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断罪予定の私ですが、予定は未定だったようです。  作者: 夏嶋咲衣
2.オセロ

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31.

 

 **********



 シンヤとホノカが生まれたのはよく晴れた日の早朝のことだ。



 シンヤは子宝に恵まれず跡継ぎがいなかったベルツリー家にようやく生まれた待望の男児であった。


 そのため夫妻はシンヤの誕生を殊更喜び、それはそれは可愛がって育てた。




 豪華な衣服、美味しい食事、そして優秀な家庭教師。


 夫妻はシンヤには財をつぎ込むことを惜しまない。



 何せ未来のベルツリー家を担う大切な跡継ぎであったので。





 しかしそれに比例するように、夫妻はどんどんホノカへの興味を失っていった。

 いや、そもそも最初からそんなものは無かったのかもしれない。


 彼らが欲しかったのは跡継ぎとなる存在だけだ。


 だからこそ、長男であるシンヤがいればホノカに用はない。


 シンヤが贅沢な生活を送る傍ら、ホノカは最低限の衣食住を与えられ、家族でありながらも使用人同然の暮らしを強いられていた。



 食事時さえもホノカが共にテーブルにつくことを夫妻は認めなかった。


 辛うじて与えられていた小さくみすぼらしい部屋で、パンとスープだけを食べる妹に、シンヤが気付かないわけがない。



 その時の兄妹関係はまだ良好であったため、シンヤは自分の分の食事を残しては、こっそりとホノカの元へ持っていくことがあった。



 両親はなぜホノカを虐げるのか?


 可哀想だとシンヤが抗議をしても、夫妻はなにかと理由をつけてははぐらかす。


 同じようなやりとりを何度交わしても夫妻のホノカへの態度は変わらなかったため、段々とシンヤもホノカに関する話をしなくなっていった。




 それに、シンヤにもホノカばかりに構っていられない理由があったのだ。



 シンヤの祖母。

 ベルツリー家の大奥様と呼ばれ、恐れられるその人こそ、シンヤの大きな悩みの種であった。





 祖母はとても苛烈な人である。


 シンヤが少しでも失敗をすると、祖母は目を吊り上げながらその小さな体に罰を与えた。



「あたしだってこんなことはしたくないんだ」


「お前はベルツリー家の長男なんだから」


「後継として立派に教育してやらないと」




 祖母は口々に何事かを喚いては繰り返しシンヤに鞭を振るう。



 お陰でシンヤの体には鞭で出来た傷跡が幾つも出来上がったし、体を清める度にその傷が痛くてこっそり涙を流すこともあった。



 両親に祖母の所業を訴えても、



「お祖母様はお前に期待しているんだ」


「お前のためにやっているんだよ」


 といって我慢を強いるだけだ。



 なぜなら夫妻は共に祖母に頭が上がらないからだ。


 祖母はベルツリー家で一番力を持っていた。

 聞くところによると、傾きかけていたベルツリー家の財政を立て直したのは祖母による功績が大きいのだとか。



 そのうえ学院の経営が軌道に乗り始めたのも祖母の手腕によるものらしい。


 欲深さに能力が釣り合っていない夫妻と比べても、祖母は優秀な人だった。




 だからこそベルツリー家の中で彼女に逆らえる者は誰一人存在しない。


 夫妻はシンヤを愛してこそいたが、祖母の暴力から守ってくれたことは一度もなかった。







 その日も期待に上手く応えられなかったシンヤは、激昂した祖母によって罰を受けた。

 王家主催の剣術大会でいい成績を収められなかったからだ。


 そもそもシンヤは運動神経にそれほど秀でているわけではない。

 当然剣術だって特別優れているわけもなく、別の領地の跡継ぎ息子に大敗を喫したのだが、それが祖母の気に食わなかったらしい。


 いつもよりも手荒な祖母の躾を受けて、ひりひりと熱を持つ背中を庇いながら屋敷の中庭にあるベンチに一人で座っていた。



 一体いつまで耐え続ければいいのか。

 ふつふつと煮えたぎる祖母に対する憎悪は、もう決壊寸前のところまで来ている。






「兄様!」



 シンヤとは対照的に薄汚いボロ布のような衣服を身につけたホノカが、ベンチに座り込むシンヤへと駆け寄ってくる。


 その手には一輪の花が握られている。



 多方、美しい花を見つけたから、シンヤに見せに来てくれたのだろう。


 ホノカは自分と違い両親に大切にされているシンヤに対しても、憎しみを抱くどころか尊敬すべき兄として慕ってくれているようだった。

 同い年でありながらもどこか幼いところのあるホノカは、シンヤの姿を見かける度に無邪気な笑顔で駆け寄ってきてくれるのだ。




 今だってほら、とても嬉しそうに弾んだ声で己を呼ぶホノカに、いつもならシンヤの心も綻ぶはずなのだが、その時は何故だかいつもと違った。



 胸がざわめく。



「?」



 胃がムカムカするような嫌な感覚に、シンヤは眉を寄せながらそっと自分の腹部をさすった。



 そんなシンヤの変化を知らないホノカは、常のようにシンヤの側へと寄ろうとして……。




「きゃっ」



 妹の小さな悲鳴に、シンヤのぼんやりとしていた頭は一気に覚醒した。


 そして、咄嗟に声の方へと視線をやると、ホノカが地面に蹲っていた。



 転んだのか?


