25.
次に訪れたのは花の街と呼ばれる、王国随一の人気を誇る観光地である。
平時であれば美しい花畑がやって来た旅人を歓迎するのだが、手入れもままならないせいか所々しおれたり枯れたりしていて、街を彩るはずの美しい花々は今や見る影もない。
『旅人の立ち入りを禁ず』。
街の入口である花のアーチの傍らには、急遽拵えられたと思われる粗雑な木製の看板が立てかけられている。
看板を一瞥すると、レティシアは躊躇することなくアーチをくぐった。
そして、後方で足を止めたシンヤの方へと振り向く。
「しばらくこの街に滞在しましょうか」
「……わかった」
ごほ、と激しく咳き込むとシンヤは頷いた。
赤い湿疹のせいで身体中が疼いて仕方ない。
全身を掻きむしりたい衝動に駆られて伸ばした手を止めたのは、少し前を歩くレティシアの一言だった。
「ねぇ知ってる?ここは恋愛に関するパワーポットとして貴族の女性たちに人気だって聞いたわ」
まるで恋する乙女のように頬を染めながら、うっとりとした表情で話す。
(……よく知ってるさ)
レティシアに言われずとも話に聞いた事くらいはあった。
まだホノカが実家にいた頃、ベルツリー家に取り入ろうとシンヤに近づいてくる女が時々屋敷を訪れることがあった。
その有象無象の一人が花の街について話すのを聞いた覚えがある。
なんでもこの街で育てられた花を意中の相手に贈ると、どんな恋も叶うのだとか。
ねだるように腕に絡みつく女の腕を鬱陶しく思いながらも、シンヤにはふとした思いつきがあった。
(この話をホノカにしたらどんな反応をするんだろうか?)
その行為に特別な意味などもちろんなかった。
ただ、外出を禁じられ世間に疎いあの妹が、どんな表情を見せるのか知りたいというくだらない好奇心によるものだ。
この時にはすでにホノカのカートレット家への輿入れが決まっていた。
この婚約はベルツリー家がマーガレット·ド·ラ·カートレットから支援を受けるためのものであり、カートレット家の実子と折り合いの悪いマーガレットが、ホノカという手駒を使って内から家を支配するための政略結婚である。
そこに愛はないどころか、自由すらなかった。
生まれた時から自由を許されず家族からは虐げられ、奴隷のように生きてきたホノカが、決して自分には叶わない希望に満ちた話を聞いた時、どんな顔をするのだろう?
年頃の少女が当たり前に抱く恋という希望に焦がれ、それすらも許されない自分の将来を憂いて絶望するだろうか?
ホノカのそんな顔を想像するだけでシンヤの気分はひどく高揚するのだ。
夕食後、急に部屋へと訪れたシンヤに怯えを滲ませたホノカであったが、どこか上機嫌な兄の様子に今度は困惑を顕にした。
「あの、兄様……」
「なぁ、知ってるか?花の街の伝説を」
唐突な話にホノカは不思議そうに眉根を寄せた。
それから知りませんとか細い声で答える。
まぁ、知ってるわけないよな。
そうだと思ったから話に来たんだ。
思った通りの反応に、シンヤは笑みを深くした。
ニコニコと笑う兄の姿に怯えるホノカに、シンヤは意気揚々と女から聞いた話を語って聞かせた。
想像通り、ホノカの絶望に満ちた表情が見られると思ったのだ。
それなのに。
「素敵……」
話を聞き終わったホノカの表情は希望に満ちていた。
幸せな恋愛を夢見る乙女のように、頬を紅潮させ、瞳を輝かせている。
「あぁ、素敵だろうな。お前には一生叶わない夢みたいな話だろう」
「はい、その通りですね」
そう言いながらも、その表情には一片の曇すらなかった。
シンヤには決して見せることのない表情。
そのことが、無性に腹が立って仕方ない。
「……シンヤ聞いてる?」
足を止め、黙り込んだシンヤの様子にレティシアは不満そうに名前を呼んだ。
「あ、あぁ悪い」
思考に意識を持っていかれて全然話を聞いていなかった。
足早に前を歩くレティシアへと追いつくと、彼女は呆れたように息を吐いた。
「まぁいいけど。……あ、そういえばこんな話も聞いたわ」
にやりと口角をあげると、
「ちょっと前に私たちが滞在していた宿場町……あそこでも病が流行っているそうだけど、とある貴族様のおかげで医療部隊も派遣されて、ベルツリー家のようにひどい事態にはなっていないそうよ。名前は確か……ホノカと言ったかしら。あなたの妹よね?」
頭の中を見透かされでもしたかのようなレティシアの言葉に、シンヤの体がびくりと跳ねた。
「街の人たちはみんな感謝しているんですって。『ホノカ様のおかげで家族が助かりました』『さすがカートレット家の若奥様』って……」
レティシアの言葉を遮るように、シンヤは傍にあった花壇を思い切り蹴った。
体は怒りに震え、叫び出したくなる衝動をこらえるように唇を強く噛んだ。
あの『ホノカ』が誰かに感謝されている?
