Sweet sweet nightmare 3
急遽転居が決まったのでバタバタしてます。ひええ。
オルキデアが目を覚ますとそこは腐臭漂う洋館だった。
「うっ……」
覚醒と共に充満する悪臭に鼻を摘む。と、その手の感触が常と違うことに気付き、オルキデアは思わず固まった。彼女が身に付けていたのはいつもの修道服ではなく、夜会に出るようなシンプルではあるが上質な黒い布地で作られたドレス姿だった。先程の違和感は同じ色合いのオペラグローブによるものらしい。
「いつの間に……」
こんな上等で都会的なもの、辺境の村育ちの平民である彼女は身につけたことがない。だがその感動よりもこの異様な空間で訳も分からず知らないうちにそんなものを身に付けているという気味悪さの方が勝った。愛用の銃だけでなく普段使用するようなナイフといった隠し武器の類も全て没収されており、文字通り身一つで戦うしかないことが確定したことにオルキデアは唇を噛み締める。そして意識を失う直前に見たものを思い浮かべた。
「どうして、あの方がこんな所に」
星屑を集めたかのような銀髪に紫の瞳。一見して吸血鬼とは思えない楚々とした麗しの貴婦人。肖像画で見た姿はその瞳は閉ざされていたものの、見間違うことなどあるはずがない。
あれは聖女ディアーナだ。
「……迷っちゃダメ、オルキデア。しっかりしなくては」
疑念に揺らぎそうになる自分に喝を入れてオルキデアは立ち上がる。とりあえず出口を確保しなくては。話はそれからだ。リャグーシュカとの合流を目指すオルキデアは、警戒していたからこそ、その微かな物音に気付いた。
「……そこ!」
拾い上げた手近なガラクタを目一杯の力で投擲する。すると、その攻撃を予想していなかったのか、あっさりとガラクタを当てられたその人影は可憐な悲鳴を上げた。オルキデアはその声が意外だったこともあり、つい二個目のガラクタを拾い上げる手を止める。
「えっと……フェガリさん?」
「オルキデアさん、痛いですよぉ……私がダンピールじゃなかったら死んでました」
そこにいたのは先程別れた時と変わらない姿のフェガリだ。オルキデアが投げたガラクタが当たった後頭部を痛そうに涙目で撫でている。だがその言葉が示すそれはあまりに剣呑だった。
「ダンピール!? まさか、実在するなんて……!」
「別にお父さんが吸血鬼で少しだけ傷を負いにくいだけで人間と変わらないですよ」
そう呟く彼女は憔悴していた。修道女として沢山の人を見続けてきたからこそ分かるその曇りをオルキデアは見逃さない。
「……単刀直入に聞きます。貴女、私を攫ったあの吸血鬼とグルですね?」
「……」
「でも、それは貴女の望むところではない。何かしらの理由があって協力せざるをえない。そうではないのですか?」
淡々と問いかけるオルキデアは怒ってはいなかった。てっきり怒鳴られると思っていたフェガリの瞳が揺らぐ。そして、彼女はゆっくり頷く。
「オルキデアさん、ごめんなさい……ママを、ママの体を、【手招きの吸血鬼】から取り返してください」
【手招きの吸血鬼】リマス。
それは吸血鬼達の執念の果てに生まれたものだった。怨敵であり人間に与する最強の吸血鬼リャグーシュカを討つ為に吸血鬼達が選んだのは。
「果てなき共喰いによって進化した吸血鬼だって……?」
「あらゆる死体の吸血鬼や人間の死体を喰っては喰い散らかして生まれたのがあいつだ。手招きで死体を引き寄せ吸収できるのはそのせいだ。基本性能からしてデタラメかよ」
口調こそ軽口を叩くようなものであるが、それが軽口でない証拠にセルペンスの真紅の瞳は憎悪に燃えていた。
「そんなノー倫理クソアマ野郎はある程度力をつけて手始めにしたことがなんだと思う?」
次の瞬間彼が告げたのはあまりに想像を絶する内容だった。
「六聖人の霊廟襲撃。その結果リマスは六聖人全員の亡骸とその場にいた俺以外の教会関係者全員喰いやがった」
もっとも既に貴様は封印されてたから知らないだろうが、とセルペンスは口を噤む。そして想像以上の蛮行に言葉を失い、つい立ち止まったリャグーシュカを見て、セルペンスの唇が皮肉っぽく歪む。
「その面、お前知らなかったな? 教会のじじい共は復活後も隠しきったのか。はん、相変わらずの大した面の皮だ。だから教会は好かん」
「まさか、君は」
「そうだ、俺はリマスへの怒りで吸血鬼になった。亡骸といえディアーナ様を喰うとか許せん。俺も結局てめぇとお揃いってことだ。気持ち悪いがよぉ」
◆ ◆ ◆
セルペンスと出逢ったのはまだディアーナが生きている時のことだった。
「おかえりなさい! 新しいお世話の子が仲間になったのよ!」
大量殺戮から本部に戻ったリャグーシュカにそう声をかけたディアーナは珍しくうきうきしていた。
