夢恋路 ~青年編~7
【おリョウ】
「ね~ぇ、女将。」
「なぁにおリョウちゃん。」
「クシって、何か意味があるの?」
「クシって、クシよね?」
「そう。」
あれから数日後、私は女将と向かい合ってお茶をしていた。
若い女中の子とは話しが合わないのよと女将は私を部屋に招いてお茶と羊羹を振る舞ってくれた。
この時代、羊羹は高級品だ。
「鼈甲のクシって、何か意味があるんですかね。」
「鼈甲?それはまたいいお値段がしそうねぇ。」
「そうですよねぇ。」
羊羹がおいしい・・・
「小五郎にね、もらったんだけどね、」
ぶっ!!!
「ちょっと!女将!?」
いきなりお茶を噴いた女将に私は驚いて身を避けた。
「おっ、おリョウちゃん、クシもらったの!?」
「えっ、えぇ。はい。」
女将がぽかんとしている。
あれ、クシって男の人からもらっちゃいけないのかな、もしかして・・・?
「いい歳してそんなに物欲しそうにしてたのかなぁってちょっと恥ずかしいんですよね、確かにきれいな細工の物ではあったけど・・・子供に気を使わせちゃうのって大人としてどうですかねぇ。」
「あはははは、おリョウちゃんはさすがね。」
お茶を噴いたかと思えば今度は大笑い、女将はいつも私で遊んでいる気がする。
「えっ、どういう事です?」
「桂様は苦労しそうね。」
えーっと、それはどういう事なのかな?
「女将?」
「いいのいいの、もらっておけばいいわ。女冥利に尽きるじゃない。」
クシをもらう事は愛の告白でもあるのだろうか・・・?
「もっとも、おリョウちゃんのその感じじゃ、後何個もらえるかわからないわね。」
「あら、いただけるものはいただきますよ?」
私の企んだ笑顔に女将が笑う。
「そうそう、それでこそおリョウちゃんだわ。記憶が戻った時が楽しみね!」
そんな和やかなお茶会をしていた時、どこかで私の事を呼ぶ男の子の声が聞こえた。
「おリョウさーん、どこー?」
「あの声は・・・?」
宗次郎君?
「噂をすれば、ね。若き候補生が来たわ。」
噂?何の噂よ。そして何の候補生よ。
私は女将に軽く会釈してふすまを開けた。
「おりょーさーん!?」
「宗次郎君?」
「あっ!いた!」
ふすまの陰から覗いた私に宗次郎君は嬉しそうに走り寄ってくる。
「ちょっと、稽古は!?」
「遊びに来た。」
あちゃー・・・・
私はいったいどんだけ好かれちゃったのかしら。
「中に入れてあげたら?」
女将の言葉に私は宗次郎君を中に入れる。宗次郎は部屋に他の女性がいる事に驚いたのか一瞬固まった。
「こちら、江戸川屋さんの女将さんよ。」
「いらっしゃい。」
女将の言葉に宗次郎君はにっこりと笑う。
「沖田宗次郎です。おじゃまします。」
私が女将の向かいに座ると宗次郎君も私の横に座った。
確か、沖田総司と言えば甘いものだった気がする。でもこれは誇張された過去なのだろうか?でも、甘味屋さんでの目撃例が結構あったわよね、白河藩周辺で。私はとりあえず自分の羊羹を宗次郎君に差し出した。
「食べる?」
「はい!」
当たったか。
嬉しそうに羊羹を食べる宗次郎君、私と女将は顔を見合わせて笑った。
「宗次郎君って言ったかしら、あなた最近よく見かけるわね。」
「はい、おリョウさんと遊びに来ています。」
「遊びにって、私は仕事なのよ?」
「はい、お仕事しているから遊べるんです。」
「それはどういう事かしら?」
女将が笑う。
「仕事をしている時じゃないとおリョウさん!?」
「まった!」
私は宗次郎君の口を手でふさぐ。
宗次郎君はニコニコとしながら私に口をふさがれている。
この子、ドMちゃんじゃないよね・・・?
「あらやだ、なーに?」
女将が笑っている。
「宗次郎君、それ以上はダメ。」
「はーい。」
宗次郎君が可愛らしく笑った。
ドカドカドカ!!
しばし三人で話をしていたら今度は違う音が・・・
「・・・・?」
派手な足音に私と女将が顔を合わせた。ふと見ると宗次郎君が残念そうな顔をしている。
「宗次郎!!!!どこにいやがる!!!!!」
だいぶお怒りになっている声が聞こえますが・・・
「・・・・・ねぇ?」
「あーあ、見つかっちゃった~。」
宗次郎君がお茶をすすっている。
たぶん、そんなにのんびりしている場合ではないかも。
「宗次郎ーーーーー!!!!!!」
「・・・・ねぇ、ちょっと。」
「ごちそう様でした。」
宗次郎君は湯呑を置いて静かに立ち上がり、ふすまを開ける。
「土方さん、騒がしいですよ?」
土方・・・・
少し開いたふすまに大きな手がかかり、けたたましい音と共にめいっぱい開けられる。
それはもはや襖が砕け散ってしまわないかと思える様な音で、女将も驚いて思わず立ち上がった。
「てめぇはこんな所で何してやがる!!!」
でかい男、色は白いけれどずいぶんと荒々しい。真っ黒い髪は固そうで近藤勇とはまるで反対の外見と空気を纏っているように思えた。
「何って、お茶をいただいていたんですよ?ねっ。」
宗次郎君が私を見る、私も思わず相槌を打った。
「お茶じゃねぇだろ!最近しょっちゅういなくなると思ったらこんな所に居やがって!」
こいつ、こんな所って二回も言ったよね・・・
私は土方の言葉に思わず立ち上がった。
「ちょっとぉ、失礼な言い方をしないで下さい。」
宗次郎君がちょっとムッとした口調で言葉を反す。
土方の大きな声に女中たちが集まり始めた、この男、礼儀知らずにも程がある。
私は一歩前に出て土方をまっすぐ見据えた。
「あまり大きな声をお出しにならないで下さい、他のお客様に迷惑がかかります。」
私はそう、冷たく言い放つ。
「おリョウさんごめんね、」
宗次郎君が私にすまなそうに声をかけた。
「お前がおリョウか・・・?」
「えぇ、何か。」
そう言うと土方は私を上から下まで見定める様に見ている、ことごとく失礼な男だ!
「・・・ふん、いい年して子供なんか誘惑してんじゃねーよ!」
何て言った!?この男は!!!
「僕は子供じゃないです!」
「遊女みたいに男たぶらかして、ここは遊郭か!?帰るぞ宗次郎!」
かちーん。
「ちょと、土方さん!?」
土方は宗次郎君の手を強引に引いて歩き出そうとする、前回近藤勇に捕まった時とは違い明らかに嫌がっている宗次郎君。
私は、そんな土方の肩に手をかけた。
「ちょっと、」
「あぁ!?」
ばきぃ!!!!
