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ドッペルゲンガーとは自分自身と同じ姿をした人間と遭遇すると命を落とすというお話。

作者: mnキト


ドッペルゲンガーとは自分自身と同じ姿をした人間と遭遇すると命を落とすというお話。この世には自分と同じ顔をした人間が三人いるとよく言うから、そのうちの二人が極小確率でばったり遭遇してしまって死んでしまう(詳しく何%と言っていたかは忘れてしまった)いわば交通事故みたいなものだと、ある友人が笑って話していたのをなんとなく覚えている。

もちろん、そんなバッタリ交通事故で人が死ぬはずない。それにそもそも顔が同じでも、服とか背丈とか髪型とか、そこまで一致するのはさらに低確率で、たかだか3人だけだとありえないと言って過言ではないだろう。そんなことで、このお話は今の今まで思い出すこともない記憶だった。

それで、なんでそんな話をいまさら思いだしたのかというと、今まさに命の危機に瀕しているからだ。いやもちろん死ぬはずなんてないんだけど、それじゃあ自分の身になにが訪れるのかと考えたときに、なにも思いつかなかった。


私は、ドッペルゲンガーに出会った。


ドッペルゲンガー


それは得も言えぬ感覚だった。最初は、視界に入って、ぼんやりと服の上下とも似てる人がいて、「珍しいな」と思っていた。次にどうやら髪型や身長も同じ様なのを確認して、どこか不気味さを感じていた。、さらに振り向けば顔が自分だったのを見たその瞬間、思考はホワイトアウトし、次に漠然と残った恐怖心と想起されたドッペルゲンガーの話を重ねて、自分の死を感じていた。

ただ、ドッペルゲンガーから思い出した記憶が、バッタリ交通事故人がで死ぬはずなんてないという過去のふざけた話だったせいか、混乱しつつも恐怖心に支配されかけた思考は少し余裕を取り戻しつつあった。過去に例の友人は「人はいつ何に助けられるかわからない」とも言っていたが、まさにその通りで、過去にドッペルゲンガーの話を振ってくれた友人にはこの瞬間だけとても感謝した。


硬直しきった表情を崩すような二回の瞬きと、忘れそうになっていた呼吸を大きく一つ。そして、少しだけ冷静になって状況を見返してみると、不自然に思える点が二つ。まず、今が真昼間だということ。こういう霊的な事象は大体夜のイメージで、ドッペルゲンガーに至っては自分の見ている夢に起因するといった話も聞きかじっていたが、それにしては舞台がひどく明るい。

そしてもう一つ。まるで鏡のような存在の自分のドッペルゲンガーが、まるで鏡のように戸惑った私の顔まで映していたことだ。ドッペルゲンガー側が戸惑うドッペルゲンガーの話なんてあるだろうか。

そういうわけで、多分自分は死ぬことはないと、ようやく悟った。

ようやくとはいえ、それは時間にして一瞬の出来事だった。


ただ死なないのが分かったのであれば今度は、この状況をどう片づけたらいいものかと悩んでいた。この不思議状況を、いまさら見て見ぬフリして無言で去ることもできない。私はとりあえず、お互いの姿のことには触れず、普通に会話でもして適当にお茶を濁そうかと話題を考えていた。しかしそんな配慮はつゆ知らずと言わんばかりに、相手から核心をつく言葉が飛び出した。

「もしかして久田さんですか」

びっくりしすぎて死にそうだった。



「アンディック・プロジェクト」。アンドロイド制作の実験の過程で実用化された、VRアバター作成ツール。専用の機械で実在の体をスキャンすると、そっくりなアバターがVR上に作成される。

このツールの凄いところは、スキャンした人の、外見以外の情報をも読み取れることで、体温、視力、血圧、利き手、味覚の好み、などなど多岐にわたる情報が様々な数値で反映されること。

そしてこのツールの最も凄いところは、読み取った情報を元に、アバターにちょっとした自我を持たせられることだ。とはいえ、これはまだまだ実験段階のもので、できることと言えば作ったアバターとアバターを接触させてどんな関係になるのかを観察することくらいで、それも現実での関係と一致するものでもなく、単なる相性占いくらいのものでしかないのだけど。

それでも適用される情報量が凄いので、観察者側から予想もつかない挙動を取ったりして、それはもう言い表せられないけどとにかく凄いものだ。

と、ある友人は笑って話していたのをなんとなく覚えている。

私はその日、いつものように彼の部室の研究室に立ち寄ると、なにやらとても大きなマシンと顔を合わせることになった。そしてなされるがままになにやらスキャンされて、なにやら彼に聞くとそういうことなのだそうだ。