他人からは軽んじられ、虐げられ、常に惨めだったあの女が?
(そんなのはアイツらしくない)
愚図は愚図らしく地を這っていればいい。
誰かに尊ばれることも慈しまれることもなく、一生を孤独に過ごせばいい。
いや、そうでなければならない。
「そうだ!こういうのはどうかしら?」
シンヤの心情を知ってか知らずか、レティシアは名案が浮かんだとでもいう風に明るい声を上げた。
「ここからカートレット本邸はさほど遠くはないわ。……せっかくだもの、兄である貴方が直接妹を労ってさしあげたら?」
口元に歪んだ笑みを貼り付けながら、シンヤの耳元でそっと囁いた。
その言葉は、悪魔の囁きのようにシンヤの心に入り込んでくる。
あぁ、そうか。
ホノカが変わったというのなら、またあの頃のホノカに戻してやればいいんだ。
アイツを変えたものを全て壊して、孤独を、惨めさを思い出させてやればいい。
「いいアイデアだ。次の目的地はカートレット家にしよう」
全身を蝕む強い痒みすらも忘れる憎悪が、シンヤの頭も心も支配する。
もうこの頃には己が助けた白い小鳥の存在など、頭の片隅の方へと追いやられていた。
あるのは妹への果てしない執着だけ。
ふらふらと屍人のように歩き出したシンヤを見つめ、レティシアは蠱惑的に微笑んだ。
**********
顔を青ざめさせ言葉を失ったホノカに、ユリウスは瞳を伏せた。
巷ではびこる感染症の感染源として実家の名前があがったのだ。
動揺するのも当然のことといえる。
「貴女が驚くのも無理はない。心の準備が必要なら続きは後日にしようか」
「……いえ、聞きます。聞かせてください」
大きく深呼吸をしたホノカは、真っ直ぐにユリウスの瞳を見つめた。
逸らされることのない力強い視線からは、ホノカ自身の覚悟を感じさせる。
(心配は不要だったか)
むしろ恐れていたのはユリウスの方だ。
話を聞くことでホノカが傷ついてしまうのではないかと、そう恐れてしまっていた。
いささかホノカのことを侮りすぎていた。
彼女はユリウスが思うよりも強い心をもった女性なのだ。
気を取り直すようにひとつ咳払いをすると、ユリウスは話を切り出した。
「そうか。なら現時点で分かっていることを全て話そう。その前にまずは……あれをここへ」
ユリウスは扉のすぐ側に控えていた部下に合図を送ると、彼はすぐに執務室を出ていった。
そして、しばらくしてその手に布でおおわれた大きな物体を抱えて戻ってくる。
「お持ちしました」
「テーブルに置いて。お前は仕事に戻っていい」
指示通りテーブルにその物体が置かれると、部下はユリウスとホノカに一礼し部屋を出ていく。
目の前に置かれた謎の物体に訝しげにするホノカに、ユリウスは覆っていた布を取り払ってみせる。
「え?」
ホノカは目を疑った。
布の下から現れたのは鳥かごであり、その中には一羽の小鳥が止まり木に止まっている。
一瞬、先日宿場町で拾った闇金糸雀かと思ったが、それにしては体毛の色が違う。
あの時の小鳥とは異なり、純白の美しい羽を持っていた。
「あの、ユリウス様こちらは……?」
全く意図がわからずに、ホノカは恐る恐るユリウスに尋ねる。
「見ての通り小鳥だ。貴女も見覚えがあるのではないかと思うんだが」
「確かに、あの時の闇金糸雀に似ていますが……このコとは羽の色が」
そこまで口にしてホノカはようやく思い出した。
あの時にアオイから聞いた話を。
闇金糸雀は性別によって体毛の色が異なるのだと。
「まさか、このコが」
「あぁそうだ。連れ去られたと思われる闇金糸雀の雌。それをベルツリー家で発見した」
鳥かごの止まり木の上から、純白の小鳥は大人しくホノカの方を見ている。
こんなにも早く見つけられるとは思っていなかったが、カートレット家で保護しているあの片割れのためにも、見つかってよかったと安堵した矢先。
「そしてこの闇金糸雀こそが、今回の感染症の感染源だ」
思いもよらぬ言葉にホノカは思わず息を飲んだ。
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