23.
「ホノカ嬢!」
不安気に揺れるテナーのボイスが聞こえると同時に、ホノカは暖かい腕に包まれていた。
ホノカの背後でアオイは息を飲み、女将さんは困惑の声をあげた。
二人の反応も無理はない。
店の扉を開けたと同時に店内から出てきた男がホノカを抱きしめたのだから。
驚くのも当然である。
では当の本人はというと……。
(えっ?)
なぜ私は抱きしめられているのだろうか?
あまりにも突然のことに体は硬直し、一瞬思考も停止した。
腕の主はホノカの存在を確かめるかのように、抱きしめる腕の力を更に強める。
相手の胸元に顔を寄せるように抱きしめられているため、ホノカから顔を窺い見ることはできない。
しかし、ホノカはその声を知っている。
たとえ顔が見えなくても誰に抱きしめられているのかはすぐにわかった。
そして、わかったからこそひどく困惑している。
だってその人は今、この街にいるはずがないのだから。
「ユリウス様……?」
ホノカが恐る恐る名前を呼ぶと、抱きしめる腕に更に力が込められる。
「お怪我はありませんか」
緊張しているのかいつにない震えた声でユリウスは囁いた。
この様子だと相当に心配をかけてしまったのだろう。
「……大丈夫ですわ。皆様が守ってくださったので、私に怪我はございません」
ホノカの返答を聞くと、力強かった腕の束縛は緩められ、代わりにその腕の主であるユリウスの瞳がホノカの顔をマジマジと見つめた。
ホノカの言葉が強がりでないのか確認しているのだろう。
ほっと息をもらすと、ユリウスがぽつりと呟く。
「……良かった……」
ユリウスのまるで春風を纏ったような暖かい声は、普段ホノカが耳にしていた彼の声とは違う。
ふと違和感を感じユリウスへと視線を向けるが、そこには何故か?がよぎるのだ。
声だけでなく見た目も様子がおかしい……。
(あれ?ユリウス様、眼鏡がかたっぽずれてる。
それに、いつも綺麗に撫でられた髪は無造作でまるでユリウス様らしくない……。え!?)
ホノカの知るユリウスはいついかなる時も身だしなみを完璧に整え、一分の隙だって他人には見せることがなかった。
それなのに今目の前に立つユリウスの姿は、控えめに言っても隙だらけである。
見たことのない夫の有様にホノカの動揺は増していくばかり。
それに、ホノカを動揺させるのはその見た目だけではない。
安心したように表情を綻ばせるユリウスに、ホノカの心臓が大きく跳ねた。
ふいに見せられた、ユリウスの笑顔が破壊的に優しくてとろけそうになる。
(ユリウス様がこんな風に笑ってくれるなんて……)
ホノカの視線は本人も無意識のうちに、ユリウスの笑顔に釘付けになってしまう。
あまりにもじっと見つめすぎたせいか。
ユリウスは戸惑いながら、ホノカの名前を呼んだ。
その頬はほんのりと赤く染まっており、眉は困ったように下げられている。
そこでようやく自分がユリウスのことを見つめすぎていたことに気がつくと、ハッと目を見開いた。
そして、みるみるうちにホノカの頬もユリウスと同じように紅潮していく。
自覚してしまうと急に恥ずかしくなったホノカは、熱くなった頬を誤魔化すように咳払いを1つした。
「そ、それでどうしてユリウス様がこちらに?」
「あぁ、それなら」
どこかぎこちない動きでようやく腕の中から解放されたホノカは、気恥しさでユリウスから視線を逸らした先、飛び込んできた光景に目を丸くした。
表情を変えたホノカの様子を不思議に思い、ユリウスもホノカの視線の先を辿ると……。
「……」
毛玉ちゃんを腕に抱いたジェイルが、とてつもなく不機嫌そうにユリウスとホノカのことをじっと見つめていた。
瞳を細め口端を下げた、いかにも不貞腐れてますといったその表情に、ホノカとユリウスは互いに顔を見合わせる。
「……とりあえず、中で話しませんか?」
「そうだな……」
**********
ボロボロの店内の中、辛うじて無傷であったテーブルのひとつを囲むように椅子を寄せ集めて腰掛けると、黙ってユリウスの話を聞いた。
通信ごしのアオイの様子がおかしかったため違和感を抱いたこと。
それから何度コンタクトを試みても通信が繋がらず、緊急事態と判断しユリウスが直々に様子を見に来たということ。
あのユリウスの焦燥具合を見るに、相当焦って仕事をほっぽり出してやってきたのだろうとアオイはため息をついた。
屋敷に置いていかれたクラークが、今頃半泣きで雑務に追われているのだろうなとも。
一通りユリウスの話を聞き終えると、今度はアオイがこの場で起こったことを説明する。
ジェイルとホノカを狙った二人の襲撃者のこと。
そしてこの店の裏庭で見つけた闇金糸雀の存在についても。
アオイが襲撃者の名前をあげると、ユリウスはピクリと片眉を上げた。
「フェンネルとアイリス……」
「偽名かもしれませんが……ご存知ですか?」
「……たしか個人で傭兵紛いの仕事をしている男がいるとずっと前に聞いた覚えがある。どこの組織にも属しておらず、それでいて非常に腕がたつのだと。その男は氷魔法の使い手で……思い返せばフェンネルという名前だったような」
「!」
襲撃者の男の手がかりかもしれない情報にアオイはぱっと瞳を輝かせた。
「その噂を聞いた時は関係の無い話だと特別興味も抱かなかったが……そうか、母と繋がっているかもしれないと」
「はい。一緒にいたアイリスという少女に殺意はないようでしたが、放っておけばまた襲撃される恐れがあります」
「わかっている。その傭兵の男について部下に調べさせておく」
ユリウスはちらりと横目でホノカとジェイルを見やる。
どちらにも怪我ひとつないのはアオイが命懸けで二人を守ってくれたからに他ならないだろう。
しかし今回は無事ですんだが、次はどうだろうか?