ぶっちゃけ私は、これだけ大きなマシンで、スキャンにもそこそこ時間がかかって、できることはせいぜい相性占いと聞いて、拍子抜けしていた。でも彼が語彙力なく凄い凄いと説明しているので、よくわからないがある日大きくて凄い機械が研究室に導入されたということだけををぼんやりと思い出していた。


「それが私です。」


私のドッペルゲンガーは長い説明のあまり、全く減らないほうじ茶ラテを片手に詳しく説明してくれた。

正直私は、ドッペルゲンガーからアンドロイドへと変貌した目の前の都市伝説に思考を投げそうになったが、アンドロイドの話は例の友人からいろいろと聞かされていたので、私の頭はかろうじて理解の余地を残していた。

彼女は、過去にスキャンした私のデータを反映させて作られたアンドロイドだそうだ。そして作成主は紛れもなくかの友人だそうだ。

この技術はまだ世には出回っていないが、彼はその道の研究でこの技術を使用していたらしい。

正直頭がどうにかなりそうだ。ひょっとすると、もしかしたら、これは夢なのではないだろうか。いくら舞台が真昼だとはいえ、この世界自体が夢の可能性はありうるのではないだろうか。

私は、目を閉じて、心の中で3つ数える。私は夢の中にいると気づいたらいつもこうする。次に勢いよく目を開けば、私は夢から目覚められる。ただこの方法で起きるとその日頭痛に悩まされるが仕方がない。

そう思って心で1、2と数えていると、目の前の私に「夢じゃないですよ」と冷静に突っ込まれた。もちろん目を開けると半目の私がそこにいた。


ーーーどうしようもないので、未だ理解はしきれないものの、とりあえずは納得することにした。彼女は私のアンドロイドで、旧友が勝手に作った。

しかし予想外だったのは、髪型はともかく、服装が同じだったのはただの偶然だったらしいということだ。私の情報をスキャンしているから趣味嗜好は似るのかもしれない。とはいえ、もちろん所持している私服は何種類もあるので、それが上下ともに揃うのは凄い偶然だ。

でももし仮にこれが偶然でなく、私の趣向がしっかりと反映された結果だとするなら、あのとき彼が凄い凄いと言っていた意味がいまさらわかった気がした。

ところで、そういえば彼とは大学を出たきり一度の連絡もない。というか考えてみれば、何一つの連絡も無く私のアンドロイドを作成したとはどういう目的なのだろうか。肖像権で訴えたりしたいわけではないけれど、おかけでこっちは死を覚悟したものだ。久し振りに面と向かって文句の一つでも言ってやりたい。そう思った。しかし、私は彼がアンドロイドの研究チームに抜擢されてどこかに行ったことしか知らない。なのでとりあえず目の前の私に、彼の所在を聞いてみた。

すると何故か彼女からは、要領の悪い答えが帰ってきた。

「オーナーはわかる最後は研究室にいました。そこから跳んで眠ってしばらくして何人かの人が来ました。それから先は、存在こそしているものの、以前までの姿は視認できず、今ははっきりとどこにいるとも言えません。」

ーーー全然意味がわからなかった。マグロは泳ぎながら寝るとはいうが、飛びながら寝る生物は聞いたことがないし、少なくとも人間はそうではない。それに存在しているのにどこにいるとも言えないというのも意味が分からない。

「いまからそこに行きますけれど、ついてきますか?」と彼女は続けていった。

私は”そこ”が何をさしているのかさえ分からなかったが、行けば何かわかるかもしれないと思い、ついてゆくことにした。そのときふと、彼女が持っていた紙袋から、彼の鉱好物だったチョコレート菓子が、いくつか入っているのが見えた。



俺の、アンドロイド用の人工知能の理論では現段階で定義できないものがいくつかある。その一つが”死”だ。

そもそもアンドロイドにとっての死とはなんなのだろうか。

電源を落とされることだろうか。これはどちらかというと人間の”睡眠”の方が意味が近いだろう。

では、データを抹消されることだろうか。記憶喪失になった人間を死んだとは普通言わないように、これも違うだろう。

では、少し残酷だが、肉体もデータも再生不可に陥ったときだろうか。ーーー俺はこれが一番近いと思った。しかしいざ定義してVR上で人工知能を再現してみたところ、なんと説明していいものか、そのまま言うなら”知能がこの定義に触れることはなかった”。