私の右の拳は、土方の右頬を完全にとらえた。
あまりに思いっきり殴ったせいか、体が一瞬宙に浮いた気がした。
「無礼者!!!口を慎め!!!!!!」
私の罵声に周囲は一瞬にして静まった。殴られた土方に至っては意味がわかっていない様な顔をしている。
「・・・・・、あははははははははは!!!」
そんな静寂を遮ったのは宗次郎君の笑い声だった。
「かーっこいいおリョウさん!!」
お腹を抱えてケラケラと笑う宗次郎君、土方はそんな宗次郎君の笑い声に我に返った顔をした。
おうおう!向かってくるなら来やがれ!徹底的に争ってやる!
チッ、
土方は舌打ちをしてこっちを見返る。
「・・・これだから、年上女は嫌なんだよ。」
何おぉ!?
「行くぞ!宗次郎!!」
「おリョウさんまたね~、」
「・・・・・・・・」
宗次郎君はまたニコニコとしたまま連れて行かれるけれど、大丈夫か、あの子は・・・?
土方と宗次郎君が完全に見えなくなって、しばらくしてからどっと静寂は崩れた。
「おリョウちゃんかっこいい!!!!」
女将が私に抱きついてくる。周りにいた女中たちも大盛り上がりしていた。
「スカッとしたわ!」
女将が殴る真似をして騒いでいる。
いや、そんなつもりはなかったんだけど・・・
冷静になって考えてみると・・・刀を持った大男に殴り掛かるってのは、身の程知らずだったと思われ、しかも右手はだいぶ痛い・・・
ちょっとしたヒーロー扱いになっているが、そんなんではなく、カッとなったがための突発的な行動だった。
「えっと、そのぉ・・・」
思いのほかみんなが盛り上がってしまっていて、どうしたら良いものか・・・・と。
やっちゃったなぁ・・・
【宗次郎】
「もぉ!土方さん!おリョウさん怒ってたじゃないですか!」
「そもそもおめぇが悪いんだろうが!俺なんて殴られたんだぞ!」
「土方さんがあんな言い方するからです!」
「だからぁ!おめえが悪いんだろ!」
おリョウさん、とっても怒ってた・・・
いっつも笑っているおリョウさんが、怒ってた・・・剣を持っている土方さんを殴っちゃうなんて、とっても怒ってたんだ。
あの時は驚いて笑っちゃったけど、もう僕、おリョウさんの所に行けないのかな・・・
確かに、僕が道場抜け出して遊びに行くから、土方さんは怒っているんだけど、でもおリョウさんは悪くないのに、あんな言い方するのはいけない。
おリョウさんはきれいな人だけど、遊女じゃない!
「あんなに怒っちゃったら、もう遊びに行けないじゃないですか・・・」
「ちょうどいいじゃねーか!道場にいろ!」
どうしよう、もう遊びにけないのかな・・・
僕は道場の隅で少しいじけていた。今日は剣なんて握る気になれない。どうせ握らないんだったらいてもいなくても一緒なのに、だったら遊んで帰って来て、それから稽古した方が絶対にいいのに。
おリョウさんは僕の、友達なのに。
土方さんは相変わらず大声張り上げて門下の人たちと一緒になって稽古している。近藤さんも相変わらず黙って座ってそんな稽古風景を見ている。
「・・・・・・」
僕は、道場を出た。
井戸で水を汲んで、飲んでみた。そんなことで気持ちが落ち着かないのはわかっているんだけど・・・
「宗次郎、」
僕はその声に驚いて、急いで振り向いた。
「・・・近藤さん、」
そこには、近藤さんが立っていた。
「近藤さんが稽古場を離れるなんて、珍しいですね。」
僕は近藤さんに笑って見せる。
「お前は、珍しい事じゃないな。」
「そうですか?」
「あぁ、最近は特にな。」
僕はちょっと黙って、足元に視線を泳がせた。
武士がこんな事、情けないなぁ・・・近藤さんみたいに常に剣の事だけ考えていなきゃいけないのに。
「土方の顔は、誰に殴られた痕だ?」
「・・・・・・・」
「宗次郎、怒っているわけではない。聞いているだけだ。聞いたからと言って咎める訳でもない。」
「・・・本当、ですか?」
「武士に二言はない。」
僕はなんだか悲しくなってきた。
「宗次郎。」
「・・・おリョウさん、」
「・・・おリョウさん?女にか!?」
近藤さんがとても驚いた顔をしている。そりゃ、そうだよね・・・あの土方さんを殴った女の人なんてきっと、いるとしたら土方さんのお母さんぐらいだと思うから。
「江戸川屋の、おリョウさん・・・・」
「江戸川屋?この前お前が行こうとしたところか?」
「・・・はい、」
そう言えば何で土方さんは江戸川屋に来たんだろう・・・誰かから聞いたのかな。
「おリョウと言う女とは、昔からの知り合いか?」
「いえ、まだ会って数回です。玄関先の掃除をしているおリョウさんと会って、中で話している間に昼寝してしまった僕をお姉ちゃんの家まで連れて行ってくれて、それからです・・・」
「お前が、余所で昼寝だと!?」
「はい・・・」
「初対面の女の所でか!?」
「はい・・・」
僕だって目が覚めて驚いたんだ。
道場に入った時は何日も眠れなくって昼間に倒れちゃったりして、でも、おリョウさんの声を聞いていたらとっても気持ちよくなってきて、気が付いたら寝ちゃってて・・・
そんなこと思い出してたら、何だか、余計に悲しくなってきた・・・
「土方は帯剣していたはずだ、その土方を殴ったと言うのは何故だ。」
「だって!土方さんが!」
僕は思いのほか大きな声を出してしまって、驚いて、一回口を閉じる。
近藤さんもちょっと驚いた顔をしてる。
僕は再びつぶやくような男気のない口調で続きを答えた。こんなんだからきっと子供って言われちゃうんだよ・・・
「土方さんが、おリョウさんの事、僕をたぶらかす遊女だって言ったんです・・・江戸川屋さんの事は、女将さんの前で遊郭だって。おリョウさん、とっても怒って、それで、無礼者!口を慎め!って、怒鳴って、」
「なるほど。」
「せっかく友達になったのに、これじゃもう行けないじゃないですか・・・小五郎さんや晋作さんとも、仲良くなれたのに。」
「小五郎?」
「はい、小五郎さん。小五郎さんとおリョウさんが僕をおぶって家まで連れて行ってくれたんです。」
「宗次郎、小五郎とは背の大きな優面の男か?」
「はい・・・?」
あれ、近藤さん、小五郎さんの事知っているのかな・・・?
