29.
「ぎゃあっ」
気がつくと弾き飛ばされた女の体が地面へと転がっていた。
苦しそうなうめき声を漏らした女は、憎々しげにジェイルを睨みつけ起き上がろうとしたが、その体は地面に縫い付けられたかのようにピクリとも動かない。
一向に起き上がろうとしない女を不審に思った男は、ジェイルの様子を伺いながらも女の元へと駆け寄っていく。
「くそっ……おいレティシアなにをやってる」
女を立ち上がらせようと手を伸ばした男だったが、しかし次の瞬間には
「ぐぅっ……!」
女と同じように男の体も地面へと倒れ込むと、そのまま動けなくなった。
繰り広げられる目の前の光景にジェイルは唖然としたまま固まっている。
何が起こったのか分からないわけではない。
二人が動けないのは十中八九魔法のせいだろう。
グラビティ。
重力を増幅させることによって相手を動けなくする効果をもつ。
中級の魔法であり、騎士団の中にもこの魔法を扱う者は何人か知っている。
けれどグラビティには使用条件があり、その対象が使用者の近くにいなければならないのだ。
この場には意識のない二人の騎士を除いて、ジェイルと侵入者の男女しかいない。
敵が仲間割れをしていないとすれば、必然的にグラビティを使ったのはジェイルということになるのだが、残念ながらジェイルはまだこの魔法を習得してはいなかった。
では二人にグラビティを使ったのは誰なのか?
状況が飲み込めずにいたジェイルであったが、続いて聞こえたとある声によってハッと目を見開いた。
「仲良くそこで寝てろよな」
フンと鼻を鳴らしながら無様に地面へと転がる二人へと向けてそう言い放ったのは、ジェイルの腕の中の毛玉ちゃんであった。
(そうだ。“人”ではないが、まだいるじゃないか)
普通の犬なら魔法を使うなんて考えられない。
しかし毛玉ちゃんは違う。
彼は今はこんなにも愛らしい姿をしているが、本来は歴とした闇族の子どもなのだ。
「今の、お前がやったのか」
恐る恐るジェイルが毛玉ちゃんに声をかけると、
「僕以外に誰がいる?」
また呆れたように子犬は鼻を鳴らした。
兄であるマリモちゃんがことある事にユリウスに突っかかっているのは見たことがあるし、ジェイルも実際に言葉を交わしたことがある。
しかしその弟である毛玉ちゃんが言葉を発しているのを聞いたのは初めてであった。
「そんなことよりも……」
動けない二人を満足気に見下ろした毛玉ちゃんは、ジェイルの腕の中で器用に体勢を変えると、
ぺち!
毛玉ちゃんの肉球が乱暴にジェイルの頬へと押し付けられた。
「このバカヤロウ!」
「な、なんだ急に」
「お前、身の丈に合わない魔法を使おうとしただろ!」
突然声を荒らげた毛玉ちゃんにその先に続く言葉にジェイルは黙り込んだ。
毛玉ちゃんの言う通りだ。
結果的には毛玉ちゃんの魔法によってジェイルの魔法はキャンセルされることとなったが、あのグラビティがなければジェイルはきっと詠唱を終えて特大魔法を放っていたはずだ。
「その魔法はまだ使うな」
「え?」
「今のお前じゃあ体のほうがもたない。お前がどうなろうと僕には関係ないけど……ホノカ様が悲しむだろ」
ジェイルの顔を真っ直ぐ見つめながら、毛玉ちゃんはぶっきらぼうにそう言った。
ジェイルの身に何かがあったら、ホノカ様が悲しむ。
もちろんジェイルとてその考えがなかったわけではないが、あの時はほかの手段を選んではいられない状況だった。
次に似たような状況に陥ったとしても、ジェイルはまた同じ魔法を使うはずだ。
ホノカに危険が迫っている時ならば尚のこと。
気まずげに押し黙ったジェイルに、毛玉ちゃんはやれやれと言わんばかりにため息をついた。
「……まぁ、お前の気持ちは分からないでもないよ」
よいしょっ、とジェイルの腕から飛び降りた毛玉ちゃんが地面へと降り立つと、途端にその小さな体はキラキラとした光に包まれた。
そしてその光が段々と大きくなり、やがて人型へと形作られていき……
そこにはジェイルと背格好の似た身なりのいい少年が現れた。
「だから、ここからは僕も力を貸してやるよ」
「お前……毛玉ちゃんか?」
「リオンだ!リ、オ、ン!僕をそう呼んでいいのはホノカ様だけなんだから」
両腕を組みながらふんぞり返る少年は、頬をふくらませながら訂正する。
初対面の時からつい先程まで犬の姿しか見ておらず、人型を見るのは初めてなのだ。
目の前に現れたリオンの姿を、思わずまじまじと見つめるジェイルにリオンは気を取り直すように咳払いを1つした。
「今のお前はまだ弱っちい!だからもっともっと強くなれ」
「……」