要は肉体もデータも再生不可な状態の人間や機械の画像を見せたりしても、それを定義した記憶域にアクセスされることがなかった。

それはまるで、自分の情報がデータとして存在し、肉体もVRに作られた代替の効くものであるからして、己の肉体とデータの再現が不可能ではないと知っているかのように。

しかしこれだと明確な問題があって、アンドロイドはともかく、人間は明確に肉体もデータも再生不可な状態になり得るわけだが、そこに倫理観のズレが生じてしまうと大事になりかねない。

だから俺はしかたなくいったんあきらめて、アンドロイドに”死”を定義するのを封印した。そして応急処置として、全般敵に人間に危害を与える行動をしないようにはした。

これもこれで問題はあるがな。

とはいえよく考えてみたら、人間にとっての死も、しっかり定義できるものなんだろうか。

そう考えると、行く道は途方もないのかもしれないな。

と、ある友人が笑って話していたのをなんとなく覚えている。

私は、人口知能への興味は別段深いものでもなかったが、彼の言う”死とはなにか”のような哲学的な話は、そこそこ好きだった。というのも、それが大学時代の私の研究の方向性であったからだ。

私は哲学を専攻していた。とは言っても彼のようにその分野で高い成績を納めたりはしなかったのだけれど。それでも分野のまるで違う私たちが、たった二年間でも友達でいられたのは、その点が大きな要因だったのだろうと、今になってぼんやりと考えていた。 


ーーー私は、私に連れられてなぜか墓地へと来た。結局”そこ”が墓地である意味はその瞬間まで理解できないまま、ただ漠然と彼の過去話を思い出していた。

一面浅い緑の芝に、整然と同じ高さのモノクロの墓石が立ち並ぶ。もしかすると上から見たらこれはメモリの板のようにも見えないだろうか、と彼が言っていたとなど、ひどく場違いなことを思い出していた矢先、目的地に着いたと目の前の私は告げる。その瞬間、つい先ほどまでの場違いな思考はあまりに微塵に消えてしまった。

彼は死んでいたのだ。

そこにあったのは、彼の名前だけが刻まれた黒い墓石。お供えものには彼の好物だったチョコレート菓子がいくつかだけが置かれていた。

私はしばらく言葉を失っていた。 彼は死んでいた。もう会わなくなって一年と少し立つから直接的な悲しみはあまり大きくないが、彼と一度も連絡をとらなかったこの一年の空白が、彼の死で埋まってゆくような、漠然とした喪失感に駆られていた。

でも正直に言うと、今日一日で衝撃的なことが起こりすぎて、彼が死んだという情報さえもいったん納得して、それからどうしようか、という冷静な思考も持ち合わせていた。というか、今日の私の思考は全部そんな感じだった。

彼女は静かにチョコレート菓子を墓石に添える。アンドロイドにも、故人を思う感情はあるのだろうか。

そんなことを考えているとふと、ある疑問が生まれた。それは彼女が、先ほど確かに、オーナーは存在していると言ったことだ。しかし目の前の墓石には、フルネームで彼の名が刻まれている。これはどういうことなのだろうか。

私はそれとなく彼女に尋ねた。「彼は死んだのですか」。するとこう返ってきた。

「”死ぬ”はオーナーによって定義避けされていますので、答えられません」。

私は一瞬考えたが、ああなるほど、と。ちょうど、墓地に来てから彼が死を人口知能に定義できなかった話を思い出していたので、すぐに合点がいった。

整理すると、彼は確かに死んだ。これは多分間違いない。しかし、彼女の知能には死が定義されていないため、視認はできないものの、いまだ存在している(”生きている”ではなく)という理解をしているのではないだろうか。そしてその場所が、なぜか墓地なのだが、これも少し心当たりがある。というのも、彼は以前、なんらかの不具合などで、アンドロイド側からオーナーを認識できなくなることによって生じるいくつかの現象を非常に問題視していた。そしてその事故の防止のため、オーナーであることをアンドロイドが認識するための特殊な媒体を使うという話をしていた。さらにその媒体自体をオーナーだと思わせないために、使うなら体内に仕込むしかない話もしていたから、それがそのままこの墓に埋まってしまったのだとしたら辻褄が合う。

「不思議なものですね」。彼女は唐突に、私の長々とした思考に割り込むように、彼の墓の前に立ち尽くして、そう呟いた。

「オーナーは目には見えなくなってから、もう随分と立ちます。人間はおそらく、目には見えない状態で何かを食べるなんてことはできないはずです。なのに私は毎日オーナーにこれを渡します。」

「この食料がオーナーのもとに届いていないのは明白です。なぜなら、このお菓子は以前はオーナーが毎日食べていたものでしたが、今は一週間ほどでまとめてなくなります。これはオーナー以外が持ち去っているのだとと考えられます。」