「なるほど。」
近藤さんは何かを考えている様だった。
「・・・で?」
近藤さんの言葉に、僕はいじけていた顔を上げた。
「お前はどうしたら、再び稽古をやる気になるんだ?」
「えっ?」
そして近藤さんの言葉に首をかしげる。
「どうしたらお前は、以前の様に剣を持つかと聞いているんだ。」
「・・・・・・・」
僕は黙ってしまう、だって、おリョウさんと遊んだらなんて言ったって、どうせ怒られるだけだから。
「江戸川屋に、再び行けるのであれば、稽古をするか?」
「えっ?」
そのまま言い当てられて、僕は呆然と近藤さんを見上げた。
「・・・わかった、明日、お前に非番をやる。」
「えっ?」
もうここまで来たら僕は聞き返す事しかできない。
「明日、菓子を持って江戸川屋に行け。そして女将とおリョウと言う女、そして女中たちに今日の土方の失言を詫びて来い。お前はここの師範だ、男であるなら自分の門下の失態をきちんと詫びて来るんだ。」
「近藤、さん・・・?」
「土方は歳こそ上だがこの道場での位はお前より下だろ、上の者は下の者の罪を被る事が出来なければ、上に立つ器ではない。できるな。」
僕はきっと呆然として近藤さんを見ていたんだと思う。
「遊びに出るなとは言わん、お前はまだ我々の様に夜を遊ぶ事はしないのだから日中遊ぶのもいいだろう。だが時と場所はわきまえなさい、お前はここの師範だ、お前より歳は上であってもお前の剣を学びに来ている者もいる。その者達を放り出すことは許されない。」
「はい!」
「ならば、道場に戻れ。」
「はい!」
僕は近藤さんに一礼して、竹刀を抱えて道場に戻った。
明日、ちゃんとおリョウさんに謝ろう。
お菓子は何がいいかな?
何だったらおリョウさん、喜んでくれるかな・・・
【おリョウ】
「おかえり、小五郎、晋作君。」
「ただいま。」
ほぼ毎日の日課となっている道場帰りの立ち話、大体は晋作君と一緒の小五郎、三人で話をするこの時間が楽しくて私達は毎日今日の事を話しあった。
「姉さん、右手・・・どうしたの?」
「・・・ん?」
私は思わず赤く腫れている右手を背に隠した。
「何でもないわ。」
って私が言った横から、女将が走って来てしまった。
「桂様、高杉様聞いてよ!」
「女将やめてぇ!!」
待ってましたとばかりに飛び出してきた女将は二人にすり寄って今日の一大事件の話をし始めた。
「はぁ!?おリョウさんあの土方の顔殴ったの!?」
「・・・・・・」
小五郎に至っては、絶句している。
だから嫌だったのにぃ!もぉ、女将!!
「こりゃ傑作だ!!よりによって土方が!!!」
晋作君が腹を抱えて笑っている、女将はますます勢いづいてまるで武勇伝の様に話し始めた。
「そりゃもう!かっこよかったんだから!去りゆく男の肩を掴みかかって思いっきり殴って、『無礼者!!!口を慎め!!!!!!』って!」
女将があの時の私の真似をしている、恥ずかしいからやめてよぉ・・・
「だ、だって、私の事、宗次郎君をたぶらかす遊女って言ったのよ!?その挙句にここを遊郭って言って!そりゃ頭にも来るでしょ!?」
「ふ~ん・・・」
私の言葉に小五郎が晋作君を見た。
「晋作、お前も殴られて来い。」
「えぇぇっ!?何で!?」
小五郎の言葉に晋作君が悲鳴を上げて小五郎を見上げた。
「お前、確か姉さんに初めて会った時に、僕に何か言ったよなぁ?」
「・・・えっ、」
その言葉に晋作君がマズイと言う顔をした。
「あらぁ、晋作君、な~にを言ったのかなぁ?」
私はわざと一歩、晋作君に詰め寄って見る。
「いやっ!えっ!いやそのっ、俺が言ったのは遊女みたいにきれいだって事で、」
「へぇ~、あんたもそんな風に言ったわけ?」
「えっ!あっ、いや、言ってない!そうじゃなくって!えぇっ!?」
狼狽えながら一歩下がる晋作君、私はまた一歩詰め寄っていた。
女将がそんなやり取りを横で見ながら笑っている。
「往生際が悪いな、晋作。罪を認めろ。」
「罪!?」
「歯ぁ喰いしばれ!晋作!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
晋作君は小五郎の背に隠れた。
私達三人は大笑いした。
「残念ねぇ、気合入れてあげたいけどあいにく今日はもう誰かを殴れそうにないわ。」
そう、これで晋作君まで殴ったらきっと右手はバラバラになる。それでなくたって痛いんだから。
「手、大丈夫?」
小五郎が私の右手を見て優しく問いかけてきた。
「えぇ、大丈夫よ。晋作君を殴らなければね。」
私は晋作君を見て笑う、晋作君は再び小五郎の背に隠れた。
「土方さんは帯剣していたんじゃないの?いくらなんでも、そんな人に殴り掛かったら危ないよ?」
小五郎の優しい言葉は、本気で心配してくれているんだとわかる。
「えぇ、後になって気が付いたわ。ちょっと軽率だったわね・・・でもなんか、宗次郎君がかわいそうで、笑っていたけど一番驚いたのは宗次郎君でしょうから。」
「そうよねぇ、宗次郎って子、だいぶ嫌がっていたから・・・」
女将もその光景を思い起こしてつぶやいた。
「土方さんって言ったら女遊びで有名だよね、まさかその女の人に自分が殴られるなんて思ってなかっただろうね。」
「ねぇ、それって私が『その女の人』って言ってるの?」
地雷踏んだな、晋作。
「えぇぇ!?」
ひょっこっり出てきた顔をまた小五郎の後ろに隠す晋作君、面白い子。
「宗次郎君、もう来なくなっちゃうのかしらね・・・」
「それはちょっと、かわいそうだね。」
小五郎もちょっとさびしげな表情をした。
ちなみにこの日の来客は、これでは終わらなかった・・・
【近藤勇】
「御免!」
少し遅くなってしまったと江戸川屋の玄関で思った。こんな時間に宿泊の来客はあるまい。
「はーい。」
そう言って若い女中が駆けてきた。これが、おリョウか?
女は膝を付き、頭を下げる。
「お泊りでございましょうか?」
「いや、自分は近藤と申します。おリョウと言う女中に所用があって参ったが、お手すきかな。」
「おリョウさん、で、ございますか・・・・?」
「あぁ、そうだ。面通しは可能か?」
「・・・はい、では確認をしてまいりますので、大変申し訳ございませんがこちらで少々お待ちいただけますでしょうか。」
「構わん、頼む。」
女中の女はパタパタと中へ駆けて行った。
今日はこの宿屋にとってはさぞ騒がしい一日だろうなぁ・・・
【おリョウ】
「おリョウさん!おリョウさん!!」
「ん?」
おサチが私の所へ駆け込んでくる、私は洗濯物をたたみ終えて今日の仕事を終えようとしていたところだった。
血相を変えて走り込んできたおサチを私は受け止める。
「どうしたのさっちゃん!?」
息を切らしているさっちゃん、はてどうした事かな?
