【閑話】星の瞳
彼の相棒の一人はかつて人間のことを地上の星と呼んだ。そしてその筆頭として自分の名を挙げられた時は苦笑いしか出なかったが、なるほど、気持ちはわからなくもない。
揺るぎながらもなんと真っ直ぐで眩しい輝きだろう。
「月が綺麗ですね、っと。なんだかこれじゃあ吸血鬼みたいだな」
草木も眠る丑三つ時。堂々と教会に侵入した男は宿直をしていた神父が驚いた顔で自身を見てくるのに気付き、思わず兜の内側で唇を綻ばせた。
「感心感心。よく練られた障壁だ。初心者とは思えん」
「……【黄金の獣】様、何故こんな所に」
「もう一人の若造の様子見」
パルマの問いに金目の男は気負うことなくからりと答える。そのへったくれも無い様子に毒気が抜けたパルマは深く溜息をつく。
先日カルドは吸血鬼化した。しかしどういう原理なのかは分からないがいきなり目の前の男が斬り捨てるや否や、その体はすぐ近くで再生していた。記憶を失った状態で。
「……神の御心は私などでは測りかねる故、深くは問いませぬが、一応、元気にやっておりますあれは」
「そうか。ならよかった。あいつはトレボルのやつの聖句使いだからな」
トレボル。その名を聞いてパルマはつい固まる。六聖人が一人、聖トレボル。どうして彼の名を目の前の鎧武者は親しみを込めた口振りで呼ぶのか。困惑しながらも聖トレボルの逸話を思い浮かべる。
プロメサという辺境に生まれた隻眼の戦士トレボル。ある日吸血鬼に襲われ聖句に覚醒したと言われている。その傍らにはいつも奇妙な獣と麗しい人形のような乙女が侍っていたと伝えられている。そう、奇妙な獣。目の前の鎧武者が獣になった姿をパルマは知っている。なんなら先日の事件の際は背中に乗せてもらった。
二つの伝説が脳裏で結びついたパルマは口元を手で覆う。
「まさか、聖トレボルの傍らにあった獣というのは」
「……あれ、案外後世まで伝わってないのか」
意外そうな感想は誰がどう聞いても肯定でしかなかった。鎧武者は首を傾げる。
「というよりどの聖者も聖句を覚醒させられた時、大体俺が近くにいたが……リャグーシュカとトレボルは中でも特別」
「……どうしてあの吸血鬼が聖トレボル様と同列なんです?」
少しづつ頭が痛くなってきた。パルマはこれ以上迂闊に深入りしてはいけない、と内心思いつつも問いかけるのを止められない。それは信仰心が混ざった好奇心が故に。
「あんなでも七人目の聖人だからなぁ、あれでも。一番難儀な聖人だ。だから教会もやつを殺すのではなく封印したまんま放置したんだろうさ」
公にされない七人目の存在。言葉を失ったパルマはだからこそ、その声に少しづつ哀れみと後悔が混ざり始めていたのにはすぐ気が付けなかった。
◆ ◆ ◆
聖人、聖句。
それらを周りの人々は神聖視し、彼自身を含め讃えるが男からすれば首を振らざるをえない。
「信仰心を揺さぶるつもりじゃあないが……聖人とて人だ」
聖人の全てが清らかな志を持っていたわけではない。彼はそれを身をもってよく知っている。
「具体的にどいつと名指しはしないが、俺はとある聖人をこの手で処している。あまりに人の道を離れすぎたからだ。おそらくそこら辺の記述は消されているのだろうが」
「人の道を?」
「普通の思考回路の持ち主ならまず思いつかない冒涜的でとち狂った奴だった……思い出すのさえ厭わしい」
だがその凶行のせいで、吸血鬼は同胞の血を引く者を積極的に殺すという習性がいつのまにか組み込まれた。種族として一見矛盾するような性質だが、それがどれほど重要かを男は知っている。あえてぼかした意図をパルマはきちんと汲み取ったらしく、それ以上聞いてはこなかった。
「つまりは、だ。聖句っていうのは欲望なんだよ。世界をかくあれかし、と塗り替える想い。だから吸血鬼は聖句を使えない。吸血鬼はああ見えて恐ろしいほどにシステム化された呪いだ。故に塗り替えられた世界と乖離すればするほど存在が希薄になる。だから人を襲い、進化し、増える。難儀な存在だなぁ」