「それで魔法に追いつくくらい身も心も鍛え上げてホノカ様を護れるようになるんだ。……それまでは僕も一緒に戦ってやるから」
「リオン……」
「全部ホノカ様のためだからな!」
真剣な表情で語るリオンに、ジェイルも言葉を返そうとしたその時。
「フフフ……」
地面へと這いつくばっている女は笑い声を漏らした。
はっとそちらに視線をやると、女は不気味な程に楽しそうに笑みを浮かべていた。
「驚きましたわ……まさかこんなところでリオン殿下にお目見えできるだなんて」
女の言葉にリオンは片眉を上げ反応を示しながらも、フンと鼻をひとつ鳴らした。
「僕のことを知っているとは意外だな」
「もちろん知っておりますわ。闇族であなたの事を知らないものなどおりますまい。でしょう?」
女は意味ありげに笑うと、目を細めてリオンの瞳をじっと見つめる。
「出来損ないの第二王子、リオン・グランデール殿下」
リオンの顔色が変わった。
毅然と振舞っていたその表情に、じわりと焦りのような感情が滲んでいる。
「……なんのことだ」
「とぼけなくてもよろしくてよ?王家は隠し通そうと必死のようですけれど……私たち貴族の間では有名な話なのですから」
女は言葉を区切ると、その口元に嘲笑を浮かべた。
「王族の血を引く王子が必ず受け継ぐという闇魔法を使えない王家の恥だと」
リオンの頬がかっと赤に染まる。
それを見た女は愉快そうに笑みをさらに深めた。
「幸いにも王家には優秀な第一王子がいたから跡継ぎには困らなかった。けれど今やその第一王子の行方も知れず。王家の一大事とも呼べる状況でまさかこんな……」
「……さい」
「人間の家で愛玩動物の真似事をしていらっしゃるだなんて、王が知ったら幻滅なさるでしょう」
「うるさい!」
余裕を失ったリオンは目を吊り上げながら怒鳴り声を上げる。
唇を噛み締め、握りしめた拳を震わせながら我を失ったように取り乱した。
その一瞬に生じた心の隙を女は決して見逃さない。
弱まったグラビティによる拘束から抜け出した女は、リオンめがけてステッキを振った。
すると地面から伸びてきた植物の蔦がリオンの足に絡みついた。
一瞬でリオンの全身まで蔦が巻き付くと、ぎゅうぎゅうとその小さな体を締め上げる。
「リオン!」
苦しそうに息を漏らすリオンに、ジェイルはたまらず声をあげた。
上手くいくかは分からないが、一か八か。
絡みつく蔦をジェイルは火魔法で燃やそうとして、
「ぐっ、はァ」
体を押しつぶすかと錯覚するほどの強い力で地面へと倒れ込んだ。
女はジェイルへと向き直ると、目を細めて微笑んだ。
「先ほどのお返しよ」
最初にリオンが女へやったことを、今度は女がジェイルへとやり返したのだ。
ジェイルはグラビティの魔法をくらい、顔を動かすことくらいしか出来なかった。
リオンはそんなジェイルを見て何とか自分の力で蔦から脱出しようと魔法を使おうとするが、女の言葉が制止する。
「魔法は使わない方がよろしくてよ。それは魔力に反応して貴方をさらに強く締め上げるのですから!」
万事休す。
形勢は完全に逆転した。
リオンは蔦に絡み取られ、そしてジェイルは地面に押し付けられたまま身動きができない。
完全に優位へと立った女は、地面へと這い蹲るリオンとジェイルを眺めながら、獲物を見定めるように舌なめずりをする。
「さぁ、この二人をどうしましょうか……ねぇ、シンヤ」
「俺の目的はホノカだけだ。こいつらには興味ない」
「それもそうね。……とりあえず殿下には私と来ていただくことにしましょうか?出来損ないとはいえ王族。利用価値は少しくらいあるでしょうから」
「フレイム!」
張り詰めた緊張の糸を断ち切るかのような、鋭い声がその場に響き渡った。
途端にリオンを拘束していた蔦が炎に包まれると、リオンの体を傷つけることなく蔦だけが一瞬で燃え尽きたのだ。
蔦から開放されたリオンは地面へと投げ出されると、みるみるうちにその姿が元の子犬の姿へと戻っていく。
(この声は……まさか)
突然のことに驚くジェイルの背中に誰かの手がそっと触れると、体にのしかかっていた重力が弱まり身動きが取れるようになった。
はっと顔を上げた先、見えたのはもちろん心配そうにこちらを見つめる父、ユリウスの姿である。
「無事か」
「はい……」
ユリウスはジェイルを地面から立ち上がらせると、背後に引連れた部下たちに合図を送った。
すると大勢の騎士たちは瞬く間のうちに侵入者を取り囲んでいく。
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