「お客さんが、おリョウさんに会いたいって!」
「お客さん?」
誰よ、こんな夜に。
「多分、お武家様で、近藤って名乗ってらして、」
近藤!?
「さっちゃん落ち着いて、その人は近藤さんって言ったの?」
「はい、色黒の、大きな男性で。もしかしてお昼の事で!?」
まぁ、そうでしょうね。
「大丈夫よ、知っている人だわ。」
「本当ですか!?」
「えぇ、大丈夫だから落ち着いて。さっちゃん、松の間は空いているかしら?」
「えぇ・・片付けが終わったから、」
「その近藤さん、松の間にお通ししてもらえないかしら?」
「松の間に、ですか?」
「えぇ、そうよ。できるだけいいお茶を出して差し上げて。湯呑も最もいい物を。そして支度が出来次第すぐに行くとお伝えしてね。」
「わかりました。」
私はおサチの背をポンと押し、玄関方向へと向かわせる。そして、自分の部屋に一度戻った。
「さぁて、何しに来たかぁ?近藤勇よ・・・・・」
斬りに来たか?まぁ、それはそれだ。
さて、どう対処しようか。
宗次郎君から私の事はほとんど聞いているでしょうから・・・私は小五郎にもらったクシを懐に入れた。
「小五郎、ちょっと力を貸してね。」
私はわざと少し時間をおいて近藤を待たせる、そして一息ついてから松の間に向かった。
【近藤勇】
随分と広い間に通されたものだ、たぶんこの宿で一番敷居の高い間だろう。床の間に飾られた掛け軸に活けられた花、そして日本刀、決まりが良い並びをしている。
この茶もなかなか良い物だろう。
ふと障子の奥に人影が見えた、あれがおリョウか・・・?
「失礼いたします。」
女は静かに障子戸を開けて、実に静かにやって来た。
「リョウでございます。」
そう言っておリョウはきちんと三つ指を付き、頭を下げた。そして上げた顔を見て、思い出す。
宗次郎が逃げようとしたあの日、玄関の掃き掃除をしていた女か。
おリョウは静かに中に入り障子を閉めてその前で再び膝を付いて頭を下げた。
「お前がおリョウか。」
「左様でございます。」
「前にも、会ったな。」
「えぇ、門の前で。」
やはり覚えていたか、この女、かなり賢いと見た。
「本日は私などに、何用にてわざわざお越しいただきましたのでしょうか。」
おリョウと言う女、わざと恭しくしている。
「かしこまらないでいただきたい、今日は昼間の謝罪に来たのだ。」
「謝罪、でございますか?」
「あぁ、自分は試衛館と言う道場の塾頭をしている近藤と申す。先刻我が道場に通う者が大変な無礼を働いたようで、詫びに参った。」
座ってこちらをまっすぐと見ているおリョウに、軽く頭を下げる。
おリョウと言う女は目を細め、わしを見据えている様に見える。
「そのような事をわざわざ、お武家様に無礼を働いたのはこちらの方です。お許しくださいませ。」
おリョウは再び深く頭を下げた。
コトッ、
その時、おリョウの胸元から鼈甲のクシが落ちた。
見事な細工の黄色いクシ、おリョウはそれをすぐには拾わずに、ゆっくりとした動作でそっと拾い上げると再びこちらに目を細め微笑んでみせる。
「これは、お見苦しい物をお見せいたしました。」
「良い細工のクシだな。」
「えぇ、ある方に頂きました。それ以来この様に肌身離さずに持っております。」
なるほど、牽制か。
これでは土方がかなうわけがない。
わしは思わず笑ってしまった。
「もういい、おリョウとやら。警戒しないでいただきたい。昼間の無礼は誠にこちらの躾不足だ、土方は常日頃から荒くていけない。」
「いいえ、こちらもカッとなってしまったとは言え失礼をいたしました。」
なるほど、この笑顔では桂さんや宗次郎が通いたくなるわけだ。
【おリョウ】
さて、やっと対等に話ができるか。
私はふぅと小さく息をこぼした。
「時におリョウとやら、あなたはうちの宗次郎と大層仲良くしてくれている様だな。」
まぁ、仲が悪いわけではないけれど。どちらかというと一方的かしら。
「こちらこそ、仲良くしていただいていますよ。」
私はそう返す。
「今日の事は、わしの顔に免じて許してはもらえないだろうか、この通りだ。」
近藤さんは私に再び頭を下げた。女性に男性が頭を下げるなど、この時代ではありえない事、ましてや私の方が身分は下、これはやめさせなければいけない。
「お顔を上げてください、そんなことされたら、私はもっと小さくならなくてはいけなくなってしまう。」
私の言葉に近藤さんは笑う。
「過ぎた事は忘れるくちです、お気になさらず。宗次郎君にもそう伝えていただけますか?」
「面目ない、感謝する。」
「いいえ、」
「宗次郎がいじけてしまってね、剣に身が入らなくて困っていた。そう言っていただけるとありがたい。全くまだまだ子供で困るな。」
あら、やっぱりいじけちゃったのか、宗次郎君。
「女将にも申し訳ないと伝えていただけるかな。」
「えぇ。でもうちの女将は粋な人間ですから、きっともう笑い話に代えていると思いますよ?」
実際もう変わっているんだけど・・・
「そうか、有難い。」
そう言って近藤さんは笑った。
「時に、おリョウとやら。」
「はい、何でしょう。」
「明日、宗次郎に暇を与えた。こちらに向かわせる。」
その言葉に私は小首を傾げた。
「ああ見えても宗次郎は師範の位を得ている、無礼を働いた土方の方が歳は上だが言い方を変えれば宗次郎の門下。」
「あら、宗次郎君ってすごいのね。」
私は何も知らないふりで笑う。
「宗次郎には明日、こちらにきちんと今日の事を詫びてくる様に伝えてあります。謝罪を受けてはいただけぬか?」
「それは、構いませんが・・・?」
「そして、今わしがここに来ていた事は黙っていていただきたい。」
なるほどね、近藤勇、よくできた男だ。
「承知いたしました。お約束いたします。」
わたしは再び頭を下げる。
「それと、良ければこれからも宗次郎とは仲良くしてやってもらえないか。」
「それはもちろん。友人ですから。」
私の言葉に近藤さんは優しく笑うと立ち上がる。
「さて、夜分に呼び立てて失礼した。帰る。」
「お送りいたします。」
私は戸を開けて近藤さんを表の通りまで見送った。
「時におリョウ、あなたは長州の出かな?」
やっぱりね。
私は笑う。
「私はしがない田舎者でございます。」
「そうか・・・、では御免。」
そう言って近藤さんは夜道を歩いて帰った。
【近藤勇】
あれでは土方がかなうわけがない。
殴られるのも当然だ。
帰り道、込み上げてくる笑いを押し殺すのにだいぶ苦労した。
あの女は相当賢い、いや、相当などと言う言葉ではもはや足りないだろう。
あの畳間にあの茶、最も良い持て成しをすることでこちらの器量を計った。あれだけの持て成しをされて剣を抜いては武士ではない、それに引き替え自身は女中の格好のまま現れた。わしを立てて自身は身分が低いと訴えるためだ。
そしてそれを見せ付けたうえで、わざとクシを落とした。あの女は自身と桂さんの事をわしが知っていると初めから踏んでいた、大方、宗次郎が話したと察していたのだろう。だからわざとクシを落とし、それを見せ付け、自身は桂さんの女であると誇示して見せた。
桂さん並びに長州の後ろ盾があると、わしを牽制した。
長州の出かと聞いた問いに答えなかったのも正解だ。答えれば桂さんの名前を出したも同然、含みを残せば嘘偽りを言った事にはならない。
よくできた女だ、あの容姿にあの頭の良さではまずそこら辺の男では太刀打ちできまい。
「これで桂さんとくっつかれては誠に、誰も手出しはできないな。」
桂さんのあの剣に、この女の頭、まさに鬼に金棒と言ったところか。
話の分かる女でよかった。
あれが男だったら、良い武士になっただろう。
【おリョウ】
話の分かる男でよかったよ・・・
全身の力が抜ける気がした。よりによって後の新撰組の局長だもの、殺されたっておかしくない。
私はぎゅっとクシを握りしめる。
「ありがとう小五郎・・・」
今回の頭脳戦は私の勝ち、そう言う事にしておこう。
しかし・・・クシをもらう事って、何か意味があるのかしらねぇ・・・?