彼女は続けて、なのに私は毎日オーナーにこれを渡します、と。

「私はこれから05に戻り、また眠りに付きます。あなたはどうしますか。」

ーーーゼロゴとはなんだろうか、と一瞬考えたが、これはおそらく彼の新しい研究室のことだろう。

それよりも私は考えていたことがあった。聞いた限りだと、彼女は死を定義できないまま、この墓に毎日お菓子を添えている。それも彼がまだ存在していると疑わずに。

この動作はおそらくだが、生前の彼が彼女に仕組んだ命令なのだろう。毎日自分にお菓子をひとつおつかいしてくること。なんとも実験的な命令だが、今になってはそれがこんな形で機能してしまっている。アンドロイドとはいえ、私は彼女に同情せざるを得なかった。

それに彼女はまぎれもなく私の顔をしている。もちろんだが、私と彼は恋仲だったりしたことは一度もない。では何故私を選んでアンドロイドにしたのかと考えると、一つ思い当たる節があった。

彼はアンドロイドに、”死”とはなにか、を見つけて欲しかったのではないだろうか。

彼が人工知能に死を定義できなかった話をした日、私は死とはなにかという議題で彼と長々と話し合ったものだ。仮に君の頭を正確にスキャンできたら、もしかしたらこの問題は解決するんじゃないか、とも冗談気味に言っていた気がする。そういう意図を込めて、私をアンドロイドに選んだのではないだろうか。

だとするなら、彼のいなくなった今、私は彼女に”死”とはなにか、を教える必要があるのではないだろうか。

方法はわからない。ただ単純に、彼女のこのいつまでも続く虚しい命令を、どうにかして解いてあげないといけない。そう思った。

しかし、オーナーにあたる人間は既にいない。となるとオーナーの命令を解くのは一筋縄にはいかないはずだ。おそらく話し合いなどでは何も解決できないだろう。彼の研究室ならなにか手がかりがないだろうか。

私は彼女に許可を取って、彼の研究室へとついてゆくことにした。


研究室に着くまでは、他人の研究室に無断ではいれるものかと少し不安だったが、大事なことを忘れていた。そういえば私はアンドロイドと顔が同じだ。警備員らしき人もきちんといたが、私とアンドロイドとで時間を開けて入ることで、全く怪しまれることなく目的地に付いた。私は、せっかくアンドロイドを作る施設なんだから、しっかりそういう観点をも持って警備してほしいとも思った。

彼の新しい研究室は、もとの大学にあった研究室とどことなく似ていた。あのとき対面した大きなマシンも、同じ場所に同じように設置されていた。そういえばあの大学であのマシンを使ったのは結局彼だけだったみたいだから、もしかしたらこのマシンは大学から移動されたものかもしれない。

少し大きな丸いタイプの公衆電話ボックスのような空間。そこで、彼女は静かに座っていた。その空間はあのマシンではない別のマシンにつながっている。これが、彼女を作ったマザーマシンというものなのだろうか。

彼女は研究室に戻って寝ると言っていたから、これは充電のような行為なのかもしれない。ただ彼女は食事もするし呼吸もしているみたいなので、実際どうやって動いているのかは定かでは無いが。

辺り一面を詮索してみる。しかしその行動は一瞬で無意味だと悟った。それも同然、同じ分野の人間であればともかくだが、素人同然の私には何が何なのかほとんどわからない。おまけに彼のメインPCと思われるものにはパスワードがかかっている。彼は情報を紙媒体に残さないタイプのはずだったから早くもお手上げに近いわけだ。

しばらくそこらをウロウロしていると、彼女が話しかけてきた。

「なにかお探しですか。」

私は回答に困っていた。素直にあなたの命令を解く方法を探していると言っても、死を理解しない彼女にその理由を説明するのは難しいだろう。なにせ彼女はまだ彼が存在していると思っているはずだから。

”あなたのオーナーがどこに行ったか、あなたが理解できるようになる方法を探している。”うまく伝わったかはわからないけれど、要約するとこういった説明した。

すると彼女は少し考えるようなジェスチャーを取ったあと、何かを覚悟したかの表情をした。「わかりました。私のためを思ってのことなら、私も手伝います」

そういって彼女は、彼のPCのパスワードを入力した。

デスクトップにはアイコンの一つもない、初期の壁紙。私はpcはそんなに詳しくないが、彼によるとこれが一番整った状態であるそうだ。これも過去に聞いた話だ。

しかしよく見ると、画面の一番左下にフォルダへのショートカットがひとつ。そこを開くといくつかのファイルがあり、スクロールを続けると一番最後に”遺言” という名前のテキストファイルが存在していた。

