Sweet sweet nightmare 2
その清廉なる姿は淑女がごとく。されど纏う香りは紛うことなき死臭。笑いながら手招きして引き寄せた屍で小規模ながらも堅牢な要塞を築きあげ吸収する脅威の吸血鬼。彼女こそまさに屍肉の女王。
リマスについての情報をラウレルから持ち帰ったオルキデアは思案していた。死体を吸収する吸血鬼など初耳だ。彼の体は聖句による強力な祝福により生半可な攻撃ではあんなことにならないはず。そして死体を吸収しているということはゾンビなのだろうか。だが、残念なことにラウレルはリマスとの交戦時に手を切断され、大量の血を失ったことにより半分朦朧としていて、その吸血鬼についての記憶も朧気だったそうだ。それでも辛うじて解析の奇跡を使い、相手の正体を炙り出したというあたりがラウレルの執念ともいえるであろう。
彼女を宿まで送ってくれたフェガリもその吸血鬼に襲われていたそうだが、その時は頭が真っ白になっており、やはりはっきりとは覚えていないそうだ。だが、動物の死骸を吸収しているところを偶然目撃して襲われたと言っていた。
「手招き……実際はどんな能力なんですかね」
名高いネームドであるセルペンス同様、本当の異能が分からない。
【誰そ彼の吸血鬼】セルペンスは元教会関係者の人間だった吸血鬼でリャグーシュカ同様、対吸血鬼に狂った男だという。オルキデアは遭遇したことがないが、リャグーシュカと異なり、彼は人間の犠牲を厭わない。そのため指名手配をされている討伐対象だ。
世界の法則に背く吸血鬼達はある一定以上の破壊や殺戮を繰り返すと世界そのものから、より明確な敵として名を与えられるという。それがネームドと呼ばれる吸血鬼達だ。解析の奇跡を使うことで、その忌まわしい特質を示す個体名が可視化されるようになる。なお、リャグーシュカもれっきとしたネームドであり、彼に解析の奇跡を使用すると【成れ果ての吸血鬼】リャグーシュカ、と表記される。もっとも本人はこの名に対し、嫌悪感を露わにしているため、解析の奇跡を使うと怒るのだが。ネームドと称される吸血鬼はその名付けの経緯からわかる通り、危険度が高い。教会は無理な討伐をさせないためにわざわざネームドは特殊な吸血鬼としてカテゴライズし、そして解析の奇跡により判明した情報を周知、悪魔祓い達にも対策なしでの交戦を避けるようにさせている。先日のカルドもまたネームド化していたことを考えると真正面から対峙すれば難敵だったはずだ。相手がリャグーシュカだったからなんとかなっただけである。
とはいえ、【手招きの吸血鬼】について今まで聞いた覚えがない。新しい吸血鬼なのか、それとも隠れ潜んでいたのか。リャグーシュカは知っているだろうか。オルキデアがそんなことを考えていた時だった。
「――あら? わたくしのことを知りたくて?」
後ろから、嫌な匂いがした。甘やかな腐敗臭とあまりに濃い生臭い鉄臭さ。まさか。オルキデアは振り返るより先に拳銃を取り出していた。そして声の位置から予測される急所に迷わず銃弾を叩き込む。頭に二つ、心臓にも二つ。過剰な攻撃かもしれない。だがしかし、これぐらい簡単にやってのけなくては最前線で吸血鬼と戦えないのである。その成果として銃弾が柔らかな肉にめり込む音が微かに聞こえた。
「酷いじゃない。いきなり人様を攻撃するなんて……人間なら死んでいたわよ?」
だがやはり相手は人間ではなかった。鈴を転がすような甘い声でそれはオルキデアを嘲笑する。目を見開きながら振り返ったオルキデアの目に映ったその姿はあまりに予想外で、そして信じ難いものだった。
◆ ◆ ◆
「オルキデア、すまない。遅くなった」
リコリスの元から帰ったリャグーシュカは泊まっている部屋の前でそう声をかける。何故なら一度オルキデアの着替え中に開けてしまった時に本気で怒られたからだ。顔を真っ赤にしたまま銃弾で手足に迷わず銃弾を叩き込まれてからは、必ず声をかけてから入室するようにしている。何しろ異性と一室を強いられているのだからその辺の配慮は必須である。
だが、この時に限っては一言も返事がなかった。まだ戻ってきていないか、はたまた先に眠っているのだろうか。リャグーシュカは鍵を開けようとし、そして気付いた。鍵穴に、吸血鬼の血が少し付着していることに。まさか、と思いつつも、開けるぞ、と再び声をかけてから勢いよく施錠されていないドアに手をかけた。
「オルキデア……!」
そこはもぬけの殻だった。床には粘液性の何かと血痕が滴っており、無理矢理連れ去られた証拠に空になった薬莢が所々に落ちている。何より窓は不用心にも開け放たれている。
彼女は弱くない。苦戦はするだろうが、容易く手折られるほど経験が浅い訳では無いのだ。そうなると彼女を連れ去ったのは。
「ネームドか」
リャグーシュカもその存在はよく知っている。だからこそすぐその答えに結びついてしまった。となれば彼女の現状を推し量るにはあまりに容易く。
嗚呼、まただ。彼がいない所でいつも大切な守るべき人は傷つけられていく。怒りに奥歯を噛み締めたリャグーシュカの輪郭が乱れていく。影は化け物の形へと姿を変えていく。もっともこの無人の部屋ではそれを指摘するものなどいなかったが。
「許さない、許さない、許してはいけない」
いくらディアーナが慈悲で全てを許しても、いくらミハイルが憐憫で全てを悼んでも。
リャグーシュカの憤怒は全てを根絶やしにするまで止まらない。
化け物の姿をした影が部屋を侵食していく。室内の全てがリャグーシュカに覆われた頃、不意に一条の光がリャグーシュカ目掛けて飛び込んできた。
「――よう、偽善者。地金晒してんじゃないか」
その光は正確にリャグーシュカの頭を吹き飛ばす。だが、今となっては影が形を作った吸血鬼でしかないリャグーシュカはすぐに新しい頭を生やす。そしてそこに留まり続ける光をぎょろりとした目で睨みつけた。
「……お前のような若造が邪魔をするな」
「悪いな? 死に損ないのロートルが熱暴走しかけてるとちょっかいをかけたくて仕方なくてな」
光、すなわちぶっきらぼうでチンピラがそのまま大人になったかのような声の主が影へと戻りゆく古い頭を踏み躙る。
「リャグーシュカ、少しは頭冷やせ? いや、その頭は飾りだったっけか? 言い直すわ、床の染み風情野郎、ちょっくらてめぇの力貸せや」
光が少しづつ人の形へと変わっていく。
「てめぇの相棒攫った奴、ディアーナ様達の死体蹴りしてやがるクソアマなんだ」
やがてそこに姿を晒していたのは乱雑に切ったとすぐにわかる砂色の短髪に赤い瞳の凶相の男だ。しばらくの沈黙。やがてリャグーシュカの影が収縮していく。完全に普段の姿に戻ったリャグーシュカは問いかける。
「……話を聞かせろ」
「ようやく頭が冷えたか? 全くじじいの癖に年甲斐なくすぐカッとするんだから手に負えないロートルだ」
嘲りを隠しもしないその男はリャグーシュカが珍しく心底嫌っている相手だ。
「まさかここまで変わり映えがないとは思っていなかったよ。長生きだけして品がない君よりかはましだよねぇ、セルペンス?」
【誰そ彼の吸血鬼】セルペンス。同じく人間、それも聖職者から吸血鬼に成り果てた愚か者。だが今回ばかりは最高の相棒である。




