Caged wind 4
ちょっとリアルが立て込んでました。更新再開です。
どろりどろり。
周りから声が聞こえなくなってどれだけだろうか。生温いぬるついた液体の海を漂いながら少女は思う。暗くて何も見えないが、時折溶けて崩れた瓦礫の音以外に物音一つしないし、どうせ自分のように生存者はいても死ぬ一歩手前の状態なのだろう。
ここは吸血鬼の胃の中だ。突然地中から現れて村ごと飲み込まれた。彼女が他の村人と違って溶けるのが遅かったのは単に彼女がたまたま村のチーズ蔵にいたせいだ。同じように外にいたのなら、周囲を漂う人だったもののようになっていたに違いない。
神様、どうして。恨むでもなく、ただ、疑問に思った。自分達が何か悪い事をしただろうか。時々つまみ食いぐらいはしたけど、こんな風にどろどろに溶かされ食い殺されるいわれはないはずだ。少女の目から涙が零れ落ちる。酸で爛れた肌にそれは染みた。
「しにたくない」
「ーーなんだこの地獄絵図」
不意に聞こえてきたのは少しばかりの驚きを秘めた声だった。女性にしては低く、男性にしては高い、どこか中性的な張りのある声。それは自らの内側から響いていた。
「え、なんでこんなことに?」
「あなたは、だれ?」
「……なるほど、君は私と波長が近すぎたのか。なれば、君は今この時より残り滓でしかない私のたった一人きりの巫女になるのだろうね。仕方ない」
やれやれ、と言いたげな声はすぐに軽い笑い声に変わった。どこか悪戯っぽく、その人は続ける。
「今から君に私の権能を託す。私の巫女ならこの程度軽くあしらってみるといいさ」
それらしくない少しだけ蓮っ葉な物言いに問いかけようとした時だった。周囲に春の風の甘やかな匂いが漂う。同時に身体中に違和感を覚えた。血管を熱湯に似た何かが巡っていくようなおぞましい感覚。体が溶け、痛覚が麻痺していなかったら恐らく気絶していたに違いない苦痛。反射的に指が無くなった腕で自らの体を抱きしめる。と、そこに溶けたはずの骨の感触がして、少女は思わず息を飲んだ。
「汝は風。誰にも囚われぬ自由なるもの。さぁ行くがいい!」
声は導く。少女は頷き、そして体内に満ち溢れて破裂しそうな異能の力を解き放った。
◆◆◆
エコーは廃墟の近くにある泉のそばにいた。物憂げにその湖面を眺めている少女にオルキデアは声をかける。
「お魚でもいるんですか?」
「……まぁ、一応」
どうしてそんなことを聞くのか、と言わんばかりに首を傾げるエコーだったが、やがて本気で水面に魚を探し始めたオルキデアに呆れたような表情を浮かべる。
「シスターさんは、その……この顔が不気味とか思わないの?」
「……人間なんて、突き詰めれば生きる肉袋です。顔なんて瑣末だと、吸血鬼の相手をしていて、思い知らされました」
先日遭遇した寄生型吸血鬼は額から人体に入り込み、脳髄に至る。そして人のふりをしながら犠牲者を増やしていくのだ。どんなに優しく無邪気な子供を装っていても、それはあくまで擬態である。
そうオルキデアが淡々と告げれば、エコーは言葉を失う。ここまでばっさりと切り捨てられると思っていなかったからだ。普通ならばこの変わり果てた美しすぎる顔を見た瞬間に不自然なほどの好意を持つ。もしくはおぞましい感情を抱く。そういう呪いがかけられているかのように。事実ここに迷い込むまで吸血鬼だけでなく人間によって少なからず嫌な思いをしてきた。それらを全て風で吹き飛ばしてなんとかここまで逃げてきた。それなのに目の前のシスターは変わらずに真っ直ぐなままだった。どんなにそれが難しいことか。タクスス以外の全ての生き物に行く先々で襲われてきたエコーは驚きを隠せない。
「だから見目に惑わされるようでは吸血鬼退治は出来ません。この前改めてそれを突きつけられました」
それこそ敵が敬愛すべき聖者や最愛の人の皮を被っていることすらあるのだから。吸血鬼の悪意は人間の常識など軽く凌駕する。オルキデアは拳を握る。
エコーはぐっと何か言いかけるのを読み込み、やがて小さな声で零した。
「……私、自分の顔を思い出したいの」
自分の名前すら失った。両親とどんな風に笑っていたのかも、どんな風に語らったのかも何一つ思い出せない。二人の血を引いているはずの自分を縁に思い出そうにもこの呪いじみた顔はそれさえ許さない。
「私は私のはずなの……間違っても女神とやらなんかじゃない! お父さんとお母さんを思い出したい!」
だから、どんな美貌であろうと彼女はいらなかった。ただ生き残りたかった。だがそれ故に命以外全てを失ってしまった。そんなの誰が極限状態で想像することができるだろうか。オルキデアはたまらずエコーを抱き締める。打算のない柔らかいあたたかさに包まれたエコーの嗚咽が聞こえてきたのはすぐだった。