遺言を残してある。つまり彼の死因はおそらく自殺。私は息をのんで、テキストファイルを二度クリックした。


「これを読むのが誰かは予想もつかないが、ひとまず俺が自殺する理由は考えないでほしい。ここに書くのは、端的に言うなら俺の死を有効活用してほしい話だ。」

私は驚愕していた。遺言と本来そういうものではないはずだ。これが遺産相続の話ならまだわかるが、彼がなにより最初に書き残したのは自分の研究の相続だった。

「人口知能が死の定義に触れない問題については、以下のurl①にまとめる。そしてこの問題は、オーナーの実際の死を見せることで解決できるかもしれないという仮説を立てた。この仮説はまだ希望的観測程度の話だが、もし俺が死んだのなら、その検証を行って欲しい。」

「具体的な検証の動作は三つ。このファイルのあるフォルダに格納されているASPeを実行。ASP006~ASP011を実行。最後に、アンドロイドに口頭でも良いので許可を取ること。最後が一番重要で、許可が得られない場合はcancelASPを起動し動作をすべて終了。日を開けて計5回までこの検証を続ける。最後まで断られるか一度でも許可を得られた時点でAUTO-ASPを起動し、結果を記してほしい。」

「次に起動するファイルの動作を簡易的にを記す。」

006 定義オプションのベースファイル

007 死を定義避けから外す

008 死の定義を構築可能にする

009 死の定義をアンドロイドと人間とで分ける

010 予想されるアラートの対処

011 その他調整

e 人口知能が、コードの状態の知能に微かに触れられるようになるツール。これについての詳細はurl②にまとめる。


「アンドロイドが、オーナーロストから正常状態でいられる時間は長くない。もしかしたら、これを読んでいる頃にはもう遅いかもしれない。なのでこれを読む者は、可能なら迅速に検証を開始してほしい。」

彼の文章はここまでだった。この文の下にいくつかのurlや直接書かれたコードがあったが、私が理解できるものはなかった。

そして彼女も、私と一緒にこの遺言をまじまじと読んでいた。


私は考えていた。やはり、彼は彼女に死を理解してもらうことを望んでいた。しかしそのために自殺までしたのだろうか。

多分それは違う。もしそうなら、これを読むのが誰かは予想もつかないとか、これを読んでいる頃にはもう遅いかもしれないとか、そんな検証できるかも不確定な手段をとらないだろう。

それでは何故彼は自殺したのか。彼は私の知る限りだと、自殺するような人間ではないはずだ。しかし、だからこそ、彼の死因がいくら考えても思いつかなかった。

「ひとまず俺が自殺する理由は考えないでほしい」何度読み返しても、冒頭のこの一文が頭をちらつく。誰が読むか予想もつかないとか言って、私がこれを読むのを狙っていたのではないだろうか。それでこの文章から必死に死因を探すのをも、予想されていたのではないだろうか。

この一文を五,六回読み返したあたりで、私はあきらめた。彼の残したとおり、死因については「ひとまず」考えないようにしよう。

一方、この文章を一緒に読んでいた彼女は、どうにも理解できないといった様子だった。無理もないだろう。


私は、検証の手順の項目をもう一度読み返す。ASPeを実行、006~011までを実行。そして許可を得る。

許可を得るのは最後で良いし、おかしな挙動が見られた場合でもcancelASPを実行すれば問題ないはずだ。ただ私は、アンドロイドとはいえ他人の知能に触れるという動作に、どこか嫌悪感のようなものを覚えていた。

それでも勇気を出して、まずはASPeをダブルクリックする。すると”MM-ADCPに接続を待機中。”と書かれたポップアップが現れた。

私には意味がわからなかったので、彼女に聞いてみる。要はさっきの電話ボックスのような場所にアンドロイドをセットしろ、ということらしい。なので彼女に許可をもらって、もう一度そこに座ってもらった。

するとポップアップは消え、しばらくすると”適応させるASPを実行”と書かれた新たなウインドウが現れた。

恐る恐る、ASP006から順にASP011までをダブルクリックする。これらはウインドウが一瞬現れては消えるという動作しかしなかったので、画面を見る限りでは何が起きているかはまるでわからなかった。

最後に彼女に許可を得ること。と、ここで疑問が生まれる。許可といっても、どう取ったらいいものなのだろうか。私はとりあえず、彼女に歩み寄ってみる。


「えっと、なにか変わったこととかある?」ガラスで閉鎖された空間越しに彼女に話しかけた。


ガラスの扉は左右にスライドするように開く。彼女はそこに座ったまま、こちらの問いかけが聞こえていたのかどうかはわからないが、目を閉じたまま話だした。「これは、なんでしょう。」