吸血行為は体内にそのゲノム情報を取り込むことで存在という濃度を世界に引き戻す。それが吸血鬼。
と、不意にドアが開く音がした。中に入ってきた人物を見て、パルマは思わず目を見開く。その顔は先日シスターとこの地に訪れた吸血鬼と瓜二つで違うのはその色彩と最高位の地位にあることを示す祭服だけだ。
「教皇猊下……!?」
「やっぱり来たか」
驚くパルマに対し、男はどこまでもつまらなさそうに鼻を鳴らす。一方教皇は真っ直ぐに青の鎧武者を見据えて顔を歪めた。よく見ればその足元は透き通っていた。本体ではなく何らかの方法で映像を飛ばしているようだ。
「壊れた青め……信徒を誑かすな」
「事実だろうが改竄厨」
長年の経験でパルマは存在感を極力消す。こういう時下手に目をつけられたら面倒なことになると熟知しているからだ。
「契約は守ってやってんだ。あんまり俺をガッカリさせるな。これならリャグーシュカのがずっとましだ」
「あんな紛い物と私を比べるな。不敬だぞ」
だがその言葉に対し返ってきたのは笑いだった。
「不敬? 今、俺に不敬と?」
次の瞬間、周囲は室内だと言うのに一面の雪景色に変わり果てていた。それもただの雪原ではなくあちこちに剣や槍、弓や刀がいくつも墓標のように突き刺さっている。いうなれば冬の廃戦場といったところか。教皇の正面に立った鎧武者は着けていたマントをパルマに投げた。
「神父、これを被っておけ。死にたくないならな」
その声に今までのどこか親しみやすい人間味は一切なくて。
「俺は、お前と一応対等でこそあれ、敬う理由はただ一つもない」
雪が吹雪へと変わる。言葉がただのノイズへと成り果てる。
「身の程知らずにはお引き取り願おうか。【永劫回帰】」
教皇の体が雪に覆われていく。抵抗しているようだがあまりの風の強さと雪の量にみるみるうちに飲み込まれていく。マントの内側から窺ううちに、その氷像の輪郭が少しづつ溶けるように小さくなっていってることに気付いたパルマは思わず息を飲んだ。
「これは魂をそのものを溶かす雪。どうせ本体は別のところにいるんだ、端末ぐらい潰しても問題なかろう」
「いや、その相手は教皇猊下で」
「俺は神話の存在だが?」
「……」
言っても無駄だ。そう理解したパルマは口を噤む。やがて雪像がほぼ周辺の雪と見分けがつかなくなった頃、急に雪が消え、二人は教会の中に戻っていた。
「……さて、面倒なことになりそうだからお前に印つけとくな。そうすりゃ教皇でも手出はできないはず」
「いや、お待ちくだされ」
何事も無かったかのように呟く鎧武者に思わずパルマは突っ込まざるをえなかった。
「あの、教皇猊下は一体何を……?」
「知らない方がいいと思うぞ。人間として社会生活を送り続けたいなら。さて……あー、神父、お前、その目の色に思い入れはあるか?」
待て、どういうことだ。突拍子もない問いにパルマは固まる。
「無言は肯定と見なすぞ。目が一番印つける場所としては楽なんだよな」
鎧武者が初めてパルマの前で兜を外した。現れた金の瞳に思わず目を奪われる。少しだけ吊り目がちの青年の顔は確かに獣の時の名残があった。
「さて、そろそろ二人のところに戻らなくちゃな。じゃあ、また」
◆ ◆ ◆
翌日パルマは礼拝堂の椅子の上で座り込んだまま眠っているところをカルドに起こされた。カルドはその目を見て、言葉を失う。
「いかがした、カルド」
「その、パルマ神父」
記憶には無いはずなのに何故か体が震える。カルドはゆっくり告げた。
「貴方の目、ちゃんと見えていますか?」
「……前より手元が見えやすくなっているな。老眼だったはずなのだが」
深遠なる黒の瞳は星を思わせる金色に煌めいていた。




