んだ瞳がホノカをじっと見つめ返す。



「っ……」



 どくんと心臓が大きく跳ねたかと思うと、鼓動はどんどん早くなっていく。

 体中から汗が吹き出すんじゃないかと思うような、嫌な緊張感すら覚える。





 これは紛れもない恐怖。


 何年もの間自分を虐げ支配してきた兄という存在と対面して、ホノカは思わずその場から逃げ出してしまいたくなるほどの恐怖が全身に湧き上がってくるのを感じる。





 ホノカはずっと昔からシンヤの瞳が苦手だった。


 罵倒する時も、暴力を振るう時も、シンヤの瞳はいつも同じような暗い瞳をしていた。


 その瞳からは感情を読み取ることが非常に困難だったのだ。



 ただ怒りをぶつけられているのなら、ホノカを虐げることを楽しんでいるだけならいっその事分かりやすかった。




 だけどシンヤにはそれがない。

 シンヤの瞳はただ暗い闇の底を覗き込んでいるかのようで、ホノカへの感情が読み取れなかった。



 だからこそ、なぜ兄が自分へと辛く当たるのかがわからなかった。

 それがなによりも苦しかったのだ。







「兄様」



 ホノカは小さく呟いた。


 その声は掠れてはいるがしっかりとシンヤの耳にも届いたようで、微動だにしなかった体が僅かに揺れる。

 やがて、その暗い瞳にじりじりとした怒りの感情が滲み始めた。



「なんのつもりだ」


「え?」


「俺を笑いに来たのか。無様な姿で地面に這い蹲る俺を……!」


「そんなつもりでは……!」




 言いかけてはたと口を噤んだ。


 シンヤの言うように嘲笑いに来たわけでは当然ない。

 だったら何のためにホノカはここにいるのか。



 シンヤと話をするため?

 今更なんの話をしようというの?



 わずかだがホノカは希望を持ってしまっていたのかもしれない。

 もしかしたら兄がホノカに会いに来たのは、なんらかの心変わりがあったからなのだと。



 だけどそんなことはないのだと突きつけられた。

 今の兄の瞳に浮かぶのは、紛れもないホノカへの憎しみであり、怒りなのだから。




(仲直りをしたいわけではないと思ってた。だけど、少しずつ昔みたいな関係に戻れたらいいって心の底では思っていたのかも)



 我ながら随分と甘い考えをもっていたものだ。

 ホノカは心の中で自嘲気味に笑う。



 シンヤはあの頃となにも変わっていないのだろう。

 ならば二人が分かり合える日など、きっとこの先やってこない。



 それでも、ホノカはシンヤに出来ることなら生きていてほしいと願ってしまう。






「兄様、今すぐ治療を受ければきっと助かります。だからこのまま大人しく」


「捕まってなんでも言うことを聞けって?……お前の言いなりになるなんて絶対にゴメンだ」



 ゴホゴホと激しく咳き込んだ拍子にシンヤの口から赤黒い血液が吐き出され、地面へと飛び散る。



「ホノカ、お前はいいよなぁ?結婚してあのクソ実家から出られた挙句、今じゃあご立派な奥様ときたもんだ。……ここに来るまで散々お前に対する賛辞を聞いたよ。ホノカ様がどうのこうのって」


「それは……私の力ではありません。みんなが協力してくれたおかげで」


「……ハハ、偉くなったなぁ」



 シンヤは乾いた笑い声を漏らした。



「俺はお前が羨ましい」



 ホノカは息を飲んだ。

 シンヤの口からそんな言葉を聞いたのは初めてだったから。



「俺はこんなんになったのにお前は綺麗なまんまだ。俺はずっと不幸なのに、お前はみんなに愛されて幸せそうだ。なんで、なんでお前ばっかり……」



 あなたがそれを言うのか、と喉元まででかかった言葉をホノカは飲み込んだ。



 シンヤが言ったことは全て、実家にいた頃のホノカがずっと抱いていた気持ちそのものだったから。



「ホノカがベルツリー家にいた頃はまだマシだった。たとえ俺が不幸でも、ホノカも同じように不幸だったからな。……でも今は違う」



 ホノカは瞳を伏せた。

 その先に続く言葉に想像が着いてしまい、耳でも塞ぎたい気分だった。



「俺はお前だけ幸せになるなんてゆるせないよ」



 小さく呟かれた言葉が、ホノカの心にずしんと重くのしかかる。



 これが兄の本音なのだ。


 なにか言わなくては。

 そう思ってもホノカの口からはなにも言葉が出てこない。



「だから、お前に会いに来た」



 せめてシンヤがどんな表情をしているのかだけは見ようとホノカは俯いていた顔を上げ、硬直した。




 シンヤは笑っていた。

 いっそ清々しいほどに。



 今まで見たことのない兄の笑顔に、ホノカは呆気にとられた。

 その隙を見逃すシンヤではない。




「ホノカ……ッ!」



 騎士による拘束を力づくで振り切ったシンヤは勢いよく立ち上がると、ホノカの名を叫びながら右手を振り上げた。



 その手には小さなナイフが握られている。


 いざという時のために懐へと隠していたものであり、その刃がいま、ホノカに向かって振り下ろされようとしていた。



「……!」




 しかし、その切っ先がホノカへと届くことはなかった。





 バチン!



 なにかが弾けるような大きな音と共に、強い衝撃波のようなものによってシンヤは遠くへと吹き飛ばされた。


 呻き声を上げながらシンヤは地面へと叩きつけられ、握られていたナイフは手からこぼれ落ち、カランという音を立てて転がった。


 何が起きたのか状況を理解できないホノカはただ呆然と立ちすくんだ。





 腕に付けていたはずのブレスレットが、バラバラと砕け散って地面へと散らばっていた。



 宿場町に滞在中、夜出かけていくホノカにジェイルが貸してくれたものだ。

 帰宅してからジェイルに返そうとしたものの、ホノカ様にプレゼントしますといって頑として受け取らなかった。

 それ以来、入浴時を除いて肌身離さずつけていたのだ。



(それが、私を護ってくれた……?)



