Caged wind 6
更新があいてましたが再開です。
「しにたくない」
やけにその言葉が明瞭に聞こえたのは気のせいではないだろう。カチリと何が切り替わる音が周囲に響き渡る。結界が破られた。先に邪魔者を排除すると言わんばかりに蔓の群れがオルキデアを目指し一直線に押し寄せる。こうなれば銃など意味が無い。オルキデアが眉間に皺を寄せた時だった。
場違いな春の香りがすぐ真横を通り過ぎた。パンっと何かが炸裂する音。それが蔓が破壊された音だと気付いたのはそれを成した者の後ろ姿を見た時だった。
まず初めに本能を満たしたのは畏れだった。気を抜けば平伏したくなってしまうような圧倒的な存在感。そして聖域の中にいるかのような清廉な雰囲気。
そこにいたのは最早幼き娘ではなかった。
「なんてことを二度も願わせているのです」
エコーを少し成長させ、髪や瞳を草色に色褪せさせた姿の麗人は気に食わないと言わんばかりに顔を歪める。その表情ですら絵になるようだった。たとえ纏っているそれがしなやかな手足の成長に伴い短くなり太腿の付け根近くまではしたなく露わになっているような身なりだろうと。
「弱いままのあの子にも困ったものです」
新しく生えた蔓も生えていく途中で破壊されていく。彼女から溢れ出す暴風が蔓を殲滅していくのだ。エコーと違い、疲れた様子はなく、ただ悠然と立っている彼女から自然発生しているようにも見えた。
「生きられる者が無為に死に逝くのを私は赦しません」
荒れ狂う純然たる春告の暴風。春風と呼ばれたその異界の神の化身は永き時を経て再び地上に舞い降りた。
「くっ……弱点はどこだ」
蔓の波を影の体でかわしながらリャグーシュカは切羽詰まっていた。リャグーシュカが囮になろうにもリャグーシュカの相手をしようとするのは最小限で、他は全てエコーを狙いにいってしまうのである。これはかえって悪手だったか、と判断ミスを悔いる彼の真横を今も過ぎ去っていく蔓。先程よりその速度と量が増しているのは気のせいではないだろう。いくらオルキデアが戦っていたとしてもあの量は捌けるものではない。
「……いや、待て」
どこかその侵攻が焦りを感じているように見えるのは何故だろう。本体であるタクスス自体は身動きひとつしていないというのに。数々の吸血鬼を殺害してきたリャグーシュカでも今のタクススが一筋縄でいくような相手ではないことは分かる。ならば何故オルキデアに脅威を感じているのか。それはリャグーシュカに弱点を晒したままで優先するほどだろうか。
「何かがおかしい」
「ーー邪魔です」
不意に後ろから何かに背中を踏み台にされた。人間のそれのはずだというのにそれこそ衣服の分しか重さがないような、だが、そこにあるというのはしっかりと分かる不思議な感覚。その軽さに倒れることは無かったものの面食らったリャグーシュカは思わず空を舞うそれを見上げる。
「大きい。でもだからこそ、雑に狙いやすいんですよね!」
視界に映ったのは緑の魔性の瞳の主が風で作った巨大な槌をタクススに叩きつける姿だった。
「さぁ、もう一発行きますよ!」
くるりと風にまう木の葉のように翻る華奢な体。その言葉に違わず、二発目の鉄槌。獲物を奪われたリャグーシュカは途方に暮れる。
「君は……」
と、それが隙だと判断されたらしい。反撃してきた蔓の塊が一瞬だけリャグーシュカに気を取られた緑の麗人を撃ち落とす。そしてそのまま地面へとその拳を打ち付けた。
「あっ……」
あれは助からない。その証拠に周辺の地面が陥没している。こんなあっさりとした幕引きがあっていいのか。リャグーシュカが込み上げてくる惑いを処理しきれていない中、先に避難させたはずのオルキデアが走ってくるのが見えた。