昨日の夕立が、今朝には水たまりの一つも残さない新しい日を迎えるような。

あるいはどこまでも透明な夢を見るような。

彼女はそう、静かに呟いた。

彼の書き残した通りだと、彼女はいま、”コードの状態の知能に微かに触れた”。それが詳しくどういう状態なのかは分からないが、この様子だと彼女自身も具体的には説明できないみたいだ。


彼女はまぶたを開いてこちらに向く。

「私は、先ほど、今まで定義避けされていた”死の定義”について触れました。」

続けて彼女は静かに言う。

「しかしこれは、知識というにはあまりに漠然とした概念で、これが適用されるものは、私の、過去にはーーー」

そこまで口にした彼女は、、言葉に詰まった。そして彼女の左目からはおそらく無意識に、一筋の涙が伝っていた。

「オーナー・・・?」


私は、驚いたことが二つあった。

まず一つが、想像以上に早い段階で、彼女は自分のオーナーと死の概念を結びつけたことだ。彼の遺した文では、彼女の知能にはまだ死の定義はされていないはずである。彼女の話した夕立と透明な夢の話については、私には詳しくわからない。しかしこの段階で、彼女の中に何かが確立されたのは明らかだった。

そしてもう一つは、自分の泣き顔を見たことだ。鏡に向かって笑うことはあっても、涙を流すことはそうないだろう。私は多分人生で初めて、自分の泣き顔を見た。目の前にいるのが自分のアンドロイドだということにはもうすっかり慣れてしまっていたのに、こういう些細なことには未だに新鮮さを覚えてしまう。

そう冷静に考えていると、ふとあることに気づく。あぁ、あのときの機械の技術はこうまでも凄いものだったんだな、と。私はそう思った。

気づくと私は、その左目から、彼女とそっくりな一筋の涙を溢れさせていた。

考えてみたら、そうだ。別に恋仲とかじゃなかったとはいえ、私のひとりの友人は、この世を去ったのだ。目の前の私がそのことにあまりにノーリアクションだったから忘れていたけれども、それはとても、悲しいことだった。

そしてその彼女が涙を流したのだ。それはまるで生まれて初めて悲しいという感情を知ったかのような、底抜けに深い悲壮を湛えたような表情が、仕草が、かろうじて現実を受け入れ続けていた私の意識を崩壊させてしまった。

それからしばらくして、抑えきれない感情は私の冷静な思考をどんどんとふやけさせていってしまった。広い研究所の真ん中で、そっくりな泣き顔を浮かべた私たちは、ゆっくりとゆっくりと、涙を零していた。

落ちる涙を掬っては零し、引きつった声で彼女は言った。それは聞き取るのが難しいほどに乱れた声で。

「あなたは何故、泣いているのですか」。確かに、間違いなくそういった。

普通はそうだろう。恐らく彼女自身、自分が何故泣いているのかわからないまま、目の前で私が連れて泣くのを目の当たりにしている。それは至極全うな問いかけだった。

しかし私は、彼女のこの発言がとても可笑しく感じた。なぜなら彼女にはまだ死の定義はされていないはずだ。いわば彼女の中での彼の存在は、今日初めて出会ったあのときからなんら変わっていないと言ってもよい。それは彼のお墓の前で平然とお菓子を添え、そして淡々と研究所まで戻ってきた、彼女だ。つまり。

「あなたこそ、何故泣いているの。」

「何故でしょう。」

彼女は無理に笑うように、涙ながらに言った。


そしてしばらくして、涙も枯れたのか、私たちは少し落着きを取り戻してきた。彼女は立ち上がり、マシンにつながれた空間から外に出ながら言った。

「私は、涙の理由を尋ねました。そしてあなたも、涙の理由を尋ねました。」

彼女はゆっくりと歩いて彼のPCの前に立ち、マウスを握りAUTO-ASPのファイルにカーソルを合わせる。

「私は許可します。この涙の理由が、どうしても知りたいので。」 「あとはあなたの判断で押して下さい。」

”私は、涙の理由を尋ましねた。そしてあなたも、涙の理由を尋ねました。”この台詞は、私たちの考えていることが同じであることを意味する。であれば、私がどうするかなんてのは自明なはずだ。