 地面に転がる宝石の一部を手に取ってホノカはじっと見つめた。

 心なしか宝石の輝きは、ジェイルに貰ったときよりもあせているような気がした。



「ホノカ様、ご無事ですか!」


「ジェイル……」



 血相を変えたジェイルがホノカへ駆け寄ると、慌てて怪我がないかどうかを確認した。

 そして目立った傷がないことを確かめると、ホノカの手のひらにのせられた宝石に気がついたようではっと目を見開いた。



「それは……」


「あの夜にジェイルが贈ってくれたブレスレットなんだけど、ごめんね。壊れちゃった……」


「……いえ、ちゃんと役に立ったようで良かったです」



 申し訳なさそうに肩をすくめるホノカに、ジェイルは安堵の笑みを浮かべた。



 ついさっき己の無力さを思い知らされたばかりのジェイルにとって、己の魔力を込めたブレスレットがホノカの身を守ったという事実がとても誇らしかったのだ。



「ホノカ嬢」


 ジェイルより少し遅れてユリウスもホノカの元へと駆けつけた。



「話は出来たか」


「……上手く話せませんでした。無理を言ったのにごめんなさい」


「そうか……」



 そういうと、ユリウスは黙ってホノカの頭に手を載せた。

 ゆっくりとホノカの頭を撫でるその手の動きはどことなくぎこちなかった。



 落ち込むホノカへのユリウスなりの励ましなのかもしれない。



「残念かもしれないが、貴女は先に屋敷へと戻りなさい」


「ですが」


「ああなってしまっては、もうどうにもならないだろう」



 ユリウスの言葉に、ホノカは地面に倒れ込むシンヤへと視線をやった。



「あぁ、あァあぁああぁ……」



 地面に這いつくばり、立ち上がることも出来ずに呻き声をあげ続けている。

 赤い発疹は顔全体にも広がり、そこにホノカの知る兄の面影は見られない。



 医療に明るくないホノカが見てもわかる。

 シンヤはもう助からないと。



 呻き声に、時折ホノカを呼ぶ声が混ざる。




 ホノカ、助けてくれ。


 ホノカ、許してくれ。




 うわ言のように呟かれる言葉にホノカは顔を伏せた。


 死の淵に立ってようやく許しを乞うなど、虫のいい話だ。

 そうは思っても、弱々しい兄の声を聞くといささか胸が痛む。



 とはいえホノカに出来ることはもうなにもない。


 悔しさを堪えるようにして唇を噛み締めたその時。




 ホノカよりもずっと後方で何かが破壊されるような音がした。

 何事かと振り返るよりも早く、何かが横をゆっくりと通り過ぎていく。



 それは白い鳥だった。



 鳥籠の中にいるはずの雌の闇金糸雀だ。




 その鳥はふらふらとゆっくりと羽ばたきながら、シンヤのもとへ近づくと、その姿を変えていく。


 小鳥は光の粒子に包まれ、やがて人型へと変化した。


 そこに立っていたのは、白いワンピースに身を包んだ裸足の少女。

 雪のように白く長い髪に、ぱっちりとした金の瞳が美しい。





 彼女は金の瞳を潤ませながらシンヤに縋り付くと、彼の体を自分の胸へと抱き寄せる。




「シンヤ……、あなたとまた会えたと思ったのに」


「ゔ、ぁ……だれ、だ……」


「私よ、あなたの小鳥。フェリアナよ……ずっと、あなたに名前を呼んで欲しかった」





 闇金糸雀―――フェリアナは己の膨大な魔力が愛する男を蝕んでいたことを知らなかった。



 成体となり、人型に変化したことでその魔力は彼女の体内へと納められ、もう膜に包まれていなくても周囲に振りまかれることはない。



 しかし、シンヤの肉体へと蓄積した魔力は戻らない。

 魔力に侵された身体はボロボロで、もう限界などとうに迎えていた。




「やっとヒトになれたの。これであなたとお話ができる……ねぇ、私行ってみたいところがたくさんあるの。シンヤ、あなたと二人で。だから、お願い……」





 シンヤの意識は朦朧とし、もう目も霞んで見えない。



 最後の力を振り絞って、最愛の妹を道連れにしてやろうとしたがそれすら叶わなかった。



 もう、気力も何もない。


 俺はこのまま死ぬんだ。



 ボロボロの体を抱きしめ、何かをぶつぶつと呟くこの女のことを俺は知らない。


 だから、もう放っておいてくれ。




 意識はどんどん遠のいていく。

 体の力はもうとっくに入らない。




 どこで間違えてしまったんだろうか。



 レティシアを信じてしまったとき?


 大事にすべき妹を虐げてしまったとき?




 それとも、ベルツリー家に生まれてしまったことがそもそもの間違いだったのか?






 もう、もうなにも考えたくない。


 今はただ眠りたい。




 ……そういえば、あの小鳥はどうしているのだろうか。

 屋敷に残してきたけれど、無事でいるのだろうか。



 まぁ、それももう俺には関係ないか。






 フェリアナの腕に抱かれて、シンヤはかろうじて開いていた瞳をゆっくりと閉じた。

 速かった心臓の鼓動はゆっくりとテンポを落としていく。



 まもなく彼の命の灯火がついえる。



 金の瞳から遂に、雫がこぼれ落ちると、シンヤの体へと吸い込まれていく。



 その刹那、フェリアナの体が眩い光を帯びた。







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