初めましてとさようなら 1
父の言葉に、彼女、セラフィーナは、ぽかんとしている。
あまりにも予想外のことを言われたからだ。
まるで現実感がない。
父がどうかしてしまったのか、はたまた幻聴か。
彼女の頭には、2つの選択肢が、うろちょろしている。
そのどちらかしか思い浮かばないのだ。
ほかの理由なんて、想像もできずにいる。
朝食後、父に呼ばれ、セラフィーナは父の書斎に来ていた。
お互いに向き合い、1人掛けのソフィに座っている。
父の厳しい表情に、なにかあるなとは思っていた。
それでも、予想外だったのだ。
「ラフィ、お前も17歳だ。わかっているだろう?」
なにも分かりませんけど?
言いたくなるのを、ちょっとだけ我慢した。
父の頭がどうかしてしまったのなら、刺激するのは良くない。
とっさに、そう判断している。
「アルサリア伯爵家の1人娘として、これ以上、ほかの貴族らに遅れを取ることは許されないのだよ」
父の言うように、セラフィーナは、アルサリア伯爵家の1人娘だった。
上に、兄が4人もいる。
歳も離れていて、すぐ上の兄が父だと言っても通るほどだ。
なにしろ彼女だけ、母が違う。
父は、42歳の時に側室を迎えていた。
その側室の子が、セラフィーナなのだ。
母は、彼女を産んでから、ほどなくして他界。
セラフィーナは、父と兄に囲まれて育っている。
乳母やメイドもいたし、これといって不自由をしたことがない。
生活においては、だけれども。
「いいかい、ラフィ。貴族にとって、体裁は保たなければならないものだ。それをなくせば、下に見られ、侮られる」
その屈辱に、父は耐えられないのだろう。
昔から、そういうところがあった。
セラフィーナが、父にいだいている不信感が、そこからきているなんて、思いもしないのだ。
そもそも不信感をいだいかれていることにすら気づいていないのかもしれない。
これほどあからさまに態度に出しているのに。
セラフィーナは、ほとんどの貴族令嬢が受ける貴族教育を、まともに受けていなかった。
貴族学校に通うことも拒否したし、父の手配した家庭教師も全員が辞めている。
長続きした試しがない。
みんな、彼女の偏屈ぶりに嫌気がさして、匙を投げた。
もちろん、それはセラフィーナが仕組んだことだ。
そうやって、父に「反抗」することで、自分の気持ちを伝えてきた。
と、セラフィーナは思っていたのだけれども。
「私、婚姻なんてしないから」
「ラフィ。それは許されないと言っているだろう?」
「婚姻しなかったら、私は、どうなるの? お父さまは、どうなさるの?」
父は、反抗していても気づかないくらい、セラフィーナを可愛がっている。
1人娘なのだから、当然だ。
それを、セラフィーナも知っていた。
なんだかんだ言いながら、父は自分に甘い、と。
「……18歳になるまでに、婚姻しないようなら……家から出すしかない」
父の言い様に、セラフィーナは言葉をなくす。
貴族という体裁を保つためなら娘も捨てるのか、と愕然とした。
信じられない気持ちでいる自分と、どこか納得している自分とが混在している。
父は「そういう人」なのだ。
ぎゅっと両手を握り締めた。
婚姻など絶対にしたくない。
が、家を出されても行くアテがない。
貴族学校も出ておらず、ほかの貴族令嬢とはつきあいがなかった。
そのため、いわゆる「友人」が、いないのだ。
今までは、貴族の友人などいらないと思ってきたが、こうなってみると、頼りにできる者がいない心もとなさを感じる。
「ですが、婚姻は1人ではできないでしょ? 相手がいないもの」
精一杯、虚勢を張り、ツンとして言ってみた。
なのに、父は慌てる様子もなく、平然としている。
昔は、セラフィーナが少し泣くだけで、オロオロしていた。
思うと、なにやら今は愛されていない気がする。
「それなら、準備は整えてあるよ」
「準備? 相手が決まっているの?」
「決まっているとは言えないね。ただ、幸運にも正妻選びの列に並ぶことはできたのでね」
「正妻選びって?」
「これから3ヶ月の間に、アドルーリット公爵家が正妻選びをなさるのだよ。候補に選ばれた数名の中から、ネイサン様が、正妻をお選びになる」
その候補に、自分も名を連ねているらしい。
おそらく父が強引にねじ込んだのだ。
馬鹿馬鹿しい、と思う。
「お父さまもご存知でしょうけれど、私は貴族教育をまともに受けていないのよ? 選ばれるわけがないわ」
だいたい相手は公爵家だ。
本来、格下の伯爵令嬢などと婚姻するはずがない。
同格の公爵家から、横の繋がりで婚姻相手を決めるのが慣例となっている。
その慣例を押しのけてまで正妻になるには、相当に頑張らなければならない。
当然のことながら、セラフィーナに頑張る気などなかった。
「それは、私も問題に思っている。だから、新しい教育係を雇った」
「新しい教育係、ね」
どうせ辞めていくのに、懲りないものだ。
適当にあしらって、向こうから辞めたくなるように仕向ける。
いつもうまくいっていたので、自信はあった。
変な自信だけれど、それはともかく。
「今までの教育係は、お前との相性が悪かったのだよ。今度こそ、お前がきちんと教育を受けられるよう、特別な者を雇ったのでね。安心しなさい」
「特別って、どんな?」
「彼は魔術師をしているが、貴族についても明るくて、頼りになる」
「は? 魔術師? 教育係が魔術師?」
これもまた予想外だ。
父の「本気」を感じる。
本気で、公爵家の正妻の座を射止めさせたいのだ。
この大陸で唯一、魔術師のいる国、ロズウェルド王国。
おかかえ魔術師のいる貴族も少なくない。
さりとて、魔術師の給与は、恐ろしく高かった。
時々、用事を頼む程度ならまだしも、屋敷にかかえこむとなれば、相当に費用がかかるはずだ。
(そうまでして……体裁、体裁って……たいした爵位でもないくせに……)
父に対する不信感が募る。
自分への愛情はいったいどこにいったのかと、はなはだ苦々しく思った。