 一瞬そう考えたが、すぐに思い直す。




 いや、違う。


 俺が突き飛ばしたんだ。



 シンヤはじっと自分の両手を見つめた。

 信じられない気持ちでいっぱいだった。



 しかし、抑えようのない衝動だった。




「ごめん」



 シンヤは慌てて地面に蹲るホノカに手を差し伸べ、抱き起こす。

 何かを踏んだような気もしたが構ってはいられなかった。



 ホノカの、転んだ拍子に擦りむいたであろう膝小僧からは少し血が出ている。


 懐を探ってハンカチを取り出すと、とりあえず傷口を拭ってやる。



「ほんとにごめん、立てるか?」


「……」



 ホノカはびっくりした顔のまま固まっていたが、シンヤの声を聞いて黙ったまま頷いた。

 しかし、次第にまんまるの大きな瞳からは涙が溢れ出してくる。




 泣かせた。

 しかも自分が突き飛ばしたせいだ。


 いつものシンヤなら、ホノカが泣いていたら可哀想に思うし、慰めてやりたいと思うはずだった。


 しかし、その時は違った。


 胸の中にモヤモヤと蟠る不快な気持ちが、スーッと晴れていくような爽快な心地がしたのだ。




 大切に握られていたはずの花は、地面でぐしゃぐしゃに潰されていた。







 妹に抱く感情の変化に戸惑いながらも、祖母からの執拗な躾に耐え忍ぶ日々に、終わりは唐突にやってきた。



 祖母が亡くなったのだ。



 ベルツリー領地から隣町へと向かう最中に、馬車で事故にあったらしい。


 打ちどころが悪く、医者に見せたはいいが助からなかった。



 屋敷内は沈鬱な空気に包まれていた。

 だけどシンヤは違った。



 やっと死んでくれたと思った。


 これ以上鞭に打たれずに済むのだと喜びが腹の底から湧き上がってくる。




「俺は自由だ」



 シンヤは確かめるように声に出した。


 そうだ自由だ。


 もうシンヤに指図するものは誰もいない。



 気分は爽快だ。

 今ならなんだって出来そうな気すらしてくる。



 弾んだ気持ちのまま屋敷を歩いていると、目の前からとぼとぼとホノカが歩いてくる。



 ホノカを突き飛ばしてしまったあの日以来、なんとなく気まずくて避けてしまっていたから、顔を合わせるのは久しぶりだ。


 上機嫌なのも後押しして、シンヤはホノカへと声をかけた。



「やぁ、ホノカ。どうしたんだ」


「……お祖母様のことを聞いたんです」


「あぁ、そのことか」



 シンヤはフンと鼻をならした。

 くだらないとでも言わんばかりのシンヤの態度に、ホノカは不思議そうに眉を下げた。



「そのことか……って。兄様は悲しくないのですか?」


「悲しい?俺が?」



 シンヤにとって祖母は悪魔のような存在だった。

 暴力を振るわれることはあっても褒められたことは一度だってない。


 そんな人の死を悲しむ理由なんてあるだろうか?



(あぁ、でもそうか。ホノカにとっては違うのか)




 幸か不幸か、祖母はホノカに興味がなかった。

 そのためホノカに優しく接することこそなかったが、シンヤに対してするように厳しく接することもなかったのだ。


 だから、ホノカは祖母の本性を知らない。

 シンヤが暴力を振るわれていたことも当然知らない。




 シンヤはぎりと奥歯を噛み締めた。


 冷水を浴びせられたような気分だった。


 自分は祖母の死を喜んでいるというのに、目の前のホノカは悲しんでいるのだと思うと、無性に腹が立って仕方がないのだ。



 お前はあんな目にあっていないからそんな風に思えるんだ。

 そもそも、なんで俺ばっかり……!



 瞬間的に湧き上がった怒りにシンヤは突き動かされるまま、手を上げた。


 ぱちん。


 乾いた音と共に、手のひらにじんわりと痛みが広がる。



 目の前には呆然としたまま、立ち尽くすホノカ。


 その左頬は赤く染まっている。



 ホノカを叩いた。


 けれど不思議と罪悪感は微塵も湧いてこなかった。




 だって俺はこの何倍も痛い目にあってきたから。

 だってお前は何も知らないから。



 だって。だって。だって。


 頭の中でいくつも言い訳の言葉が浮かんでは消えていく。



 それよりも、抱えていた苛立ちが嘘みたいに消えていったことの方がシンヤにとっては重要なことだった。




(もっと早くこうすればよかった)



「兄様……?どうして」


 ホノカは震える声で呟いた。

 殴られ、赤くなった頬を涙が静かに伝っていく。



 しかし涙を流すホノカを前にして、今度はその涙を拭ってやることもせずにシンヤは笑った。


 心は随分と晴れやかだった。





 それからのことは特筆することもない。

 夫妻と同じようにシンヤもホノカを虐げるようになったというだけだ。



 今までは長男のシンヤがホノカに対する差別に難色を示していたため、使用人たちもホノカへの扱いに困っていたようだが、シンヤが表立って嫌うようになってからは同じようにホノカをぞんざいに扱うようになっていった。



 こうしてシンヤとホノカの間には埋めようもない大きな溝が生まれた。



 そして、時は随分と流れてしまった。







 **********



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