Caged wind 5
「私はじきに完全に正気を失うだろう。そして人を襲うあいつらと同じに成り果てるだろう」
目の前の最古の吸血鬼は穏やかに笑っていた。どこかその笑みは抜け殻のようだった。
「自分でも分かるんだ。長生きしすぎた。セルペンスも上手くやってる。だから、もう潮時だと。それなのに、これ以上生き恥を晒す前に自害しようとしたところでエコーを見つけた。実はエコーを助けたのも善意じゃない。実際飢えに耐えられず彼女の血を吸って……そして一滴、たった一滴なのに不自然なことにすぐに正気に返った」
それがあの少女が普通の人間でないことの証左だった。タクススは目を細める。
「彼女の血は吸血鬼の憎悪の感情を緩和する。麻薬のような快楽をもたらし、同時に天上のものへと手を出したことを罰するように心に痛みを走らせる。さしづめ吸血鬼からすると人間を遥かに上回るご馳走であり、アイデンティティを揺るがす劇薬だ。だから私は保護した。あの子を吸血鬼に渡してはならないと。そのためだけにずっと狂いたくて死にたいのに未練がましく生きてきた最低な男だよ、つくづく」
隠しきれない自嘲。リャグーシュカはその横顔を見つめ、そして深く溜息をついた。
「……馬鹿だな。本当に最低な男ならあんな真っ直ぐに君を慕うものか。タクスス、正気を失う時が近づいて君が自暴自棄になるのも分からなくない。ただ仮初だろうとなんだろうと、彼女との日々まで投げ捨てるな」
義務だけで生きてきたとは思えなかった。そこには確かに喜びがあったはずなのだ。タクススは目を見開き、そしてくしゃりと顔を歪めた。
「そうだね……リャグーシュカ、お願いだ。あの子に私を始末させないでおくれ。きっと私は彼女の血を求め、吸い殺そうとするに違いないから、君が私を仕留めてくれたまえ」
嫌な予感がした。リャグーシュカはさっと戦闘態勢に移る。見ればタクススに絡みつく蔦の蠢きが活発化していた。
「本当に君がまだ生きていてくれてよかった……これで、心安らかに報いなきこの世の全てに憎悪できる」
次の瞬間。
その体が一気に膨れ上がった。
何か大きな物音がした。エコーを抱擁していたオルキデアは迷わず銃を抜く。そして物音がした方向を見た。
「な……なんですか……あれ……」
それは巨大な蔓で出来た竜だった。リャグーシュカ達がいるはずの小屋を内側から破壊して現れたそれは途方もなく巨大で、その赤い瞳は吸血鬼であることを示していた。まさかあれは。エコーは目を見開き走り出す。
「タクスス!早く私の血を渡さないと!」
「ーー危険だ!離れろ!」
近付こうとしたエコーを拾い上げたのは影の翼を生やしたリャグーシュカだ。小屋が崩れる際に巻き添えになったのか、埃を被っているが怪我はないようだ。見ればエコーがいた場所には何本もの棘だらけの蔓が突き刺さっていた。
「オルキデアは彼女を避難させて。タクススに頼まれたんだ。暴走しているタクススの目的はエコーだ」
「分かりました!すぐ戻るので耐えてください!」
渡されたエコーの手をとり、オルキデアは洞窟目掛けて走り出す。時折彼女を狙って襲い来る蔓は銃で撃ち抜いた。
「破城型吸血鬼なんて……増援がないと無理です。こんな僻地でどうにかなるものでしょうか」
「破城型?」
かなりの速度で走っているというのに彼女は息切れひとつしない。やはり人間離れしてしまっているのだろう。オルキデアは頷いた。
「寄生型が人間に擬態し、人間社会の内側から人間に害す存在としたら破城型はもっと直接、人間に仇なす暴力の塊です。あれのように巨大な体を持ちます。通常は聖騎士と聖句が使えるものが一師団作り上げて討伐するような手合いです」
「あのおじさんも?」
エコーの問いにオルキデアは思考が止まる。そういえば彼はどんな吸血鬼なのだろう。時折影の姿にはなるがサイズは破城型のそれではない。だが、一般的な吸血鬼のそれとも違う気がする。と、オルキデアは不意に目に入ったそれに足を止めた。
「そんな……」
洞窟の出口は既に蔓によって崩されていた。まるで逃がさないと言わんばかりに。襲い来る蔓の相手しながら転がった岩を退かす余裕はない。だが、逃げ道もない。動揺したオルキデアを狙うように蔓が伸びてくる。聖句を反射的に紡ぐが、集中が足りていなかったため、それはあまりに薄かった。結界を叩く蔓の束。一殴りごとに結界全体が揺れる。オルキデアの手を振り払い、エコーは恐怖に蹲り、ぎゅっと目を閉じた。
「神様……たすけて……」
胸の前で掌を握り合わせ祈るその姿はどこまでもか弱い普通の少女だった。彼女だけは何があっても守る。オルキデアが身を削ってでも戦う覚悟を決めた時だった。