「今日の事は、小五郎の耳にも入れておくか・・・」
私は部屋へと戻った。
朝いちで女将さんに今日、宗次郎君が来る事を話しておいた。
粋な女将さんはもちろん、近藤さんの協力申請に快く乗ってくれた。近藤さんに会ったさっちゃんにも口止め、これで宗次郎君の顔が立つかしら・・・
「宗次郎君はお菓子を持ってきてくれるんですって?」
「えぇ、そのようです。」
「だったら、宗次郎君のあいさつが終わったら二人でお茶の葉を買ってきてもらえるかしら?」
「えぇ、わかりました。」
「なんかねー、もうちょっとあったっと思っていた玉露が意外と少ないのよ。それも一緒に。」
「・・・はい。」
さっちゃんはいったいどんだけお茶の葉を使ったんだ・・・?
「あの子、何を買って来るかしらね。」
女将と私はくすくすと笑った。
昼前
「ごめんくださーい。」
かわいいけれどちょっと緊張した声が玄関で聞こえる、私はあえて迎えには行かなかった。
「おリョウさーん、おリョウさーん・・・」
来た来た、私はいつもと変わらずに中庭の掃き掃除をしている。
「おリョウさん・・・?」
「あら、宗次郎君!」
私は驚いて見せる。
「今日は稽古は!?」
「今日はね、お休みをもらったんだ・・・」
「あら、そうなの。今日はどうしたの?また遊びに来たの?」
私は箒を置いて宗次郎君の前まで歩いて行く、宗次郎君はちょっと緊張した顔をしていて・・・あら、今日は帯剣しているのねぇ。
「おリョウさん・・・」
宗次郎君はそう言って、思いつめたような顔をして両膝を付いた。私はその横に腰をかける。
宗次郎君は男らしく、両の拳を足の付け根に置いて、背を正し、そのまま拳を床に付けて頭を下げた。
おぉ、見事な土下座・・・・・なーんて言ってはいけない、この子は武士でした。
「ちょ、ちょっと宗次郎君!頭あげて!」
「昨日は、うちの土方が大変な無礼をしました!申し訳ありません!」
おぉぉ、頑張ってる頑張ってる。
「大丈夫だから!ほらっ、頭あげてって!」
私は宗次郎君に顔を挙げさせる、宗次郎君は困った顔で、目を細めてしょんぼりと肩を落としていた。
昨日の近藤さんが言っていた言葉と同じ、完全にしょげちゃってる。
「土方さんは、僕より大人ですが、僕の門下になります。だから、門下が起こした無礼は僕の責任にもなります。」
なんか、良い慣れない言葉を一生懸命に言って、一生懸命に大人の男を演じていて、可愛らしい。
私はくすっと笑ってしまった。
それを聞いて、宗次郎君が私を見上げる。
「立派ね、宗次郎君。わざわざお詫びを言いに来てくれたのね、ありがとう。」
「・・・・・・」
宗次郎君はじっと、私を見つめている。
「私も良くないわ、いきなり殴っちゃうなんて反則よね。」
「そんなことないです、あれは、土方さんが悪いですよ・・・あんな言い方、しちゃいけない・・・もうおリョウさんの所に来れないんじゃないかって思って、それで・・・」
まさかの泣きそうな顔に、私は驚いた。
ヤバい、この子マジでショックうけているんだ・・・かわいいとか言って笑ってる場合じゃないよ!
この子を、泣かせてはいけない。
「私、歳下の若造に言われたことをいちいち根に持つほど若くはないわよ。安心して。」
私は宗次郎君の頬に手を置いて、目元を親指の腹でくっと拭った。宗次郎君はそんな私の行動に驚いて慌てて顔を上げて目をこする。
「だって、私達友達でしょ?」
私が歯を見せて笑うと、宗次郎君の表情がぱっと明るくなった。
「じゃぁ、一緒に女将さんに挨拶に行こうか。その持ってきている物、女将さんへのお詫びでしょ?」
「あっ!そうでした!」
宗次郎君ははたと顔を上げて手土産を手にして私を見た。
「さぁ、おいで。」
私は宗次郎君を連れて、女将さんの所へと向かった。
廊下を歩いている最中緊張してか、いつもおしゃべりな宗次郎君が一言も話さない。私もあえて、声はかけなかった。
きっと果てしなく長い廊下に感じるんでしょうね、私にも覚えがあるよ、学生の時にね。
「女将さん、いらっしゃいますか?」
障子越しに私は膝を付いて声をかける。
「その声はおリョウちゃん?」
「はい、お客様がお見えです。お連れしました。」
「お客?どなたかしら。いいわ、通して差し上げて。」
女将はやっぱり粋なお人だ。私は笑いそうになるのを堪えてふすまを開けた。
宗次郎君はふすまの前で両の膝を付いて、だいぶ緊張している。
これは、おばちゃんの出番かな?