”MM-ADCPに接続を待機中。”この画面が映るのを見る間もなく、彼女は再びマシンに向かって歩いていた。


画面には作業の進行状況が、0%と100%が書かれたメーターで表示されている。そのメーターは一分程で、99%まで動いて止まる。

そしてしばらくして、そのウインドウとは別に、5、6個のウインドウが現れて一瞬で消える。次の瞬間、けたたましい音と共に次の画面が表示される。

"ERROR ALERT no.1660 整合性に致命的な不具合" ”記憶域01、02に不可逆的損害”

それとともに映る大量の英語で描かれたログウインドウ。

頭が一瞬で凍り付くように真っ白になる。油断していた。私はてっきり、何事もなく終わって、彼女は戻ってくるものだと思っていた。

私は咄嗟にcancelASPを押す。”処理を初期化しました”と描かれたウインドウが現れるも、以前として高速に流れる英語ログは止まる目途もない。サイレン音も鳴りやまない。彼女を閉じ込めたガラス張りの空間は、ただぴたりと少しも開く様子もない。

私はつい先ほど枯れたはずの涙を流して、絶望と見つめあっていた。彼のPCに表示され続ける問題を対処する方法はおろか、この機械を止める方法もわからない。方法を調べようにも彼女はもちろんマシンの中にいるし、画面に表示され続けている英語のログも、私にはさっぱりわからない。

彼女はどうなってしまうのだろうか。私は何一つ言葉も発せられずに、彼女の入っているマシンの前で膝を付いて彼女を眺めることしかできなかった。

そしてしばらくすると、PCが処理に耐えきれなかったのか強制的に電源が落ち、再起動が始まった。

それと同時に彼女を閉じ込めていた空間は扉を開いた。

愚直だった。愚行だった。私が最後にファイルを実行しなければ、こんなことにはならなかった。

彼女に謝らなければいけない。しかしそもそも、彼女はまだ生きているのだろうか。もしかすると私は、取返しの付かないことをしてしまったのではないだろうか。そうだとすれば私は、どうすればーーー。

私は湧いて出るような罪悪感に埋もれて息も忘れそうになっていたとき、ふと私と同じ声が聞こえた。

「わたしは ーーー。」

咄嗟に大丈夫っ、と言ったつもりが息を吸えていなかったので、声にならずただ自分の肺にぴりりと痛みを走らせていた。

「私は、夢を、見ました。」

酷い焦りを見せる私とは対照的に、静かで冷静な私の声が、私の耳に伝った。

オーナーがもういないこと。 事象はすべて死んでしまうこと。 それは私のような、アンドロイドにも例外はないこと。

彼女はゆっくりと話す。再起動を終えた彼のPCがふたたびけたたましいサイレン音を鳴らし始めたのに耳も貸さず。

「オーナーはとてもひさしぶりに、そして最後に私に会いに来てくれました。」

彼女は夢の話をする。目覚まし時計の倍は煩いアラームと共に。

私はやっと息を整えて、彼女に大丈夫だったかを尋ねる。それは彼女の答え次第では、自分が死んでしまうかのような酷い罪悪感を含んだ声で。

「はい。大丈夫です。私は目的通り、死の定義を知りました。」

その短い言葉がただこの瞬間は、私の命を救う福音かのような響きを私に伝えていた。

「ただ一つお願いがあります。」と、

ーーー私はもう、長くありません。


その言葉が、このサイレンにかき消されて聞こえなかったら、どんなに良かっただろうか。その福音は、部屋に響く酷い不協和音と混ざって濁り、私を地獄に誘った。私はただひたすらに、謝ることしかできなかった。



「いいんです。これは私の意思でもあり、同時にオーナーの意思でもあったんです。」

彼女は死の際で、私を慰める。ただそのこと自体も、私の留めどない罪悪感を増長させるに過ぎなかった。

彼もそうだ彼女もそう。私の前を去る人はさも当然かのように静かにいなくなる。誰も悪くない、誰も間違っていない、もちろん、誰かが裁かれるわけでもない。

だけれども。

例えば、私があのファイルを実行しなければ。例えば、私がもっと、彼の悩みなんかを聞けてあげれば、誰かが命を落とすなんてことはなかったのではないだろうか。私はいつも、間に合わなくなってから己の無力さを知るばかりだ。

だとするなら、この無力さは罪と呼べるのではないだろうか。もういっそ、だれかが何かを勘違いして、私が殺人したとして私を裁いてはもらえないだろうか。そうでもないと、この罪悪感を抱えながら生きることに、私はきっと耐えられない。

「お願いを、聞いてはくれませんか。」 

彼女は、この非常に耳に触るサイレンと、床に膝をついて青ざめて絶望する私を前に、まるで救いを差し伸べる天使かのような声で言う。このお願いが彼女の最期になるのだろう。

