お手柔らかに 4
平手打ちを食らわしてやりたい。
オリヴァージュの言っていることが真実であっても、納得できずにいる。
詭弁にしか聞こえなかった。
身分を明かさなかっただけだと、彼は言うが、偽ったも同然だ。
なにしろ、ナルは魔術師の格好をしていたし、あえて、名を告げられなければ、セラフィーナには知りようがない。
「あなたの話なんて、どうでもいいわ。もう離してちょうだい」
ぴくっと、オリヴァージュの片眉が吊り上がる。
瞳は、やっぱりナルのもので、ひどく悔しくなった。
セラフィーナが問題にしているのは「ナル」という名ではない。
存在が「偽物」だったことを問題にしているのだ。
「騙された、と思っているのだろう?」
「そうよ。ナルが愛称だから、なんだというの? 私は……」
セラフィーナは、きゅっと唇を噛みしめる。
顔をそむけ、オリヴァージュから視線を外した。
瞳に「ナル」を探すのが嫌だったからだ。
「さっき、きみが言ったように、私の本質は変わらない。話しかたが気にいらないなら、戻してもかまわないよ? もう教育係ではないけれどね」
「……どうでもいいと言っているでしょ? 最初から、ナルはいなかったんだし」
「私は、きみを騙してはいないし、騙したこともない」
きっぱりとした口調に、不満が募る。
なにを言われても納得できる気がしなかった。
オリヴァージュが、どういうつもりだったかではなく、セラフィーナがどう思うかなのだ。
そして、彼女は「騙されていた」と思っている。
その気持ちは拭えない。
頑固だと言われようが、聞き分けがないと呆れられようが。
セラフィーナは、魔術師であり教育係の「ナル」に恋をしたのだ。
王族であるオリヴァージュ・ガルベリーを「ナル」と同一視はできなかった。
「なにが、それほど気に食わないのかな?」
「なにもかもよ。たとえば、あなたが、いつまでも離そうとしないこととか」
「話しているじゃないか、ずっと」
わざと言葉を取り違えているオリヴァージュに、イライラする。
セラフィーナは、無駄だと知りつつも、彼の胸を押した。
ネイサンとダンスをしていた時のような嫌悪感はないが、それはともかく。
「私をからかったり、馬鹿にしたりして、楽しんでいたんでしょうけど、それなら、もう十分じゃない? ふざけるのも、いい加減にして!」
これ以上、傷つきたくない。
ナルを好きだったせいで、オリヴァージュの言動に、いちいち傷ついてしまう。
ナルとしていたような、嫌味と皮肉の応酬を楽しむ気にはなれなかった。
オリヴァージュは、ナルではないから。
「私が、きみをからかったことなんてあったかなあ」
セラフィーナは離れようとしているのに、オリヴァージュは引き寄せてくる。
突っ張ろうとした腕は簡単に挫け、体がぴったりとくっついていた。
「嫌味や皮肉を言って、きみをいじめた覚えはあるが」
「自覚があったとは、驚きだわ」
「私の目的は、きみの鼻っ柱をへし折ることだったからね」
「それなら、気がすんだんじゃないの?!」
最初から、そのつもりだったのなら、大成功だと言える。
ナルは、とてもうまくやった。
自分の「鼻っ柱」は、見事に、へし折られている。
ナルに、うっかり恋をして、突き放されて落ち込んで。
ナルを選ぼうと、家を捨てる覚悟までしてしまったのだから。
「いいや。まだだよ、私のちっちゃな小鳥」
うつむいていたセラフィーナの顎が、くいっと持ち上げられる。
嫌でも、ダークグリーンの瞳に捕らえられた。
自分のよく知っているナルが、そこにいるように感じられるのは、気のせいだ、と思うことにする。
「きみは、私に、なにか言いたいことが、あるのではないかな?」
言葉に、胸が、きゅっとなった。
ずきずきと、ひどく痛んでいる。
これほど酷い要求があるだろうか。
オリヴァージュは言わせたいのだ。
彼に恋をしている、と。
しかも、それを察している。
ナルは、セラフィーナの心を見透かすのが得意だった。
だからこそ、簡単に受け流されたり、あしらわれたりしていたのだ。
今は表情を作ることすら、ままならない。
きっと顔に出てしまっている。
「……嫌い。あなたなんか大嫌いよ、オリヴァージュ・ガルベリー」
「おや? チョコレートが溶けそうになっているね。泣くかい?」
「泣かないわよッ! 私が泣く理由がないもの!!」
嘘だった。
本当は、泣きたくなっている。
この期に及んで、と我ながら、自分が情けなくてしかたがない。
セラフィーナは、彼に恋をしている。
ナルが、オリヴァージュだと知った今でも、彼の心を望んでいた。
物慣れていない、可愛げのない頑固者の令嬢を口説く。
オリヴァージュにとって、こんなことは遊びのひとつに過ぎないのだろう。
単なる王族の暇潰し。
勝気で負けず嫌いな自分の鼻っ柱をへし折って、さぞいい気分に違いない。
(ナルの態度がちぐはぐたったのは、このためだったのね)
近づくと離れようとする。
なのに、近づかせないようにはせずにいた、ナルの態度。
ほど良く隙を与えていたのだろう。
すべて「駆け引き」だったのだ。
そして、その駆け引きにまんまと乗せられ、自分は負けた。
「いい子だから、言ってくれ」
「言わなければ、どうするというの? また口づけする? するなら、すれば? でも、私は、同じことしか言わない」
オリヴァージュの瞳を、まっすぐに見つめ返した。
すでに負けているとしても、認める必要はない。
両手を上げて降参などしない。
「大嫌いよ、オリヴァージュ・ガルベリー」
本気で言ったのに、なぜかオリヴァージュが、ふっと笑う。
1度だけ見た、ナルの笑った顔と同じだった。
「きみは、本当に困った女性だね」
言い返そうとしたセラフィーナの唇に、彼の人差し指が当てられる。
指先1本で、制されてしまった。
「きみが、そんなふうだから、きみの風切り羽を、切ってしまいたくなるのだよ。ちっちゃな私の可愛い小鳥」
言葉の甘さとは逆に、オリヴァージュの声は、低くかすれている。
これも「駆け引き」なのだと思いたくても思えないほど、真剣な口調だった。