「あら、宗次郎君。」
女将は何か計算をしている、そして顔を一度だけあげて、微笑むと手を止めた。
「どうしたのかしら。」
さすがにこれだけの旅館の女将だ、今日のその言葉には威厳があり、目を細め、宗次郎君を見据えている。
完全に委縮して、中に入れない宗次郎君。私は立ち上がり、宗次郎君を立たせる。
宗次郎君はまるで私に支えられるように部屋に入った。
「どうしたのかしら?私に何か御用?」
女将は再び手元に目を落とし計算を始める。
おー怖い、人の上に立つ者の威厳だ。わざととは言えこっちまで萎縮しちゃう。
女将の前で立ち尽くす宗次郎君、私はそんな彼の背に手を置いて、そっと座らせる。
私の時と同じように座っているけれど、緊張のあまり言葉が上手く出ないのか、言葉に詰まっている。
私はそっと背に手をかけた。
「あなたの言葉でいいの、畏まらないで、無理な言葉を探さないで、あなたがいつも使っている言葉で、ちゃんと話して?」
宗次郎君の目は完全におびえている、こりゃ困ったなぁ。
言葉を失って、視線が泳いでしまってる。
沈黙が続いてしまった。
仕方ないなぁ・・・
「・・・よし!宗次郎!背を伸ばせ!!」
私は宗次郎の背を叩いて鞭を入れる、その行為に宗次郎は背を伸ばして目を丸くして私を見た。
女将も手を止めて、私たちを見ている。
私は、宗次郎君の頭を後ろからガシッと掴んだ。
「前を見て!!」
宗次郎は軍隊の様に前を見て固まった。
「はい!謝罪!」
そう言って私は宗次郎の頭を思いっきり前に押して畳に叩き付ける、そして自分も頭を床に着けた。
「昨日はごめんなさいっ!!!」
土下座の状態で宗次郎が絶叫するかのごとく言った。
女将は優しく笑っている。
宗次郎は目を強く瞑って、そのまま大きな声で叫び続ける。それはまさに体育会系の謝罪風景。
「土方さんが悪い事を言いました!本当にごめんなさい!」
そっと顔を上げた私を見て女将がクスリと笑い、宗次郎君の方へ体を向き直した。
「二人とも、頭を上げて?」
「えっ!?」
その言葉に、宗次郎君は私も頭を下げている事に気が付いて勢いよく体を起こす、そして同じく体を起こした私を見つめた。
「おリョウさんまで、何で・・・?」
私は困惑している宗次郎に笑う。
「あら、だって私のとばっちりで旅館が悪く言われたのよ?私も謝らないと。」
「そんな!おリョウさんは悪くないよっ!」
宗次郎君が驚いて再び叫ぶ。それはもう本当に必死の形相だ。
「それに。」
「それに・・・?」
「それに、一人で謝るより、二人の方が心強くない?」
私の笑った顔に宗次郎君は力が抜けてしまったようだ、私は再び、宗次郎君の背に手を添えた。
「女将さん、昨日は本当にごめんなさい。おリョウさんも・・・あれは土方さんが悪いです。本当にごめんなさい。」
「なんで宗次郎君が謝るのかしら?」
女将は優しく問いかける。
「僕は、試衛館と言う道場の師範をやってます。土方さんは僕よりも歳は上だけど、僕よりも道場での位は下です。だから、門下の責任は僕の責任でもあるんです。だから・・・ごめんなさい。」
「立派ね。」
女将さんの優しい言葉にうつむいていた宗次郎君の顔がやっと上がる。
「下の者の罪を被り、素直に謝罪できるのは立派です。あなたに免じて、昨日の事は水に流しましょう。」
「ほら、これ。」
私は宗次郎君に、置き去りになっていたふくさを渡した。
宗次郎君は思い出したかのように慌ててそれを手に取ると女将の前に差し出した。
「これ、お詫びです。塾頭の近藤さんから、みなさんにご迷惑をかけたお詫びにって。」
「あら、何かしら。」
女将は再び私に軽く微笑んでそのふくさを開けた。
「まぁ。」
木箱の中は色とりどりの千代紙に小分けで包まれている落雁だった。
「かわいぃ~!」
梅の形や桜の形、菊に扇、赤と白で色づけされたそれはまるでかわいい宝石の様。
「港屋さんの栗落雁です。とってもおいしいです。」
「まぁ、栗落雁!私も数度しか食べたことないけれどおいしいわよね!」
「私はないわ!」
「みんなで食べてください!」
宗次郎君の顔がやっと笑顔になった。
「じゃぁ、おリョウちゃん、お茶の葉を買ってきてくれるかしら?宗次郎君も一緒に行ってくれる?」
私達は返事をして顔を見合わせて笑った。
買い物の道中、私たちはいつも通り話をしながら歩いた。
「宗次郎君、今日は帯剣してるんだね。かっこいいね。」
「僕も一応武士だから、こんな時はちゃんとした方がいいかなって、思って。」
歯を見せて笑う宗次郎君、やっと緊張が解けたと言う感じだ。
大役だったよね、お疲れ様。
「女将さん、ちょっと怖かったねー。」
「・・・はい。」
名演技ですよ、女将。
「人の上に立つ人ってのは、あんな風なんだろうね。」
「近藤さんもあんな感じです。いつもは優しいけど、怒っているときは、静かに怖いです。」
「土方とは大違いね。」
私が笑って言うと、宗次郎君も笑って土方の話をしてくれた。
「土方さんは近藤さんとは全く逆で、いっつもバタバタと何かしてるんですよ。変な薬作ったり。」
「薬!?」
「そう、土方さんのご実家は薬屋さんなんです。」
とても楽しそうに土方の話をする宗次郎君、きっと、宗次郎君にとってはいい人なのね。
「夜とかになると女の人がいっつも一緒にいて、恋文とかがたまに箱いっぱい届くんですよ。」
「えぇ!?そうなの?」
そこまでだったか、土方歳三・・・
「私だったら宗次郎君の方がずっといいけどな。」
あら、赤くなっちゃってかわいい。
「僕もおリョウさんがいいです。」
「あら、うれしい。」
初めて出会った時は妙な空気感を持ったちょっと怖い子だったけれど、こうやって懐いてしまえばどこにでもいる普通の男の子。14歳と言えば中学生、この時代では大人扱いだろうけど本当はまだまだ子供なんだ。ましてやこの子は年上女性に過剰に懐くと言うコンプレックスがある、新撰組と言う男社会で生きるにはもう少しだけ時間がかかりそうだ。
そう、この子は新撰組の沖田総司なんだ・・・
小五郎や晋作君の命を狙う、新撰組・・・幸いにも小五郎に関しては新撰組に斬られて殺されると言う歴史を持ってはいないが、私が関わった事で何かが変わってしまうかもしれない。
宗次郎君だってそうだ、この子はあと10年ほどの短い生涯だ。そして、近藤勇も、それとほぼ同時期に死ぬことになっている。新撰組、それはあまりに儚い・・・一時期の夢にも等しかった。
「おリョウさん?」
考えていたら、宗次郎君に顔を覗かれていた。
おっと、これはちょっと恥ずかしいぞ。
「ごめんごめん、」
笑う私に宗次郎君が笑った。