最悪の事態になる前に早く、襲撃者を捕縛しなければ。
「闇金糸雀についてはとりあえずうちで保護しよう。この場に残しておいてはまた不逞の輩がやってくるかもしれないからな」
「念の為闇金糸雀を連れ去った人物についても探った方がいいのではないでしょうか」
「その件はアオイに一任する」
「わかりました!」
ユリウスの指示を受け、アオイは連絡をとるために店を出ていく。
ユリウスは黙って話を聞いていたホノカとジェイルに向き直ると、真剣な表情で話を切り出す。
「ところで……これは私からの提案なんだが。貴女とジェイルも私と共に屋敷に戻らないか」
「戻る……ですか」
「原因不明の伝染病も流行っている。なにより今別邸へと向かうのは危険だ。母が何をしてくるかもわからないのだから」
ユリウスの言うことは最もである。
先ほど命を狙われたばかりだというのに、その直後にわざわざ襲撃を指示したであろうマーガレットの元へと自ら赴くのはリスクでしかない。
「そうですね、わかりました。……ジェイル、ユリウス様と一緒に屋敷に戻りましょうか」
「はい。僕もそうするのが最善だと思います」
「そうか……。ならば早速」
「あ、待ってください。宿屋にステラがまだ……それに荷物も置いてありますし」
宿屋ではステラが留守番をしてくれているはずだ。
あれ以来連絡もとれていないため今頃心配しているかもしれない。
「なら宿まで送ろう。準備が出来たら屋敷に戻ればいい」
「いえ、私が一人でサッと行ってすぐ戻りますので、ユリウス様はここでジェイルとお待ちいただければ……」
幸いにもこの店から宿屋まではそこまで遠く離れてはいない。
淑女としてははしたないかもしれないが、ホノカひとりで走って向かう方が早く済むだろう。
そう考え、ユリウスの申し出を丁重に断ろうとしたホノカであったが……。
「……」
ホノカの言葉を聞き、ユリウスは眉間に皺を寄せると深い深いため息をついた。
ユリウスだけではない。
ジェイルも困ったような顔でホノカをじっと見つめている。
「……つい数刻前に襲撃にあったのを忘れたのか。貴女を一人で行かせられるわけがないだろう」
「そうですよ。ホノカ様が行くなら僕も一緒に行きます」
ユリウスはさっと席を立つと、ホノカの右手をとり席から立ち上がらせる。
ジェイルもユリウスに対抗するようにホノカの左手をとると、軽く力を込めて握りしめた。
突然二人から両手を握られたホノカは驚いたように二人の顔を交互に見合わせる。
「あ、あの?」
「さっさと行くぞ」
「なんで手を……」
「僕と父様で何があってもホノカ様を守りますから」
ね?とジェイルが小首を傾げながら可愛らしい笑顔を向けてくるので、ホノカはそれ以上なにも言えない。
「それならお言葉に甘えて」
大人しく二人に従うことに決めたホノカに、ジェイルは嬉しそうに繋いだ手に力を込めた。
ユリウスは女将さんに一言二言話をすると、室内をキョロキョロと見回した。
そして、部屋の隅で寝転ぶ二匹の犬を見つけると、
「お前たちもついてこい」
ユリウスの言葉に、部屋の隅で寝転んでいたマリモちゃんと毛玉ちゃんも大人しく後を着いてくる。
そうして店を出る準備が整ったホノカは、笑顔で見送ってくれる女将さんに頭を下げると、ユリウスとジェイルに手を引かれるまま店を後にした。
両手に柔らかな温もりを感じながら。
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