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魔女は暁に笑う  作者: 未田
第45章『午後九時五分』
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第122話

 風見波瑠は、現在の自宅である賃貸マンションに帰宅した。

 居酒屋でのアルバイトがある日は日付が変わる帰宅が多いが、今日は休みのため、まだ早い時間帯だった。アルバイトが無い代わり、学校のサークル活動に顔を出していた。


「ただいまー。あー、お腹空いた」


 ここでの暮らしが始まって、約三週間が経つ。大学も含め生活様式ががらりと変わったが、波瑠はすっかり慣れていた。

 しかし、いつ帰宅しても自宅のリビングが真っ暗であることには、慣れなかった。遭遇する機会は遥かに多いが、この光景は確かに『違う』と思っていた。

 波瑠はリビングの灯りを点けた。そして、隙間から明かりの漏れている部屋の扉を、開けた。


「もー。咲幸、また引きこもってんじゃん。晩御飯の支度、できてんの?」

「部屋入るなら、ノックぐらいしてよ……」


 小柄な女性が机に向かっていた。その後ろ姿も、見慣れた光景だった。

 家賃と光熱費と雑費は折半。食費に関して取り決めは無いが、ここで料理を行う分はおよそ割前勘定で出し合うようにしている。

 波瑠はここで、高校からの同級生であり愛する人物でもある嬉野咲幸と同居していた。

 高校卒業後、一度は咲幸を同居を誘うも、断られた。しかし、咲幸の事情が急変し、同居せざるを得なくなった彼女を迎えた。

 波瑠は、口止めされているため咲幸に黙っているが――『真相』を含め、事情を把握している。だから、咲幸が自室に引きこもっている陰鬱な現状は、まだ理解できた。


「ていうか、今日も必修科目(ひっしゅう)サボったでしょ? ダメじゃん。単位落とすよ?」

「うっさい……。どうでもいいよ」


 それでも見過ごすわけにはいかず、波瑠は扉の位置から心配した。

 咲幸が振り返ることなく、気だるそうな小声だけが聞こえた。


「どうでもよくないよ! 絶対に、四年で一緒に卒業するんだから!」


 これも咲幸には黙っているが、彼女の母親からそのように頼まれた。

 所詮は口頭で告げられただけなので、波瑠に履行する義務は無い。だが、波瑠もまた同じ未来を望んだまでだ。どうにかして、大学に通わせなければならない。


 母親から預かった『手切れ金』を咲幸に渡すことも、苦労した。

 咲幸はやはり、受け取ることを一度は拒んだ。大学を退学して適当に就職――出来なければフリーターに成ると言った。波瑠の説得に聞く耳を持たなかった。

 しかし、二週間ほど前、咲幸は急にその金を受け取った。

 どのような心の変化があったのか波瑠は知らないが、ひとまず安心した。

 とはいえ、この自堕落な様子を見過ごせない。自室に籠っていた咲幸が何かの勉強を始めたのが、ちょうど金を受け取った頃だ。自室ではなく、せめて学校で勉強すればいいと思う。


「明日は一緒に学校に行くよ。何がなんでも連れていくから」


 波瑠は宣言するも、咲幸は振り返ることなく無言で勉強を続けた。

 現在はこれ以上言い続けても無駄だと、波瑠は呆れた。


「ていうか、お腹空いたから晩御飯にしようよ。今日は咲幸の番でしょ?」


 波瑠はアルバイトで賄いを貰うことが多いので、料理の当番制は特に決めていない。ただ、最近の朝食は波瑠が作ることが多かった。今日はアルバイトが無いこともあり、今朝自宅を出る際、咲幸に当番を振ったのであった。


「わかったよ。……作ってる間、先にお風呂入っておいて」


 咲幸が椅子から立ち上がり、振り返った。不機嫌そうに――仕方なさそうに部屋を出た。

 業者を使用しての大掛かりな引っ越しは終えていた。現在この部屋にある家具は全て、咲幸が過去より使用していたものだ。

 波瑠は部屋の灯りを消す際、机に目が行った。背表紙に『民法』や『登記法』と書かれた参考書が並ぶ中、封の破られた茶封筒が見えた。


 咲幸がキッチンに立ったのを確認すると、波瑠は風呂に入った。

 入浴を終え、浴室から脱衣所への扉を開けた途端、強烈な匂いに襲われた。


「げっ」


 何か、粉ものを焼く匂いだった。おそらくキッチンの換気扇を回しているだろうが、扉を閉めている脱衣場まで漂っている。

 折角、風呂に入ったのに――これから身体にも衣服にも付くのだと思いながら、波瑠は身体を拭いた。

 咲幸の悪意を感じ、文句のひとつでも言おうとキッチンに向かった。だが、粉ものとソースの香りに空腹が疼いた。


「お好み焼きかぁ。美味しそうじゃん」


 キッチンテーブルに置かれた二枚の皿を見て、波瑠は虫の居所が収まった。

 咲幸は相変わらず不機嫌そうだったが、ふたり向かい合って夕飯を食べた。


「なにこれ……。すっごい美味しいよ。お店(そと)で食べるより、全然」


 波瑠は、世辞ではない素直な感想を述べた。


「どこが……。こんなクッソ不味いもの……」


 だが、咲幸は文句を漏らしながら食べていた。

 照れ隠しではないと、波瑠は思った。今にも泣き出しそうな表情になっている、咲幸の本心がわからなかった。


「そうだ。バスケサークル、和気あいあいで良い感じだよ。今度、新入生歓迎会(しんかん)あるから、咲幸も来なよ」

「……あたし、どこのサークルにも入る気無いんだけど」

「単なるコンパだから、そういうの気にしないで。……もし雰囲気が合うなら、考えな」


 学校に連れ出すにあたり、波瑠は明るい話題を咲幸に振った。

 しかし、咲幸はやはり乗り気を見せなかった。


「もうすぐゴールデンウィークじゃん。バイトの給料も入るし、どこか小旅行にでも行こうよ。学割のある内は、遊ばないと勿体ないし」


 波瑠はさらに、少し未来のことも話した。引きこもりがちになっている咲幸を、とりあえず外に連れ出したかった。

 咲幸はファミリーレストランのアルバイトをやめた。現在の住居からの距離が主な理由だが、少なくとも四年間アルバイトをしなくていいだけの貯金があるのだ――事情を知っている波瑠は、羨ましいとは思えないが。

 ふと、咲幸が箸を置いた。皿のお好み焼きは、まだ半分以上残っている。


「波瑠、ごめん……。あたし……あたし、悔しくて……」


 咲幸は両手で顔を覆い隠すと、俯いた。嗚咽を漏らす声は、掠れていた。

 波瑠も箸を置き、立ち上がった。そして、咲幸の背中を優しく擦った。


「謝ることなんて無いよ。ちょっとずつでいいからさ……前向いて、歩いてこ」


 まだ歩けるわけがない。まず咲幸が再び立ち上がるまでに、時間を要する。

 波瑠はただ、それを支えたかった。世界でただひとり、自分だけの『役目』であると自覚していた。迷惑とは思わなかった。


「うちはずっと、咲幸の側に居るから……」


 咲幸は俯いたまま、申し訳無さそうに頷いた。

 波瑠は、咲幸が幸せになることだけを願った。

 自分の力でそこへと導くつもりだが、咲幸が幸せであるなら過程は問わなかった――たとえ、咲幸の隣に自分の姿が居なくなろうとも。


 時刻は午後九時五分。

 女は、愛する人の明るい未来を信じた。

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