私達はのんびりとお茶屋さんでお茶を買って歩いて帰り、その後宗次郎君も含めてお茶の席を取り、いつも通り掃除する私の側で話をしたり歌をせがんだり、いつもと変わらない一日を過ごした。
「僕、そろそろ帰ります。」
「あら、もうそんな時間なのね。」
「おリョウさん、僕、近藤さんに遊びに出ても良いよって言われてるんです。」
「あら、脱走が公認になったの?」
「もう、脱走じゃないってば。」
笑う私に宗次郎君も笑った。
「でもね、たぶん、これからはあまり来れなくなると思う。」
「あら、公認なんでしょ?」
「うん、でもね、僕は師範だから、僕の剣を学びに来る人たちがたくさんいるんだ、だから、僕はその人達を置き去って遊びには行けないんだ。」
その言葉はとても責任感があり、自らがそうしたいと言っているようで、ちょっと大人になった感じがした。
「そうだね、その人達は宗次郎君に教わりに来ているんだものね、いなかったら困るわね。」
「うん、だから、ちゃんとお休みをもらった時と、ちょっと大丈夫な時に遊びに来る事にした。」
「・・・ちょっと大丈夫な時って、何よ?」
「それは、飽きちゃったときとか、菓子が食べたいときとか。」
「今までと一緒じゃん。」
私達は終始笑っていた。
そして私は玄関まで宗次郎君を送った。
「おや、宗次郎君来ていたんだね。」
いつもより少し早く帰ってきた小五郎がちょうど玄関先に居合わせた。
「あら、お帰りなさい。」
「こんにちは小五郎さん。」
「こんにちは。」
宗次郎君は小五郎に挨拶をして、小五郎もまた笑いかける。
「じゃぁね!おリョウさん!」
「はーい、またね!」
そう言って宗次郎君はそのまま走って去って行った。
「あの子、今日は帯剣してるんだ。」
小五郎はすぐに宗次郎君の帯剣に気が付いた。
「そうなのよ。あれ、今日は一人?」
私はふと、いつも一緒の晋作君がいない事に気が付く。
「あぁ、晋作は今日は藩の警護の日だから一日藩邸にいるよ。たぶんすごく暇をしていると思う。」
笑う小五郎。
ちょうどいいかもしれない・・・今日の話は、小五郎だけにしたかったから。
「実は昨日あの後に、少し事が起こってね・・・小五郎、この後時間ある?」
「あぁ、大丈夫だよ。」
「じゃぁ、ちょっと歩こうか・・・待ってて。」
私は前掛けを外し、女将に出てくることを伝えて小五郎とあの橋を目指してゆっくり歩いた。歩いている間はあまり話せないけれどあの橋であれば人も少ないから昨日から今日にかけての話がゆっくりできると思った。
旅館だと女将が立ち聞きしそうで怖いのよね・・・
【近藤勇】
「宗次郎!宗次郎どこだ!!!」
土方がまた朝から騒いでいるのか・・・、このままだと昨日の二の前になりそうだな。
どたどたと道場内を歩く歳に、仕方なく歩み寄る。
「どうした、騒がしい。」
「近藤さん!宗次郎の奴またいなくなって!っとにあの野郎!まさかまたっ!」
「歳、落ち着け。宗次郎には今日非番をやった。」
「非番!?」
この男は本当にいちいちうるさい。
「昨日も抜け出して!今日も非番って、近藤さんは宗次郎に甘い!」
「誰のせいで宗次郎が今日非番だと思っている・・・?」
「はぁっ?」
この男は違う意味で宗次郎よりも子供だな・・・でかい分手がかかる。
「昨日お前が江戸川屋で暴言を吐いたせいで宗次郎は謝罪に行っている。」
「はぁ!?殴られたのは俺ですよ!?」
「殴られる原因を作ったのは誰だ?」
「そりゃ、宗次郎とあの女でしょ!」
はぁ・・・
溜め息しか出てこん・・・
これで何で世の女どもはこの男に沿いたがるのか理解できんな。
「宗次郎には私から言って聞かせた、その上で、あいつの出歩きは公認してある、いいな。」
「出歩きを公認!?一体何を考えてるんですかぁ!?」
うるさい・・・
「お前や私たちは夜に遊びに出ているだろう、宗次郎はまだその遊びをする歳じゃない。我々は出歩いていると言うのに宗次郎だけそれをさせないのはいささか不公平だとは思わないか?」
「だったらあいつも夜に遊びに出ればいいんだ!」
宗次郎はまだ十四だぞ・・・?
「遊びとは人それぞれだ、違うか?」
「・・・・・・」
やれやれ。
「だが、けじめはつけてもらう。きっと今後は逃走回数も減るだろう。」
「そう、ですかね・・・」
何やら腑に落ちない顔をしているが、今日はまだ収束が早い方だな。
「それと、お前は二度とあの旅館に行くな。」
「はぁ!?」
「おリョウと言う女には関わらない方がいい、お前などが敵う女ではない。」
「はぁ!?」
まったく、いちいち声がでかくてこの男はいけない。
「先刻、会って話をしてきた。あの女は相当賢い、お前などがいくら喚いたところで巻かれて恥をさらすだけだ、もう二度とかかわるな。」
「何ですかそれ!」
「それに、あの女には思ったよりも大きな後ろ盾がある。殴られるだけで済んだ事に感謝すべきだな。」
この言葉にやっと黙ったか。
「お前も男なら、今私が話したことは宗次郎には言うな。宗次郎の顔を立ててやれ。剣の腕は見事でもあれはまだ子供だ。お前まで子供になるな。」
「・・・わかりました、」
「宗次郎が不在の時は私が剣を取る、それで文句はあるまい?」
「近藤さんがぁ!?」
はぁ・・・
いちいちうるさい男だな、この土方歳三と言う男は・・・
【おリョウ】
「ここでいい?」
小五郎は私をいつもの橋に連れて行く、さすが、わかってらっしゃる。
そして私を先に座らせて、その横に座った。
私はまず昨日近藤さんが謝罪に来たと言う事をかいつまんで話す。小五郎は黙って聞いていた。
「ねぇ姉さん、近藤さんって、いくつに見える?」
「えっ、私と同じか・・・上?」
「僕より一つ下。」
「・・・・・・・・・・・」
「沈黙が長いよ・・・」
「・・・・・・・・・・・」
いやいや、いや・・・そうではないでしょ。小五郎より下ですって!?あの容姿と落ち着きで!?
「まぁ、見えないよね・・・」
「・・・・・・・えぇ、」
それでもまだ唖然としている私に、小五郎が笑った。
「近藤さんは人を率いる能力を持った人、だからこそ他稽古で近藤さんと組んだ人は近藤さんの人柄にひかれて道場を移って来るなんて事もある。次代当主には必ず近藤さんがなるはずだ。」
あぁやっぱりね、私は小五郎が言ったこの台詞で思わず笑ってしまった。
「ねぇ小五郎、あなた前に近藤さんとは知り合いではないって言っていたわよね?その口調じゃ知り合いじゃない。」
「えっ・・・えっと、まぁね、知り合いっちゃ知り合いなんだけど・・・」
「どういう事?」
「一度、手合せしたことがあるんだ。」
「なんだ、そうだったの?」
小五郎が何だか苦笑している。それは、負けたって事・・・なのかな?