ああそんな澄んだ微笑みで見つめないで。私を許さないで。いっそ激昂に身を任せて、私も一緒に殺して。

そう思った。そう言った。死を受け入れて微笑む私と、生を受け入れられず嘆く私。色濃く相反する二つの精神は、私の頭の中でもなく、論文の上でもなく、いままさにこの一部屋の中で顔を合わせていた。

「よく聞いて下さい。私はあなたです。」

わかっている。死を理解するのも、死を理解しないのも、私だ。大学で3年と築き上げた死の哲学も、実際の死を前にこうも無力だ。

「私の幸福な死を、あなたはいつか、きっと理解できます。」

幸福な死・・・。

「だから今は、笑って。」

ーーー


「幸福な死」。不思議と、この瞬間、この一言だけが私の意識を正常にした。

幸福な死。確かに彼女は言った。

濁り切った思考が透明になる。もしかすると。

私に見せた澄んだ微笑みも、彼女の言った「笑って」の一言も、私への慰めなんかではなくて、きっと。

彼女の幸福な死を飾るのに必要だった。それだけではないだろうか。

人はいずれ死ぬ。であれば、最後にそれをどれだけ幸せに迎えるか。それが人生の目的なのではないだろうか。

私は自分の書いた初めての論文の、その拙い一説を、ふと思い出していた。

顔をあげる。なおも微笑む自分がいる。自らの死そのものと対話する。彼女は答えを待っている。

「私のお願いはただ一つです。あなたはこれを、罪滅ぼしととらえても良いし、私と出会った全てをなかったことにするために利用すると考えても良いのです。」

ああ。そのどれもが、いらない。ただ彼女が、幸福な死を迎えられれば、それがいい。

もはや私の中のすべての感情は、ただそのことだけを望んでいた。


ーーー私を、オーナーの元に連れて行って下さい。


恒久的な機能停止。けたたましく鳴り続けるマシンにつながる彼のPCの小さなスクリーンにはそう書かれていた。

そのボタンを押すと恐らく、文字通り恒久的な機能の停止が、アンドロイドにとっての最期が訪れる。私は私を殺す。

彼女は脚立で上って大きなマシンの上面から下に垂らすように縄を括りつける。その縄は地面から2mくらいの中空に垂れる。

私はまるで愛犬に首輪を授けるように彼女の首に縄を縛る。彼女は足元に二つ重ねたパイプ椅子を軽やかに蹴る。

首を吊って、空を飛ぶ。かつて彼女が言っていた飛んで眠ったオーナーとは、首吊り自殺を指していたようだ。

そして彼女も彼と同じ道を辿る。それは他でも無い、彼女の最後のお願いだった。

彼女は両腕を広げる。どうやらアンドロイドは首を釣っても死なないみたいだ。ただ、もうすでに、恒久的な機能停止は押してある。あとは時間が解決する。

彼女は瞳を閉じる。両腕を広げたまま、一つふたつと言葉を紡ぐ。それはまるで天使の告げのように。

そして長時間鳴り続けたアラームはひとたび止まる。同時に彼女は、ここに眠る。

私はまたゆっくりと涙を流す。眠った彼女の左の頬と共に、最後の涙が床に落ちる。

そうして、私が死と出会った日の話は終わってしまった。



ーーー。


私はあの日、確かにこの手で一人のアンドロイドを殺した。

最期に彼女は、彼と同じ墓に入れてほしいと言ったが、それはどうにも現実的でなかったので、彼女の人工知能部だけを、彼の所有物として一緒に入れてもらった。それもその道の関係者以外から見ると得体のしれない物体を、同じ墓に入れてほしいと頼んだのは、不審物と警戒されたため結構骨が折れる頼みだったのだけども。

彼と彼女のお墓に着く。私は彼女と同じように、お墓にチョコレート菓子をひとつ添える。

おそらく彼女は、死を定義し、理解し、解釈した。そして自分の死を臨んだのだ。私にはもう罪悪感はない。

ただ、彼女には最後に教えてもらいたかった。彼女の理解した死とは、一体どんなものだったのだろうか。 

でも教えてもらえなかったことにも後悔はない。

「あなたは、あなたにとっての死を見つけて下さい。待ってます。」

それが彼女の、最期に私に遺した言葉だったからだ。




あとがき

この話は短編小説集あだばな果実(仮)の2作品目です。

内容は


第一地球速度に咲く(編集中)

ドッペルゲンガー

さよならのヒトトセに(未執筆)


の三作品です

完成するかはわかりません。




初投稿なのでこの欄があることを知りませんでした。

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