ディアーナは聖句に目覚めた時の事件のせいで盲目になった。その瞼は閉ざされており、服で隠れている全身には今も無数の傷跡が残っている。傷だらけの聖女と称される彼女はそれをも気にせず、ただただ慈愛を持って教会で生活していた。そして聖句を求めて来た信者達に祝福を施すのが今の彼女だった。
そんな彼女についたという新しいお世話係は当時の心が擦り切れたリャグーシュカから見ても不適切と思われるスラム育ちの痩せた子供だった。
「……スラムのゴロツキか」
そう吐き捨てたリャグーシュカに少年の青い目が吊り上がる。
「こら! そんな酷い言い方しない! この子は優しいし、しっかりした努力家なんだから!」
「………ディアーナ、すまない。その小汚い子供に構ってる暇はないんだ。一時間後には再び前線に出ないといけない。仮眠をとらなくては」
現存するのはたった二本という希少な吸血鬼化アンプルによる肉体改造はしたものの、まだ完全な吸血鬼になりきっていないリャグーシュカの体は不安定だった。その証拠に彼の毛細血管は千切れあちこちから血が出ている。だが、その無礼な物言いに対し少年は怖気ることなく、むしろ憤るかのように仁王立ちになった。
「小汚い子供? 目まで腐ってんのか、薄汚い吸血鬼まじりの甲斐性なし。ディアーナ様の御前に立てるような風体でないのはてめぇの方だろ? 鏡の前で自分の姿を見返してきてから出直してきな。あぁ、吸血鬼は鏡に映らないもんな、これ、永遠にディアーナ様の御前にくんなということだけど脳みそ空っぽだから分からないかぁ?」
そして何倍もの罵倒をもって煽り返してくる。なんだ、この子供は。本来は朴訥とした村人でしかないリャグーシュカは少しばかり面食らうが、だが足を止めるほどでもなかった。ディアーナを害した吸血鬼共の殲滅。彼の脳裏にあるのはそれだけだった。
その後も何度かセルペンスと接する機会があった。人格を荒廃させていくリャグーシュカを止めようとするディアーナ、そしてディアーナへの敬愛からそれに付き従うセルペンス。着実に力をつけ、六種類の聖句を使いこなせるようになったセルペンスは綺麗になった身なりで、だがしかし、丁寧ながらもどこまでも無礼な物言いでリャグーシュカを罵倒した。その結果、度重なる戦闘と殺戮で心を亡くしたリャグーシュカでも、流石にセルペンスを明確に嫌悪した。そう、愛しい人の周りを飛ぶ鬱陶しい蝿として。
最後に彼がその姿を見たのはディアーナに封印される時だ。その場には司祭にまで成り上がったセルペンスもいた。まだその時は彼は人間だった。凍てついた心のリャグーシュカだったが、封印されゆく彼を見て泣きじゃくるディアーナの後ろでセルペンスもまた泣いていたのを見て、どうしてか問いかけようとし、そしてその前に意識は閉ざされた。
その事を思い出してリャグーシュカは目の前の男に問いかける。
「あの時なんで君は泣いていたんだ? まさか」
「てめえのために泣くわけないだろ、クソが。ディアーナ様がお労しかったからに決まってるだろうが。勘違いするな染み野郎、俺はあくまでディアーナ様の亡骸を奪われたから怒っただけだ。ディアーナ様を悲しませた以上てめぇもいつか潰す。そもそも初対面の時からスカしてて気に食わなかったんだよ」
セルペンスは匂いを辿って見つけ出したリマスが拠点にしているという館への道を走りながらそう吐き捨てる。涼しい顔で追いついてくるリャグーシュカだが、あることに気付く。
「何故君は今までリマスを討てなかった?」
それは純粋な疑問だ。セルペンスが吸血鬼になったことを知ってから何故吸血鬼になったのか不思議だったがリマスのことを知れば納得できる。だが、だからこそ理解できないのだ。この喧嘩早い男が何千年も燻っていたことを。そう問いかければセルペンスの顔が歪む。
「……やっぱてめぇは嫌いだ。中身がクソアマ吸血鬼であろうとディアーナ様のご尊顔を殴れるか? 俺には無理だ」
そういうことなのだ。一万年以上経っても彼はその敬愛を色濃く抱き続けている。そのために吸血鬼になったのに、割り切れていないのだ。そういうとこだよ、セルペンス、と内心で思いながらリャグーシュカは溜息をつく。
「リマスは吸収した肉体に体を置換できるのか。これは厄介だな。六聖人全員の死体を吸収しているってことはおそらく僕の聖句以外は効かないか。表にさえ出てこなければ生粋の吸血鬼としては無敵じゃないのか? アンプル産の僕達じゃないと倒せないわけだし」
だが、だからといってオルキデアを攫われたままではいさせられない。それに。
「セルペンス、まだ何か隠してるだろう? じゃなきゃ僕を嫌ってる君が僕に協力してくれるはずがない。僕が封印されてる間みたいに諦めて静観していればいいんだから。キリキリ吐け。というか予想ついてるんだよね」
だからこそ、リャグーシュカは手に入れたばかりのカードを惜しげもなく切る。
「先程教会直属の情報屋のリコリスからダンピール保護の依頼を受けた。それ、君の関係者だろ?」




