ゼロ点満点 1
「そちらは、すんだのかい?」
「はい、公爵様」
ヴィクトロスは、表情を変えもせず、返事をする。
ローエルハイドの屋敷に来ていた。
ジョザイアは、小ホールで、のんびりとくつろいでいる。
ソファに座り、足を組み、口元には、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
公爵家の当主でありながら、彼もまた貴族らしくはない。
たいていは軽装だったし、体裁など気にもせずにいる。
常に、人よりも良い服装をしようと財をはたく貴族とは違うのだ。
民服だって平気で着る。
そういうところにオリヴァージュは憧れているのかもしれない、とヴィクトロスは思う。
まだ小さかったオリヴァージュを、この屋敷に連れて来たのはヴィクトロスだ。
大人と呼ばれる歳になった頃には、オリヴァージュは、1人でここに来るようになっていた。
「あの魔術師は、ナルにやっつけられていたようだね」
「地面に伸びておりました」
ジョザイアが、小さく笑った。
穏やかな雰囲気はあっても、裡にかかえる力の大きさを感じる。
ヴィクトロスも魔術師だからだ。
さりとて、国王と契約する王宮魔術師ではない。
ヴィクトロスは、ジョザイアから魔力の分配を受けている。
元々、ローエルハイドの勤め人の子として、生まれたのだ。
8歳で魔力顕現し、以来、ジョザイアと魔力を通じて繋がっている。
ヴィクトロスが9歳になる少し前のことだった。
1人の王族が、ジョザイアを訪ねている。
オリヴァージュの父、エセルハーディ・ガルベリー。
彼が、とても深刻そうな顔をしていたのを、今も覚えていた。
実際、深刻になるのもわかる。
オリヴァージュの魔力量は、王族とは思えないほどなのだ。
『私の息子は、おそらく、そちらの血が濃く現れる』
エセルハーディは、そう言った。
そして、ジョザイアに、オリヴァージュの魔力が顕現したら、彼に魔術の扱い方を教えてくれと頼んだ。
「あの小さかったナルが、よくそこまで成長したものだ」
「目が離せず、私は大変でした」
また、ジョザイアが笑う。
ヴィクトロスからすれば、笑い事ではないのだけれども。
「きみが、あちらに行ってから26年になるのか」
「さようにございます」
ジョザイアはエセルハーディの頼みを聞きつつ、ヴィクトロスをオリヴァージュにつけたのだ。
当時、エセルハーディの私邸の執事をしていた者に仕事を習い、ヴィクトロスは、22歳で後継となっている。
その間、ずっとオリヴァージュの面倒もみてきた。
「優秀だったからね、きみは」
「9歳では、優秀も何もないと思いますが」
「そのようなことはないさ。きみは優秀だよ、今もね」
褒められても、ヴィクトロスは表情を変えない。
それが癖になっている。
オリヴァージュは扱いの難しい子供で、ヴィクトロスも苦労したのだ。
「殿下が婚姻されたら、私は、こちらに帰ることになるのでしょうか?」
「それは無理だろうよ」
「雛が2羽になるだけで、私の仕事は変わらないと?」
「いいや、ヴィッキー。そのうち、もっと雛が増えるからさ」
オリヴァージュの髪の色は、ダークグレイ。
ジョザイアほど真っ黒ではないが、かなり黒に近い色をしている。
それは、ローエルハイドの血の現れだ。
王族であるガルベリーとローエルハイドには、いつ頃からか血縁関係ができた。
ずいぶんと昔の話であるらしい。
が、時折、その血が濃く現れる。
血筋が近いとか遠いとかには、関係がなかった。
選ばれたように、現れるだけだ。
事実、ジョザイアとオリヴァージュは、何世代遡ればいいのか、というくらいに血縁としては離れている。
「2人のお子に現れるでしょうか?」
「それはわからないがね。きみが、彼らの子の面倒を見ることになるのは、間違いない。ナルは、ローエルハイドの血が濃いから」
ジョザイアが、少しだけ憂鬱そうに言った。
その意味を、ヴィクトロスは聞いたことがある。
ローエルハイドは「たった1人」にしか興味が持てない。
愛する者は、基本的に1人だけなのだそうだ。
ほかの者を大事にできないことはない。
が、それでも「たった1人」にのみ心を捧げてしまうところがある。
そのため、周囲の者を置き去りにするのだという。
「ナルは、彼女に夢中といった様子だったね」
「彼女が、すでに殿下の恋人であったなら、あの魔術師は殺されていたでしょう」
「それだけはね。どうしようもなく抑えが効かないのさ」
ジョザイアは、小さいオリヴァージュに魔術を抑制するすべを教えた。
今のところ、オリヴァージュも、うまく自己制御できている。
とはいえ、愛する者ができた彼は、とても危うい存在になったのだ。
セラフィーナになにかあれば、オリヴァージュは暴発するかもしれない。
「まぁ、国ひとつ吹き飛ぶくらいですむよ」
「ひとつでも、吹き飛ばされては困ります」
「だから、きみをつけているのだろう?」
「公爵様も過保護でいらっしゃる」
ジョザイアは、あの魔術師に指示した、ラウズワース公爵令嬢を消している。
なにかの拍子に「セラフィーナを危険に晒した張本人」を知り、オリヴァージュが直接に手を下さないように、だ。
「彼は、まだ若い。私ですら抑えるのが難しいというのに、ナルに抑えられるとは思えなくてね」
オリヴァージュは、己の血が、そこまでのものだとは知らない。
ジョザイアも言っていないし、ヴィクトロスも言っていないからだ。
うまくいけば、気づかないまま、人生を終えることもできる。
それを期待して、2人はオリヴァージュを見守ってきた。
これからも、それは変わらないだろう。
「それにしても、不思議です。なぜウィリュアートンには、“それ”が、出ないのでしょう」
ウィリュアートン公爵家にも、ローエルハイドの血は混じっている。
にもかかわらず、ローエルハイド独特の力も、本質も備わっていない。
「直系だからさ」
「ユージーン・ガルベリーの、ですか?」
「そうだよ。ローエルハイドと対極にいる、唯一の系譜だ」
ガルベリーの持つ、与える者と呼ばれる力。
それだけが、人ならざる者の力を、抑えこめるのかもしれない。
ローエルハイドとガルベリー、それにウィリュアートンの血の系譜を思いながら、ヴィクトロスは黙って姿を消した。