「それで、どっちが勝ったの?」
「う~ん、僕・・・かな?」
「かなって何よ、」
私が追及すると小五郎が再び苦笑する。
「えーっとねぇ、近藤さんが、僕に打ち込んで来なかったんだよ、それで。」
「えーっと、それはどういう事なの?」
「なんかねぇ・・・怖かったみたいだよ?僕の事。」
完全に苦笑している。
あー・・・なるほど、近藤さんの顔を立てていたのね。聞かない方が良かったかな?
私が苦笑するとその意味を理解したのか小五郎が笑った。
「そんなにお強かったの?桂小五郎先生は。」
「やめてよ、たまたまだよ。」
小五郎が照れ笑いをしている。
でも、小五郎が怖かったって話、満更嘘でもなさそうなんだなこれが。
「あのね、小五郎。実は私、今回これに救われたのよ。」
そう言って私は懐から小五郎にもらったクシを出した。
「これは・・・、」
小五郎がなぜか驚いて私を見ている。
「そう、あなたからもらったクシよ。」
私は微笑んでから話を続ける。
「少なからず宗次郎君は近藤さんに小五郎の事も話してると思ったの。ただ宗次郎君は小五郎の事を練兵館の桂小五郎とは知らない様だった。だからもし、近藤さんがあなたの事を知っていて、私とあなたの事を宗次郎君が話していたとしたら、私が小五郎の名前を一切出さなくても、ある方からもらった物を肌身放さずに持っていると言えば、それはあなたの事を知る近藤さんへの遠回しの牽制になる・・・」
そう、あれは賭けだった。
小五郎が唖然としていた。
「でもこれは賭けだったの、宗次郎君が近藤さんにあなたの事を話していなければ意味がない。そして、近藤さんがあなたの事を知らなければ意味がない。私はあなたと近藤さんはどこかで会っている気がした・・・名前こそ知らなくても宗次郎君の存在を知っていたあなたなら、きっとどこかで接触しているはずだと。宗次郎君はきっと近藤さんの事がとても好き、もしくは尊敬をしている。だったら、私とあなたの事は話している、そう、賭けた。」
「・・・・・・・」
「なかなか良い読み、してるでしょ?」
小五郎はしばらく黙ってから、私をじっと見て問いかける。
「それは、未来で、すでに知っていたの?」
あら、そうだった。私は未来から来た人間だったっけ、だったらそう思われるのも普通ね。私がもう少し歴史マニアだったら知っていたのかもしれないけれど、あいにく歴史の評価は最低だったのよね・・・
「まさかぁ、もしそうだったとしたら私の存在が歴史的に認められちゃっている事になってしまうわよ。」
小五郎はまだ唖然としていた。
「でも結局、近藤さんにそんな牽制は読まれて笑われたわ。あぁ、ちなみにあなたの名前も長州も一切出していないし肯定も否定もしていないわ。安心して。」
私はあの時の事を思い出して話を続ける。
「それでも私には報復を受ける可能性があった。だからこそあえて一番いい松の間に通して、最もいい持て成しをさせた、そして少し時間を置いて周囲に気をはせる時間を与えからて、あえて女中のそのままの姿で行った。あの男が本物の剣士であるならば、最上とされる持て成しを受けた後に、自分ひれ伏す自分より下位に属する女を斬る事は絶対にしない・・・近藤勇にはその器があると信じたの。」
【桂小五郎】
何てことだ・・・それが僕の第一印象だった。
姉さんの頭の良さに僕は愕然とした。
近藤さんがやって来たのは想定外だったはず、やって来て、女中が姉さんに取り次いで姉さんが出てくるまでわずかな時間もかけられないはずだ。その一瞬で姉さんはこれだけの事を考え、実行した。
これは未来の人間には普通の事だろうか?
「ねぇ、姉さん。」
「なぁに?」
「姉さんの時代の人はみんな、一瞬でそんなにたくさんの事を考えるの・・・?」
僕の言葉に姉さんはポカンとしている。
姉さんは、自分が一瞬で考えて実行したことを特別な事だとは思っていないのだろう。いたって普通に、毎日の事と同じ事の様に行ったんだ。
「さぁ、どうかしら。でも私は他の人たちに比べるとありえない様な時間を過ごしてきているから・・・きっと、自分の身を守るためにこんな事を考えられるようになったんでしょうね。」
時代がもう少し前だったなら、戦国の世だったなら、姉さんはとてもいい武将になったはずだ。部下を誰一人無駄に殺す事もなく、自らの頭脳で国や民を守っただろう。
それは、僕の描く理想の国家像だ・・・
「でも、今日一番大変だったのは宗次郎君だったはずね。彼にとっては一大事だったと思うわ。」
笑いながら宗次郎の事を話している姉さんを見て、きっと昔、自分の事もこうやって話していたんだろうと思った。
こうやって楽しそうに笑って、母や姉と僕の事を話していたんだろう。
僕はくすっと笑ってしまった。
「あら、な~に?」
姉さんは目を細めて僕を見て笑う。
「いや、僕もそんな目に合ったなって思ってね。」
昔の事を思い出して、笑いが止まらない。
「そんな目って何よ。」
「いや、船頭さんの所に引きずって行かれて殴られたり、蹴られて川に落とされたり、抑え込まれて土下座させられたり。」
「ちょっと、そんな思い出しかないの?」
「いや、もっとたくさんあるよ?」
「あら、それはどんな事かしら?」
グイッと寄ってくる姉さんに僕は思わず慌ててしまった。姉さんの笑顔が、かわいく見えた。
「ねぇ、小五郎・・・」
「・・・なに?」
「このクシ、なんだけど・・・・これって、意味があるの?」
姉さんは僕に、あのクシを差し出した。
「女将に小五郎からこれをもらったって言ったら、笑って教えてくれないの。近藤さんもこのクシを見て話を止めた。このクシには一体どんな意味があるの?」
それは、口に出せないからクシを贈るんだよ・・・って言ったら、姉さんわかるかな?
未来ではきっとそんな習慣はないんだね。
「女将さんは何だって?」
「小五郎は苦労するでしょうねって。」
「それは確かだ!」
僕は声を上げて笑った。
「ちょっとぉ!いったい誰が教えてくれるのよ!?」
「不必要なら返しても良いんだよ?ただその場合、僕は数週間ほど寝込むかもしれないけどね。」
「えっ!?どういう事!?」
僕は笑いが止まらなかった。
「今回こそ本当に出家しちゃうかも!」
「どう言う事ってば!?」
「教えな~い。」
そう言った僕の頬を姉さんがつねる。
「こら。」
「やめてやめて、僕は悪い事してないよ?」
子供の時、何かするとこうやって頬をつねられていろいろ問われたっけ。
僕が長く捜していた時間が今ここにある、懐かしくて、幸せだった時間。
やっぱり僕には、姉さんが必要だ。
クシだけじゃ、きっと足りないくらい・・・
クシを贈るって事が「求婚」の意味をもっているって知ったら、姉さんはどうするかな・・・?