Caged wind 3
二人が連れてこられたのは半分崩れかけた小屋だった。だがその中は確かに今も使われていることを示すように薬品の瓶や干された薬草に溢れていた。
「先程はうちのエコーがすまなかったね。シスターに怪我がなくてよかったよ」
小屋の中で改めてタクススをじっくり観察し、そしてやはりこの青年が人間ではないとオルキデアは実感する。大昔の司祭を思わせるゆったりとした袖口や服の合わせからは無数の蔦が這い出し、装飾品のように彼を彩っていた。蠢くそれを気にする素振りがないあたり、いつものことなのだろう。
「エコー、ほら、謝りなさい」
「いやだっ」
むすっとした少女の瞳は明らかに納得していない。それを見咎めるようにタクススは眉を吊り上げる。
「エコー?」
「だってこのおじさんも吸血鬼でしょ。吸血鬼は」
「リャグーシュカは私がアンプルを分けた子だ。だからいいんだ」
タクススの低い声は否定を許さなかった。だが、いくら話を聞かない子とはいえ、ここまでの圧をかけられるのは可哀想だ、とオルキデアは慌てる。
「大丈夫ですよ! ほら! だからそこまで怒らなくても」
「シスター、私はこの子のために怒っている。我儘になって困るのはこの子だから」
それを窘めたのはタクスス本人だった。リャグーシュカは目の前の頑固な昔馴染みが一切曲げる気がないのを悟って溜息をつく。オルキデアの気遣いには悪いが、ここは大人しく同意しておいた方が良さそうだ。
「確かにこれだけ美人さんなら街に出たら何もしなくても貢がれそうなぐらいだから躾をちゃんとしないといけない、というのは分かるけども」
だが、それは地雷だったようだ。目を見開いたエコーは緑色の瞳にたちまち涙を滲ませ、リャグーシュカを睨みつける。その悲痛さに思わずオルキデアは言葉を失った。どう考えても子供が浮かべていい表情ではなかった。
「うるさい……私だって! 好きでこの顔になった訳じゃない!」
「エコー!待ちなさい!」
そのまま泣きながらエコーは小屋を出ていく。乱暴に閉められた扉と呆気に取られる二人を見比べて、タクススはリャグーシュカを選んだ。
「……リャグーシュカ、君は悪くない。ただ、少しあの子は厄介な事情を抱えていてね」
そして告げられたのは信じられないような内容だった。
「あの子は異界の神によって全てが変質した犠牲者なんだ」
◆ ◆ ◆
異界の神。
聞き慣れない単語にオルキデアは首を傾げる。聖典には記載がない存在だ。
「えっと、それは精霊とは違うのですか?」
十数年に一度降臨し人間達に予言をもたらすと言われている存在をあげると、タクススは首を振る。
「精霊とは明確に違う。そうか、今の教義からはその名は消されたのか……異界の神、メイフランは創世の頃、確実に存在した本物の神様だ」
メイフラン。神様のそれとは思えないほど軽やかな音の響きだ。
「始まりに光の女神あり。光の女神は伴侶として闇の君を作る。二人は夫婦として世界を作り、今も人を見守っている。その証人こそが金色の獣である……ここにメイフランなる者が介在する余地などないように思えますが」
オルキデアは聖典の概要を諳んじる。誰もが知る創世記。それに実際に【金色の獣】は実在した。
だが、それに対し、タクススは眉間に皺を寄せた。
「……なるほど、そういった美談にされたのですか。実際は違う。光の女神と闇の君は人間を今も見守っていたりなどしない。光の女神は人間に殺され、闇の君は人を憎む呪いと成り果てた」
その胸にかかっている空のアンプルが揺れる。
「そのまま人を呪い滅ぼそうとした闇の君を契約に従い、人理を守るために斬り捨てたのが【金色の獣】……否、【金色の災厄】。【金色の災厄】はまだ二柱が神だった頃、メイフランと共に現れ、人の守り手になるという契約を結んだとされている」
タクススが戸棚から取り出した書物はあまりの古さに崩れ始めていた。
「こちらにはまだメイフランと【金色の災厄】の記載がある。春風の化身メイフランは緑の髪と瞳を持っていたと」
「それって……」
エコーの姿そのままではないか。あの人間離れした色彩と美貌が他に自然発生しうるだろうか。口ごもったオルキデアに対し、タクススは頷く。
「エコーは、この村に迷い込んだ時、既にあの姿だった。けれども彼女は自分の名さえも分からなくなってしまった中、これは自分の顔ではない、と言い、私に助けを求めた。私は……その懇願を払い除けられなかった」
だからここで私が保護している、と目を伏せる。
「あの子に唯一残っている記憶は大型吸血鬼に村ごと飲み込まれた時のこと。吸血鬼を嫌悪しているのはそのせいだ」
「……それは仕方ないな。オルキデアへの危害はさておき」
リャグーシュカは後悔していた。容姿に触れるべきではなかったと。あれだけの容姿だ。かえって災いを招きかねないそれによって嫌な思いをしてきたかもしれないと考慮すべきだった。気まずい表情になっていたらしい。タクススは深く溜息をつく。
「シスター。申し訳ないけれど、エコーを宥めてきてくれないか? リャグーシュカに大事な話があってね」
「……わかりました。ですが、一つよろしいですか?」
諾と受けたオルキデアは鋭い目でタクススを見据える。
「その大事な話とは、泣いてる家族を放置してでもしないといけないほどのものなのでしょうか?」
そう、それがずっと最初からオルキデアにとって痼となっていた。あの子は泣いていた。子供の我儘によるそれとは思えない、心を引き裂かれたような表情で。それなのに待ちなさい、と言っただけで彼は追いかけようとしなかった。聖職者として見逃す訳には行かなかった。暗にそう責めればタクススの表情が強ばる。
「……そうだ」
「ならばこれ以上は野暮ですね。失礼します」
苦虫を噛み潰したようなタクススと颯爽と去っていくオルキデアをリャグーシュカは困ったように見比べていた。