「リャグーシュカっ!メイフランが!」
「……今目の前でぺしゃんこにされたのだけれど」
蔓の塊は動く気配がない。リャグーシュカが指し示した方向を見て、オルキデアは絶句する。
「……嘘ですよね?」
「いや、残念ながら」
まさかあっさり虫けらのように潰されるとは。と、ぞわりと背筋が泡立つ感覚がした。
「ーー何度でも、何度でも、私は立ち上がります」
あの声だ。まだ、あの女神は死んでいない。蔓の塊が上から何かに押し潰される。その主は先程の緑の麗人だった。だがその姿は一変している。
「たった一つの願いのために」
着ている純白の貫頭衣だったものは血で赤く染まった紅の祭服へと変わり、彼女自身を取り囲む風の群れに優雅にたなびく。傷自体は負っていたことを示すように邪魔そうにかきあげた髪からはまだ乾くことの無い新しい鮮血が滴っていた。それが涙のように見えたのは浮かべられた悲しみの表情のせいだろうか。
「救いを。貴方に救いを」
このままではあの女神にタクススを殺されてしまう。渦巻き、花畑を散らしていく無数の風にリャグーシュカは焦りを覚えていた。彼女はタクススを討つつもりだ。だが。
「オルキデア、情報共有を今のうちに」
「そうですね!」
だからこそ、あの女神がどうしてここに躍り出たのかを知っておいた方がいいと判断した。幸い、大地を覆い尽くさんばかりのタクススの巨体だ、あの女神も攻略には時間がかかると見える。
「エコーが蔓に襲われた時いきなりあの姿になって……エコーがああなって、いきなり救うとか何とか言ってここに来ました」
「……予想以上に新しい情報がないな!」
だが冷静に考えれば合流までの時間を考慮して、そう大したことは起きないはずなのだ。
「あれは、メイフランでいいのか?」
「おそらく……でも、なんか違和感があるのですよね」
それは風を踏みしめ、宙を駆ける彼女が纏う服。オルキデアが敬虔な聖職者だからこそ、気付いた不自然さ。
「神様が、他の宗教の聖職者の服を纏うとは、普通あることなのでしょうか?」
その形はタクススのそれに酷似していた。というよりタクススの物を仕立て直したかのようなそんな雰囲気がある。そう指摘するとリャグーシュカは視線を逸らす。
「……彼女は僕らが思うような存在とは少し違うのかもしれない」
「ーーまぁ、あいつならよくあることではある。だが、あそこにいるのはそもそも本人じゃあないしな」
聞き覚えのある声がした。気が付けば青鎧の武者姿の【金色の獣】が欠伸をしながら二人の後ろに現れていた。
「なっ」
「あの馬鹿……いや、ここじゃメイフランって呼ばれてるんだったか? あそこにいるやつは権能とそれに付随する記憶を降ろしているだけだ。本物はもっとヤバい」
蔓の反撃を食らって吹っ飛ばされる女神。途中で体勢を直しダメージは無さそうだが、それを見て、【金色の獣】は唸る。
「エコー、か。核心をついた名付けだ」
「君、どこから把握して……いや、今はそれどころじゃないか」
一瞬自分のプライバシーだとか考えたものの、思い出せばリャグーシュカの体内に吸い込まれた剣へと変わるような人智を超えた存在なのだ。目の前にいるのは元のメイフランを知る神話の生き物。それこそが肝心なのだ。
「単刀直入に問う。この事態を解決したいならどうすればいい。タクススもエコーも死なせたくない」
すると鎧の内側で金の目は少しばかり驚いたように見開かれる。そしてどこか悪戯っぽく笑った。
「憤怒のくせに強欲だな。嫌いじゃない。さて……そのためにはシスター・オルキデアの力が必須だ」
「えっ、私ですか?」
突然の名指しに動揺を隠しきれないオルキデアが口元をおさえると【金色の獣】は頷いた。




